天才アインシュタインは1922年(大正11年)11月17日に待望の日本にやってきた。
日本の雑誌社が企画した日本講演旅行を承諾し、10月8日に妻のエルザとともにマルセイユで日本郵船の北野丸に乗船した。
彼がまだ香港から上海に向かう船上にいた11月10日、1921年度のノーベル物理学賞が彼に授与された。このニュースは、相対性理論という神秘的な学説を樹立した世紀の天才物理学者に対する日本人の熱狂的崇拝をいやが上にも高めた。
はじめて神戸に上陸したその瞬間から、日本中、彼が行くところ、アインシュタイン・フィーバーが巻き起こった。あまりの騒動に最初は驚きあきれ、時には殺人的なスケジュールに閉口していたアインシュタインであったが、その背後に日本人の純粋な敬愛の念があることを知って、彼は日本と日本人を心から愛するようになったという。
神戸に上陸したときの記者会見で来日の目的を聞かれて、彼はこう答えている――
「それは二つあります。一つは、ラフカディオ・ハーンなどで読んだ美しい日本を自分の目で確かめてみたい――とくに音楽、美術、建築などをよく見聞きしてみたい――ということ、もう一つは、科学の世界的連携によって国際関係を一層親善に導くことは自分の使命であると考えたことです」
当時の日本を限りない愛情を込めて西洋に紹介したのは、ラフカディオ・ハーンであった。アインシュタインはハーンの著作を読み、日本への期待を抱いていた。来日後、彼は次のような手紙を親友に送っている。
「やさしくて上品な人びとと芸術。日本人はハーンの本で知った以上に神秘的で、そのうえ思いやりがあって気取らない人々だ。
嫌味もなく、また疑い深くもなく、人を真剣に高く評価する態度が日本人の特色である。彼ら以外にこれほど純粋な人間の心をもつ人はどこにもいない。この国を愛し、尊敬すべきである」
来日2週間目にアインシュタインは、雑誌社のために、「日本における私の印象」というエッセイを書いている。
「もっとも気のついたことは、日本人は欧米人に対してとくに遠慮深いということです。我がドイツでは、教育というものはすべて、個人間の生存競争が至極とうぜんのことと思う方向にみごとに向けられています。とくに都会では、すさまじい個人主義、向こう見ずな競争、獲得しうる多くのぜいたくや喜びをつかみとるための熾烈な闘いがあるのです。
しかし日本では、それがまったく違っています。日本では、個人主義は欧米ほど確固たるものではありません。法的にも、個人主義をもともとそれほど保護する立場をとっておりません。しかし家族の絆はドイツよりもたいへん固い」
アインシュタインはこのように、欧米の個人主義が行き過ぎであることを指摘し、むしろ日本の家族主義、集団主義に親しみを感じていたのです。
彼はさらにこう続けている。
「日本には、われわれの国よりも、人と人とがもっと容易に親しくなれる一つの理由があります。それは、みずからの感情や憎悪をあらわにしないで、どんな状況下でも落ち着いて、ことをそのままに保とうとするといった日本特有の伝統があるのです。
個人の表情を抑えてしまうこのやり方が、心の内にある個人みずからを抑えてしまうことになるのでしょうか? 私にはそう思えません。この伝統が発達してきたのは、この国の人に特有な感情のやさしさや、ヨーロッパ人よりもずっと優れていると思われる同情心の強さゆえでありましょう」
そして、アインシュタインが日本で最も強い感銘を受けたのは、日本の美しい自然と、自然と一体になった芸術であった。
「私は日本の芸術に対し驚きと感嘆を隠せません。日本では、自然と人間は一体化しているように見えます。この国に由来するすべてのものは、愛らしく朗らかであり、自然を通じてあたえられたものと密接に結びついています。
かわいらしいのは、小さな緑の島々、丘陵の景色、樹木、入念に分けられた小さな一区画、そしてもっとも入念に耕された田畑、とくにそのそばに建っている小さな家屋、そして最後に日本人みずからの言葉、その動作、その衣服、そして人びとが使用しているあらゆる家具等々。
礼儀正しい人びとの絵のように美しい笑顔、お辞儀、座っている姿にはただただ驚くばかりです。しかし、真似することはきません」と語った。
東京から京都に戻ったアインシュタインは、講演後、京都御所を訪問し、「御所は私がかつて見たなかでもっとも美 しい建物だった」との感想をもらした。
日本で数々の心あたたまる歓待を受けて、12月29日、アインシュタイン夫妻は門司港から日本郵船の榛名丸に乗船し、帰国の途についた。
離日の前日、『大阪朝日新聞』は彼の日本国民への感謝のメッセージを掲載した。
「1ヶ月に余る日本滞在中、とくに感じた点は、地球上にも、また日本国民の如くさように謙譲にして且つ篤実の国民が存在していたことを自覚したことである。世界各地を歴訪して、予にとって、またかくの如き純真な心持のよい国民に出会ったことはない。
又、予の接触した日本の建築絵画その他の芸術や自然については、山水草木がことごとく美しく細かく日本家屋の構造も自然にかない、一種独特の価値がある。故に予はこの点については、日本国民がむしろ欧州に感染をしないことを希望する。
又、福岡では畳の上に座って見、味噌汁もすすってみたが、この一寸の経験からみて、予は日本国民の日本生活を直ちに受け入れることの出来た一人であることを自覚した」
ここでもアインシュタインは、日本人の国民性と芸術と自然をほめることを忘れない。
「一言でいえば、日本は絵の国、詩の国であり、謙遜の美徳は、滞在中最も感銘をうけ忘れがたいものとなりました」
もちろん、多少のお世辞も含まれて入るであろうが、これらのメッセージは、アインシュタインの日本と日本人への敬愛の念を証明している。船上で日本に別れを告げるアインシュタインの目には涙が浮かんでいたという。
天下の天才・アインシュタインは、日本をこよなく愛した偉人だったのです。
---owari---
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