大山レンゲ

花の歳時記

叔母

2011-02-27 22:33:30 | Weblog

父は四人兄妹だった。叔母二人は私の歳にはすでに亡くなっている。末っ子の叔母は私が生まれた時、まだ嫁いでいなかったので、生まれた日のことをよく話してくれていた。私が幼かった頃はお正月、お盆、お祭りには三人の叔母達がいとこ達を連れて実家に来ていた。その頃は祖父母も元気でにぎやかだったことが思い出される。

兄姉の中で一人残っていた叔母は明るい人で病気になるまでは老人会、ゲートボール、カラオケと楽しく忙しく過ごしていたようだ。盆踊りの時は櫓の上で歌っていたとか・・。野球を見に行った時、大声で応援するので孫が恥ずかしがったとか。内気で人見知りする私の性格は叔母に似ていないが、可愛がってもらった。

その叔母が亡くなった。88歳の誕生日を迎える四日前だった。叔父が拾数年前に亡くなり、二男を32歳の若さで亡くし、辛く悲しいこともいっぱいあったことだろうが、孫、ひ孫に恵まれ、先に逝った叔母たちより20年も長生きだった。安らかな最期だったことが残されたいとこ兄妹のせめてもの慰めだろう。

笑っている遺影から叔母の元気な声が聞こえてくるようだった。眠っているような叔母の棺に花を手向けながら「叔母さん、今までありがとう。安らかに眠ってください、さようなら」と語りかけながら涙があふれた。父方、母方の叔父叔母達は皆お浄土へ帰った。


試練

2011-02-16 20:27:51 | Weblog

困難な事に直面した時「神様はその人が乗り越えられない試練は与えられない」とよく言われる。その言葉を励みに頑張ったこともある。しかしあの日、突然に襲った病で歩けなくなった時すぐに浮かんだのは「この言葉は嘘だ」と思った。こんな試練を私は越えられない。激しい痛みの後動かなくなった両足を見つめながら、涙もでなかった。

 

あの日から、夫と二人三脚でリハビリに励んで来た。山には登れなくなったが、山頂に立ったさわやかな感動は、思い出すたびに、いつも心に温かい灯りがともる。発病の日は今も支えて下さっている皆さんと夫への感謝の日。お一人お一人に心からお礼申し上げます。ありがとうございました。明日からまた前に向かって二人で歩いていきます。「幸せは自分の心が決める」の言葉のように不自由だけど幸せな日々を生きている。明日から九年目に入る。

 


親心

2011-02-13 19:35:15 | Weblog

 

「トンネルをぬけると......」の一節のように、母の住んでいる田舎の冬はこのような風景である。

 

今日日曜日、単身赴任している末弟が帰省して母の所へ帰る日だった。遠くから帰省して疲れているのに、いつも花苗などを買い義妹と一緒に母の元を訪れ、食事を一緒にしている。その弟からの電話で母が「雪が降っているから帰らなくていい」と言ったという。一昨日田舎に行った時、母は弟の帰省を楽しみにしていたのだが....。

 

夕方、母が電話で「帰ってくる道中が心配だから帰らなくていいと言ったよ、朝は空が暗かったが昼から晴れたよ、来月も帰ってくれるからね」と言っていた。90歳を過ぎても親心は健在だ。弟が高校生の時、家に帰る時間には近くの畑にいると言っていた母。一人暮らしが20年過ぎた今まで一度も寂しいから来てほしいと言ったことが無い。近所の一人暮らしの人が寂しいと言ってよく来られるのを慰めているようだ。いつも子供達、孫達の幸せを願っている母。そんな母を誇りに思い、親心がせつなくありがたい。


散歩

2011-02-05 20:45:08 | Weblog

春の予感がするようなお天気。小二の孫娘と散歩に出た。留守家庭の学童保育に行っている孫は休園日に親が帰るまで我が家に来ている。

 

妹は保育園に行き一人で本を読んだり、テレビを見たりと退屈そうにしている孫に「散歩に行こうか?」と声をかけると喜んで「行こう」という。先に玄関に出て杖を渡してくれる。外を歩き始めると小さな手をつないでくれる。ゆっくりと歩幅を合わせながら「下りと上りとどっちが楽?」と聞いてくる。「そうね、上りは足が上がらないからしんどいよ。下りは前に突っ込みそうになるよ、ゆうちゃんが手をつないでくれるから安心よ」と言うと嬉しそう。「やさしいおばちゃんのところに行こう」と自宅から200mくらいのSさん宅に向かう。いつもよくしてくださるSさんのことを孫たちはやさしいおばちゃんと呼んでいる。

 

Sさんはあいにく留守だったので、バイパス下のトンネルの所に行く。「ここで待っているから、トンネルの出口まで走って」と言うと勢いよく走りだし、何往復も走った。エネルギーが余っているのだろう。

帰りながら、道端のよもぎ、仏の座を教えてやる。山茶花の垣根の側を通る時、「さざんかさざんか咲いた道、たきびだ焚火だ落葉たき~♪」と歌ったが、孫は歌わない。学校ではこの歌は習わないのだろう。焚火の光景も煙の懐かしい匂いも、私達の世代で終わりなのだろうか。蝋梅の花が見えた。いい香りのこの花は蝋梅で、蝋細工のような花弁だと話して聞かせる。木の枝に止まっている鳥を見ながら「この鳥はジョウビタキで遠い国から飛んで来たの」と言うと「夏にはブッポウソウが来るのよね」と昨年初めて見たブッポウソウを覚えていた。

 

時折、同居していた祖父母のことや母方の祖母のことを思い出す。ゆうの記憶の中に私が言ったこと、一緒に見た花などの何が残るのだろうか。ゆうが生後四カ月で足が不自由になった私。体の不自由な人にやさしい心遣いをする人になってほしいと願っている。