といっても ドボルザークではない。
あの、元大坂のエッフェル塔「通天閣」を抱える新世界と呼ばれる地域のことだ。
この地域を訪れるのは何年振りだろう。
最後に来たのが、確か中2の頃だから33年ほど前だろうか…
その頃の記憶は「ちょっと怖い…」だった。
大坂周辺をウロチョロしていた僕にとっても、何とも言えない活気や気だるさの漂う街だった。
今回のように夜に訪れたことはないけれど、将棋を指している何の仕事をしているかわからないおじさん達や観光客ではないけどうろうろしている人達、そして、何となく目を向けることが憚られる人たち、絶対に目を合わせてはいけないような気がする人達…
そんな人々が何となく溢れ返っている…それが僕の新世界周辺の記憶だ。
とはいっても、嫌いだったわけではない。小学校4年の冬に親の転勤で滋賀へ引っ越してから、冬休みや春休みにお祖母ちゃんの家に行くとちょっとしたお小遣いをもらって、戎橋劇場を中心とした難波周辺や新世界周辺に出かけた記憶がある。
何を隠そう、初めてポルノ映画館に入ったのも新世界の辺りだった。
結局そこで男の痴漢に詰め寄られて蹴り飛ばして飛びだしてちゃんと見られなかった為、僕のポルノ初体験は割と残念な結果に終わったのだけど(笑)
確かそれが中2の終わりの春休みで最後の新世界周辺散策だったと思う。
もっと昔の記憶でいえば、僕にとっては天王寺の駅前の歩道橋も怖い場所だった。
あのころ僕は小学校に入る前から1年生。
お袋が玉造出身だったので、玉造の商店街から鶴橋までブラブラ歩いてなじみの店に顔を出した後阿倍野へ向かうという事がちょくちょくあった。
その頃の天王寺駅前の歩道橋は、今ではすっかり見なくなった(当り前か…)傷痍軍人(もしくはそのふりをした人)やいろんな人が居て何とも言えず怖かった記憶がある。
今日、久しぶりに新世界から天王寺を1時間くらい歩いてみて、あの独特の雰囲気はすっかり影をひそめてしまってただの街になってしまったような気がした。
街のイメージアップ作戦が上手くいっているのだろうか?
それとも、街じゃなくて僕が変わってしまったのだろうか?
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なんかまさに昭和の香り。
昔入った路地裏の飯屋とか飲み屋とか、もう人生で二度と見つけられない店ってありますよね。
なんでもない店なんだけど、そういうのをふと思い出すと妙に切ないです。
そんなことをつらつら思う写真の数々。
ボクの目は自然に成人映画の看板へ。
やってるんですね~こういうの。ボクの田舎じゃ考えられないな~
この手が消えてもう何十年になるだろう。
生き残っているってことは需要があるってことだろうけど、ネットで何でも手に入る時代、ボクはこの手の映画館に興味はもっても立ち入る度胸はありません。
たまには見てみたいですね~