「何かお手伝いすることない?」、ボクちゃんが台所に立つ家人に訊く。家人が「じゃあ、お皿をしまってちょうだい」と答えると、ボクちゃんがうれしそうな顔になる。「うん」と答える声に弾みが出る。昨年末にボクちゃんが泊まりだけで遊びに来てくれたときのことだ。ボクちゃんは、ヒマがきらいだそうだ。退屈には耐えられない性格のようだ。
退屈のようでそうでもないのが入院のときである。私は病室のテレビを観ない。観る気にならない。ベッドの上では常に眠いからである。決して睡眠不足ではないのだが、とにかく病室の寝床の上に横臥していると眠くなる。眠いけれども、本を読む。山口瞳を読む。30分ぐらいで疲れてしまう。目を閉じてぼんやりと、読んだばかりのエッセーの中身について考える。競馬、相撲、野球に関するエッセーが多いから、その辺のことを思い浮かべる。話は古い。競馬なら、タケシバオー、アサカオー、タニノハローモアであり、相撲なら千代の山、朝潮であり、野球は稲尾和久、中西太、大下弘である。眠い。眠いけれど眠ってしまうことはない。退屈はしない。
「ヒトは苦労をする(勉強をする)ために霊界から派遣されて人間界に来ている」ということを、私は信じている。だから、自分はやがて(近いうちに)再び霊界に戻るのだと思っているし、そのことを証明する書物も何冊かある。「死んだら何も無い。深い睡眠と同じだ」と言う人も多いが、私は8年前の大手術のときに深い眠りの中で、或る場面を見たことがある(このことは以前に書いた)。それは霊界ではなかったかもしれぬが、とにかく死=無ではない。だって、何も無かったら退屈で仕方がないではないか。ボクちゃんと同様に、私もヒマ(退屈)は嫌いなのだ。
退屈のようでそうでもないのが入院のときである。私は病室のテレビを観ない。観る気にならない。ベッドの上では常に眠いからである。決して睡眠不足ではないのだが、とにかく病室の寝床の上に横臥していると眠くなる。眠いけれども、本を読む。山口瞳を読む。30分ぐらいで疲れてしまう。目を閉じてぼんやりと、読んだばかりのエッセーの中身について考える。競馬、相撲、野球に関するエッセーが多いから、その辺のことを思い浮かべる。話は古い。競馬なら、タケシバオー、アサカオー、タニノハローモアであり、相撲なら千代の山、朝潮であり、野球は稲尾和久、中西太、大下弘である。眠い。眠いけれど眠ってしまうことはない。退屈はしない。
「ヒトは苦労をする(勉強をする)ために霊界から派遣されて人間界に来ている」ということを、私は信じている。だから、自分はやがて(近いうちに)再び霊界に戻るのだと思っているし、そのことを証明する書物も何冊かある。「死んだら何も無い。深い睡眠と同じだ」と言う人も多いが、私は8年前の大手術のときに深い眠りの中で、或る場面を見たことがある(このことは以前に書いた)。それは霊界ではなかったかもしれぬが、とにかく死=無ではない。だって、何も無かったら退屈で仕方がないではないか。ボクちゃんと同様に、私もヒマ(退屈)は嫌いなのだ。