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日本の伝統的教育が利他のパワーを引き出す

2024年07月15日 | 日本
教育勅語が引き出した利他のパワーが、明治日本の躍進を実現した。

(「日本人の活躍がますますクローズアップされている」)
2018年5月19日、「教育を良くする神奈川県民の会」にて『世界が称賛する 日本の教育』と題して、講演をさせていただいた。同会の会員のみならず、弊誌の読者にも参加いただいて、お陰様で100名を超す盛会となった。内容は同名の拙著に基づくものであったが、二、三、新しい要素を盛り込んだので、その部分を本編にて紹介させていただく。

まず、現代の国際社会で日本人が活躍してる事例から話を始めた。パリでの日本料理店の繁盛ぶりは、1059号「和食が救う高齢化社会」で書いたが、実は本場パリのフレンチ・レストランでも、日本人シェフたちが際だった躍進ぶりを見せている。

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2月5日、ミシュランガイド・フランス2018年版のレストラン格付けが発表され、日本人の活躍がますますクローズアップされている。
今年は、日本人がシェフを務めるレストラン5店舗が新たに一つ星を獲得し、2店舗が二つ星に昇格した。クラシックなフランス料理や和のテイストをミックスしたフレンチなど作られる料理は様々だが、シェフに共通しているのは食材へのこだわり、創意工夫、日々の努力の積み重ねである。

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パリに限って言えば、一つ星を獲得した15軒のうち、日本人シェフの店が4軒もあったということで、「日本人の活躍がますますクローズアップされている」というのも、誇張ではない。

そのうちの一つの店に入ってみたが、パリで開業してわずか1年で一つ星をとったという。 量は少ないが丹精のこもった料理が、次々と何皿も出てくるスタイルは、通常のフランス料理とは全く異なっている。まるで日本の幕の内弁当の少量かつ多様な料理を順番に出しているようだ。「和のテイストをミックスした」とは、こういうことも意味するのだろう。

いずれにしても「食材へのこだわり、創意工夫、日々の努力の積み重ね」で丹精を込めた料理が、フランス人にも高く評価されているのである。しかし、日本人シェフたちのこの精進ぶりは、どこから来るのか? 拙著『世界が称賛する 日本人が知らない日本』では、わが国での食事は食材の「命をいただく」ことであり、それゆえに料理は神事であることを述べた。

「食材へのこだわり、創意工夫、日々の努力の積み重ね」に精進する日本人シェフたちは、無意識のうちにも「料理は神事である」という使命感を抱いているのではないか。

(世界を変えた日本のモノづくり)
「創意工夫、日々の努力の積み重ね」から思い出したのが、日本のモノづくりである。今や欧州の自動車メーカーも、日本のモノづくりの影響を強く受けている。現在では以下のような日本製の用語が世界中で使われ、共通語となっている。

Kaizen(改善)、Muda(無駄)、5S(整理・整頓・清潔・清掃・躾)、Kanban(看板、在庫補充の指示票)、Andon(行灯、設備故障の表示灯)Pokayoke(ポカヨケ)

日本のモノづくりは、手法面にとどまらず、原理原則面でも根本的な変革をもたらした。例えばそれまでの欧米流品質管理では、「品質を良くするにはコストがかかる」と考えられていた。100円の不良が出ても、それを解決するのに千円かかるのであれば、その程度の不良は見過ごしてよいと考えられていた。

一方、物を粗末にすることを嫌うのが日本人である。せっかくこの世に役立つ材料として生まれてきたのに、未熟な技術で不良にしてしまっては、もの本来のあるべき姿(物体、もったい)を実現できないので「物体ない」と感じてきた。

そこで100円の不良をゼロにするために、1万円かけても「Kaizen」を行う。その過程で発見したのは「品質を良くすればコストが下がる」と言う逆説だった。

不良をゼロにするためには、その不良がどのように生まれるのかを科学的に究明することが必要である。そこで得られた製造技術が、他の製品の不良ゼロ化につながり、またさらに性能の良い新製品の開発にも役立てられる。

何よりも不良ゼロ化の過程を通じて、技術者や作業者の能力と意欲が向上し、それがさらなる「Kaizen」に向かう力となる。日本製品は品質が良いという定評はこうした活動によって築かれた。

世界を席巻する料理もモノづくりも、日本文化という根っこからパワーを受けとっているのである。

(「我が国の教育の根深い病」?)
日本のモノづくりが世界の常識を変え始めたのは1980年代からだが、ちょうどその頃、以下のような「教育改革の基本的方向」と題する答申が発表された。
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今次教育改革において最も重要なことは、これまでの我が国の教育の根深い病である画一性、硬直性、閉鎖性、非国際性を打破して、個人の尊厳、個性の尊重、自由・自律、自己責任の原則、すなわち個性重視の原則を確立することである。(臨時教育審議会第一次答申(昭和60年)「教育改革の基本的方向」)
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「我が国の教育の根深い病である画一性、硬直性、閉鎖性、非国際性」とはよくも言ったり。日本の独創的なモノづくりが世界を席巻していた事実を全く見ずして、こんな主張をする教育審議会の「識者」たちこそ、「画一性、硬直性、閉鎖性、非国際性」のお手本ではなかったか。

文部行政における「画一性、硬直性、閉鎖性、非国際性」の始まりは、初代文部大臣・森有礼(ありのり)が「日本は欧米文明に早く追いつくために英語を日本の国語にすべき」と主張したことだろう。この英語国語化論が完全に誤っていた事は、開国から70年足らずで日本が国際連盟常任理事国4カ国の一つとなったことで実証された。

(教育勅語の威力)
この世界史にも特筆すべき急速な近代化は、江戸時代の世界ダントツの識字率を基盤としていた事は『世界が称賛する 日本の教育』でも指摘したが、同様に、もう一つの原動力となったのが教育勅語である。『世界が称賛する 日本の教育』にはこう書いた。
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明治三十八(一九〇五)年の日露戦争の勝利は、アジアの一小国が白人の大国を近代戦争で打ち破った戦いとして、世界を驚嘆させた。
英国は、日本の発展の要因を、教育勅語をもとにした道徳教育にあると考えて、講演者を派遣するよう日本政府に要請してきた。これに応じて、元東京帝国大学総長・菊池大麓(だいろく)が、教育勅語を英訳し、明治四十(一九〇七)年、英国各地を講演して回った。
その結果、たとえば全英教員組合の機関紙は、「この愛国心が強く、勇敢無比な国民は、教育上の進化を続け、結果としてその偉大な勅語に雄弁に示された精神をもって、国民的伸展の歴程を重ねていくであろう」と絶賛した。
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英国は日本と同様、歴史的によくまとまった島国であり、国民が国家のために尽くす伝統がある。その伝統から、教育勅語に込められた精神を敏感に感じとったのであろう。戦後のアメリカ占領軍が教育勅語の奉読を禁止したのも、日本の強さの源泉が教育勅語にあり、日本弱体化のためにはここから始めなければならない、と見破っていたからに違いない。

(教育勅語の人間観)
現代アメリカで3千万部を超える大ベストセラーとなった「The Book of Virtue(道徳読本)」は教育勅語を下敷きとしていると言われ、その10の徳目も以下のように、教育勅語の12の徳目に類似している。

 1)父母ニ孝ニ 2)兄弟ニ友ニ 3)夫婦相和シ = Compassion
 4)朋友相信シ = Friendship

 5)恭儉己レヲ持シ = Self-discipline、Perseverance
 6)博愛衆ニ及ホシ = Faith
 7)學ヲ修メ業ヲ習ヒ 8)智能ヲ啓發シ = Work
 9)德器ヲ成就シ = Honesty

 10)公益ヲ廣メ世務ヲ開キ = Responsibility
 11)國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ = Loyalty
 12)義勇公ニ奉シ = Courage

しかし、教育勅語の徳目の順序をよく見ると、独特の人間観がそこに潜んでいる事が見えてくる。

まず1)から4)は、家庭や交友という日常生活の中で習得・実践すべき徳目である。次に5)から9)では、恭儉、博愛、学業、知能、德器という社会に出るために必要な性格や能力を磨く。最後に、10)公益世務、11)国憲国法、12)義勇奉公は公のために尽くすべきことを示している。

すなわちここでは、人間はまず家庭や交友を通して生き方を学び、次に社会に出るための修養を行い、その上で国家公共のために尽くすという人生観を前提としている。これに比べれば、「The Book of Virtue」が説く項目は、あくまで良き個人となるためのもの、という印象を受ける。

そもそも日本語の「人間」には、英語の「man」にはない「間」という字が入っている。これは人は他者とのつながりの中で生きているという人生観の表れだろう。

われわれは家庭では親であったり、職場では上司であったり、地域では町内会の役員であったりと、他者との関係に従ってさまざまな役割を負い、それを立派に果たすことによって自らの処を得て、生き甲斐を感じることができる。

教育勅語の説く徳目はそのような「他者とのつながりの中での人間」としての成長を目指したものであり、他者とは断絶した「個人」の人格的完成を説くものではない。

(わが国の教育の淵源)
「他者とのつながりの中での人間」という人間観は、国家や宗教などの共同体を前提としているが、わが国はこの面で非常にユニークな歴史伝統を持っている。それは教育勅語の冒頭の一文に謳われている。(現代語訳は文部省図書局『聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告書』(昭和15年)より)
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朕惟(おも)フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ德ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ
(朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、)
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初代・神武天皇は東征を終えて、わが国の建国宣言とも言うべき詔(みことのり)を出された。そこでは民を大御宝(おおみたから)と呼び、「天地四方、八紘(あめのした)にすむものすべてが、一つ屋根の下の大家族のように仲よくくらそうではないか」と呼びかけられている。

これが戦後、日本の「世界征服」のスローガンであるかのように非難された「八紘一宇」の出所なのだが、原意は国内の諸部族が仲良くまとまって、一つの国家としてやっていこうという呼びかけだった。ちなみに「国家」に「家」の字をつけるのも、外国語にはない表現である。

歴代天皇は、この精神を受け継がれて、民を大御宝として、ひたすらその幸せを祈られてきた。わが国はこのような徳を基盤として建てられた国家であった。「國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ德ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ」とは、この事を指していると考える。

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我カ臣民克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世(よよ)厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ此(こ)レ我カ國體(こくたい)ノ精華ニシテ敎育ノ淵源(えんげん)亦(また)實(じつ)ニ此(ここ)ニ存ス。
又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。
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歴代の天皇がひたすら祈られてきた大御宝の幸福を実現すべく、代々の国民もそれぞれの持ち場で、国民全体の幸せのために心を合わせて力を尽くしてきた。それがわが国の美しい国柄であり、その美風を次代の皇室と国民に伝えていくことが、わが国の教育の目標であった。

(遮断されている利他心のパワー)
最近の脳科学では、人間の脳は利他的な行動をとると幸福感を覚え、集中力が増し、免疫力も強化されることが、明らかにされつつある。冒頭で紹介した料理やモノづくりでの日本人の活躍も、金や名誉という利己的な目的よりも、世のため人のためという、日本文化に根ざす利他心からエネルギーを得ているのだろう。

皇室はひたすら国民の幸せを祈り、国民はその祈りを実現すべく、互いの幸福のために働く。わが国はそうした利他心で結ばれた共同体であった。教育勅語によって、その利他心のエネルギーをフルに引き出された明治の先人たちが、世界史に残る近代化を成し遂げた。戦後も利他心のエネルギーを引き出している料理やモノづくりの人々が現代世界に多大な貢献をしている。

しかし、国柄という根っこから遮断された戦後のほとんど日本人は、利他心のエネルギーを断たれている。日本人は経済的には豊かなのに、幸福を実感している人の割合が先進国中でも異様に低いのはこのためだろう。まずは国柄という根っこを回復し、利他心によるエネルギーと幸福感を吸い上げられるようにしなければならない。

総合学習やアクティブ・ラーニングというような手法次元でなく、生きる姿勢を正す処から始めるのが、教育改革の正道だろう。
(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

---owari---
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