(働かないで得たお金は身を滅ぼすもとになる)宗教においては、お金に否定的な面がかなりあります。キリスト教では、「金持ちが天国に入るのは難しい」ということが言われるので、旧いキリスト教を信じている人のなかには、お金に対してアレルギーを持っている人もいます。原始仏教においても、そういう面は少しあって、次のような説話が遺っています。釈尊とその弟子が山道を歩いていくと、お金が落ちていました。それを見た釈尊 . . . 本文を読む
(公の目で自分の行動を見る)成功の要因として、信用が大事であることを述べましたが、信用をつくるには、けっこう時間がかかります。信用は、崩すのは簡単なのですが、つくるのは時間がかかるのです。「どういうときに、どのような考え方をしていくか」という、その人の人間としての傾向性が信用をつくっていきます。私がまだ若く、新入社員に近かったころの話ですが、私は、周りの人から、「あなただったら、たとえば、東京駅で . . . 本文を読む
⑨今回のシリーズは、千利休についてお伝えします(最終回)。――――――――――――――――――――――――利休はコトコトとひとりで笑う。そして、(まさに俺は、秀吉を踏んづけてやりたかった。あの高慢な成り上がり者の頭を、一度でいいから踏みつぶしてやりたいと願い続けてきた)博多に流された古渓(こけい:室町から安土桃山時代の臨済宗の僧。大徳寺の住職)の入れ知恵だけとはいえない。利休自身にも、秀吉に対して . . . 本文を読む
⑧今回のシリーズは、千利休についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――利休はやがて、「市民という言葉は、そのままでは日本に馴染まない。もっと和風の言葉をつくりだすべきだ」そう考えて、ついに、「まちびと」という言葉をつくりだしたのである。利休が自分の茶室を、「市中の山居(さんきょ)」と言うのにも、その辺の意味が込められている。山居という以上、もちろん茶を学んだ師の北向道陳( . . . 本文を読む
⑦今回のシリーズは、千利休についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――したがって利休の考える、「まちびと(市民)」というのは、自分の身近なところで祖父をはじめ、「阿弥」と呼ばれた社会的劣位者たちの実態を身に染みて感ずると共に、同じ堺のまちの日比屋了慶の教会に集まるキリシタンたちの実態とが、入り交じって出来上がったものだといえる。だから、日比屋了慶や教会で人々を導く外国人宣 . . . 本文を読む