⑬今回のシリーズは、豊臣政権の五大老の一人、加賀藩主・前田利家についてお伝えします。
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一夜、利家はこのことをまつに語った。まつは頷(うなず)いた。
「ようやく、そこにお気付きになりましたか」
と笑った。まつは、
「そのようなお仲間をお増やしになるのには、やはり弱い立場、苦しい立場に置かれ
た方々に、お声を掛けるのがよろしうございまし⊥う」
といった。
それは若き日の利家が、同朋衆の十阿称(じゅうあみ:茶坊主)を殺した時の浪人生活の苦しさを、まつも、「利家の原体験」として忘れなかったからである。あの時、利家が一番心を慰められたのは、やはり自分に同情し、一日も早く信長の怒りを解いてくれるように尽力してくれた柴田勝家らわずかな先輩たちであった。
その柴田勝家も滅びた。前田利家は、木下籐吉郎時代から秀吉とは昵懇(じっこん:親しくつきあう間柄)だ。秀吉の性格も知り尽くしている。天下人となった秀吉は、その政権を維持するためには、今までのような調子のよさだけでは保てない。やはり、非情な手も打つに違いない。
(そういう時に、弱い立場・苦しい立場に立った者を擁護することが、今後の俺の仕事の一つになるかもしれない)
利家はそう思った。この考えに立って、かれが擁護した大名に豊後(ぶんご)の大友宗麟(そうりん)や、陸奥(むつ)の南部信直、あるいは同じ伊達政宗などがいる。
(『勇断 前田家三百年の経営学』作家・童門冬二より抜粋)
---owari---
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