(「普通の人間」とは、どのような人間なのか)
「普通の人生を歩みたい」という人に対して、「“普通の人間”という定義をどうするか」ということがポイントです。あなたは、“普通の人間”というのは、ご自分のような人間だと思っておられるでしょう。
私は、「普通の人間」というのは、「神仏に近づいていけ、そういう使命が人間にはある」と思っているのです。ですから、定義が違うのです。私は、「普通の人間であればこそ、理想を持って、多くの人々のために生きたいと願って当たり前だ」と思っているのです。
ただ、そう思っていない人が多いのは、事実です。しかし、私は、そう思っていない人たちのベールを取るのは、そんなに難しい仕事ではないと思っているのです。「ベール」と言いましたが、あるいは「砂埃(すなぼこり)」かもしれません。砂埃を払うのは、そう難しいことではないのです。
それは、まず第一に、「気づくこと」です。気づけば、みな納得がいくのです。なぜなら、私の言っていること、「大きな理想を持って、ユートピア建設のために、あるいは神近き人間になるために努力していく」ということは、これは何人も否定しがたいことであるのです。それを聞いて否定するほうがよほど難しい、“普通ではない人たちの世界”だと私は思うんですね。ですから、まず気づくことが大事です。
(人間として「神、あの世、魂」を信じるのは当たり前のこと)
ただ、今の世の中では、そういうことを会社とか学校とかでは、そう簡単に教えてくれません。そのため、知らないことをもって“普通”と思っているかもしれません。
けれども実際は、水面下の世界でそれぞれの人が、いろいろな人生観を深めるために、いろいろなことをしているのは事実なのです。水面下で、他の人に分からないように実際は動いているのです。
私たちは、この「裏側」というか、水面下に置かれた部分を「表」に戻してくるために仕事をしているのです。これは、恥ずかしいことでも何でもなく、当たり前のことです。人間として、「神」を信じ、「あの世の存在」を信じ、「人間が魂であり、魂の理想の下に生きていること」を信じることは、当たり前のことなのです。
これを日陰に置いたのは、陰に置いたのは、そう昔のことではないのです。ごく最近の、ここ数十年の風潮なのです。このようなことは「時代の逆流現象」なのです。
それが「本来の常識」です。それを信じられる人が、過去、「普通の人」であったのです。歴史を見てください、そのとおりになっていますから。
ですから、「逆流現象」なのです。この逆流が逆流であるならば、やはり、「本流」を流す以外に手がないのです。本流を流すことによって、逆流は消えるのです。
私たちは、そのように、日陰の立場に立っている本当のものを真ん中に据えるために、まっすぐに表側に出すために、仕事をしているのです。これが広がれば、これが「普通」になるのです。
ですから、早く「普通の人間」になるために、乗り遅れないでください。お願いします。
---owari---
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