10年近くの仙台赴任を終え、2015年5月から大阪へ赴任中のオヤジの日記です。
2014年以前のカテゴリは整理中です。
よっぱのときどき日記



このブログ、今日で開設以来3,650日になるようです。
石の上にも三年 と言いますが、ちょこちょこ休みながらもなんとか10年に相当する日数が経過したんですねぇ。
実際の引越し日は8月9日なんですが、閏年がありますもんね。

我ながらビックリです。

これからもよろしくお願い致します。m(_ _)m

デザインフィル ミドリ 日記10年連用 扉 紺 12397006
クリエーター情報なし
デザインフィル


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僕の最近の仕事は石○市の仮設住宅の工事の打ち合わせなどなど
今日からは大阪からの応援部隊が2名入って現場打ち合わせに行ってきました。
事務所の2階で寝て、明日から毎日朝6時出発で現場に向かってもらいます。

日曜の夜には千葉から3名の応援が来てくれることがさっき決まりました。




ばカンナオト総理の立派な発言のおかげで全ての現場が同時進行に近い状態となっています。

「避難所暮らしの被災者の事を考えると一日も早く仮設住宅などに引っ越して、プライベートを確保して一息入れて復興に向けて歩んでいただきたい。」という気持ちは僕たちにも充分にあり、その為には頑張って働こうと思っている事も事実です。


とはいうものの身の周りでは、
家も会社も車も流され知り合いや親戚のお宅に厄介になりながら働いているという被災者でもある現地の工事人達がずっと休みなしで働いてバタバタと倒れていっています。
今回ウチが手伝う事になった設備屋さんはまさにそのような状況で、社長を含めて10名いる社員の8名が倒れて現在2人で切り盛りしており毎日が徹夜に近く、会うたびに精彩が無くなってきています。


仮設住宅というのは、大手のプレハブメーカーが県から委託されて、計画通りに仮設住宅を建てていかなくてはならないため、大工さんや電気・水道関係についてはそれこそ本当に全国から応援部隊が来てくれています。
そして、その大手プレハブメーカーさんが屋敷ごと借り切った宿泊施設等々に寝泊まりし、毎朝8時頃から現場で働いておられる訳です。


私の関係するガスの部門は、後々の供給なんかの事もあってか比較的地域のガス事業者に工事依頼が振り分けられる傾向があります。(実際には結構全国から応援にも来ているようですが)
そのため、業界の大手ではないような個人企業などでは上の方に書いたような状況に陥ってしまう訳です。
どうしても力が弱いために、最終的にきつくなる事が多いような現場を引き受けざるを得ない傾向が無いとも言い切れないようです。(普段の付き合いでハウスメーカーから仕事をもらってガス供給をしていることが多く、ここで嫌われたら今後の商売に大きく響くのではないかという恐怖感など)


それを時系列(か?)に流れをまとめると下記のようになります。

市町村 ⇒ お願い ⇒ 県 ⇒作れ~(発注)⇒ プレハブ建築協会 ⇒ エリアごとや現場ごとに ⇒ 各プレハブメーカー(だい○はうちゅ や だ○わリースなど) に発注 ⇒ 業者選定(言う事聞かせられる下請けへ)と発注(力関係で押し付けちゃう場合もない訳ではない) ⇒ (ここからは下手をするとという事です) 現場を抱え過ぎて廻らなくなるので毎日徹夜に近い ⇒ 失敗や忘れが発生してもっとパニックに… ⇒ 各現場で元請けから罵倒されもっともっと夜中まで働かなければならなくなる ⇒ 手の打ちようが無くなる ⇒ 大赤字でもなんでもいいので現場を納めなくてはならず色々なところへSOS ⇒ ようやく応援が来るが後手後手に回った工事なるため本来より余分な経費がかかる
(おまけに応援部隊はホテルも取れず野宿に近い環境で工事を進めなくてはならない) ⇒ 頼んだ方は大赤字で仕事はしたけど大損で、震災前よりひどい状況だ… (頼まれた方も大変なばかりで儲けはなく地元での仕事も断っているしなぁ… と 恨みまではいかないがしこりが残る) ⇒ ……

途中から悲しい負の連鎖となってしまう場合もあります。

誰も悪くはないんです。
皆、一生懸命何とかしようとしているんです。



ようやく震災から2ヶ月。
少しずつ仮設住宅に入居できる人達もでてきました。
新しい生活に向けて踏み出せた人も増えてきました。


そして、ついに仮設住宅に使用する工事用材料も売り切れになったものも増えてきました。


今日のニュースでは、女川町の復興計画は8年がかりでやるのだというような事を言っていた(と思う)


ようやく2ヶ月、

まだ2ヶ月





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都にすむ盟友(というか師匠)がマイナス5℃菅平への出張を終え、都に戻ってこられました。
あまりの寒さと労働環境の厳しさに風邪をひいてしまったようですが、そんな体調不良の中僕んお土産を買ってきてくださいました。







刻んで晩酌やお茶のお供に… 楽しみです♫




どうもありがとう。


僕の方は、今日は休ませてもらっています。


子会社の工事会社のみんなは全員出勤して仮設住宅の現場へ行ったり下ごしらえをしたり


渋チンも昨日は休む予定だったのに、午後2時頃から急遽釜石へ商品配達(これも仮設住宅に絡むもの)に出かけました。




おバカン総理「私の内閣の責任を持って、お盆までに希望者全員を応急仮設住宅へ入居していただく」旨の回答をしましたが、



福島原発の製造業への影響(家の材料・ガラス・給湯器・ガス関連機器など)や土地の問題等々詳しいことは(多分)何も知らずに


相変わらずの「場当たり的」「根拠のない」「耳あたりの良い」 すばらしいご回答で(笑) 


原発の件や避難指示の件なども含め

こういう人が日本のリーダーとして居座ろうとするのをどうやって変革・改革していくのか、日本の政治家と学者や学識者の誠意と団結力の見せ所がやってくるのではないでしょうか


普段、ここでは出来るだけ政治批判などしないように思っておりましたが…


がんばろう 日本



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はやいもので、あの大地震の日から四十九日が過ぎ、昨日は各地で再びの集中捜索が行われたとのことで6ヶ所で7遺体が収容されたとニュースで伝え聞いた。

変わり果てた姿であったとしても、再び家族に会いたい。遺体として確認をしたいという気持ちはよく分ります。
その方々が

「よかった… たとえどんな姿となっていたとしてもまた会えた。」

と仰るのはあの日から49日が経過し、色んな避難所などや心当たりの場所を探しまわったけどどうしても会えなくて、見つけられなくて…

ある覚悟が心の中に出来上がったその後でようやく見つかったわずかな特徴を我が家族と認められたという事。

最悪の事態であっても、どこかの瓦礫の中でまったく誰にも見つけられぬまま、家族との再会を果たせぬまま朽ち果てなかったという事に対しての

「よかった…」

であって、決して本当に「よかった」のではないという事。



赤の他人が訳知り顔で「よかったですね」などと声をかけて欲しくない。



と思う僕はなにものなんだろう。






今日からゴールデンウイークが始まり、全国から被災地へボランティアをしようと向かっている方々も多いという。

そんな中、被災地近くに暮らしながらも「仕事」にかこつけて人のために何もしない僕がいる。

「自分の会社の売上の事を考えればいい。ウチの仕事は結構人のためになる仕事のはずだから、売上が上がるという事は人の役にも立っているという事だ」
というかなり都合のいい意見もある。

そして、
「まず、自分の生活を成り立たせて初めて何か他の事が出来るんだ。だから、まず今手の届きそうな仕事を獲得し、こなして初めてそういう事を考えろ。」
という考えもある。

上の二つはどちらも大きくは間違っていないと思うし、自分でもそう思っていない訳ではない。



そんなこんなに揺られながらも

「ちくしょ~ そろそろゴルフやりてぇなぁ~!!」

と思う僕もいる。



いったい なにものなんだろう 本当に。





基本的に人の役になんか立たずに、ただ生きてきたぼく。



そして、きっとこのままただ生きていくのだろう。
ずっと。


だらだらと。

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先週流失容器についての話を書きましたところ、結構反応が多かったので続報として本日見て、撮影してきたものを載せさせていただきます。



1.自衛隊さん達が瓦礫処理をした際、瓦礫とは少し違う扱いとして危険物のみまとめておいておくという暗黙のルールが成立しています。














2.今回津波で引きちぎられているのは「高圧ホース」と呼ばれるボンベの一番直近のゴムと金属の繋がる部分(当然ゴムが弱いのでゴムの所で引きちぎられたような形となる)が多いようです。その他は調整器と呼ばれる機械の部分とか、配管のどこかからということもあります。







3.まだまだ瓦礫処理が終わっていない場所も多く、中には500kgや1t位(いずれも外身だけで中身を入れる倍位の重さ)あるガスタンクも流されたりしています。
























以上、仙台市の沿岸部の本日時点での状況でした。


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北海道のきのめ塾長が見舞いの支援物資を送って下さいました。

シップや絆創膏にタオルetc.


文章塾という場所で知り合っただけの僕のために

「今、仕事をしている人が少しでも元気になってくれればと思っています。」

というお手紙とともに






本当にありがとうございます。



1週間以上車中泊を続けていた時に家に呼んで何日も泊めて下さったMさんの家があるほか、色々とコメントなどで応援して下さった皆さんが居る仙台市内から遠くは関西までの西側や

色々と力を分けてくれたり調べごとをしてくれた友人たちがたくさん居る東京方面を含む南側

についで

北の地へも足を向けて寝られなくなりました。



今回の震災で人の温かさを知り、感謝する事も憶えました。

いま、行方不明になっているかたや亡くなられたかたの知り合い縁者の数だけ悲しみや絶望がある事も知りました。

こんな歳になって、
今まで知っていると思っていたことも色褪せるほどに色んな事を感じ直しました。

この一ヶ月

すごく怒りっぽくもなりました。
すごく涙もろくもなりました。
すごく心広くもなりました。

きっと、ストレスやら不安やらなんやらなんだろうとも思います。


そのうち少しずつ元に戻っていくのだろうとも思います。

または、前にもぐらさんが仰っていたように
ぺちゃんこになったままなのかもしれません。
粉々になって違う形に固まっていくのかもしれません。



数年後の僕は今の僕を振り返ってどう思っているのか



今回の震災、県庁所在地のある仙台市も被災した上に、気仙沼・女川・石巻・南三陸町・多賀城・七ヶ浜町・名取・岩沼・亘理・山元などの津波が酷かった地域を抱えて避難人口も多い宮城県がすごくクローズアップされていますが、原発がらみも加えてのトリプルパンチとなっているうえに、ここ数日震度6弱など酷い余震に悩まされている福島県も、あまり報道されないけれどかなりの津波被害を受けている青森県八戸から、津波と液状化などに悩まされた千葉県まで太平洋側の全ての県で悲しみと途方に暮れておられる方々が多数おられることと思います。

「がんばろう日本」という言葉だけでは言い尽くせませんし

「がんばれ」というにはあまりにも過酷な状況だとも思います。


今の僕に、人のために出来ることはあまり多くありません。
だけど、出来る範囲で恩返しをしていこうと思います。

お世話になった方々に
そして、同じ災害に見舞われた数多くの方々に


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とにかく電話が通じない


携帯電話でネットを通じて情報を取ろうとしても当然どうにもならない。




街中の電気など復旧はすごく早く、自宅が大丈夫だった人は比較的早い段階でネットやテレビによる情報が入っていたものと思われますが、避難所や電気の来ていない地域での情報収集は困難を極めました。


今日の夕方5時、会社に電気が通りました。


ホッとしました。



色々調べる事も可能になりました。




たまたま電波が通じた時にツイッターやブログに書くと、色々な人たちが「ここに情報あるよ」と教えて下さいました。

本当にありがとうございました。


でも、見れませんでした。





パソコンもほとんど使えない状況で

iPhoneの感度の悪さなど…




かなりつらい状況が続いたような気がします。


ライフラインって本当にライフラインなんですね


でも皆さん、本当にありがとうございました。


僕の被災なんてまだまだ大したことはありません。
それでもこんなに滅入るのに、家が流されたり潰れてしまったりした皆さんの不安は計り知れないものがあります。



明日で1週間。
まだまだ先は長い。のんびりやろうと思います。(会社では怒られるかもしれないけど…)

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昨夕、仙台に来て知り合った「ニコ兄さん」や「M夫妻」から連絡をいただいた。

「よっぱさん、ウチにおいでよ。晩御飯食べようよ。」

物流がどうにもならなく、ガソリンもなく、ガスもなく自由にならないなかで朝市で並んで手に入れたお刺身や動き回って手に入れたビールをふるまって下さった。

おまけに

「潰れかけた家だけど、毎日ここへ帰っておいで。いつまでかかるか分らないけど一緒に乗り越えましょう。」

と言って下さった。




人の優しさにふれて涙が出た。






被災から5日間、緊張感が緩んだらなえてしまいそうで色々我慢していたこと



平らな場所で寝る(車以外)


お酒を飲む


思いっきり笑う


泣く


の4つを開放してしまった



今思い出しても嬉しくて涙が出る





ありがとう Mさん




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僕は新聞記者でも報道関係者でもでもなく、ただの被災者であり、仕事中に見かけた部分を少しだけ切り取っているので、同じ、いやもっとひどい状況に苦しんでいる人の表情を撮ることがどうしてもできません。

























また、あまりにひどい状況にはカメラを向けることができません。



お察し下さい。



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