(夫の主体性をゆがめずにサポートし、「愛の心」を降り注ぐ)
男性にも、「知識や知性のランキング」はけっこうあります。
ただ、世の中はうまくできていて、上はアインシュタイン級の頭脳の男性から、下は普通の頭脳の男性までいたとしても、よく見渡せば、不思議なことに、それぞれの知性に釣り合った女性がいるものなのです。したがって、そのへんをよく見極めることが大事かと思います。
「夫の世界をまったく理解できず、夫の仕事や考えていることも理解できないけれども、男女だから一緒にいられる」という関係もありえますが、これだと、かなり厳しいものはあるかと思います。
そうかといって、知識が豊富で、夫の仕事にいろいろと口を出しすぎる方の場合にも、嫌われる傾向はあります。男の世界等での話もあるのに「妻に言われた」ということでコロコロ変わると、「公私混同」と言われることもありましょう。
妻としては、ある程度、夫のやっていることを理解しつつも、仕事に関して夫の主体性をゆがめない程度の抑制をしなくてはなりません。その上で、自分の豊かな世界からサポートするだけの「エネルギー」というか、「愛の心」を降り注(そそ)がせることが大事です。
また、それと同時に、妻には、一家のやりくりや将来の金銭的見通し、子育ての知恵等では、「家庭を護る」ということに対する責任もあるだろうと思うのです。
これに関しては、夫にも参加してほしいでしょうが、あまりにも仕事が重かったり、非常に厳しい競争をしていたり、専門的な知識が要る仕事をしていたりするような夫にとっては、家庭があまり足手まといになってはならないので、そのへんについて十分に配慮できるかどうかが大事です。
あるいは、女性として生まれれば、みんな料理ができるかといえば、そんなこともないので、そのあたりについても、やはり、自分なりの努力は要るかと思います。
(あげまん系は「一足す一以上のものにできる力」がある)
概して言えば、「一足す一が二になる以上の結果を出していける人が“あげまん”系です。一方、「結婚したら、マイナスになり、夫の重荷になっていく」という感じで、最後には、「夫が月給を運ぶだけ」というスタイルになってくると、これは、「夫に養われているだけ」というかたちになります。
したがって、「一足す一以上のものになっていくかどうか。掛け算的によくなるか」。あるいは、「子供ができても、それが単に重荷になっていくだけなのか、それとも、将来への希望や戦力として、力強い応援団になっていけるのか」。このへんを演出していける力が、妻としての力量ではないかと思います。
結果的には、もちろん、「夫から見て、『ああ、自分は楽になった。道が拓けてきた』と感じるかどうか」ということもあるでしょう。
また、周りから見て、「その結婚にはプラスが多いな。よかったね」と素直に言ってくれる感じか、それとも、「これはかなりの重荷になったね」という感じで、足を引っ張っているように見られるかということもあるでしょう。
この両方を合わせて見なければいけないのではないかと思います。
その結果は、意外と明らかに分かるのですが、嫁になった方自身の主観的な世界だけだと、分からないことが多いのです。
そして、たいてい、嫁に行った先の家庭のせいにしたり、そこの父親や母親のせいにしたり、仕事上の問題のせいにしたりします。いろいろなことのせいにするのが現代女性の普通の姿ではあるので、そのようになりやすいだろうと思います。
まあ、「夫を立てて、自分は耐え忍ぶ」という、昔風の女性にはなかなかなれないのが、現代の女性ではないかと思います。
そのあたりについては、すべて、もともとは「心掛けの問題」であり、また、「将来に向けての準備が十分にできているかどうか」という問題かと思います。
---owari---
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