何か欠点や弱点がある人、あるいは、それをいつも意識している人は、ある意味で幸福かもしれません。
「一病息災(いちびょうそくさい)」という言葉のとおり、「体に何か悪いところのある人は、体をいたわるので、長生きする。徹夜をしても、びくともしないような人のほうが、かえって危ない」ということがあります。
自分の欠点や弱点を、三十歳になっても四十歳になっても五十歳になっても意識している人は、あまり無理をしませんし、やはり、成長の余地があります。
みなさんは、悩みの種として持っているものが幾つかあるでしょうが、それはまた、自分を励まし、育てる種でもあるのだと考えたほうがよいのです。
たとえば、六十歳になっても七十歳になっても、「自分は、まだ勉強が足りないな」「自分は能力が低いな」「自分は考えが足りないな」というようなことで、コンプレックスを持つ人がいたならば、それだけで、その人は優れた人であると言えます。
それは、「まだ自分に満足していない」ということであり、そこに成長の余地があるのです。
さまざまなことを知り、経験していくにつれて、「矛盾した部分のなかに、いかに次の成功や発展の種があるか」ということに気がつくようになります。
若い人は、体力がありますし、感性も非常に優れていますが、知識や経験の少ないところが弱点です。
ところが、年を取ってくると、体は間違いなく弱ってきますし、感性も鈍ってきます。神経が少し太くなり、あまり感じなくなってくるところがあるのです。体力や感性といった、若者にとって特徴的であったものが薄れていき、その代わり、知識や経験が増えてきます。
このように、逆のものに入れ替わってくるわけです。
たいていは、現在いちばん使えている能力の対極にあるものが、将来において、自分を励まし、育てるものになります。
成功の要因は、通常は長所の部分にあるのですが、さらに成功を続けていくためのヒントは、長所と対極のところにあることが多いのです。
「長所の反対側にあるもののなかに、あすの自分を導く種がある」ということを、常に知っていなくてはいけません。
「悩みの種」は、「自分を育てる種」。(仏法真理)
---owari---
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