ふぶきの部屋

侍ブロガー、ふぶきが宝塚とドラマ、皇室からワイドショーまで語ります。連載中の小説もお見逃しなく。

週刊文春 「独りぼっちの特別授業」

2014-10-26 11:25:00 | 皇室報道

 もう「昭和天皇実録」に間違い発見ですって?

山百合の花咲く庭にいとし子を車にのせてその母はゆく」昭和天皇の御製。

普通に見れば「ああ皇太子妃と浩宮のこと」って思いますけど、実は違っていたそうです。

担当者が思い込んで書いてしまった」と風岡長官は言ったそうでうですけど

実録って「思い込み」で書くものなんですか?

 週刊文春 美智子さま(80)が憂慮される

          愛子様 独りぼっちの特別授業 

 10月15日、二学期の中間試験の初日。9時半からの「地理」に続き

   「英語B」と「古文」のテストを受ける筈の愛子内親王。

 8時過ぎ、北門には警備が顔をそろえたが内親王は一向にやってこない。

   やがて、試験開始時刻を待たずして警備は全員撤収。

   愛子内親王は中間試験を欠席した。

 東宮関係者

 「この日は、愛子様は朝8時30分には起きていらっしゃいました。

 試験開始時間の9時30分には十分間に合う時間です。

  学校へ持って行くお弁当も用意され、登校の手筈は全て整っていました。

 それにも関わらず、結局、ご欠席になってしまったのです」

 「9月6日から二学期が始まりました。始業式は問題なく朝から登校されたので

  安心していたのですが、学校が始まって一週目に一日欠席

  9月中旬ごろには週に一回程度、午後から登校される状態になっていた。

  同時に生活のリズムも再び再び不規則になり、ほとんど毎日就寝は深夜になっている

  職員は見守るしかないと話しています」

 宮内庁担当記者

 「中間試験を欠席した事は、関係者への取材でわかったが、体調を崩したという

  発表もなく、取材も控えろと言われているのでわかりません

 まず、朝の8時半に起きるってありえないんですけど・・・中学生が。

  普通は6時起床で、7時朝食開始では?

  制服に着替えて髪を整え、バッグに色々詰め込んで

  「きゃあ、髪がっ まとまらない。結いなおし。ちょっと待ってーー」てな

  雰囲気を想像するんですけど

  「8時半には」・・「には」っていつもはどんだけ寝ているのかと思いますし

  8時半に起きて9時半開始に間に合う。

  いくら車通学でも、何だかへんですね。

  ちなみにいつまでも寝ている我が家のジュニアですら、7時20分には起きてた・・・・

 ともあれ、間に合う時間に起きていたにも関わらず、学校は休んだと。

  警備はそれを知らず、待ち続けていたんですね。

 女官や侍従はただ「見守って」いるだけなんですか?

  (さっさと行かないと遅刻するよーーあーやっぱり今日も休みかあ)と心で思って?

  寝てたら布団をひっぺがし「宮様、さっさとお起きなさいませ

 ♪ なんて寝坊なの 怠けてはだめよ 

 ♪ まだ8時半です 

 ♪ 毎日6時きっかりに全て始めるのよ 

 ♪ 内親王の務めは勉強が一番 全て学校に捧げるのよ 

  でしょうがっ(怒)

 毎日世話をしている女官の「しつけ」が問われますわっ。ねえ、奥様?

 

 10月10日の小町東宮大夫の記者会見。

  愛子内親王の通学中の姿を掲載した女性誌に抗議。

 記 者 「こんな状態がいつまで続くのか。一部の記者は事の重大さに気づき始めている

 文春把握。

 9月6日以降 → 遅刻

            欠席

 とりわけ金曜日は遅刻が目立ち。9月26日から3週連続で14時登校(6時限目)

 雅子妃 → 9月下旬から学校がある月曜日から土曜日の朝は、

           普通の時間に起床、

            朝時台に3人そろって朝食をとる。

 学校がない日 → 皇太子・・・朝時から時に朝食。

                      12時に昼食。

                      22時に夕食。

             雅子妃と愛子内親王・・・14時に昼食。

                             23時に夕食に合流。

     職員が下がるのは午前1時。

 ♪ 勉強嫌い授業に出て来ない ♪

  ♪ しつけにも批判的過ぎる ♪

  ♪ 家庭教師を勝手に変えたぞ ♪

 ♪ 毒親め ♪

 なぜに雅子妃は「9月下旬」から平日は起きるようになったのか。

  起きようとすれば起きられるのに起きない理由は?

  「適応障害は朝起きれない」んですって。もう10年も・・・・・

 ♪ いいわけだわっ 

皇太子も学校がない日は8時から9時に朝食って、遅すぎませんか?

夕食が22時というのも遅すぎ。働いているわけじゃあるまいし。

12時から22時まで何をしているんだか?

 休日は雅子妃と愛子内親王は朝食を食べないという事ですね。

  午前中一杯寝て、実質14時に朝食。それから23時まで何をやってるの?

  勉強・・・なわけないし。また寝てるとか?

 皇太子と母子がまるっきり顔を合わせない生活をしているんですね。

  職員の方々、毎日残業?それとも日中はやたら暇で、夜になると急激に忙しくなる

  パターン?

  まるで夜のお仕事みたいに。

  

 皇后がこの事態を憂慮。

  皇后は9月下旬に愛子内親王が本当の意味で「普通の授業」を受けていない

  「特別扱い」になっているとお話になった。

  一人で授業を受けていると。

  これは皇后と内親王の直接の会話でわかったこと。

  (9月21日に東宮家と秋篠宮家が参内しているのでその時か?)

  皇后 「朝は普通の中学生が起床する時間に起きていないことも多く

  きちんと登校できていないようなので、非常に憂慮しているのよ

     「愛子はもう子供ではない。中学に入ったのだから大人です」

 しかし、内親王の教育については東宮の問題との考えで、皇太子に直接

 こうしなさいというような助言はしない。

 10月。 皇后 「セラピーが必要な段階に来ている」とはっきり言った。

          「愛子と話していても愛子にとって適切な対応がとられているようには

          思えない」

 この言葉が真実だという事になると、やはり両陛下は内親王が生まれた時から

  「障碍」を自覚していらっしゃったものと拝察します。

  「セラピーが必要な段階に来ている」という言葉でそれがわかります。

  しかし、本来はそんな段階ではなく、もう手遅れなんですけど。

  両陛下にとって「孫」に対する目は甘くなりがちなのでしょうか。

 本当に孫が可愛いなら「立場」もへったくれもなく、ゾフィ皇太后のように

  赤ちゃんをひっぺがして自分で養育するだろうと

  「精神疾患の母親に育てられている障碍児」なんて・・・一般家庭でも可哀想すぎますもの。

  それを「東宮の問題」と言ってしまったのは、一種の「逃げ」であり、自己保身です。

 愛子内親王は陛下の孫ではあるけど、「皇族」でもあります。

  天皇と皇后が「皇族」である孫を憂慮し、あれこれ口や手をだす事がおかしいなんて

  いう事はありません。

  そりゃあ、雅子妃側は色々な中傷をするでしょうけど、それこそ「孫」の為に耐えるべきでは

  ありませんでしたか?

  そしたら傷だってそんなに深くならなかったのにと思います。

 今現在、「話していても適切な療育を受けているとは思えない」のなら

 まず息子である皇太子を呼び出し、厳しく叱責しすぐに対応せよと言えばすむこと。

 それが出来ない所に、皇后の「冷たさ」が垣間見えるのです。

 皇后は、子供のメンタルヘルスを専門にする医師と交流している。

   奥山真紀子氏(国立成育医療研究センター)

 奥山氏は10年前、東宮に参内していた。

  愛子内親王についての相談だった。

  雅子妃の主治医が大野先生に決まる前の話。

 小さい頃、

、内親王はコミュニケーションを取る事が苦手だった。

 学習院関係者

 「初等科に入学される前も、お目にかかった時は意思表示の為に

 首を立てに振るか横に振るかだけでした。「声が出ないのかな?出る?」と

 お尋ねしたのですが。コクンと頷かれるだけで

 奥山氏の知人

 「東宮に参内していたのは古い話。内親王が1歳半から2半ぐらいの間のこと。

 その頃は何度も東宮御所に伺った。

 そのうち、雅子妃のカウンセラーのようになっていって。カウンセリングの中で

 宮内庁はひどいと悩まれていた妃に対して、奥山氏は「御自身も変わって頂かなければ」という

 進言をした。以後、奥山氏にはぷつんと連絡が来なくなった」

 奥山氏を紹介した金澤医務主管に小和田優美子夫人から電怒りの電話。

 「とんでもない。早く次の人を探して欲しい」

 学習院女子中等科では箝口令がしかれる。

 まず、皇后がメンタルヘルスの専門家と交流があったという事に驚き。

  多分、内親王が生まれてすぐに異常に気付いてあれこれ相談していたのかも。

  専門家に頼ろうとするのはいい事だけど、では次にどうしたら・・に行かない所が

  まずいというか。

  もしかして、(フィクションだけど)小説の通り、カミングアウトしてすぐに療育を・・・・と

  言われたから軽井沢への流れだったのかも。

 「自分を変えるべき」というセリフ、カウンセラーはあまり言っちゃいけない言葉のように

  思います。変えられないから悩むんだし。

  宮内庁はひどい・・・・と言い続けたのは、雅子妃としては「自分を肯定して欲しい」の

  あらわれで、そこに「まず自分を変えて」なんて言われたらパニックになって落ち込みます。

  ただ、そこまで言わないとならない程、しつこかったのかなあ

  そうなってくると、もうカウンセリングの問題ではなく「人格障害」だから、どんな言葉も通用しませんね。

 皇太子妃のカウンセリングを断ってしまう小和田優美子氏。

  彼女の病みっぷりもすごいです。

 いやー・・・フィクションがノンフィクションに視えちゃって。自分でも怖いわ。

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皇后陛下、傘寿に  3

2014-10-20 07:23:03 | 皇室報道

 芸術について

「芸術ー質問にある音楽や絵画,詩等ーが自分にとりどのような意味を持つか,

これまであまり考えたことがありませんでした。

「それに接したことにより,喜びや,驚きを与えられ,その後の自分の物の感じ方や考え方に,

何らかの影響を与えられてきたもの」と申せるでしょうか。

子どもの頃,両親が自分たちの暮らしの許す範囲で芸術に親しみ,

それを楽しんでいる姿を見,私も少しずつ文学や芸術に触れたいという気持ちになったよう記憶いたします。

戦後,どちらかの親につれられ,限られた回数でも行くことの出来た

日比谷公会堂での音楽会,丸善の売り場で,手にとっては見入っていた美しい画集類,

父の日当たりのよい書斎にあった本などが,

私の芸術に対する関心のささやかな出発点になっていたかと思います。

戦後長いこと,私の家では家族旅行の機会がなく,大学在学中か卒業後かに初めて,

両親と妹,弟と共に京都に旅をする機会に恵まれました。

しかし残念なことに,私は結婚まで奈良を知る機会を持ちません。

結婚後,長いことあこがれていた飛鳥,奈良の文化の跡を訪ねることが出来,

古代歌謡や万葉の歌のふるさとに出会い,歌に「山」と詠まれている,

むしろ丘のような三山に驚いたり,背後のお山そのものが御神体である大神(おおみわ)神社の深い静けさや,

御神社に所縁(ゆかり)のある花鎮(はなしず)めの祭りに心引かれたりいたしました。

学生時代に,思いがけず奈良国立文化財研究所長の小林剛氏から,

創元選書の「日本彫刻」を贈って頂き,「弥勒菩薩」や「阿修羅」,

「日光菩薩」等の像や,東大寺燈篭の装飾「楽天」等の写真を感動をもって見たことも,

私がこの時代の文化に漠然とした親しみとあこがれを持った一因であったかもしれません。

建造物や絵画,彫刻のように目に見える文化がある一方,

ふとした折にこれは文化だ,と思わされる現象のようなものにも興味をひかれます。

昭和42年の初めての訪伯の折,それより約60年前,ブラジルのサントス港に着いた日本移民の

秩序ある行動と,その後に見えて来た勤勉,正直といった資質が,

かの地の人々に,日本人の持つ文化の表れとし,

驚きをもって受けとめられていたことを度々耳にしました。

当時,遠く海を渡ったこれらの人々への敬意と感謝を覚えるとともに,

異国からの移住者を受け入れ,直ちにその資質に着目し,

これを評価する文化をすでに有していた大らかなブラジル国民に対しても,

深い敬愛の念を抱いたことでした。

それぞれの国が持つ文化の特徴は,自ずとその国を旅する者に感じられるものではないでしょうか。

これまで訪れた国々で,いずれも心はずむ文化との遭遇がありましたが,

私は特に,ニエレレ大統領時代のタンザニアで,

大統領は元より,ザンジバルやアルーシャで出会った何人かの人から

私たちはまだ貧しいが,国民の間に格差が生じるより,皆して少しずつ豊かになっていきたい

という言葉を聞いた時の,胸が熱くなるような感動を忘れません。

少なからぬ数の国民が信念として持つ思いも,文化の一つの形ではないかと感じます。

東日本大震災の発生する何年も前から,釜石の中学校で津波に対する教育が継続して行われており,

3年前,現実に津波がこの市を襲った時,校庭にいた中学生が即座に山に向かって走り,

全校の生徒がこれに従い,自らの生命を守りました。

将来一人でも多くの人を災害から守るために,胸の痛むことですが,

日本はこれまでの災害の経験一つ一つに学び,しっかりとした防災の文化を築いて

いかなくてはならないと思います。

歓び事も多くありましたが,今年も又,

集中豪雨や火山の噴火等,多くの痛ましい出来事がありました。

犠牲者の冥福を祈り,遺族の方々の深い悲しみと,未だ,行方の分からぬ犠牲者の

身内の方々の心労をお察しいたします。

又この同じ山で,限りない困難に立ち向かい,救援や捜索に当たられた各県の関係者始め

自衛隊,消防,警察,医療関係者,捜索の結果を待つ遺族に終始寄り添われた保健師の方々に,

感謝をこめ敬意を表します。

 記者会が質問したのは「皇后陛下にとって芸術の持つ意味は」

  「これまでどんなお気持ちで芸術に接してこられたのか」

  というものでした。

 記者会としては、皇后陛下がすぐれた文学者であり、音楽にも造詣が深い・・・という

  ような事を含めて、そのような部分をどのようにお子様やお孫様方に伝えて

  いかれているんだろう・・・というようなことを聞きたかったのでは。

  しかし、答えとしてかえってきたのは・・・話が非常に大きくなって、しまいには

  質問の答えから逸脱してしまったような印象があります。

 本当は「愛子がチェロを弾き、私がピアノの演奏をする事がございます」とか・・・

  そんなエピソードが欲しかったんでしょうね。

  それがブラジル移民の話にまで広がると・・・・

  ブラジル移民の方々の話を聞くと、そこまでブラジルが日本に優しかったかというと

  疑問を感じざるを得ないのですが。

 唐突に出てきたタンザニア大統領の言葉。

  皇后陛下は本当に心から「格差」が嫌いなのですね・・と思いました。

  誰だって好きな人はいないでしょうけど、日本が戦後70年のうち、50年以上

  「世界で社会主義を実現できているのは日本だけ」と言われる程、

  社会主義国も及ばないような「横一列」の繁栄を築いて来たのですが

  皇后陛下の中では、日本がずっと「格差」を感じて生きて来たのだと解釈されて

  いるのでしょうか。

  ゆえに、「普通」に拘り皇室と庶民の価値観を一つにしようと努力されてきたのかと。

 自分達の暮らしの許す範囲で芸術を楽しみ

   限られた回数でも

 この二つの言葉に「私はブルジョワ出身ではありませんよ」と言っているような気がして。

  いや、十分にブルジョワ出身でいらっしゃいますけどね。

 

私達が今まで見て来た皇后陛下のお姿。

「慈愛」に彩られた優しいお姿。

でも80年を経て垣間見えたお姿は、非常に政治的で怜悧な方。

歳を重ねてよりシャープにご自分に課題を課しておられるような印象です。

いいのか悪いのかわかりませんが、ここまで皇后陛下が「私」の感情を

取り払った、「自分の人生のみ」に目を向けた文章をお書きになった事。

どんな意味があるのでしょうか。

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皇后陛下、傘寿に  2

2014-10-20 07:18:30 | 皇室報道

 戦後70年を迎える感想

「今年八月に欧州では第一次大戦開戦から百年の式典が行われました。

第一次、第二次と二度の大戦を敵味方として戦った国々の首脳が同じ場所に集い、

共に未来の平和構築への思いを分かち合っている姿には胸を打たれるものがありました。

 私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の

強い恐怖を忘れることが出来ません。

まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、

従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく、恐らくは国と国民という、

個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、

身の震うような怖(おそ)れであったのだと思います。

 「怖れ」という言葉を誤解されないように「憎しみ等であろう筈はなく」と書いて

  おられますが。私は当時の中学生ならやっぱり「A級戦犯に死刑判決」と聞けば

  「あんなひどい戦争を引き起こした責任を取る為の死」という感覚を持たれたのでは

  ないかと思います。

戦後の日々、私が常に戦争や平和につき考えていたとは申せませんが、

戦中戦後の記憶は、消し去るには強く、たしか以前にもお話ししておりますが、

私はその後、自分がある区切りの年齢に達する都度、

戦時下をその同じ年齢で過ごした人々がどんなであったろうか、

と思いを巡らすことがよくありました。

 ここの部分は陛下も同じで、それが対馬丸への慰霊などに繋がっているのだと思います。

 両陛下は生きているけど、同世代の人達があの時、一歩間違ったら空襲で死んでいたかも

  しれない、あるいは、戦後、人生が崩壊するような出来事にめぐり合ったかもしれない。

 はからずも両陛下は、そのようなものから「守られて」生活してきた事に対する、罪悪感かなと。

 まだ若い東宮妃であった頃、当時の東宮大夫から、

著者が私にも目を通して欲しいと送って来られたという一冊の本を見せられました。

長くシベリアに抑留されていた人の歌集で、中でも、帰国への期待をつのらせる中、

今年も早蕨(さわらび)が羊歯(しだ)になって春が過ぎていくという一首が特に悲しく、

この時以来、抑留者や外地で終戦を迎えた開拓民のこと、

その人たちの引き揚げ後も続いた苦労等に、心を向けるようになりました。

 最近新聞で、自らもハバロフスクで抑留生活を送った人が、

十余年を費やしてシベリア抑留中の死者の名前、死亡場所等、出来る限り正確な名簿を

作り終えて亡くなった記事を読み、心を打たれました。

戦争を経験した人や遺族それぞれの上に、長い戦後の日々があったことを改めて思います。

第二次大戦では、島々を含む日本本土でも百万に近い人が亡くなりました。

又、信じられない数の民間の船が徴用され、六万に及ぶ民間人の船員が、

軍人や軍属、物資を運ぶ途上で船を沈められ亡くなっていることを、

昭和四十六年に観音崎で行われた慰霊祭で知り、その後陛下とご一緒に何度かその場所を訪ねました。

戦後七〇年の来年は、大勢の人たちの戦中戦後に思いを致す年になろうと思います。

 世界のいさかいの多くが、何らかの報復という形をとってくり返し行われて来た中で、

わが国の遺族会が、一貫して平和で戦争のない世界を願って活動を続けて来たことを尊く思っています。

遺族の人たちの、自らの辛い体験を通して生まれた悲願を成就させるためにも、

今、平和の恩恵に与(あずか)っている私たち皆が、絶えず平和を志向し、

国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが

大切ではないかと考えています。

 「遺族会」・・・・どう解釈したらいいのか。

 「平和」を志向する事が憲法順守であったり、安保体制反対だったり・・・だったのかなと。

  ひねくれすぎてすみません。

 

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皇后陛下、傘寿に

2014-10-20 07:12:42 | 皇室報道

 皇后陛下、お誕生日おめでとうございます 

 これからもますますお健やかにお過ごしくださいませ 

 

 皇后陛下誕生日文書 

 

 

 80年を振り返って

「ものごころ付いてから、戦況が悪化する十歳頃までは、

毎日をただただ日向で遊んでいたような記憶のみ強く、

とりわけ兄や年上のいとこ達のあとについて行った夏の海辺のことや、

その人達が雑木林で夢中になっていた昆虫採集を倦(あ)きることなく眺めていたことなど、

よく思い出します。

また一人でいた時も、ぼんやりと見ていた庭の棕梠(しゅろ)の木から急に

とび立った玉虫の鮮やかな色に驚いたり、

ある日洗濯場に迷い込んできたオオミズアオの美しさに息をのんだことなど、

その頃私に強い印象を残したものは、何かしら自然界の生き物につながるものが

多かったように思います。

 その後に来た疎開先での日々は、それまでの閑(のど)かな暮らしからは

想像も出来なかったものでしたが、この時期、都会から急に移って来た子どもたちを受け入れ、

保護して下さった地方の先生方のご苦労もどんなに大きなものであったかと思います。

戦後の日本は、小学生の子どもにもさまざまな姿を見せ、少なからぬ感情の試練を受けました。

  感情の試練とは何だろうと思いました。

  価値観が180度変わった事でしょうか。

終戦後もしばらく田舎にとどまり、六年生の三学期に東京に戻りましたが、

疎開中と戦後の三年近くの間に五度の転校を経験し、

その都度進度の違う教科についていくことがなかなか難しく、そうしたことから、

私は何か自分が基礎になる学力を欠いているような不安をその後も長く持ち続けて来ました。

ずっと後になり、もう結婚後のことでしたが、やはり戦時下に育たれたのでしょうか、

一女性の「知らぬこと多し母となりても」という下の句のある歌を新聞で見、

ああ私だけではなかったのだと少しほっとし、作者を親しい人に感じました。

 一般庶民と比べるのは何ですが、うちの郡山宮妃もよくいいます。

 「戦時中の学校は授業にならず、戦後は墨塗りをした印象しかない」と。

 あの当時の子供達はみな、ただただ驚いて、それを反芻する暇もなく、新しい価値観を

  植えつけられていったのだと思います。

 皇室に上がってからは、昭和天皇と香淳皇后にお見守り頂く中、

今上陛下にさまざまにお導き頂き今日までまいりました。

長い昭和の時代を、多くの経験と共にお過ごしになられた昭和の両陛下からは、

おそばに出ます度に多くの御教えを頂きました。

那須の夕方提灯(ちょうちん)に灯を入れ、

子どもたちと共に、当時まだ東宮殿下でいらした陛下にお伴して附属邸前の坂を降り、

山百合の一杯咲く御用邸に伺った時のことを、この夏も同じ道を陛下と御一緒に歩き、懐かしみました。

 自然描写は多々出てくるのですが、あれ程長い時間を一緒にお過ごしになったと思われる

  昭和天皇と香淳皇后に対する感情が非常にあっさりしているような気がしてなりません。

  どんな「御教え」を頂いたのか。

  国民が知りたいのはそこなんじゃないかなと。

 いつまでも一緒にいられるように思っていた子どもたちも、

一人ひとり配偶者を得、独立していきました。

それぞれ個性の違う子どもたちで、どの子どもも本当に愛(いと)しく、大切に育てましたが、

私の力の足りなかったところも多く、それでもそれぞれが、

自分たちの努力でそれを補い、成長してくれたことは有難(ありがた)いことでした。

 「力がたりなかった」のは東宮の事ですか?それでも自分の努力で補ってきたと。

  ここらへんは、正直、きれいごとにしか聞こえなくて。ごめんなさい。

子育てを含め、家庭を守る立場と、自分に課された務めを果たす立場を両立させていくために、

これまで多くの職員の協力を得て来ています。

社会の人々にも見守られ、支えられてまいりました。

御手術後の陛下と、朝、葉山の町を歩いておりました時、うしろから来て気付かれたのでしょう、

お勤めに出る途中らしい男性が少し先で車を止めて道を横切って来られ、

「陛下よろしかったですね」と明るく云(い)い、また車に走っていかれました。

しみじみとした幸せを味わいました。

多くの人々の祈りの中で、昨年陛下がお健やかに傘寿をお迎えになり、

うれしゅうございました。

五十年以上にわたる御一緒の生活の中で、

陛下は常に謙虚な方でいらっしゃり、また子どもたちや私を、

時に厳しく、しかしどのような時にも寛容に導いて下さり、

私が今日まで来られたのは、このお蔭(かげ)であったと思います。

 八十年前、私に生を与えてくれた両親は既に世を去り、

私は母の生きた齢(とし)を越えました。嫁ぐ朝の母の無言の抱擁の思い出と共に、

同じ朝「陛下と殿下の御心に添って生きるように」と諭してくれた父の言葉は、

私にとり常に励ましであり指針でした。これからもそうあり続けることと思います」

 

 前半の文章を読んで持った「印象」は、今、皇后陛下のお気持ちは

 皇室の中ではなく、果てしなく「ご実家」に向かっているという事です。

 小さい頃の思い出やご両親やご兄弟に関しては、こまかい描写も多いですし

 非情に「思い入れ」を感じます。

 しかしながら、皇室に入られてからの事はあっさりしたもので、とってつけたような

 言葉でしか語っていないような気がします。

 皇后陛下の皇族としての生活は、とっくの昔に一般人だった頃を大きく超えているのですが

 「東宮妃」としてあるいは「皇后として」何を第一に考えて来たとか、何を学び、これから

 誰に何を期待するとか・・・そういう事は一切述べられておりません。

 単に「去年まで色々書いて来たからもうよろしいでしょう」と思われたのかもしれませんが

 80歳という節目を迎えて、思い出す多くの事が戦前戦後の子供時代の事だった・・・というのは

 何となく解せませんね。

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例えば14日だけをとってみても・・・・

2014-10-15 09:11:29 | 皇室報道

 昨日の朝、ふとした拍子に椎間板ヘルニアが出てしまい。

職場では老人のように背中を丸めたまま歩く始末。

タクシーでかかりつけの病院に行ったら臨時休診・・・・途方にくれて泣きそうになっちゃった。

という事で、本日はお休み。

個別に御返事できずすみません。

新しい方にだけ・・・・

>みやさま → 教えて下さってありがとうございます。今後ともよろしく

>雪乃さま → BBさんとこのコメント欄を読んで・・・私、驚いてしまいました。

          私のブログがあんな風に見られているなんてーーと 別に典子さん達を賛美はしてないし

          親韓でも親中でもないんだけど。

          誤解される事は多々あるので、思いのたけはこちらで発散を・・・

          っていうか、みんな読んでみてーーあのコメントっ

>しーちゃん7974さま

無論、張り付けて頂いて構いません。今後ともよろしく。

本題。

10月14日一日をとっても東宮と秋篠宮家の公務にはおのずと違いがあるという事です。

 

 皇太子殿下、オペラ鑑賞。

 14日、新国立劇場で「パルジファル」を鑑賞。上演時間4時間以上。休憩を入れると6時間。

 皇太子は全部鑑賞、アンコールまでいた。

この一瞬の表情なんですが。

別に意味はないかもしれないけど、ちょっとおどおどしているようにも見えます。

いつものふんぞり返ったしぐさはどこへ?

それにしても、オペラを6時間・・・・・ルードヴィッヒ二世が生きていたらさぞや気があった事でしょう。

二人でワーグナーの話ばかりして盛り上がったでしょうね。

そのうち「バイエルンに来ませんか?白鳥の城を持ってるんです。そこで一緒にオペラ三昧しましょう」と

言われたかも。

いや、もしかしたら彼こそがルードヴィッヒの生まれ変わりなのかも。

 

 秋篠宮、愛媛訪問。

 第62回動物園技術者研究会に出席。

この写真、好きです。元々秋篠宮は動物園の総裁ですし・・・どこぞの東宮家が

獣医学会のフォーラムに出るのとはわけが違うんですよね。

上の皇太子と比べると、この二人、本当に兄と弟なのか?と・・・・・

 

 紀子妃、山梨県訪問。

 母子愛育会の活動を視察。

夫婦共働き、とおに総裁職を持つ・・・これが本当のキャリアカップルなんじゃないですか?

ちなみに秋篠宮両殿下、15日は参内。そして16日は武蔵野陵参拝です。

 

 

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同じ「と列」でも

2014-10-13 09:41:56 | 皇室報道

 こちら、先日、秋田を訪問された皇太子殿下に対し、自衛隊が「と列」を行ったもの。

何でもそれを「希望」されたのだとか。

雨が降ってて暗くてよく・・・・

それでも皇太子の希望は「秋篠宮と同じように」だったそうです。

(真偽のほどはわかりませんけれども)

じゃあ、秋篠宮のは?

昼と夜、夏服と冬服の差はあれど・・・・なんでしょう。この差。

雰囲気の差、黒い方は何とも重苦しくて。いえいえ、これ以上はいわず、

ただ事実のみを伝えましょう。

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秋篠宮両殿下INメキシコ8

2014-10-10 08:00:00 | 皇室報道

せっかくの誕生日なのに全然元気が出ません・・・・全く今年の気候は。

早く夏物をしまいたいのに。

 

さて。NHKなどでも報道されたようですが、秋篠宮両殿下は

メキシコの国際芸術祭に出席。

先ずご到着?

芸術祭へお着物で。素敵ですね。

回りがみな笑顔だらけ。

殿下のご挨拶。

鑑賞する両殿下

この茶色のワンピースももシックでエレガント。

しかしながら、今回のベストはこれっ!!

この紀子妃の美しい事といったら。

おおぶりな花模様のワンピース。妃殿下の年齢でこれだけ似合う方はいません。

どうしてこんな素敵なドレス姿を日本では見られないのでしょうか?

 

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もしかして遅刻

2014-10-09 07:43:22 | 皇室報道

 確かになーんか、おかしいと思ってました。

花嫁より親戚が目立つなんて。しかも一緒に入場って。

 

多分、千家家の披露宴開始は18:00だったのではないかと。

ニューオータニは赤坂御用地の傍。

皇太子夫妻以外の方々は全員入場して着席。

しかし。

皇太子夫妻が会場入りしたのは18;20頃。

主賓だし乾杯の音頭をとるし?

先にこっそり入場させるわけにいかず?(そんな筈ないと思うけど。どんだけお偉いの?)

ゆえに、新郎新婦と一緒に入場

着席している人達全員は唖然・・・・・・ 

な・・・何で新郎新婦と一緒におばさん・おじさん夫婦が?仲人でもないのに?

仲人だったら後ろからしずしず入るよね。

でも、堂々と並んで花嫁より目立ってというのは前代未聞。

紀宮の時に、これをやられたらたまったもんじゃありませんよね。

っていうか、両陛下が皇太子時代にこんな事した事ある?

どんなに身位が上でも主役である時とわき役である時というのはわきまえがある。

雅子妃のドレスは12年前、自分が主役である時の為に作られたドレス。

だから目立って当然。

とはいえ、今回、ドレスの下からネックレス以外の白いものが見えている。これは下着?

それとも幅を広げる時に生地が足りなくて足したもの?)

だけど、今回はわき役のわき役。

乾杯の音頭を取るのは夫である皇太子なわけだから、静かに座っていればいいだけ。

間違っても花嫁にエスコートされて入場というのはありえないでしょう

 

これこそ「国益を損なうお振舞」と思うけど、目出度い席であるし?

ごちゃごちゃいわず、粛々と披露宴は進んでいき、20時には閉会。

誰も何も言えない事を計算しての遅刻と入場だったら、とんでもない話。

それでも高円宮家としては体面を守れたと思うのでしょうか?

 千家氏・・・これから苦労しますわ。

 

そして・・・・ネットで話題の写真がこれ。

カーテンの陰に写りこんでいるのは?

どうやら植木のようですが・・・・それにしたって。

全く写っていないのもあるから。もしやもしやと。

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秋篠宮両殿下INメキシコ7

2014-10-09 07:05:00 | 皇室報道

英雄少年の碑に向かう両殿下。

紀子妃の白のスーツ。こちらも模様入り。

それにしても純白が似合う。

帽子もとてもよく御似合い。

白いスーツの文様は波・・・・?

花と波と葉・・・・?ついつい服装にばかり目がいってしまいますが

皇族らしい立ち居振る舞い。

 

メキシコ大統領府のサイト では トップページに。

 

英語版 でもトップページに。

 

訪問した先がこんなに大きく扱っているのに、日本では一切報じられず

降嫁した女王の事ばかり。

マスコミは絶対におかしいっ!!

そりゃ、ノーベル賞は目出度いさ。目出度い。

でも一日中それをやる必要があるんですか?

同じ映像、同じ見出し、同じコメント・・・・・もっと大事なことがあるでしょうがっ!!

 

 

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秋篠宮両殿下INメキシコ6

2014-10-09 07:00:00 | 皇室報道

 さて。眼福を。

メキシコ大統領を表敬訪問した時のお写真。

アングルが変わっているものを。

こうしてみると、紀子妃殿下の服の模様がすごい。

ダリアの花じゃないかと言われてますが。そうですか?

ブローチも上品。

大統領って若くてかっこいい。絵になる3人です。

両殿下、歩かれる姿のきりりとしている事。

素晴らしいです。

どうやら秋篠宮殿下は通訳なしで大統領とお話をされているらしい。

これ、両殿下のお写真ですよね?こんな風にすぐに加工?

午餐会のようです。

圧倒的に男性が多いですね。

紀子妃は注目の的だったと思います。

 

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