A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

コンコルドで復活したジーンハリスのピアノの原点は・・・・

2017-01-16 | MY FAVORITE ALBUM
Introdusing The Three Sounds

自分が社会人になってすぐ、会社の上司にジャズ好きの大先輩がいた。中でも大のブルーノートファンで1500番台はすべて持っていると豪語していた。その時、日本盤がすでに出回っていたが、自分より一回り上のその先輩が社会人になったのは1961年。そこからコツコツと集めたと言っていたので、多分オリジナル盤が大半だったろう。亡くなって久しいが、今でもそれが揃って残っていれば宝物だ。

1500シリーズは1501番のマイルスから始まるが、最後はというと1599番ではなく、1600番のこのアルバムとなる。コンコルドで復活したジーンハリスが在籍したスリーサウンズのデビュー盤である。
1958年といえばハードバップ全盛期。ブルーノートもこの後4000番台に入り、ジャズのスタイル自体もフリーからファンキーまで大きく変化をしていった。ちょうど、その節目となったアルバムである。

スイングジャーナルのレコード評は、評論家各氏がそれぞれ評点をしていたが、話題盤になると複数のレビューがあったが、切り口は違っても総じて良い評価をしたものが大半であったが、中には大きく評価が分かれるものがあった。
ひとつは余りに大胆な試みをしたもの、そして反対にジャズの楽しさだけが前面に出た感じのもの。当時のジャズは評価を得るには、同じことをやっても、常に進化しなければならないといった強迫観念に駆られていたように思う。

本家のダウンビート誌も同様の採点をしていたが、所詮ジャズのアルバムの評価といったものには何も基準がある訳でなく、レビュワーの独断と偏見の結果に過ぎない。結局、自分の好きな評論家と嫌いな評論家に分かれ、我々聴き手にとっては、レビュー内容より評論家の好き嫌いが評価になっていた。

さて、このスリーサウンズ、評論家の評価は日米共に今一つであったようだ。特に辛口のファンが多かった日本では、このグループを評価していたのはイソノテルオ氏だけだったように記憶する。

ところが、評価と人気は別なようで、4000番台になってからもこのスリーサウンズは人気グループとして数多くのアルバムを残した。トリオの演奏だけでなく、ソリストのバックとしても。ソニーステットなどとは、一緒にツアーもしていたようだ。当然、人気が出るとより売れるアルバム作りに、R&B、ポップス、ロックなどの要素も取り入れジャズアルバムとはさらに一線を画すものとなり、変わらなかったのはハリスのピアノだけだった。
’67年、創立メンバーの一人でありグループを率いていたドラムのビル・ダウディーがグループを去り、メンバーが変っても人気グループとしては存続した。
その後、ハリスが地方に引き籠り、ホテルのラウンジのピアノ弾きになったのも、このようなグループ活動に疑問を持ったかもしれない。

最近、昔から第一線で馴らしたベテラン達のライブを良く聴きに行く。過去には多くのスタジオワークをこなし、ビッグバンドからフュージョンまで何でもこなした面々だが、今のライブではスタンダード中心のストレイトアヘッドな演奏が中心だ。色々やっても最後は自分達のジャズの原点に戻ってくるのかもしれない。

コンコルドに復帰したジーンハリスは、再び水を得た魚のように活躍をするが、この活動の原点は、やはりこのスリーサウンズのアルバムの演奏にあるのだろう。

1. Tenderly 4:36
2. Willow Weep For Me 4:42
3. Both Sides 4:41
4. Blue Bells 4:27
5. It's Nice 4:40
6. Goin' Home 3:55
7. Would'n You 7:14
8. O Sole Mio 3:59

Gene Harris (p,celeste)
Andrew Simpkins (b)
Bill Dowdy (ds)

Produced by Alfred Lion
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Hackensack, NJ, September 16 & 28, 1958

INTRODUCING THE THE THREE SOUNDS イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ+6
クリエーター情報なし
東芝EMI
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マリガンとホッジスのセッションに呼ばれたメルルイスは・・

2016-03-11 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Gerry Mulligan Meets Johnny Hodges

ライオネルハンプトンとジェリーマリガンのアルバムで、ジョニーホッジスに捧げたマリガン作曲のバラードSong For Johnny Hodgesをマリガンは演奏していた。昔から演奏していた曲なので、ひょっとして2人の直接対決のこのアルバムでもやっていたかな?と思って聴き直してみたが、残念ながらこのアルバムには収められていなかった。

このアルバムが録音されたのは1959年11月。ノーマングランツが関与したマリガンのMeetsシリーズの中では最後のアルバムだと思う。ちょうどベンウェブスターとの共演と相前後してのセッションだが、その前のゲッツやデスモンドとのセッションと較べるとどちらも両ベテランとリラックしたプレーが楽しめるアルバムだ。

マリガンがクラリネットの後に最初に吹いたサックスはアルト、ジョニーホッジス、そしてエリントンオーケストラは子供の頃から憧れであったそうだ。1958年のニューポートの舞台ではエリントンオーケストラにゲスト参加できた。そして、いつかはホッジスと一緒にレコーディングしたいと思っていた所に、ノーマングランツから出されたMeetsシリーズでホッジスとの共演企画は、マリガンにとっても大歓迎であった。

その頃、マリガンはハリウッドにいた。というのも、人気のあるマリガンは自分のグループを率いてツアーで飛び回っていたが、一方でこの頃はすっかり映画に嵌っていた。前年にはマリガンの映画音楽で有名な”I Want To Live”を全面的に手掛けていたが、ツアーの無い時はロスを拠点にして、他にもちょくちょく映画の仕事をし、時には自ら出演する事もあった。

この企画が決まると、この企画には余程力が入ったのだろう、相方のジョニーホッジスを早めにロスに呼び寄せて、レコーディン前にセッションを何回が行った。という前準備もあって、本番は呼吸もぴったり、実にスムースに録音も進んだという。別に複雑なアレンジが施されてリ訳ではないが、2人の音色のブレンド感がたまらずいい感じだ。
曲は、それぞれ3曲ずつ2人のオリジナル曲。その点でも、事前のウォーミングアップセッションが生きていると思う。



このセッションのリズムセクションを選んだのはジェリーマリガン。ドラムにはメルルイスを起用した。レギュラーカルテットのドラムはデイブベイリーだったが、目立ちたがり屋のマリガンは、メルルイスの当時のロスでの活躍ぶりを無視できなかったのかも。ベースにはバディークラーク。これもレギュラーメンバーのビルクロウではない。このバディークラークの図太い安定感のあるベースが今回の2人の演奏には良く合う。そして、ピアノのクロードウィリアムソンというも意表をついた器用だが、派手さを抑えたピアノがまたしっくりくる。

メルルイスにとっては、実はこのマリガンとの共演が転機のきっかけになったのかもしれない。

1959年というと、しばらく前までロスで一緒にプレーしていたケントン時代の仲間、そしてマリガンの好敵手であったペッパーアダムスはニューヨークに戻って、こちらはマリガンのかっての盟友チェトベイカーとプレーをしたりドナルドバードとバリバリのハードバップの演奏を繰り広げていた時だ。
一方のマリガンは今回のようにベテラン達とリラックスした演奏と、そのプレースタイル同様、好対照な活動をしていた。

しかし、翌年マリガンが一念発起してニューヨークでコンサートジャズバンドを立上げ本格的に活動を開始すると、メルルイスも何か感じる所があったのだろう。そのバンドに参加するためにロスを去ってニューヨークに戻ることになる。

丁度ウェストコーストジャズも下火になりかけていた時、いいタイミングであったのかもしれない。世の中にタラレバはつきものだは、もしメルルイスがマリガンと出会うことがなければ、ニューヨークに戻ることもなく、その後のサドメルの誕生も無かったかもしれない。

レコーディングされた記録は無いが、短命に終わったマリガンのコンサートジャズバンドの最後にはベイシーオーケストラを辞めたサドジョーンズも加わって2人は一緒に同じ舞台に立っていた。ここでの2人の再会がその後のサドメルの誕生のきっかけになった。
という意味でも、このセッションでマリガンがメルルイスを起用した意義は大きいと思う。

1.  Bunny        Gerry Mulligan 5:47
2.  What's the Rush  Judy Holliday / Gerry Mulligan 3:45
3.  Black Beat             Johnny Hodges 7:28
4.  What It's All About         Johnny Hodges 4:02
5.  18 Carrots (For Rabbit)      Gerry Mulligan 5:16
6.  Shady Side             Johnny Hodges 7:04

Gerry Mulligan (bs)
Johnny Hodges (as)
Claude Williamson (p)
Buddy Clark (b)
Mel Lewis (ds)

Produced by Ken Drucker
Recorded at United Recorders, Hollywood on November 17, 1959



Gerry Mulligan Meets Johnny Hodges (Dig)
クリエーター情報なし
Verve
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ペッパーアダムスがリーダーとなってスタートしたドナルドバードとのコンビであったが・・

2016-02-03 | PEPPER ADAMS
10 To 4 At The 5 Spot / Pepper Adams Quintet

ペッパーアダムスのアルバムの紹介はリーダーアルバム、サブリーダ―アルバムは大体終了し、サイドメンとして参加したアルバムを地道に拾い出している。
こんなアルバムにもという物もあるが、これは次回にして久々にこのリーダーアルバムを聴き直した。このアルバムはペッパーアダムスとドナルドバードのコンビの初レコーディングだが、ペッパーアダムスの軌跡を追ってみると色々な意味でエポックメーキングな出来事が集約されたアルバムであることが分かる。以前紹介したことがあるが、改めてこのアルバムを振り返ってみることにした。

ペッパーアダムスは1957年ダウンビート誌でバリトンサックスの新人賞を受賞し、西海岸で初のリーダーアルバムとなるMode盤、そして、パシフィックジャズの”Critic’s Choice”の2枚のアルバムを吹き込むと、その後活動の拠点をニューヨークに戻した。すぐ色々なレコーディングセッションやgigに引っ張り凧となったが、11月にはSavoyに3枚目のリーダーアルバム”The Cool Sound of Pepper Adams”を録音した。
暮れには、同郷のエルビンジョーンズと一緒にアパートを借り、ニューヨークでの拠点を確保し、年が明けても忙しい日々を続けることになる。

ドナルドバードとペッパーアダムスは同じデトロイト出身、地元では顔見知り同士であったが一緒に演奏したのはお互いニューヨークに来てからが初めてであった。最初のギグは1この1958年2月1日のカフェボヘミアでのセッションであった。このgigがその後のアダムスの活動を大きく変えることになる。
1週間後にもう一度カフェボヘミアで、そしてジョニーグリフョンのセッションにも一緒に参加したが、2人はファイブスポットに4日間続けて出演する機会を得る。

このファイブスポットは前年にできたばかりであったが、クラブというよりはジャズバーといった感じの、気軽に聴ける雰囲気のライブスポットであった。2人のコンビの演奏はなかなか好評で、そのまま6月まで続けて出演することになり、ハウスバンドとしてレギュラーグループとなってしまった。もちろんアダムスにとっては初めてのレギュラーグループであった。

当然、このグループの評判はニューヨークで広まり、リバーサイドレコードのオリンキープニュースの耳にも入った。この頃レコード業界には丁度ステレオ録音が広まっていた。リバーサイドではそれまでライブのステレオ録音を行ったことがなく、キープニュースはこのバード&アダムスクインテットの演奏をお試し録音する事になった。
実際に録音が行われたのがこの4月15日のセッション。グループとして2月にスタートして、一カ月以上一緒にやってきたので、5人の息もぴったり合った所でのレコーディングとなった。

その日の10時から翌朝4時まで行われた4セット25曲が丸々収録された。やっと終わったとアダムスとキープニュースが一休みしていた所に、エンジニアのRay Fowlerがやってきて、「実はマイクのコードが一本抜けていて、これまでの録音はNGとなってしまった」ことを伝える。慌ててもう1セット演奏したのがこのアルバムに収録されたものだそうだ。10時から4時までのすべてが録音されたのに、他の曲や別テイクが無い理由、アルバムの中で一曲がモノラル録音であるのはそのような事情だったようだ。

このアルバムでのピアノの調律が狂っているという話も良く聴くが、そもそもこのファイブスポットのピアノ自体が、演奏が始まる時には合っていても、セカンドセットが終わる頃には狂い出すという代物であったようだ。

このセッションに加わっていたのは、ドラムのエルビンジョーンズとベースのダグワトキンスが2人と同じデトロイト出身の仲間達。それにピアノにはボビーティモンズが加わってスタートした。出演期間が長期になると、ピアノのティモンズも他の仕事で参加できないことも多くなり、ドンフリードマン、トミーフラナガン、ローランドハナなどが交代で参加した。アダムスにとって初めての実質的なレギュラーグループであり、レギューラー出演の仕事をしたことになる。当時の新聞にもアダムスのグループと紹介されている

アダムスのとっては初のレギュラーグループであったが、この後ベニーグッドマンとの仕事が入りバードとはしばらく別行動になる。11月にニューヨークに戻り、12月にはバードのアルバム”Off To The Races”に参加するが、それ以降、2人のコンビの主導権は、特にブルーノートが絡むレコーディングではバードが主役となってしまう。偶然生まれた2人の初アルバムではあるが、ペッパーアダムスが主導権を持った数少ないアルバムだ。他の録音が残されていないのが、返す返すも残念だ。



1. Tis(Theme)                 Thad Jones
2. You're My Thrill               Clare-Gorney
3. The Long Two / Four              Donald Byrd
4. Hasting Street Bounce             Traditional
5. Yourna                    Donald Byrd

Pepper Adams (bs)
Donald Byrd (tp)
Bobby Timons (p)
Doug Watkins (b)
Elvin Jones (ds)

Procuced by Orin Keepnews
Engineer : Ray Fowler
Recorded at the FIVE SPOT CAFÉ, NEW YORK City, April 15.1958

10 to 4 at the 5 Spot
クリエーター情報なし
Ojc
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ドンフリードマンが今あるのも、このアルバムがあったからこそ・・・

2015-11-27 | MY FAVORITE ALBUM
Circle Waltz / Don Friedman Trio

前回紹介したアルバム、ドンフリードマンとペッパーアダムスの組み合わせというと、その後の2人のキャリアを考えると意外な組み合わせかもしれないが、実は2人の関係はお互いニューヨークに出てきたばかりの1958年に遡る。

ペッパーアダムスはスタンケントンオーケストラへの参加、その後ウェストコーストを拠点とした活動の後、ニューヨークに戻って積極的に活動を行っていた頃である。そして、アダムスはこの年にドナルドバードと一緒にレギュラークインテットを立ち上げ、ファイブスポットを中心に活動を開始する節目の年でもある。
一方のフリードマンも56-57年とウェストコーストで活動を始め(アダムスも同じ時期にウェストコーストに居た)、58年には拠点をニューヨークに移す。

その年、1958年3月23日のライブレポートの新聞記事がある。

ここには、ペッパーアダムスがリーダーで、バードが加わり、そしてピアノはドンフリードマンとある。
このバード&アダムスクインテットの誕生ともいえるファイブスポットのライブ演奏はアルバムにも残されているが、そこでのピアノはボビーティモンズである。ドンフリードマンはレギュラーメンバーであるティモンズのサブとしてクインテットに参加していたようだ。

このファイブスポットへのレギュラー出演以外にもアダムスとフリードマン、そしてドラムのエルビンジョーンズは色々な場所で他のメンバーを加えてgigを繰り広げていたと記録にある。

さて、このフリードマンだが、代表作は前回も枕詞のように書いたが「サークルワルツ」であろう。「ジャズピアノの名盤」という中に必ずと言っていい程選ばれるアルバムだが、この手の名盤というのは、不思議と最近ではじっくり聴く機会も少なくなっている。昔からよく知っているので、何度も聴いた感じがしてしまうのか。ということで久々に聴き返してみた。

リバーサイドでの2枚目、1962年の録音だ。よくエバンスライクのピアノといわれるが、活動した時期はまったく一緒。エバンスの後継者というよりはライバルといった方が正しいかもしれない。スタイルは似ているが、力強さは遥かにエバンスを上回る。特に、ソーインラブでのソロは圧巻だ。当時、このまま活動を続けていたら2人は良きライバルであったと思う。

エバンスとのコンビで有名なスコットラファロ、実はエバンスより前にこのドンフリードマンはコンビを組んだ事があるという。そして、その経験がその後のフリードマンの演奏に大きく影響を与えたそうだ。二人のスタイル形成に大きく影響を与えたのは実はラファロであったのかもしれない。

エバンスは、ラファロとのコンビでトリオのスタイルを確立し大きく飛躍する。その一方で、フリードマンはジャズだけでは食べて行けず、ラウンジでのピアノ演奏やダンスバンドで生計をたてていた。

そんなニューヨークでの生活を送っていたフリードマンに手を差し伸べたのは、リバーサイドのオリンキープニュース。そのお蔭で、その時代のフリードマンの演奏が今に残り、名盤となったことになる。

世の中音楽だけでなく何の世界でも同じであるが、同時進行で色々な事が起こっている。しかし、それらが記録に残り後世に伝えられるものはその中のほんの一部である。一方で、世の中というのは勝負の世界で勝ち組だけが生き残る。したがって、後世に引き継がれるのは勝ち組の歴史となり、負け組の歴史は単に伝説になってしまうものだ。本当に実力がある者が勝ち組になればいいが、実際は運のある者、世の流れに迎合したものが勝ち組になってしまうことも多い。

フリードマンはその後第一線に復帰を遂げる。もしこのリバーサイドのアルバムが無かったら、後の復活も無かったし、単に伝説のピアニストで終わってしまっていたのかもしれない。亡くなったという話は聞かない、まだ健在のようだ。

1. Circle Waltz                   Don Friedman 5:59
2. Sea's Breeze                     Don Friedman 6:05
3. I Hear a Rhapsody   Jack Baker / George Fragos / Dick Gasparre 7:32
4. In Your Own Sweet Way               Dave Brubeck 5:20
5. Loves Parting                    Don Friedman 5:45
6. So in Love                       Cole Porter 3:25
7. Modes Pivoting                     Don Friedman 6:44

Don Friedman (p)
Chck Israels (b)
Pete La Roca (ds)

Produced by Orrin Keepnews
Engineer : Ray Fowler
Recorded at Plaza Sound Studios, New York on May 14 1962

サークル・ワルツ
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ユニバーサルミュージック
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ポールゴンザルベスのテナーは、クラークテリーとのコンビで魅力が倍増するようだ・・

2015-10-19 | MY FAVORITE ALBUM
“Cookin’” Complete 1956-1957 Session / Paul Gonsalves

ビッグバンドの演奏だとどんなにフィーチャーされてもソリストの良さは全体の演奏の中に埋もれてしまいがちだ。アレンジが良ければよいほど、そしてアレンジ自体がソロと一体化されたものであると、そのソロも自然に曲の中の一部になってしまう。

しかし、中にはビッグバンドでありながら、忘れられないソロプレーが過去にいくつかある。その一つが、56年のニューポートジャズフェスティバルにおけるデュークエリントンオーケストラのDimuendo and Crescendo in Blueでのポールゴンザルベスの27コーラスのソロだろう。ある種の伝説として語られている。これは、7000人を超えるファンが熱狂したという会場の雰囲気も一緒になって実現されたソロプレーであろう。ライブそのライブ録音を聴くと、なかなかスタジオでは再現できないと思う。

このゴンザルベスがデュークエリントンオーケストラに加わったのは1950年。途中一時抜けた時期はあるようだが、それから24年間亡くなるまでエリントンのオーケストラで過ごした。エリントンに加わる前は、カウントベイシー、ディジーガレスピーのオーケストラに加わっていたというので、生涯ビッグバンド中心の人生をおくっていたゴンザルベスであった。

したがって、このゴンザルベスのプレーを聴くとなると基本的にはエリントンオーケストラでの演奏であるが、何枚かコンボでの演奏も残している。ニューポートの直前にはゲッツとの共演アルバムもあるが、リーダーアルバムとなると殆ど60年代以降の録音である。その中で伝説の56年のニューポートのプレーの後に、ゴンザルベスのテナーに焦点を当てた何枚かのアルバムがある。いずれもマイナーレーベルのアルバムであるが、FreshSoundがこれらを纏めて56〜57年のゴンザルベスのコンプリートセッションとしてCDとなってリリースされている。

中心となるアルバムは、ゴンザルベスの初のリーダーアルバムといえるCookin’。
オリジナルはARGOからリリースされたアルバムだが、クラークテリー、ジミーウッド、サムウッドヤードといった当時のエリントンオーケストラの仲間達と一緒に録音されたアルバムだ。
ニューポートから一年後の57年8月、オーケストラがシカゴに滞在中に録音された。ピアノは、流石に御大エリントンは不参加で、地元のピアニストウイリージョーンズが加わっている。此のローカルミュージシャンであるピアニストのジョーンズがピアノを打楽器的にプレーする。山下洋輔にも通じる面白いスタイルだ。

ゴンザルベスのテナーは、クラークテリーのトランペット同様決してモダンとはいえないが、かといって古臭いスイングスタイルという訳でもない。曲も2人の曲の持ち寄りが大半であるが、両者のコンビネーションが実にいい感じだ。
クラークテリーは後にボブブルックマイヤーとのコンビでも、実にスインギーなよくうたうソロの掛け合いを楽しめた。テリーのプレーはどうして周りのプレーヤーをハッピーな気分にさせてくれるのだろうか?この和気藹藹とした気分が聴き手にも伝わってくる。



一曲目の、その名も”Festival”。いきなり、ニューポートのソロを思い起こさせるゴンザルベス節を披露する。ファンはこのプレーを待っていたはずだ。この独特な、どこまでも続いていきそうな節回しがゴンザルベスの魅力だ。確かに周りが乗り出したら27コーラスも難なくこなせるかもしれない。続くテリーの曲”Terry’s Bar”では、テリー節が光る。この特徴ある節回しもテリーの魅力だ。ゴンザルベスのテナーはアップテンポのノリノリのプレーだけが魅力ではない。”The Girl I Call Baby”では、スローバラードで泣きのテナーも楽しめる。




このアルバムには、この”Cookin”以外に”The Jazz School”と題されたEmarcy盤、そしてベースのジミーウッドがリーダーとなった”The Colorful Strings of Jimmy Woods”が収められているが、いずれのアルバムにもゴンザルベス以外にクラークテリーが参加している。いつもはエリントンサウンドに埋もれてしまっていたのかもしれないが、実はこのテリーとゴンザルベスの2人の節回しのブレンドが、これらのアルバムの魅力を生み出している。

ウッズのアルバムは、Cookin’の一か月後の録音。こちらはアルトとフルートが加わっている。2人の基本路線は変らないが、フルートがリードをとることも多くグループとしてのサウンドは少し異なる。テリーはミュートプレーも多くなり、ゴンザルベスのトーンもいくらか抑え目だ。4管編成になったこともあり、ソロのバックにはリフサンサンブルが入ることが多い。ここではテリーのリフのリード役の真骨頂が聴ける。
テリーは、この後クインシージョーンズジェリーマリガンのビッグバンドにも参加するが、皆がテリーを頼るのも良く分かる。

エリントンサウンドだけでなく、ソロの魅力を存分に楽しめるゴンザルベスのコンボでのプレーもなかなかいいものだ。

1.  It Don't Mean a Thing        Duke Ellington / Irving Mills 3:16
2.  Take Nine                    Paul Gonsalves 2:57
3.  Everything Happens to Me        Tom Adair / Matt Dennis 3:06
4.  Don't Blame Me                  McHugh - Fields 3:19

Clark terry (tp)
Paul Gonsalves (ts)
Poter Kilbert (bs)
Junior Mance (p)
Cubby Jackson (b)
Eugene Miller (ds)

Recorded in New York City on September 19, 1956

5.  Festival                     Paul Gonsalves 6:53
6.  Clark's Bars                     Clark Terry 3:36
7.  Daddy-O's Patio                    Clark Terry 2:15
8.  Blues                      Paul Gonsalves 4:59
9.  Impeccable                   Paul Gonsalves 4:19
10.  Paul's Idea                   Paul Gonsalves 2:47
11.  Phat Bach                   Paul Gonsalves 3:18
12.  Milli Terry                    Clark Terry 2:32
13.  Funky                      Clark Terry 4:02
14.  The Girl I Call Baby                Clark Terry 3:32

Clark Terry (tp)
Paul Gonsalves (ts)
Willie Jones (p)
Jimmy Woode (b)
Sam Woodyard (ds)

Recorded at Sheldon Recording Studio, Chicago on August 6, 1958

15.  Falmouth Recollections            Jimmy Woode  3:12
16.  The Way You Look Tonight          J.Kern D.Fields 4:55
17.  Footy For President              Jimmy Woode 6:59
18.  The Man from Potter's Crossing         Jimmy Woode 4:21
19.  Dance of the Reluctant Drag           Jimmy Woode 4:23
20.  Empathy, For Ruth               Jimmy Woode 3:26

Clark Terry (tp)
Mike Simpson (fl)
Porter Kilbert (as)
Ramsey Lewis (p)
Jimmy Woode (b,vol)
Sam Woodyard (ds)

Recorded in Chicago on September 2, 1957

Cookin - Complete 1956-1957 Sessions
クリエーター情報なし
FRESH SOUND
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90歳になっても、この頃のドラミングと本質は変わらずに・・・

2015-05-21 | MY FAVORITE ALBUM
We Three / Roy Haynes, Phineas Newborn, Paul Chambers



先日ロイ・ヘインズのライブがあった。「90歳の誕生日を祝って」というタイトルであったが歳を感じさせないプレーを聴かせてくれた。へインズもバップ時代を伝える生き字引の一人だが、まずは元気な姿を見ることができて一安心。

元々小柄なへインズだが、ちょっと見た感じ、そして歩く姿は一回り小さくなった感じがするのは否めない。しかし、一度ドラムセットの前に座るとそのドラミングは健在であった。小柄なせいかへインズのドラムセッティングは椅子を高くして少し特別なセッティングだという。これがしっくりいかなかったのか、最初の曲が始まってからもドラムセットを細かく神経質そうに調整していたのが気になった。もちろんプレーもおざなりになる。

しかし、曲が進むにつれてドラミングの方も、本来のへインズのタイムリーな、きめ細かさにドライブがかかってきた。元来ド派手なプレーをするタイプではないので、ドラムソロと言ってもマレットを使ったメロディアスなプレーであった。年を重ねてもへインズのドラミングの本質は変わるものではなかった。

同年代のベニーゴルソンのステージではプレーだけでなく昔話を交えたトークも楽しめたが、反対に今回のへインズのステージはプレーに専念。曲目紹介やメンバー紹介もなく淡々とステージは進んだ。本来は陽気な性格のへインズのはずだが、これは少し残念であった。

へインズは長く演奏生活を続けているが、これはというリーダーアルバムはあまり思い浮かばない。(もっとも90年以降のアルバムはほとんど聴いていないが)。しかし、バックに廻った時、その時のメンバーや場の雰囲気に合わせたドラミングは格別のものがある。

因みに自分が一番好きなドラミングは、チックコリアのNow He Sings Now He Sobsのバック。コリアが新しい事をやろうとしている事に合わせて、曲によって実に変化に富んだドラミングを聴かせてくれる。スタンゲッツのグループに加わりながら、コルトレーンのグループにエルビンジョーンズの代役として良く加わっていたというのも、どのような相手とも合わせることができるへインズならではの技があるからだと思う。

このへインズの50年代のアルバムというとこのアルバムとなる。サラボーンのバックを務めている時はブラッシングに専念しているが、ここではフィニアスニューボーンのピアノが相手だ。超絶テクニックにどう合わせるかが聴き所だが、レギュラートリオのようにピッタリときまっている。

この録音が行われた1958年、ロイヘインズは長年務めたサラボーンのバックを離れた。そしてこのアルバムで共演しているニューボーンとは何度かファイブスポットでgigを続けていたようだ。それもあって、まさにタイトル通り誰がリーダーという事も無く3人の呼吸は合っている。クラブでの演奏にピッタリなグルービーな雰囲気もそのままスタジオで再現している。ニューボーンもデビュー直後の様にテクニックをひけらかすのではなく、3人のコラボに重きを置いているようにも感じる。まさにWe threeだ。

このジャケットの3人の写真を見ても、へインズとニューボーンがチェンバースと較べて頭一つ違うのが良く分かる。小さな巨人達のビッグな演奏が聴けるアルババムだ。



1. Reflection                Ray Bryant 4:21
2. Sugar Ray           Phineas Newborn Jr. 6:22
3. Solitaire             Guion / Carl Nitter 8:47
4. After Hours             Avery Parrish 11:14
5. Sneakin’s Around             Ray Bryant 4:21
6. Our Delight             Tadd Dameron 4:01

Phineas Newborn (p)
Paul Chambers (b)
Roy Haynes (ds)

Produced by Bob Weinstock
Recording Engineer : Rudy Van Gelder
Recorded at Van Gelder Studio Hackensack New Jersey on November 14, 1958


We Three: Rudy Van Gelder Remasters Series
クリエーター情報なし
Prestige
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映像でのこされた一シーンのステージをそのままの流れで再現して聴いてみると新たな発見が・・・

2015-04-11 | MY FAVORITE ALBUM
Newport ’58 / Dinah Washington, Terry Gibbs, Max Roach, Don Elliott

マスターズが始まるとゴルフもいよいよ本格的なシーズンイン。ところが日本は寒い日が続く。先日はまさかの季節外れの雪の中のゴルフ。気持ちのいいゴルフはしばらくお預けだが、こんな日が続くと反対にジャズを聴く時間は増える。

最近はYou Tubeのお蔭で昔の演奏をレコードやCDだけでなく映像でも楽しめる。前回紹介したロソリーノの演奏も、アルバムで聴く以上に表情が硬く感じたのが印象的だった。やはり何事も聞くと実際に見るのとでは大違いだ。

ジャズの映像物といえば、やはり1958年のNewportを舞台にした「真夏の夜のジャズ」が有名だ。ステージ上でのミュージシャンの演奏する姿だけでなく、街の風景や聴衆の表情までを含めドキュメンタリー仕立てした構成が実にいい。

この映画の制作された経緯は、ニューポートジャズフェスティバルの発案者、イレーンロリラードのインタビュー本に詳しいが、それを知るとこの映画もいくつかの偶然が重なって生まれた産物であった。入念に企画されたというより、制作スタッフのバタバタの中で生まれたまさにドキュメントである。

まず、最初にこのドキュメントをプロデュースしたのは、映像のプロデューサーではなく、彼女の友人から紹介されたスチール写真家のバート・スターンであった。彼は、映像の経験が無いどころかジャズにも弱かったので、流石に心配になったのかコロンビアレコードのプロデューサージョージアヴァキャンの弟であるアラム・アヴァキャンをサポートに頼んだ。ライバルが何社か手を上げる中で権利を獲得した彼らが初日の撮影に臨んだのだが・・・。

案じていたとおり初日の撮影は大失敗に終わった。ムービーの経験の無いスターンは、ドキュメンタリー専門のカメラマンを集めたものの何をどのように撮るのかの指示を与えることができずに大混乱になる。撮影したフィルムを急いで現像してラッシュを見たが、画面がひどく暗かったりピンボケであったり、全く使い物にならず、ここでスターンはギブアップ。
ここで、全権をアラムにバトンタッチする。アラムも映像の専門家とはいえ得意なのは編集作業。止むを得ずカメラのセットはオーソドックスに行い、編集作業をイメージしながらカメラマンに指示を出すという芸当を使ったようだ。というのも、当時は今のようにすべてのカメラを回しっぱなしにして後で編集すればいいという手法もフィルムが高価であったために使えず、自ら会場の真ん中に陣取り、彼の頭の中のリアルタイムバーチャル編集のイメージで指示するカメラを切り替えるという技で切り抜ける。その努力の結果、録り直しの効かないライブ物の全部で10万フィートに上る映像から、あの映画が生まれたそうだ。

この58年のニューポートといえば、56年に話題を呼んだデュークエリントンも登場しているし、マイルスデイビス、そしてデイブブルーベックなどの大物も出演していたが、映画の中に登場しなかった。その理由は契約の問題ではなく、初日の撮影をミスったのが原因であったというのが真相のようだ。事実、出演者との交渉はすべて撮り終えてから始まったという。
そして、この映画にはニューポートには欠かせないジョージウェインのクレジットがないというのも七不思議のひとつ。外されたウェインは色々思う所はあったようだが大人の対応をしたそうだ。もっとも最初からウェインが噛んでいたら映画の内容も別物になったと思うので、この映画はこのスタッフ達の大混乱という状況が無ければ生まれなかったともいえる。

さて、この映画の中には名場面はいくつかあるが、演奏に関していえばライブアルバムが出ているものも多い。このダイナワシントンのアルバムもその一枚だ。映画の中ではテリーギブスをバックにしたAll of Meのシーンが収められている。

そのシーンはこちらで↓


最初にクローズアップされる彼女の衣装が印象的だが、この演奏はギブスのバンドに最後に彼女が飛び入りで加わった物。全体のステージの流れは、ウィントンケリーのピアノにホーンセクションが加わって彼女の歌が続き、ギブスのバンドに替わって演奏が続く。最後にそこに彼女が加わりこの曲を歌いフィナーレという流れだったようだ。CD盤では未収録であった彼女の歌の2曲が追加され、このような流れに変っている。



ギブスのバンド演奏では、Julie And Jakeもステージでのハイライトのひとつだ。ドンエリオットのメロフォーンのソロに続きマレットに持ち替えギブスとバトルを繰り広げる。歌伴では控えめであったマックスローチのドラムも大ブレークしている。ライブならではのノリノリのセッションだ。

このアルバムのプロデューサーJack Tracyがライナーノーツの最後で締めくくっている。
So enjoy yourself,have a slice of Newport ’58,the biggest jazz parade of all time.

このような大フェスティバルのライブ物では、多くのステージから自分の好みの部分を見つけるのも楽しみのひとつだ。それも映像が伴うとその場の雰囲気がダイレクトに伝わってくる。

1. Lover Come Back to Me
2, Back Water Blues
3. Crazy Love
4. All of Me
5. Backstage Blues
6. Julie and Jake

Dinah Washinton (vol) 1-4
Blue Mitchell (tp) 1-3
Melba Liston (tb) 1-3
Sahib Shihab (bs) 1-3
Terry Gibbs (vib) 4-6
Don Elliott (mellophone,vib) 4-6
Urbie Green (tb) 4-6
Wynton Kelly (p)
Paul West (b)
Max Roach (ds)

Produced by Jack Tracy
Recorded live at Newport Jazz Festival, July 7,1958

アット・ニューポート’58[+2](完全版)~真夏の夜のジャズ
クリエーター情報なし
マーキュリー・ミュージックエンタテインメント

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スイングするのは何もベイシーナンバーばかりではない・・・・

2015-04-05 | MY FAVORITE ALBUM
The Swingers / Lambert Hendricks & Ross

先日紹介したズートシムスのアルバムで珍しくシムスは歌を披露していたが、この曲の作詞はジョンヘンドリックス。最初のお披露目はというと、ジョンヘンドリックスが加わっていたランバート・ヘンドリックス&ロス(LHR)のアルバムであった。
このアルバムは、ベイシーナンバーのボーカリーズでデビューし、本家ベイシーとも共演して、さて次はといったタイミングで録音したアルバムである。

このアルバムでは、ランディーウェストンの曲が多いが、ジャズのスタンダードでもあるロリンズのエアジンやパーカーのナウズザタイムにもチャレンジしている。そして、その中にズートシムスのダーククラウドも含まれている。ところが、この曲はコーラスではなく、ジョンヘンドリックスのソロで歌われている。元ネタが無かったので、ボーカリーズという訳にはいかなかったのかもしれない。

ズートシムスは、50年代から60年代にかけてはペッパーアダムスなどと一緒にロフトでプライベートなジャムセッションをやっていたが、そこでもこの曲の演奏が残されている。シムスとしてはお気に入りの自作曲だったのかもしれない。
いずれにしても、アルバム自体はLHRのタイトル通り、モダンなスインギーなコーラスが楽しめる好アルバムだ。このアルバムを聴き直したついでに紹介しておく。

このランバート・ヘンドリックス&ロスはモダンジャズコーラスの元祖のような存在だ。デビューした時は当然話題にはなったが、ベイシーナンバーだけではブレークしなかったようだ。此の後CBSに移籍してから人気が上昇したようだが、人気が出た所で、アニーロスが病気で抜けてしまう。その後メンバーがヨランダベバンに替わって活動は続けたが、今一つブレークできずに1964年に解散する。そして、解散してしばらくして、リーダー格であったデイブランバートが交通事故で亡くなってしまう。マントラと違ってツキには恵まれなかったグループのようだが、ジョンヘンドリックスが一人グループの意志を継いで活躍しているのが何よりだ。

短い活動期間ではあったが、このアルバムはベイシーナンバーから他の曲へのチャレンジでレパートリーの幅を広げ、グループとしてステップアップしたアルバムであることには間違いない。そして、このアルバムではバックを務めるズートシムスがピアノのラスフリーマンと共に大事な役割を果たしている。スインギーなコーラスにはスインギーなバックが不可欠だ。

世の中、人によって話し上手もいれば話下手もいる。そして話し上手といわれる人の中にも、一人でも人を惹きつける話術で自分の話の独演会を得意にするタイプと、相手の話の聞き上手でもあり、相手の話に合わせて会話を弾ませることができるタイプの2パターンがいる。
シムスは、シムスは流暢なフレーズ作りが得意で、ソロだけでなく大編成に加わってアンサンブルワークも得意なオルラウンダーだ。ソロが主体の時はどうも一人で主役になるよりは、アルコーンとのコンビのように相手がいたり、あるいは誰かのサポート役に廻った時の方がよりプレーに流暢さが増すように思う。話し上手以上に聞き上手なのだろう。

このLHRのバックでも、実にタイミングよくそして歯切れよくコーラスに絡むシムス節が聴ける。そして、このセッション自体が、ズートシムスとラスフリーマンがセッションリーダーとなって、LHRのバックだけでなく、アニーロスのバックや、歌無しのクインテットの演奏が連日続いたようだ。日に日にメンバー間のコンビ―ネーションが良くなって、和んだ雰囲気の中での演奏も幸いしているようだ。やはり話し上手といえども初対面よりは、打ち解けてからの方が話は弾む。

一曲だけ、別セッションからトミーフラナガンとエルビンジョーンズをバックにした曲Jackieが収められている。このバックも魅力的だがどうやら他の録音はないようだ。

1. Four               Miles Davis / Jon Hendricks 4:12
2. Little Niles           Jon Hendricks / Randy Weston 3:28
3. Where               Jon Hendricks / Randy Weston 2:55
4. Now's the Time          Jon Hendricks/Charlie Parker 2:56
5. Love Makes the World Go 'Round           Jon Hendricks 3:44
6. Airegin                 Jon Hendricks/Sonny Rollins 3:31
7. Babe's Blues               Jon Hendricks/Randy Weston 3;15
8. Dark Cloud                 Jon Hendricks / Zoot Sims 3:31
9. Jackie                   Wardell Gray / Annie Ross 2:02
10.  Swingin' Till the Girls Come Home  Jon Hendricks/Oscar Pettiford 5;06

Dave Lambert, Jon Hendricks, Annie Ross (vol)

Only #9
Tommy Franagan (p)
Joe Benjamin (b)
Elvin Jones (ds)

Recorded at RCA Studio, New York, October 1, 1958

Others
Zoot Sims (ts)
Russ Freeman (p)
Jim Hall (g)
Freddy Green (g)
Ed Jones (b)
Sonny Payne (ds)

Recorded at "The Crescendo", Hollywood, CA, March 21, 24 1959

Produced by Richard Bock


The Swingers
クリエーター情報なし
Capitol
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あれだけとるのに苦労したグラミーだが、一度とると2度目は・・・

2014-11-03 | CONCORD

Top Drawer / George Shearing - Mel Tormé


音楽界で有名な賞にグラミー賞がある。第一回が1959年に行われ前年1958年の音楽業界での功績を称えた表彰が行われた。第一回の受賞作はというと。最優秀アルバム賞がヘンリーマンシーニのピーターガン、そして最優秀レコード賞がドメニコ・モデゥーニョのボラーレ。モデゥーニョという名前は忘れていたが、ボラーレはよく覚えている。この曲はレコード賞だけでなく楽曲賞も受賞する。当時の大ヒット作であったのだろう。これに新人賞を加えた4部門がジャンルを超えたその年もっとも優秀な曲であり、アルバムということになる。

1965年にはゲッツ/ジルベルトがアルバム賞、イパネマの娘がレコード賞とダブル受賞したのも有名な出来事であった。それまでジャズアルバムが受賞したことは無かった。もっとも、このゲッツのボサノバがジャズかというと、それにも異論が多かったが。

このグラミー賞には他にも細かいカテゴリー別の最優秀もあるが、そのカテゴリー数は2012年の再編で109から78に整理された。主な変更点は、ロック、ラップ、リズムアンドブルースなどの男女の区分などが無くなったこと、他にもアメリカのルーツ音楽(ハワイアンやケイジャンなど細かく分かれていたが各ジャンルの演奏者が少なくなりアメリカンミュージック一つに統合された。他にも色々細かく規定されているが、それにしてもジャンルが78もあるとは驚きだ。ジャンルの変更がそれぞれの時代でのまさにそのジャンルの栄枯盛衰を現しているのだろう。ジャズはまだ生き残っているようだ。

ジャズボーカルの世界は、1980年まではジャズの中のサブカテゴリーとしてBest Jazz Vocal Performanceとして男女一緒だった。翌1981年からはこれがmaleとfemaleに分かれる。この男女別に分かれた男の第一回受賞者はジョージベンソンの“Moody’s Mood”。一方の女性の方はエラやサラがまだ活躍していた時。男が別のカテゴリーになっても大物の男性ジャズボーカルは誰というと??が付く時代であった。
ジョージベンソンは、そもそもThis Masqueradeで1976年に最優秀レコード賞をとっており、サブカテゴリーはそれ以降も色々受賞していた。POP歌手だったのがこれでジャズボーカリストの仲間入りができたといった感じだ。

そして1983年2月23日に、82年度のグラミー賞の授賞式が行われた。5枚ノミネートされたアルバムから選ばれたのは、メルトーメの” An Evening with George Shearing & Mel Tormé”であった。

メルトーメにとってもグラミー賞は初の受賞であったし、コンコルドのアルバムがグラミーをとったのも初めてだった。オーナーのカールジェファーソンもご満悦だったに違いない。トーメのような実力者が初受賞というのも不思議だが、グラミー賞の位置づけが何となく商業主義の延長上に感じる中で、このような地味なアルバムが選ばれたというのも快挙であったと思う。

この受賞の報を聴いた2人は早速翌月には新たなレコーディングを行う。
受賞作を意識したのだろう、同じように2人にベースだけを加えたトリオ編成だが、今後はライブでは無くスタジオ録音となった。ベースはブライアントーフから、ドントンプソンに替わったが3人の呼吸は変ることは無かった。
トーメが抜けたシアリングのデュオの2曲を含めて3人の入魂のプレーが続く。2人がトーメのバックを務めるというのではなく、3人の表現力がこれほど対等に上手く噛み合うボーカルアルバムというのもあまりない。ライブではなくスタジオ録音ということもあるのだろう、3人の集中力は完全に内に向かっている。

一曲目は指を鳴らしながらスインギーに始まる。ドラムレスなのでシアリングのリズミカルなピアノが不思議なテンポを生んでいる。反対にスターダストをはじめとする誤魔化しの通じないバラード物も秀逸。9曲すべてがすべてひとつずつ作品という感じだ。捨て曲、おまけといった感じの曲は一曲もない。
此の頃のコンコルドのアナログ盤のアコースティックサウンドが実にいい音を出しているのも特筆ものだ。フュージョン系の作られた綺麗な音に慣れた耳には、当時このアコースティックサウンドは50年~60年代の耳慣れたルディーバンゲルダーなどの音とは全く別物で新鮮であった。

グラミーを受賞した勢いだろう、ジェファーソンはこのアルバムのタイトルを「Top Drawer(最上級)」とするアイディアを出した。
そして、一年後、このアルバムが翌年再びグラミーを受賞するとは、その時録音に参加していた当事者達の誰もが思いもしなかったと思う。しかし、出来上がったアルバムは受賞記念の2番煎じアルバムでは無く、まさに最高位のクラスに属する面々がトーメの最上の歌を再び引き出したレコーディングであったということだろう。

プロゴルファーでも一度も優勝経験がない実力者が一度優勝を経験すると後は吹っ切れて優勝を重ねることがある。そして優勝の陰にはキャディーの貢献がある。この2度の受賞にはジョージシアリングの存在が大きかったに違いない。このメルトーメも2度のグラミー受賞をきっかけとして、晩年の大活躍のスタートが切れたように思う。
  
1. A Shine on Your Shoes        Howard Dietz / Arthur Schwartz 3:06
2. How Do You Say    Auf Wiedersehen? Johnny Mercer / Tony Scibetta 5:45
3. Oleo                         Sonny Rollins 4:15
4. Stardust     Hoagy Carmichael / Mitchell Parish George Shearing 5:45
5. Hi-Fly                         Randy Weston 3:24
6. Smoke Gets in Your Eyes          Otto Harbach / Jerome Kern 6:02
7. What's This?                      Dave Lambert 3:13
8. Away in a Manger                    Traditional 3:51
9. Here's to My Lady            Rube Bloom / Johnny Mercer 3:20 

Mel Torme (vol)
George Shearing (p)
Don Thompson (b)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineer : Pill Edwards
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California, March 1983
Originally released on Concord CJ-219

Top Drawer
Mel Torme & George Shearing
Concord Records
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ベニーゴルソンが参加した「ジャズテット」を最初に名乗ったのは・・・

2014-10-03 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Imagination / The Curtis Fuller Sextet

先日、ベニーゴルソンが昨年に続いて来日して元気な姿を見せてくれた。今回もワンホーンでの演奏であったが、ゴルソンの演奏はそのアレンジ含めてその曲を楽しむには2管、3管の方が馴染むし、そのゴルソンのプレーも生かされるような気がする。けっして一人でゴリゴリ吹きまくるタイプでもないので。

世の中には話が上手い人がいる。その話にはついつい惹き込まれてしまうものだ。しかし、話の中身も面白い内容であるといつまでも覚えているが、中身が無いと話振りだけを思い出すが中身を全然思い出せない時もある。

ジャズを聴いていても同じで、良い曲だとそのメロディーは一度聴いただけで忘れないものだ。それも素晴らしい演奏が伴うとお気に入りの仲間入りをする。一方で演奏スタイルに特徴があると、その時のプレーには感嘆するが、後になって肝心な中身をさっぱり思い出せないこともある。

このベニーゴルソンの曲というのは一度聴いただけで印象に残る曲が多い。コンビを組んだアートファーマーも、一緒に組んだ理由の第一に挙げている。さらに、独特なイントネーションの演奏ぶりも好感がもてる。
そして一人でしゃべり続けるのではなく、他のプレーヤートの会話も上手い。折角の楽しい話題を一人独演会でやるのではなく、皆で盛り上げる場の持たせ方が上手いという事だろう。

そのようなゴルソンというとアートファーマーとのコンビというとジャズテットが有名だ。ジャズテット結成以前にも、1958年のアルバム、”Modern Art”での2人の競演が意気投合した原点のような気がする。

そのゴルソンは翌年1959年にトロンボーンのカーティスフラーとのアルバム。”Blues-Ette”を残す。これも言わずと知れた名盤だ。低音同士のアンサンブルと、2人の角の取れた「丸い音」のソロが実にいい雰囲気だ。だが、演奏がソフトかというとジェリーマリガンとボブブルックマイヤーとのコンビのようなソフト感ではなく、適度な力強さ脂っこさを感じさせてくれる。その辺りがゴルソン節の魅力だろう。

このゴルソンを中心に置くと、アートファーマーとカーティスフラーとの関係はある種の三角関係のようにも思える。アートファーマーとせっかくいい関係ができたのに、1959年はフラーと熱い関係が続く。

サボイにブルースエットを吹き込んだ後続いてゴルソンは続けさまにフラーと2枚のアルバムを作る。フラーがブルースエットの雰囲気が一気に気に入ったのか、ゴルソンを気に入ったのかは定かではないが。ゴルソンがリーダーとなったアルバムにフラーが参加したアルバムもあったので、お互い相思相愛の仲であった。

サボイのアルバムは、よく三部作といわれるアルバムだ。
最初は2人の2管であったが、後の2枚はトランペットを加えた3管編成でサウンドに厚みを出している。一応これらはフラーのアルバムだが、この時ゴルソンがやりたかったのもこの様な編成で、このようなプレーであったのかもしれない。

リーモーガン加えた2枚目のアルバムでは、グループ名に後にアートファーマーとのグループの名前となった「ジャズテット」の名前を使っている。

そして、3枚目がこのアルバムとなる。ここでのトランペットはサドジョーンズに替わる。
1959年といえば、カウントベイシーのオーケストラに加わってバリバリでやっていた時期。先日紹介したマイアミトンボ帰りをしたのもこの年だし、このアルバムが録音された12月には久々に気軽な雰囲気の演奏の”Dance along with Basie” の録音にも参加していた。
このベイシーでの活動の合間を縫ってのこのアルバムへ参加である。

ここでのジョーンズはアレンジャーとしてではなく、プレーヤーとしての参加だ。ベイシーのオーケストラではアレンジにせっせと精を出し、ソロではあまり出番が多いとは言えなかったが、ここでは久々にプレーに専念している。これがフラーとゴルソンのアンサンブルにも実にマッチする。特にBlues De Funkが秀逸。プレイキーのモーニンでは、ゴルソンとリーモーガンのコンビがピッタリだったが、ここではサドジョーンズとのコンビの方に軍配を上げる。



このアルバムはフラーのリーダーアルバムなので、ゴルソンもプレーに徹しているが、3人の会話のペースはゴルソン節だ。

実はこのアルバムを作った頃に、ゴルソンはアートファーマーと再会する。そして、お互い目指している方向が同じであることを確認し、2人でグループを作ることにした。メンバーも2人のグループから選抜し、ピアノはこのアルバムにも参加しているマッコイタイナーが抜擢される。まだ19歳の少年であった。

翌年の2月に2人のジャズテットは初アルバムを作るが、このアルバムには前年にさんざん付き合ったゴルソンの「元の恋人」カーチス・フラーも参加し、フラーが一度掲げた看板「ジャズテット」もファーマー&ゴルソンに譲ることになった。
「話し上手」のゴルソンがファーマーとフラーの二股をかけた訳ではないとは思うが。

1. Kachin           Curtis Fuller 6:57
2. Bang Bang         Charlie Parker 6:11
3. Imagination   Johnny Burke / James Van Heusen 6:50
4. Blues de Funk       Curtis Fuller 9:10
5. Lido Road         Curtis Fuller 8:23

Curtis Fuller (tb)
Benny Golson (ts)
Thad Jones (tp)
McCoy Tyner (p)
Jimmy Garrison (b)
Dave Bailey (ds)

Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, December 17, 1959




Imagination
Curtis Fuller
Savoy Jazz
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ワンナイトスタンドといっても、さすがに2500マイルの往復となると・・?

2014-09-09 | MY FAVORITE ALBUM
Breakfast Dance And Barbecue / Count Basie & His Orchestra

1958年クインジージョーンズのヨーロッパツアーは、予定したミュージカルの仕事がキャンセルになりメンバー全員、家族を連れて明日のコンサートの場所を探してヨーロッパ中を転々とするという過酷なものになったが、バンドにとってツアーはつきもの。バンドのツアーに関しては悲喜交々色々な話題が残されている。

昔、ビッグバンドがダンスのためのオーケストラであった時代、大きなダンスホールの専属となると仕事は毎日同じ場所であった。しかし、ビッグバンドがダンスのためでなく聴かせるためのバンドに変っていくと数も少なくなり、残ったバンドも演奏する場を求めて彼方此方をツアーして廻ることになった。
特に地方の小さな街でのコンサートは一晩限り、ワンナイトスタンドといわれバスに乗って毎日転々していくツアーとなった。ウディーハーマンやスタンケントンなどのビッグバンドの話を聞くとよく出てくる話だ。
しかし、それは有名バンドであるエリントンやベイシーといえども例外ではなかった。

カウントベイシーも歴史を辿ればダンスバンドとして演奏をしていた時代もあった。しかし、50年代も後半になり、いわゆる”Atomic” Basie Bandといわれた時期になると、ダンスの仕事は稀になり、聴かせるためのライブやコンサート主体の演奏活動になっていく。

その時、ベイシーオーケストラはニューヨークにいる時はホームグラウンドとなるバードランドがあった。メンバーにとって、長い地方のツアーから帰り、このバードランドへの出演となると移動の負担も減り、リラックスした演奏を繰り広げていた。
此の様子は、バードランドのライブでも窺い知ることができる。

1959年5月、クインジョーンズがヨーロッパから帰国し、マーキュリーでアルバム作りを始めた頃、ベイシーのオーケストラは後半の2週間はニューヨークに戻り、いつもの通りのバードランド出演となった。この時珍しくホテルThe Wordolf in New Yorkでの仕事が入った。久々のダンスバンドとしての仕事にバードランドの仕事は休みを貰ってメンバー揃って参加していた。

31日、無事にこの仕事を終えたメンバー達は、終わるや否や荷物を片付け空港に向かった。そのままマイアミ行の夜便に乗ると、現地に着いたのはすでに日も変わろうとする深夜。そのまま、3000人が待つThe Americana Hotelの宴会場へ直行した。

着くと同時にセッティングを行い一曲目の音出しが行われたのは何と夜中の2時。
いつものよういベイシーのピアノのイントロで始まったのは、サドジョーンズの作っ
たTheDeacon、少し長めのイントロからジョーンズ自身のソロに続く。それから夜を徹してのパーティーがスタートした。

この宴会場でベイシーオーケストラの到着を待っていたのは、全米のディスクジョッキー協会の第2回大会の参加者達、お客はその道の専門家ばかりで耳の肥えたお客の集まりであった。

そして、このパーティーの主催者は何とルーレットレコードのオーナーであるモーリスレビィー、すなわちベイシーのボスでもあるバードランドのオーナー。ボスの大事なパーティー参加にこのレコーディングが予定されていたのではこの出演要請を断る訳にもいかず、その日の強行スケジュールが決行されたという事になる。

このパーティーもセットを重ねて延々と続く。歌手のジョーウィリアムスも登場するが、歌っている曲がFive O’clock in the Morningとなる。冗談ではなく5時頃の演奏かもしれない。ニューヨークに早く帰りたかったのか、Back To The Appleも演奏される。
途中、朝食用の数百というテーブルがセットされたりして、One O’clock Jumpで最後のバンドの音が会場から消えたのはすでに7時になっていた。

この徹夜のライブを終えたメンバー達は、マイアミでゆっくりオフを過ごしたのかと思いきや、片付けも早々に一休みして空港に直行。そのまま飛行機に乗り込むと、また2500マイルのフライトでニューヨークへ。その晩はそのままバードランドのステージに立ったそうだ。移動距離最長記録のマイアミ往復のワンナイトスタンドとなった。

ベイシーのライブ物にはそれぞれいわく因縁があるものが多いようだが、不思議といい演奏が多い。このライブも長旅の疲れも感じさせず、実に伸び伸びとした演奏でいいライブだろ思う。
バードランドでのライブは会場のざわつき感を含めて「いわゆるライブハウスでの演奏」といったリラックス感が強いが、こちらはダンスもできる大きなパーティー会場。コンサートホールよりは和んだ雰囲気に加え、お客の多くを占めるディスクジョッキー達の「演奏も聴くぞ」という会場の空気が、適度な緊張感を生んでいるのかもしれない。
あまり話題になる事は少ないが、自分としても結構気にいっているアルバムだ。このようなアルバムは大音量で聴くべし、色々な音が聞こえる。これもライブ物の楽しさ。

LPの時は、その演奏の一部しか紹介されていなかったが、このCDアルバムなって大分全貌が見えてきた(コンプリートはまだ他の曲もあるようだが一度は聴いてみたいものだ)

それにしても、このタイトルは何か意味があるのか? 確かに朝食付きのダンスとバーベキューパーティーだったようだが。

1. Deacon
2. Cute
3. In a Mellow Tone
4. No Moon at All
5. Cherry Red
6. Roll 'Em Pete
7. Cherry Point
8. Splanky
9. Counter Block
10. Li'l Darlin'
11. Who, Me?
12. Five O'Clock in the Morning Blues
13. Every Day I Have the Blues
14. Back to the Apple
15. Let's Have a Taste
16. Moten Swing
17. Hallelujah, I Love Her So
18. One O'Clock Jump

Snooky Young, Thad Jones, Wendell Cully, Joe Newman (tp)
Al Grey, Henry Coker, Benny Powell (tb)
Frank Foster, Billy Mitchell (ts), Marshal Royal, Frank Wess (as), Charlie Fawlkes (bs),
Count Basie (p), Freddie Green (g), Eddie Jones (b), Sonny Payne (ds)
Joe Wolliams (vo),
Harry 'Sweets' Edison (tp on 18)

Produced by Teddy Reig
Engineer : Bill Schipps, Tony Brainard
Location & Date : The Americana Hotel, Miami, Florida, May, 31, 1959

Breakfast Dance & Barbecue
Count Basie
Blue Note Records
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バックとのアレンジとソロが映えると歌も自然に・・・

2014-07-28 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Bobby Troup and His Stars of Jazz

前回、ルースプライスのアルバム紹介の中で、テレビのショーに出ていたプライスの映像を一緒に紹介した。この映像はボビートループが司会をやっていたテレビ番組“Stars of Jazz”の一シーンだ。

ボビートループといえば、有名な「ルート66」の作曲家として知られている。トループは多彩な才能の持ち主で、生涯の中で色々な顔を持っている。いわゆるマルチタレントであるが、才能以外にもツキにも恵まれたのだろう。

1964年は外タレの来日ラッシュだった。このトループも来日し、このルート66の自ら演奏する映像があった。



彼が作曲を始めたのは学生時代、すでにその時にヒット曲”Daddy”を書いている。戦争中は海兵隊に属してリクリエーション施設建設の陣頭指揮をとり、部隊のテーマソングも作った。最後はサイパンで終戦を迎えたという。その間に、最初の妻のシンシアと結婚していた。

有名な”Route 66”が生まれたのは、戦後すぐの1946年、彼女と一緒にまさにルート66をドライブしている時に生まれた。クレジットこそされていないが彼女と一緒の共作であったようだ。トループとしては作曲家としても有名だが、ニールヘフティーの作った名曲”Girl Talk”では作詞家としてもクレジットされている。曲作りも両刀使いであった。
この曲で、作曲家としてのトループは一躍有名になったが、ナットキングコールも後に有名なアルバム”After Midnight”で再演し、他にもこの曲をカバーするミュージシャンはジャンルを問わず多い。

さらに60年代に入ってからは、同名のテレビ番組まで登場し、これも大ヒットする。この番組の主題歌はトループの曲が使われているかと思ったら、ネルソンリドルオーケストラの別バージョンであったが。



一方で、トループのミュージシャンとしての活動はピアニストから。時には弾き語りで歌も歌いながらウェストコーストで活躍。自らリーダーアルバムを出す一方で、地元の名だたるクラブに出演しては地元のミュージシャンと親交を深めていった。60年代まで活動を続けたが、プレーヤーとしては商業的に大成しなかった。印税が入るので、生活には困っていなかったようなので演奏は趣味の域でも困らなかったのかもしれない。

そんなある時、将来のワイフとなるジュリーロンドンと出会う。クラブで歌っていた彼女を見て、歌手として何とか彼女を成功させたいという想いで今度はプロデューサー業に。そして生まれたのが彼女のヒット”Cry Me a River”。これで彼女の心を掴んだのか、1959年に2人は結ばれることになる。



その間、多芸なトループ、今後はクイズやバラエティー番組のホスト役でテレビ出演をするようになる。その中で最も有名な番組が”Stars Of Jazz”。1956年にロスアンジェルスのローカル番組でスタートしたが、58年には全国ネット番組に昇格し、毎週有名ミュージシャンのゲストを迎えた番組として続いた。ミュージシャンへのギャラなど色々問題はあったようだが、ちょうどテレビがメディアとしてスタートした時に、ジャズをコンテンツとしてオンエアさせ、世に広める役割に一役かったようだ。
そして、晩年には、自ら俳優としてテレビ番組に出るようになる。いつの時代をみても、順風満帆の人生を過ごしたように思える。

このトループが、テレビ番組“Stars of Jazz”の放送が終わった直後に、卒業記念ともいえるアルバムを作っている。このアルバムでは主役は自分のボーカルであるが、バックの面々が素晴らしい。付き合いがあったウェストコーストの有名ミュージシャンが集合してオールスタービッグバンドを編成している。ドラムにシェリーマンと一緒にメルルイスも。

アレンジャー陣も、ジミーロウルズ、ショーティーロジャースとお馴染みの面々が揃っている。そして、一番素晴らしいのが、一曲ずつ違ったソロプレーヤーをフィーチャーしていること。ソロ自体は短いが、アレンジもソリストを意識したアレンジが施されており一曲一曲が実に念入りに作られている。フォーブラザースを意識してか4人のテナーの揃い踏みとか、ベニーカーターのバラードプレーや、テクニシャンロソリーノのプレーなど聴きどころ満載だ。歌のバックのソロは絶妙な絡みと短めが秘訣かも。

シェリーマンとレッドノーボのバックが絶妙な、Is You Is or Is You Ain't My Baby




ボーカルのバックというのは簡単そうでそうでもなさそうだ。聴いている方でもバックがしっくりくる場合と、何かとってつけたようでただ一緒にやっているだけというのがはっきり分かる。ライブの場合は会場の盛り上がりに左右されることもあると思うが、スタジオ録音となるとやはりアレンジの巧拙が鍵になる。という意味では、格別上手いという部類に入る歌手ではないトループの歌が、実に表情豊かにバリエーション豊富に聴こえるから不思議だ。それに、日頃付き合っている面々との番組卒業記念というシチュエーションでのセッションなので、集合写真とは別に一人ずつ友人達と記念写真をとっているような特別な計らいなのかもしれない。



1. Free and Easy               3:40
2. Sent for You Yesterday           3:10
3. Back in Your Own Back Yard         3:19
4. I'm Thru with Love             4:06
5. Oh! You Crazy Moon             2:57
6. Perdido                   3:39
7. Take Me out to the Ball Game        2:19
8. Is You Is or Is You Ain't My Baby     3:32
9. As Long as I Live              2:18
10. Please Me Kind                3:19
11. Tulip or Turnip              2:42
12. Tip-Toe Thru the Tulips with Me       2:54

Bobby Troup (vol)

Buddy Childer (tp)
Conte Candori (tp)
Pete Candori (tp)
Ollie Mitchell (tp)
Al Porcino (tp)
Shorty Rogers (tp)
Ray Triscari (tp)
Stu Williamson (tp)
Milton Bernhart (tb)
Harry Betts (tb)
Bob Enevoldsen (tb)
John Halliburton (tb)
Dick Nash (tb)
Frank Rosolino (tb)
Kenny Shroyer (tb)
Benny Carter (as)
Bob Cooper (ts)
Chuck Gentry (bs)
Bill Holman (ts)
Paul Horn (ts)
Plas Johnson (ts)
Richie Kamuca (ts)
Bud Shank (as,fl)
Jimmy Rowles (p)
Red Norvo (vib)
Barney Kessel (g)
Monty Budwig (b)
Joe Mondragon (b)
Mel Lewis (ds)
Shelly Manne (ds)

Recorded in Hollywood, California on October 24,November 10,and December 3, 1958


STARS OF JAZZ
Bobby Troup
RCA SPAIN
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冷戦時代にロシアの曲をとりあげたジャズアルバムとは・・・

2014-07-05 | PEPPER ADAMS
Russia Goes Jazz / Teddy Charles

巷では集団的自衛権の行使容認が閣議決定され、世の中戦争への準備が着々と進んでいる。大きな渦の中に巻き込まれてしまうと、徐々に起こる変化は身近に起こっても鈍感になってしまうものだが、これはやはり前提が大きく変わる大転換だ。

政治に無頓着な国民が増え、世の中全体が「ゆでガエル症候群」になっているのだろう。本来であれば熱湯の熱さにびっくりしても良い出来事なのだが、このまま熱さが分からずに茹で上がってしまうのか?
熱さに気が付いた時には、「時すでに遅し」といことにならないようにしなければ。
歴史は繰り返すとは良く言ったものだ。

何事においてもそうだが、ルールで禁止しなくても本人の倫理観と自覚に任せればよいとよく言われる。法による禁則を外しても悪いことがすぐ起こることは無いともよく言われるが、世の中そんなに甘くは無い。どんなに完璧な人間と思っても、自制心が効かなくなる事が当たり前のように起こる。
「何々してもよい」という主旨のものが、いつのまにか「何々しなければならない」と履き違がえることもよくある。法を悪用しようと思えば何でもできるということだ。時の宰相の誤った判断による行使が行われないことを祈るばかりだ。

太平洋戦争中は、敵国の言葉である横文字は使用禁止、ジャズも敵性音楽と見なされ急激に下火になったと言われている。反対に、アメリカでは戦時中は、ジャズの演奏は一線の兵士の慰問も兼ねて、戦争中でも良く演奏された。結果的にスイングジャズの興隆のピークを極めた。

本来であれば文化活動は戦争とは無縁の物、何も規制しなくてもよいとは思うが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということだろう。何も外敵との争いだけではなく、国内の覇権争いでも文化活動に制約を加えることは良くある。覇権争いをして一国の独裁を狙う当事者にとってみれば、民衆の心を掴むものは自分以外何であって気に食わないということになる。

1962年10月、チャーリーミンガスのタウンホールコンサートが行われていた時、世はまさに米ソ冷戦の真只中。そのピークともいえるキューバ危機は同じ10月の出来事であった。世の中は戦争の勃発を予感させピリピリした緊張感が漂っていたと思う。
しかし、一方でその年の7月にはベニーグッドマンオーケストラがソ連を親善訪問していた。太平洋戦争の状況に当てはめれば、真珠湾攻撃の直前にアメリカからジャズバンドを招聘したようなものだ。

米ソの間では、表向き戦争と文化活動は別物であった。政治的には東西の対決が緊張していく中、1958 年に米ソ文化交流協定が結ばれ、その第1弾として行われたのがベニーグッドマンのツアーであった。
当然、ソ連のジャズファンからは熱狂的に歓迎され、地元のジャズメンともジャムセッションが繰り広げられたようだが、このコンサートを聴いたフルシチョフ首相はこのグッドマンの演奏を快く思わなかった。

そして、この年の12月に行われた前衛画家の展覧会で、有名な「ロバの尻尾」発言をして、前衛的な芸術活動が制約を受けることになる。当然ジャズも公に認知されたものではなくなってしまう。せっかくソ連でもブーム到来の下地ができたのだがフルシチョフが解任される1964年まではおおっぴらに演奏することも難しくなってしまった。
一人の独裁者の判断で何事も決まってしまう恐ろしさだ。

ペッパーアダムスの1962年はこのような中での演奏生活であった。
それまでの八面六臂の活躍と較べると、この年の活動はレコーディングも少なく、レギュラーグループに参加することもなく、タウンホールでのハップニングコンサートの後もミンガスとのプレーで終わりを告げたようだ。確かに世の中全体を席巻したハードバップムーブメントも徐々に下火を迎えていたが。

年が明けると、アダムスはライオネルハンプトンのオーケストラに加わってラスベガスに
いた。経済的には、このようなバンドのメンバーになるのが安定していたのだろう。
ラスベガスに滞在中、アダムスはハリージェイムスから年俸10000ドルで誘いを受ける。生活のためには、多分ハンプトンオーケストラよりさらに好条件だったであろう。しかし、アダムスは、当時のハリージェイムスオーケストラ自体の演奏がコマーシャル化していた事、そしてソロのパートが殆どな無いオーケストラには興味を持てず丁重に断った。スタジオワークは色々参加しても、レギュラーグループへの参加となると拘りがあったのだろう。
4月までハンプトンのバンドで過ごすと、アダムスは再びニューヨークに戻る。

そこで、早速テディー・エドワーズからレコーディングの誘いを受ける。
それまでも、アダムスは実験的な取り組みを数多くしていたテディーチャールスのセッションに加わる事は何度かあったが、今回のレコーディングは”Jazz Goes To Russia”と題された意欲的なものであった。

当時の時代背景を考えるとキューバ危機は去ったとはいえ、敵国であったソ連(ロシア)を題材として取り上げるのは挑戦的であったに違いない。
ソ連では確かにグッドマンの訪ソもあってますますジャズブーム到来の下地はできたが、アメリカでソ連の音楽が話題になっていたとは思えない。ところが、ロシアといえばクラッシクではヨーロッパの伝統を引き継ぎ有名な作曲家を多数輩出している。

そこで、選ばれたのはチャイコフスキーやストラヴィンスキーなどの有名作曲家の作品から。これらの曲を素材にジャズの味付けをした演奏に仕上げている。
集まったメンバーはアダムス以外も一流処のソリストが揃った。短めのソロだが、いずれも素材の良さを生かして、チャールズのバイブやフルート、バスクラなどを使った軽妙なアレンジに仕上げている。アダムスのソロもDance Arab, Bordin Bossa Novaで聴ける。ジャズは素材を選ばず、何でもスイングさせてしまうワールドミュージックだというのを実感するアルバムだ。

このアルバムもレーベルはユナイテッドアーティスト。なかなか意欲的な切り口で取り組んだアルバムが多い。




1. Scheherazade Blue       (Korsakoff) 3:45
2, Lullaby Of The Firbird     (Stravinsky) 5:02
3. Love For Three Oranges March  (Prokofieff) 2:21
4. Borodin Bossa Nova       (Borodin) 3:37
5. Dance Arabe           (Tchaikowsky) 2:49
6. Lullaby Russe          (Khachaturian) 4:25
7. Etude              (Prokofieff) 3:11
8. Princes Scheherazade      (Korsakoff) 4:45

Teddy Charles (vibes)
Haward McGhee (tp)
Jerome Richardson (fl,ts)
Jimmy Giuffre (cl,ts)
Zoot Sims (ts)
Eric Dolphy (bcl)
Tommy New som (bcl)
Pepper Adams (bs)
Hank Jones (p)
Hall Overton (p)
JimHall (g)
Jimmy Raney (g)
Ted Notick (b)
Osie Johnson (ds)

Recorded on April 23& May 6, 1963 in New York

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エリントンの組曲物の演奏はなかなかライブで聴けないが・・・

2014-03-13 | MY FAVORITE ALBUM
Such Sweet Thunder / Duke Ellington and His Orchestra

先日のマイク・プライスビッグバンドのライブのオープニングはサドメルのThree in One
であった。

オリジナルはサドメルのデビューアルバムで聴ける。サド・ジョーンズとペッパー・アダムスのユニゾンからサックスのソリ、それからアダムスのソロへと続く。今回はマイクと竹村直哉のコンビであったが、久々にこの曲を聴いて気分よくスタートした。
これはサド・ジョーンズのオリジナル曲だが、初演は1958年のジョーンズ兄弟のアルバムで、そしてオーケストラだけでなく、晩年のアルバムでもこの曲を演奏している。サド・ジョーンズ自身もこの曲はお気に入りであったのだろう。

マイクのビッグバンドは西海岸のアレンジャーの曲も多く、バディー・リッチ、スタンケントンなどのレパートリーからの曲が続いた。バディー・リッチビッグバンドからはポピュラーなグリーンスリーブスであったが、この曲はアルバム”Body and Soul”に入っている。実はこのアルバムのメンバーにマイクプライスが加わっていた。1969年の演奏なので、マイクにとっては50年近く経っての再演であった。

後半ではギル・エバンスやエリントンナンバーも加わったが、エリントンは最近よく演奏しているSuch Sweet Thunderからの曲。A列車やサテンドール、インナメロウトーンなどポピュラーなエリントンナンバーを演奏するオーケストラは多いが、このようなエリントンの組曲物に取り組むオーケストラは少ない。

このオリジナルアルバムは、1956年から57年にかけて録音された大作。カナダで開催されたシェイクスピアフェスティバル用に作曲されたものだそうだが、このようにアルバムとしても記録に残されている。エリントンオーケストラの特徴はエリントンとビリーストレイホーンコンビの曲作り。この組曲も2人でシェークスピアのロメオとジュリエットを素材にした共作だ。

2人はこの曲を多忙な3週間で書き上げたそうだ。エリントンの場合は作曲に専念するわけではなく、ライブをこなし乍らの曲作りなので、超人ぶりがうかがえる。特に組曲の場合は、繰り返しや延々と続くソロパートも無いためにクラシックのような譜面づくりも大変だと思う。片腕としてのストレイホーンが不可欠であったのだろう。2人のコンビというと、昨今話題の偽作曲家が思い浮かぶが、彼らの譜面には2人で書き込んでいった物も残っているようだ。

1957年といえば、有名な1956年のニューポートのライブの翌年。56年のニューポートの直後から録音は始まり、翌年完成している。最初のライブ公演は1957年4月28日のタウンホールでのコンサートだったと記録されているが、ここでは11曲で行われる。

このアルバムの目玉は、ホッジスをフューチャーしたThe Star-Crossed Loversだが、実はこの曲は別の企画で作られていた”Pretty Girl”という曲の看板を書き換えて、最後の録音でこのアルバムに加えられ全12曲に仕上がったようだ。

今回のライブでは、タイトル曲のSuch Sweet ThunderとThe Star・・・が演奏されたが、アルバムで全曲を通して聴くと、役者揃いのメンバー達の得意技がソロ、アンサンブルに随所に散りばめられていて曲全体のイメージが否が応でも伝わってくる。マイクのビッグバンドも素晴らしいが、テリー、ホッジス、ハーリーカーネイなどの個性あるプレーはワン&オンリーだ。やはり、この曲を完全に再現できるのは当時のエリントンオーケストラのメンバーが不可欠なように思う。

57年のライブ "Duke Ellington: 'Such Sweet Thunder' Unissued Live at Ravinia Festival '57" での演奏はこちらで。
同じアレンジだが、ライブはやはり一段といい。

Such Sweet Thuder [Music by Duke Ellington & Billy Strayhorn]. Unissued world première (on radio) of the "Shakespearean Suite"!
CBS broadcast from concert at Ravinia Park Festival, Highland Park, IL. July 1, 1957.
0:00 Such Sweet Thunder
1:48 Sonnet For Sister Kate [solo: Quentin Jackson]
4:53 Up And Down. Up And Down [solo: Clark Terry]
8:04 Star-Crossed Lovers [solo: Johnny Hodges]
12:38 Madness In Great Ones [solo: Cat Anderson]
16:25 Half The Fun [solo: Johnny Hodges]
20:42 Circle Of Fourths [solo: Paul Gonsalves]

23:23 Jam With Sam [solos: Willie Cook, Paul Gonsalves, Britt Woodman, Russell Procope, Cat Anderson]

Cat Anderson, Willie Cook, Clark Terry, t; Ray Nance, t, vn; Quentin Jackson, Britt Woodman, tb; John Sanders, vtb; Jimmy Hamilton, cl, ts; Russell Procope, cl, as; Johnny Hodges, as; Paul Gonsalves, ts; Harry Carney, bcl, cl; Duke Ellington, Billy Strayhorn, p; Jimmy Woode, b; Sam Woodyard, d.



1. Such Sweet Thunder
2. Sonnet for Caesar
3. Sonnet to Hank Cinq
4. Lady Mac
5. Sonnet in Search of a Moor
6. The Telecasters
7. Up and Down, Up and Down (I Will Lead Them Up and Down)
8. Sonnet for Sister Kate
9. The Star-Crossed Lovers
10. Madness in Great Ones
11. Half the Fun
12. Circle of Fourths

Duke Ellington & His Orchestra

Clark Terry (tp)
Ray Nance (tp)
Willie Cook (tp)
Cat Anderson (tp)
Quentin Jackson (tb)
Britt Woodman (btb)
John Sanders (tb)
Johnny Hodges (as)
Russell Procope (as,cl)
Paul Gonsalves (ts)
Jimmy Hamilton (ts,cl)
Harry Carney (bs)
Duke Ellington (p)
Jimmy Woode (b)
Sam Woodyard (ds)

Composed by Duke Ellington & Billy Strayhorn

Recorded on August 7 1956
on April 15,24 & May 3 1957
at COLUMBIA's30th Street Studios in New York


Such Sweet Thunder
クリエーター情報なし
Sony Jazz
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821 Sixth Avenue, New York はジャムセッション用のロフトであった

2014-02-10 | PEPPER ADAMS
David X. Young Jazz Loft

ジャズのメッカニューヨークでは、昔から次世代を背負う若いミュージシャン達は、夜な夜な集まってはジャムセッションを行う切磋琢磨し合っていた。よくアフターアワーズセッションといわれるものだ。出演しているクラブで営業終了後ということもあったと思う。またミュージシャンにとっては仕事の休みが多い月曜日の夜も集まりやすかった。さらに、クラブが終わった後午前3時を過ぎて朝までひたすら演奏し続けるために集まる場所もあった。

その一つが、この821番地のビルの4階のLoftであった。

このLoftはEugin Smithというライフのカメラマンが借りたもの。普通であれば、その事実が単に記録に残っているだけであるのだが。
例えば、ペッパーアダムスの活動記録を見ると、

Dec 24: New York: Jam session at Gene Smith's Sixth Avenue loft.
Dec 31: New York: New Year's Eve jam session at Gene Smith's Sixth Avenue loft, with Lee Morgan, Zoot Sims, Sam Parkins, Jimmy Raney, Sonny Clark, Doug Watkins, Louis Hayes.

とある。
クリスマスイブの夜、そして大晦日のセッションにアダムスは参加していたということだが、その内容はこれだけでは分からない。

ところが、カメラマンであったスミスはそこに集まったミュージシャンだけでなく、その4階の窓から外の街の様子も写真に収めていた。この建物にまつわるドキュメントとしての写真だ。
1957年から1965年の長期間に渡ってその数は4万枚にも及ぶ。その一部が写真集として発売されているが、さすがにカメラマンが撮った写真である。その一枚一枚が当時のLoftの様子、そして窓の外の人々の日々の生活の一瞬をありのままに残していて時代を直接に訴えてくる。



さらにスミスの素晴らしいのは当時まだ世に出たばかりのテープレコーダーを用意して、その場を簡易のスタジオにして演奏の様子を残したこと。レコーディングを目的としたものではないので、ミュージシャン同士の熱いディスカッションや時にはラジオ放送や電話の話声、そして外のサイレンなどの生活のノイズまでがそこには残されている。その数は何とオープンリール1740本4000時間に及ぶ。
テープのケースにメモられたミュージシャンの数だけで139人、その後のインタビューでその全貌が明らかになると、このロフトを訪れたミュージシャンは300人を超えるとも言われている。そして、単にジャムセッションだけでなく、あのモンクのタウンホールコンサートのリハーサルなどもここで行われていた。



スミスの死後それらはJAZZ Loft Projectとしてアーカイブ化されているようなので、いずれ全貌が明らかになるであろう。このプロジェクトに関してのラジオ番組コンテンツも公開されているので、興味のある方はこちらをどうぞ。

Jazz Loft Project


さらに、アダムスの記録に残る1959年12月24日のセッションは、Loftでのミュージシャンの姿を絵として残した画家David X Youngの作品とのコラボという形でCDとなって世に出ている。
恋人たちが愛を語り合っているクリスマスイブの夜、次世代のジャズ作りに燃えるアダムス達が熱くセッションを繰り広げてい入る様子を垣間見ることができるだけでも、このコンテンツは意味があるものだと思う。

アダムスにとっても、このジャムセッションへの参加で1959年の活動を終える。
ここでは、ズートシムとの気楽なセッション。

アダムスの本の中でもこのクリスマスイブのロフトで出来事について語られている。
この日、ピアノのモーズアリソンは、用があって早めに帰らねばならなかった。
皆に残るように懇願さえたが、I'll Remenber Aprilの時に帰ってしまった。ズートとジムホールがデュオでスタートし、皆の演奏になった時誰かがピアノを弾いているのが分かった。
演奏を終えると、そのピアノを弾いていたのはペッパーアダムスであった。
リーダー格のズートが、ペッパー、やるじゃないの。どこで習ったの?それじゃー、続きを・・・といいうと、
ペッパーは全部で3曲しかできないんだと。
それじゃー、残りをやろうか。

ピアノがいなくなってからの出来事だそうだ。そんなやりとりをしながら和気藹藹の雰囲気のLoftでのセッションであった。


翌1960年はいよいよ、ドナルドバードとのコンビが本格的に活動をスタートする。
次回以降順次追ってみることにしよう。

1. It’s Don’t Mean A Thing If It Ain’t Get That Swing
(12/15/1958)
 Zoot Sims (ts),Don Ellis (tp),Hall Overton (p), Bill Crow (b)、unknown (ds)

2. Spuds
(04/1965)
Bob Brookmeter (vtb), Dave Mckenna (p), Jimmy Raney (g), Jim Hall (g)
Bill Crow (b), unknown (ds)

3. Dark Cloud
(04/1965)
Zoot Sims (ts), Dave Mckenna (p), Steve Swallow (b), unknown (ds)

4. This Can’t Be Love
(12/24/1959)
Zoot Sims (ts), Pepper Adams (bs), Mose Allison (p), Bill Takas (b), Jerry Segal (ds)

5. Zoot and Drums
(12/24/1959)
Zoot Sims ts), Jerry Segal (ds)

6. Stomp’n At the Savoy
(12/24/1959)
Zoot Sims (ts), Pepper Adams (bs), Mose Allison (p), Bill Takas (b), Jerry Segal (ds)

7. Dog Story
Zoot Sims & Bill Crow Telling the Story of Zoot’s Dog Hank


CD2
1. There Will Never Be Another You
(1957)
Bob Brookmeyer (vtb), Hall Overtone (p), Jimmy Raney (g), Jim Hall (g), Bill Crow (b), Dick Scott (ds)

2. Wildwood
(1957)
Bob Brookmeyer (vtb), Hall Overtone (p), Jimmy Raney (g), Jim Hall (g), Bill Crow (b), Dick Scott (ds)

3. 821 Blues
(12/24/1959)
Zoot Sims (ts), Bob Brookmeyer (vtb), Bill Takas (b), Jerry Segal (ds)

4. When The Sun Comes Out
(12/24/1959)
Zoot Sims (ts), Dave McKenna (p), ,Bill Takas (b), Jerry Segal (ds)

5. Groovin’ High
(12/24/1959)
Zoot Sims (ts), Pepper Adams (bs), Jerry Lloyd (tp), Mose Allison (p), Bill Talas (b), Jerry Segal (ds)
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