懐かしい昭和の物をアップしあうフェイスブックのサイトでみつけました。
左は「ザーザー音を出す楽器」ではありません。
編み物をする「編み機」です。
子どもの頃、母がこの機械を使ってずっと編み物をしていました。
手前の取っ手の部分を持って、右に左に「ザーッ1!ザーッ!」と
動かすと、一段一段編み目が増えて、編めた部分は下に降りていきます。
模様を入れるときは小さな器具を使って一目一目カチャカチャとひっくり返して行くと
ゴム編みでも、縄編みでも一目鹿の子でも、何でも出来ていきます。
私は母の側でそれを見ているのがすきでした。
そして小学3年生の時に「4年生になったら機械編みのやり方を教えてくれる」と
母が言ったので、それを友達に自慢していたのを覚えています。
結局私が機械編みで作ったのは、もっと後になって出てきた蛇の目の編み機で
大きな厚紙にパンチで穴のあいたものを差し込無と
その通りの模様編みが2色で自動的に編めていけるという
優れものになってからです。
私がその編み機でマフラーを何枚か編んだのですが
自分ではとっくの遠に処分してしまったいたのに
幼なじみのSちゃんが今でも大事にとってくれていて
それをフェイスブックで見せてくれたのには驚きました。
ざっと60年前のものですから。
そして右の写真は毛糸を玉にする「かせ繰り器」です。
昔は毛糸は長いかせになっていて
それを玉に巻いていくのは子どものお手伝いナンバーワンでした。
でもこの器械があれば、一人で取っ手をクルクルまわすだけで
綺麗な玉にすることができるのです。
これが楽しくて、沢山お手伝いをしました。
母がこの器械で編み物をしていたのは、私達のセーターなどを編むためではありましたけど
一番の目的は内職でした。少しでも家計のたしになるようにとやっていたことでした。
近所の人達が毛糸を持って母に頼みに来ていたのです。
母はそれを納期に間に合わせるためによく夜なべをしていました。
なのに、父は母のこの労働を全く知らずに
母が楽しみで趣味でやっていたと90歳過ぎるまで
つまり母が亡くなった後になるまで思っていたのでした。
私と姉が「あれはお母さんの内職よ!趣味じゃ無かった!」言ったら
本当にびっくりしていました。
男なんて、とくに昭和一桁の男なんでそんなものなのでしょうね。
姉とふたり、あきれたのを覚えています。