まあ、驚きましたね。
一般人は、よく知らない天皇陛下だけど、さすがに「何かあったのか!」状態ですよ。
13日、夜8時に新国立美術館に向かう徳仁さんのお顔です。
夜の8時ですからね!
そこで私的にマティス展を鑑賞したそうです。
いや・・・天皇一家の遅すぎる時間帯の鑑賞公務には慣れている人達でも、さすがに夜の8時はありえないでしょ。
だって美術館って通常4時くらいまででしょ?
って事は、そこから4時間、職員は待っていたのか、あるいは再招集されたのか。
ドタ出?ドタ出だよね?
しかも、この生気を失った顔を見て下さい。
顔色が悪く、むくんで一生分の生気を誰かに吸い取られたような?
まだ60代だよ。いくらなんでもちょっと元気がなさすぎる。
そこで、想像されるのが、この私的鑑賞前に行われていた公務です。
この日、天皇・皇后・愛子内親王は日赤から1年間の活動状況について説明をうけていたそうなのです。
また、皇后派15日に赤十字大会があるので、その打ち合わせも兼ねていたのでしょうが。
そこで「何かあったのか?」ですね。
① 赤十字大会に内親王を同席させろといって断られ、皇后が暴れた
② 日赤側から内親王の働きぶりを褒められたものの、「うちはブラック企業ではありません。このような報道が続くと会社として困ります」と言われて皇后が暴れた
③ 「愛子様は嘱託職員ですから静養に行かれても全然構わないが、シフトは守って欲しい」と言われて皇后が切れた。あるいは欠席分は給料から引くと言われて皇后が暴れた
もう、これくらいしか想像できないのですが、徳仁天皇はいたたまれなくなり、逃げ出したか、あるいは前の「説明」バトルが長すぎて本来の時間に遅れたかのどっちかとしか考えようがないのです。
そもそも「説明」が何時から始まったんでしょうね。
夕食を挟んで、8時といえばくつろいて寝るだけ~~の時間の筈なのに、わざわざこの時間に出ていくのは尋常じゃないです。
まあ、「あ~~また叩かれた?暴言吐かれた?ヒステリー起こされた?」しかないよね。誰も守ってくれない天皇は本当にお可哀想。
そして14日に田植えをされたのですが、何と20株のみ。
上皇は100株でしたが。
腰を落としているのが大変なんでしょうね。
御料牧場ではまだ、ジョギングやってるとか言ってたけど嘘ですね。絶対。
足腰立たなくなりつつあるのでは。
「光る君へ」で、新しい元号について道隆が「長徳」と言ったら誰もが顔をしかめました。
「病が長引く」って縁起が悪いって。
「令和」もそういう意味では縁起が悪い。
「令」は決まり事です。「和」は和む。
つまり常識や法律が崩れていくことを表しているのではないかと。
令和になって天皇家のもっとも大事な部分が崩れてしまった気がします。
その中で孤独にただ精神的に耐えるだけの天皇。100年後になんと言われるか。