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退屈

2018-01-04 17:31:07 | 日記
「何かお手伝いすることない?」、ボクちゃんが台所に立つ家人に訊く。家人が「じゃあ、お皿をしまってちょうだい」と答えると、ボクちゃんがうれしそうな顔になる。「うん」と答える声に弾みが出る。昨年末にボクちゃんが泊まりだけで遊びに来てくれたときのことだ。ボクちゃんは、ヒマがきらいだそうだ。退屈には耐えられない性格のようだ。

退屈のようでそうでもないのが入院のときである。私は病室のテレビを観ない。観る気にならない。ベッドの上では常に眠いからである。決して睡眠不足ではないのだが、とにかく病室の寝床の上に横臥していると眠くなる。眠いけれども、本を読む。山口瞳を読む。30分ぐらいで疲れてしまう。目を閉じてぼんやりと、読んだばかりのエッセーの中身について考える。競馬、相撲、野球に関するエッセーが多いから、その辺のことを思い浮かべる。話は古い。競馬なら、タケシバオー、アサカオー、タニノハローモアであり、相撲なら千代の山、朝潮であり、野球は稲尾和久、中西太、大下弘である。眠い。眠いけれど眠ってしまうことはない。退屈はしない。

「ヒトは苦労をする(勉強をする)ために霊界から派遣されて人間界に来ている」ということを、私は信じている。だから、自分はやがて(近いうちに)再び霊界に戻るのだと思っているし、そのことを証明する書物も何冊かある。「死んだら何も無い。深い睡眠と同じだ」と言う人も多いが、私は8年前の大手術のときに深い眠りの中で、或る場面を見たことがある(このことは以前に書いた)。それは霊界ではなかったかもしれぬが、とにかく死=無ではない。だって、何も無かったら退屈で仕方がないではないか。ボクちゃんと同様に、私もヒマ(退屈)は嫌いなのだ。

正月と酒と麻雀

2018-01-04 12:41:28 | 日記
古い友人から年賀状が届く。生存証明書である。50年前のことが甦る。この前会ったのはいつだっただろうか。どこでだっただろうか。そうだ、あのパーティーのときだったか。思い出すのは酒のことだ。麻雀のことだ。A君とはゴルフもやった。それでも思い出すのは酒のことになる。B君とはよく将棋を指した。だが思い出すのは麻雀のことだ。酒友でもない。雀友でもない。仕事上の付き合いもない友人からの賀状が1枚だけある。茨城の小・中学校時代の優等生である。彼と年賀状を交換するようになったのはいつだっただろうか。思い出せない。

昔は年末年始も酒と麻雀の匂いがした。ヤクザの賭場にも行ったことがある。バッタ撒きという勝負で、場(畳)に4枚の札が置かれ、それに金を張る。最低500円で賭けられる。オイチョカブ方式で勝てば2倍になる。私は興味がわかなかったので、1回か2回だけ賭けてやめた。パチンコ店で知り合いの組員の一人が隣室で手招きをしているので行ってみると、酒を茶碗に注いでくれた。「麻雀の方がおもしろいだろう?」と訊くので頷いたら、また酒を注ぎたしてくれた。賭場は、少し大きめの普通の民家の2階にあった。下へ降りて玄関を出ると、門までの数メートルの間に、これも顔見知りのヤクザが見張り役で2,3人いて、「ご苦労さんです」と言って封筒をくれた。あとで開けてみると、封筒の中には500円札が1枚入っていた。「ご苦労さんです」も封筒も賭場のルールであり、形式であった。

団地時代も酒と麻雀の正月があった。我が家の隣室が麻雀の場となることが多く、そこには小学生に子供がいたので、お年玉袋が必要だった。もちろん私はお年玉代の数倍を稼いだ。日本酒の壜(当時、缶ビールは存在しなかった)を抱えて来る人もいたが、私はサントリーホワイトを持参した。

正月

2018-01-04 12:27:44 | 日記
指圧の重田名人は、正月は昼酒が呑めると嬉しそうに言う。普段の日曜日はダメなのかと訊くと、「親父がうるさい」と答える。名人は35歳ぐらいであるが、まだ独身で両親と暮らしている。その父親が年末に逗子のパチンコ店で5万円稼いで来て1万円くれたそうだ。いい父子である。

年賀状に自筆で短文を書いてくださっているのがあって、感心する。私はもうハガキにおさまるような文字は書けない。それでも指先が動かなくなると困るので、テレビゲームの麻雀でハンドルを操作する。このブログを書く。幼稚園児用のらくがき帳にボールペンで書く。

元日に次女と孫娘が夕食に来た。次女が高級泡盛をウーロン茶で割って呑んでいた。泡盛プラスウーロン茶がどんな味になるのかは想像がつかないが、次女は旨そうに呑む。

元日の屠蘇が旨かったのは誰か。1番はキタサンブラックのオーナー、北島三郎さんか。国民栄誉賞候補の羽生善治さんか。いや、やっぱり総選挙のカケに勝利した安倍晋三首相か。屠蘇が不味いどころか、呑む気にもなれないのはナンボでもいるが、名前を挙げるのはやめておこう。

祝膳で旨いのが卵焼き。伊達巻ではなく厚焼きでもないもので、幼稚園児のお弁当に入っているような甘味焼であるが、これが不思議に酒に合う。酒は月桂冠特撰のぬる燗少々とジョニ黒の水割りで、量で言うと前者が40CC、後者が80CCぐらいだろうか。それだけで眠くなる。昔のことを考えると、雀の涙どころか蟻の涙であるが、食卓の前に座って1時間半、子供のように眠くなる。

神棚はないが、都市のはじめには仏前に座る。御先祖様に願うのは、ただひとつ、家人の健康長寿である。自分は生き過ぎである。家人の助けで生きている。その助けがなければ1週間も生きられまいと思う。だから、自分が早々に死ねばよいのだが、これだけはどうにもならぬ。だから、家人の健康を祈るしかない。家人の長命を願うしかない。