ある朝、食卓の上に大袋のロールパンが2つ残って置いてありました。僕がそれに手を伸ばそうとすると、
「ダメ!」
と、強い妻の叱責の声。
「それは○○ちゃんが食べるの!」
息子の○○ちゃんは、ランドセルを背負ったままテレビを見ています。食事は済んでいるように見えたので、
「まだ朝めし食べてなかったのか?」
と、妻に尋ねると、
「そのロールパン、すごく美味しかったから、学校から帰ってまた食べるんだって」
との返事。
「じゃあ、他にパンとかないの?」
「ない!」
「パン以外に何かないの?」
「ない!」
「何にもないのかよ!」
すると妻は「しょうがないわねぇ」といった感じで、息子にこう尋ねました。
「お父さんがこのパン食べたいんだって、また買ってきてあげるから食べていい?」
すると息子は別に固執するふうでもなく、テレビを見ながら
「いいよぉ~」
と答えました。
「どうもありがとうございました」
とようやく僕は朝ごはんにありつくことができました。
問題はこの一連のやりとりを僕以外の者は誰も疑問に思っていないということです。
やれやれ!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
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その生活は子供がやがて成人し、母が子供達から見向きもされなくなった時、やっと大切な夫に目が向く妻に帰る迄続くのですよ。
まだまだですね~。
でも必ずその日はやって来ます。
それまでは「なんでやねん!」と思いつつ静かに待ちましょう。
散々御無沙汰した上に、ロールパン(子供と夫)に食いついてごめん!!
○○ちゃんさまさまですね~
面白かったのでちょびパパにも読ませてあげたら「うちとつい(同じ)じゃ~」って。
えっ!?
私もまったくギモンに思ってなかったです。
つくづく父親と言うのは損だと思っています。とくに現代の世の中では人間の世界もカマキリの世界と似たようなものです。
きっと夫に目が向く頃には僕はヨイヨイになり、さらに虐げられていることでしょう。我が家はきっと箱庭家のようにはならないような気がします。だからこそ箱庭さんたちの姿に憧れたような気がします。ヤレヤレです。
ですから明日もまたせっせと山に登るのです。
そうですか、ちょびママさんちも同じだったのですか、ちょっと安心したというか、パパさんが気の毒というか、同病相哀れむというか、良かったです。
愛媛県でも「同じ」というのを「つい」と言うのですね。こちらでも言います。