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「偉大な指導者」がいなくても大丈夫な国(後編)

2020年11月13日 | 日本
(明治期の危機感と「暗黙知」を失った指導者たち)
日露戦争に勝利した日本の指導者の生き方、責任の取り方は、なぜその36年後の大東亜戦争には引き継がれなかったのか。

私は、日露戦争の頃までの日本人、幕末明治の激動期に白羽の下をくぐってきた指導者たちは、相手が誰であろうと、きちんとその正体を見抜き、状況を把握したうえで独立をまっとうする方途を懸命に探し出し、何とか舵取りできたと考えている。白人たちの腹黒さを見抜く直感、危機を乗り越える直感がともにあった。

それが、日露戦争につづいて第一次世界大戦も、幸運に乗って勝者の側についたあたりから、わが日本の指導者たちは明治期の危機感を失い、「暗黙知」を失っていった。

官僚や軍隊といった国内組織が整備されるにつれて、組織の弊害の常といってしまうには取り返しのつかない、省庁の入省年次や海軍のハンモックナンバー(「軍令承行令」という序列制度。海軍兵学校の卒業年次と卒業成績順位で部隊の指揮権を受け継ぐ順位が決まっていた)に象徴される可視化、数値化できる仕組みが幅を利かせ、真に有為な人材が登用されない組織が切り回す国になっていった。

山本権兵衛の「運のいい男」の代わりに、成績優秀と「実情」や「年功序列」が加わった。日露戦争の陸戦の立役者である児玉源太郎ですら、そのキャリアを考えれば、おそらく昭和の日本陸軍では師団長はおろか連隊長にもなれなかったであろう。

---owari---
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