ウィリアムのいたずらの、まちあるき、たべあるき

ウィリアムのいたずらが、街歩き、食べ物、音楽等の個人的見解を主に書くブログです(たま~にコンピューター関係も)

なぜ、南無阿弥陀仏と称えると苦を超えられるのか?

2024-04-14 08:03:07 | 仏教・神道・その他宗教
4月13日に、大人の寺子屋講座に行ってきたんだけど、
そこの質問で
「弥陀の本願って何ですか?」
と質問した人がいて、先生が
「一切衆生を救いたいという願いです」
と答えて、
質問した人は、わかんないけど、まあいいやみたいな顔をしてました。



ごめ~ん、これ、私が前回質問用紙に書いて、今回取り上げられた

「仏道とは何なのでしょうか。
 帰すべき仏の教えを基に自分を見つめるということなのでしょうか?
 そのとき、浄土真宗の教え(=仏の教え)は「阿弥陀仏の本願に帰すること」だとすると、阿弥陀仏の本願の意味が分かりません」

っていう質問に対して、今日のお話はこれの答えになるような話をすると先生がおっしゃっていたので、
たぶん質問した人は、今日の先生のお話を聴いてもわからず、この質問が出たんだと思います。

質問した本人(=私)は理解したのですが、たぶん、他の人はわかってないと思うので、私が理解したことをシェアしたいと思います。



■弥陀の本願とは

先生の答えだけだとわからないので、もう一度確認します。
↓を参考に
(聞いてきた内容が大谷派の内容なので、東本願寺関連から引用しました。
 真宗でも親鸞会の人とは考え方が違うかも?)

まず、法蔵菩薩という方がいて
「全てのものを救うための仏国土を作ろう!」
と思いました。仏国土とは仏道により国を作ることであり、その国は「苦しみがないためにこれを極楽といい、穢れがないためにこれを浄土といいます。」
苦しみがないというのは、苦しいことが起こらないということではなく、苦しいことを克服していて、苦しみを感じないということだと思います(私の解釈)。

で、この世界を実現するには、弥陀の誓願、とくに18願
 (ごめん、適当な例がなかったので、西本願寺派の↓からとってきた。
 考え方は同じっぽい)

全ての生きとし生けるものが、私の真心からの願いを疑いなく信じ、浄土という仏の国に往き生まれたいと思い、たとえ十回でも念仏するならば、必ず浄土に往き生まれる。 

ということが大事とされました。



この18願とは

迷いやすく、悩み苦しみの多いこの世界に、あなたのことをずっと思い通しの仏がいるよ。迷い苦しみの中にも、温もりに包まれて生きていける道があるよ。だからどうか、私の願いをそのまま受け取ってほしい。 
という思いを信じて、「この考えすげ~」と称賛すれば(=称える、浄土宗の唱えるとは意味が違う)、あなたも浄土に行けます(っていうか、大谷派の場合、浄土に生まれています)

っていうことですよね。

で、質問した人も、そのことは知っていると思うんですよ、聴きたいのは

あなたのことをずっと思い通しの仏がいるよ。」

いるって、なぜ断言できるの?
ってことだと思う。

これ、「阿弥陀仏は存在るか」という話を思い出してもらうと判ると思う



「阿弥陀仏は実在するかどうかは(お釈迦様とちがって=お釈迦様は実在する)人間ではわからないが、その働きは確かに存在する」ということだったと思います。

たしかに、法蔵菩薩のように考えれば、その働きは存在することになります。

法蔵菩薩は、「自分はさておき、すべての衆生が救われますように」と考えました

みんなこの考えになると、

Aさんは、自分はさておき、Bさんが救われますように
Bさんは、自分はさておき、Cさんが救われますように
     :
Zさんは、自分はさておき、Aさんが救われますように

って考えることになりますよねえ、

そしたら、Aさんが苦しんだら、Zさんが、助けてくれません?

つまり、自分が苦しんだら、他人が助けてくれるという社会ができますよね!
これが、苦を乗り越える方法。



みんなが法蔵菩薩のように
「自分はさておき、他の人が救われますように」
と考える社会(=浄土)は、まるで、阿弥陀様が存在するかのように
他の人が自分を助けてくれて、苦を乗り越えられる社会になりますよね!

つまり、「あなたのことをずっと思い通阿弥陀仏の(実在はわからないけど)働きは存在していて、迷い苦しみの中にも、温もりに包まれて生きていける道(=法蔵菩薩のように、
「自分はさておき、他の人が救われますように」
と考える生き方、視点、宗(よりどころ、立脚点)=仏道)はあるということを信じる(=南無)

ってことで、これをまとめると南無阿弥陀仏ってこと。

なので、これを称える(信じて称賛すると)・・・苦を乗り越えた、「私が私が」というエゴで固まった煩悩のけがれた世界から抜け出した、けがれなき世界に行けませんか?



っていう風に理解しました。違うかな・・・

・・・まあ、自分はこう理解しました。

ということで、いつものように講義メモ↓
なのですが、今回はオフレコ部分があったので(インターネットに載せてはいけない個人的な話の部分)、そこは削除してメモっています。



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命は自分のものではなく、お返しするもの

2024-04-11 17:50:13 | 仏教・神道・その他宗教
秋葉原親鸞講座に4月10日に行ってきたので、
メモをシェア。

歎異抄に基づいてお話してくださったのですが、
印象に残った言葉は表題の
「命は自分のものではなく、お返しするもの」
ただ、どこの文脈で言われたのか、覚えてない・・・

あと、真宗とほかの宗派・宗教との違いについて、
お話がありました。
他の宗派は、教祖様なり、師匠なりがいて、
階層構造になっている(縦社会)
真宗は、先人の書物などを見て、自分で考え、書物を残すと
いう、先人と自分が同じ立場で、横に広がっていくという
立場をとる(横社会)
なので、「いつでも」「どこでも」「だれとでも」が成り立たないと
真宗ではないそうな

以下、詳細は↓




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カルチャーセンターは親鸞「を」学び、浄土真宗は親鸞「で」学ぶそうな

2024-03-30 18:30:20 | 仏教・神道・その他宗教
3月30日、真宗会館で「大人の寺子屋講座」に行ってきた。
講師は同朋大学の伊藤先生。こんな本書いてる↓
 講義の内容は、親鸞の前半生(越後に流罪になる前まで)

カルチャースクールなんかだと、
親鸞を学ぶ
となり、何年に何が起こり・・・とか親鸞について習うけど、
浄土真宗では、
親鸞で学ぶ
つまり、学ぶ対象は親鸞ではなく、親鸞を手掛かりとして、
自分自身の人生を学ぶんだそうな

以下、講義メモ


合ってるかどうかわかんないけど、お話を聴いていると、どうやら

仏道とは、帰依すべき仏の教えに基づいて、わが身を見つめていくこと
であり、その
「帰依すべき仏の教え」は、浄土真宗の場合、弥陀の本願らしい。
(間違ってたらゴメン。早めのエイプリールフールだと思ってくれ)

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仏法は鉄砲の反対だそうな

2024-03-27 07:14:57 | 仏教・神道・その他宗教
池袋親鸞講座の最終回を聴いてきたんだけど、
ここに載せていないのでシェア

仏教とは、仏法とは、何だろうかというお話。
それは、内観の眼を持つということ。

昔、高光大船氏か、松本梶丸氏かに向かって(講義ではどっちかはっきり言ったんだけど、自分が今各時点で忘れた)「仏様とは何か」という質問をした人がいて、その答えが「仏法は鉄砲の反対」だったそうな

どうも、
鉄砲は、生きている人が外に向かって打って、人を殺す武器
仏法は、死んだ人を生かして、生きている人の心の内側に向かわせる武器
ということらしい。

そして、外側に向かう場合、人の心の煩悩を基に外界のものを見る。
この心の煩悩は、もっとお金を得たい、そのためにもっと効率的に働きたいと思い、将来に向けて計画を立ててそれ通りに、今、動こうとする。
将来のために、今という時間を失っている。

しかし、効率や、もっとお金を得たいという考えなら、ここに来る人はいないはずである。効率的な話や、お金儲けの話を仏法はしない。なのに、仏法の話を聴きに、ここにきている人が、こんなにいる。それはなぜか。

仏法は、人の内面に目を向ける。これが内観の眼。内観の眼により命そのものをどう受け止めたらいいか、生きていくことの意義を、今、いただく。

というような話を聴いてきました。
以下メモ



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結局、念仏を唱えると、なぜ苦を乗り越えられるのかは分かっていないが、スピリチュアル的には理解できる

2024-03-20 08:09:35 | 仏教・神道・その他宗教
オンライン親鸞講座を聴いているっていうことは書いていたけど、
ちょっと前に最終回があったので、そのシェア

結局、「念仏を唱えると、なぜ苦を乗り越えられるのか」については
最後に触れてたけど、「この講座では説明しきれない」ので省略となった。
まあ、そうですよね、これ1つで講座ができますよね・・・

で、最終回は親鸞聖人が越後に流された後の話(関東に行って、京都に戻る)
についてでした↓がその時のメモ




なんだけど、最近、お念仏と同じような話を田淵可愛さんがしていた。
↓の8分20秒~

2024年3月12日〜14日【重要日3月15日までに済ませておくとよい3つのこと】 

「私は何が起ころうと宇宙を信頼し、お任せします」というという話。
こういっても、悪いことや思い通りではないことが起こるかもしれないけど、それは、エゴを手放すチャンスで、宇宙は私たちのことをよくわかっているから、宇宙にお任せするのがよいというお話。

宇宙→阿弥陀仏、エゴを手放す→煩悩を超えるということに置き換えると・・・「私は何が起ころうと阿弥陀仏を信頼し、お任せします」(南無阿弥陀仏)となるんだけど・・・

・・・これなら、スピリチュアル的には、理解できる。

・・・こういうことなのかなあ?


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苦しみを乗り越える方法があるらしいのだが、その方法がわからない…そこが知りたいんだけど…

2024-03-11 07:10:53 | 仏教・神道・その他宗教
前に聴いたオンライン親鸞講座について書いていなかったので
書いてみる。

ここまでのことで、わかったこと。
(池袋親鸞講座で学んだことと、混ざってる)

・人の世界には老病死があり、四苦八苦というように、苦が必ず存在する。

・そして、人の内側には煩悩があり、とくに三毒を持っているがゆえに、
 苦を感じる。

・この苦を乗り越えることが、弥陀の本願の本質であり、

・法蔵菩薩は、この弥陀の本願を成就して、阿弥陀仏となった
 →ということは、苦を乗り越える方法はあり、
  阿弥陀仏はそれを悟ったということ

ってことまではわかったんだけど、肝心の

「苦を乗り越える方法」

がわからない・・・

念仏を唱えること?

い~や~、そーは思えない。
(念仏の南無阿弥陀仏とは、「阿弥陀仏が弥陀の本願を達成して悟ったということ」を信じます(帰依します)っていう、信仰表明だとおもうんですけど。で、知りたいのは、その悟った内容なんだけど・・・)

その「苦を乗り越える方法」が知りたいんですけど・・・

わかったら、報告するね!

以下、その親鸞講座のときに取ったメモ



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「極楽浄土に生まれ変わる」とは? ー ってか、そもそも、「極楽浄土」の定義は?

2024-02-25 09:01:00 | 仏教・神道・その他宗教
先日行ってきた、池袋親鸞講座の内容のまとめ。

質問への回答で終わってしまっていましたが、
うち、2つめの質問
「極楽浄土ってあるんですか」の回答をめぐってのお話
が、表題の件となります。


経典には、極楽浄土は存在することが記されていて、
具体的には
「阿弥陀仏がいらっしゃる浄土」が極楽浄土



で、問題は、極楽浄土が存在するかどうかではなく、
(たぶん質問者の意図もそこではなく)
極楽浄土にいつ生まれ変わるか?ということ。

なんでこんなことが問題になるかというと、

「仏教は、四苦八苦を超えた世界に行くことを説いた」のであれば、
仏教により四苦八苦を超えた世界に行った人、つまり悟った人は、
人間界の穢土にいても、浄土にいることと同じになりませんか?
(穢土=人間界=四苦八苦の世界、浄土=神仏=四苦八苦を超えた世界)

ということ。



これは、浄土がないことを意味しているのではなく、
浄土にいつ生まれ変わるのか(浄土に生まれ変わる=往生)という問題。

2つの時点が考えられている
  ・煩悩を超え、四苦八苦を超えた世界に行ったとき
  ・死んだとき

 死んでしまえば、煩悩を興そうとしても肉体がないので興せない
  死んでいたら四苦八苦は越えている。
  なので、死んだときは往生していると考えられる
 なので問題は、「煩悩を超え、四苦八苦を超えた教えである仏教を
 悟った時、往生したとみるか、見ないか?」

浄土真宗大谷派(お東)は、このとき、「浄土に生まれ変わった」
  とみる人が多い

浄土真宗本願寺派(お西)は、死んだとき浄土に生まれ変わった
  とみる人が多い

とかなんかのお話。

↓はその話などの講義のまとめ

↑の右側は、教行信証の一部が書いてある



【以下、個人的所感:上の親鸞講座では言ってないし、関係ない話】

この話、スピリチュアルと対比して考えるとすごくわかりやすい

穢土=3次元
浄土=高次元
極楽浄土=阿弥陀様がいる高次元
  (↓の動画で、饒速日命(にぎはやひ)と瀬織津姫がいる次元と、
   ほかの神々がいる次元は次元が違うって言ってるけど、
   阿弥陀仏も、他の神々と違う次元にいると考えれば、
   納得できる)

往生(極楽浄土に生まれかわる)
  =穢土から浄土にいくこと
  =3次元から高次元に行くこと
  =アセンション

アセンションはいつ起こるのか
 死なないでも起こすことは可能(大谷派)
 死なないと無理(本願寺派)
→2つの考え方がある。

【次元を考える参考】
饒速日命からの御神託【ある計画が実行される。まず日本の復活を遂げる事が必要だ】

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「むさぼりの心」、「満足を知らないこころ」とは…

2024-02-22 07:12:30 | 仏教・神道・その他宗教
先日、「オンライン親鸞講座」を聴いたんだけど、
「むさぼりの心」が人生、生きる上で参考になった。

仏教には、「煩悩」は108個あるけど、その中で根本的なものは、
「貪瞋痴」(とんじんち)の3つなんだそうな(これを三毒というらしい)。
(↓のサイトに詳しい)

で、貪は「むさぼりの心」、つまり「満足を知らないこと」だそうで
これについて納得いく例を、この「オンライン親鸞講座」
で教えてもらったのでシェア
「ほしいほしいと思っていた洋服を買ったとたんに
 次にどの洋服を買おうか見ている」
・・・確かに・・・ありますよねこれ、資本主義だと
この満足を知らない心によって、いつの間にか自分の限界を超えてしまい
(=限界を超えて使いこんでしまい)破滅してしまうんですよね・・・

ってことで、それ以外の内容についても書いた、
メモを↓にシェア


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苦しみの原因は、「自分の思い通りにいくのがよい」と思っている思い込み

2024-01-20 11:28:51 | 仏教・神道・その他宗教
いや、ホンモノの坊さんの話はすごい!

1月18日(木)、池袋親鸞講座の2回目を聴いてきた。
この講座は、教行信証のお話で、今回は2回目、
教行信証の製作の背景

 講師は大谷大学(浄土真宗の家の子が、坊さんを継ぐために勉強しに行くような、坊さん養成をやっている大学)の先生でもあり、金沢の近くのお寺の住職をしている(つまり、大学だけでなく現場もやっている)藤原先生。
つまり、坊さんになる授業を受け持っている、ほんまもんの坊さん。
(ただし、真宗は、坊主頭にならなくてよい。なので、真宗の坊さんといっても、見かけは普通の人。これは他の真宗の人も、私服だと同じ)

 金沢の近くということで、今回の講座の始まりは、今回の地震の話。
 ご自身の話、お寺の様子(金沢付近だと、震度5強ぐらいだったらしい。和島と違って)、真宗は北陸にお寺が多いので、輪島にも、多くのお寺があるんだけど、その辺の様子など。

 でそのあと、本来の講義の教行信証の製作の背景(というか、意図)について。その意図は、序文にあるのだが、この序文といわれる個所が、教行信証の中には何か所も出てくる。初めの序文が総序、一番最後の序(って普通「あとがき」っていうけど)が後序と呼ばれていて、総序には、「なぜ書くのかの理由」が書かれていて、後序には、「書くことに至った事由」が書かれている。

 後序の「書くことに至った事由」については、念仏の教えを正しく伝えるために、書かざるを得なかったというのが、当時の状況とともに書かれているらしい。

 で、総序には、何が書かれているかという話なんだけど、始まりはまず、阿弥陀様の本願は、「迷い・苦しみの中(難度海)にいる人々を、迷いを超えた世界(無明の闇を破する)に渡す(度する)」ことであり、そのための光(無碍の光明)によって、仏道、真宗は成り立っているというようなことが書かれている。

・・・って、1回目のプリントに書いてあるね、はい。一回目の復習。
なんせ、1か月空いてる間に地震あったから、忘れているよね。

で、今回の話題。

阿弥陀様の光によって、真宗は成り立ってる。
光を持っているのは、阿弥陀仏。
つまり、阿弥陀仏が救うのであって、自分が修行とか努力して救われるわけではないという、他力本願の考えが、真宗の考え方。
じゃ、何もしなくていいのか?っていうのが、一つの話題。

結論から言うと、そうじゃない。
阿弥陀様の光、大切な教えを聞いて、自分のこととして考える(=聞思)
これこそまさに、仏様と出会うということであり、
このことが、真宗の大事なところ、真宗のよりどころ(立脚点)となる。
この仏様と出会うことは、他人にはできない、真宗の信徒が自分でしなければいけないことであると説く。

では、仏様が教える目標地点、「本願」とは何か、ってことだけど、
「迷い・苦しみの中にいる人々を、迷いを超えた世界に渡す」
が、本願だった(迷いを超えた世界が浄土)
では、なぜ人々は迷い・苦しみの中にいるのか?

その苦しみの原因を人は、「景気が悪いから」「貧しい家に生まれたから」と外に求めるが、そうじゃないと説く。
   苦しみの原因は、外ではなく(自分の)内にある
それは、
 「自分の思い通りに行くのが自分にとって尊い人生である」という思い込み
のせいである。

人や社会は成長するのがいい、向上するのがいいという「思い込みがある」
年をとっても若くあるのがいいという「思い込みがある」
しかし、仏陀が説いたように(生老病死)のように、人は必ず老いて死ぬ。
思い込みの通りにはいかないので、苦しむが、それは、あくまで思い込みである。「人は必ず老いて死ぬ。その人生こそ尊い」という仏教の教えを聞いて、(聞いただけじゃだめで)その現実を受け入れたうえで、「あなたは、どう思うのか、どうやって生きるのか」ということが問われている。その問いに自分なりに答えを出して実践していくのが仏教。

人は、今回の地震でもそうだけど、一瞬で、思いもよらず、死ぬことがある。それは現実のことなんだけど、それを受け入れたうえで、「じゃ、今日、あなたはどう生きる?」という答えを出して行くために、仏の教え(他力)を聞き、思い、実践していく(ことにより、弥陀の本願を実践していく)のが、浄土真宗である。

というような、お話でした。

下のは、その時のメモ(地震の部分は、書いてない。聞き入ってしまった)




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測るから(人と比べるから)苦しくなるという浄土真宗と教行信証のお話を聴いてきた

2023-12-23 10:56:28 | 仏教・神道・その他宗教
12月21日(木)は、池袋親鸞講座で、教行信証のお話を聴いてきた。
教行信証とは、親鸞が著した(本人は集めたと言っている)「浄土の真実の教行証」のこと。

「教行証」とは、教え、行い、悟りについて書いたもので、これは浄土真宗いがいの仏教でもある。ここに信ずるということを加えていて、親鸞は、この信ずることが大事としている。

「浄土門」とは「阿弥陀に気づく」ことだけど、阿弥陀は
amidaの音写。amidaとはa(=un)mida(mesure)=測ることができない
ということで、逆に言うと、
人は測っているから(「こんなに」努力したから、私は「偏差値が高い」のに、「あの人より私は」優れているのに)期待して、叶わないと苦しくなる。
測ることに苦しみがあるんだと気づくことを指している。

このほか、教行信証は6巻でできていて、お東(真宗大谷派)とお西(真宗本願寺派)で読み方が違うところがあるとかの話。

メモは以下の通り



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葬儀の仕方について聞いてきた!

2023-12-04 07:16:52 | 仏教・神道・その他宗教
前の記事にも書いた通り、
12月3日に真宗会館の「大人の寺子屋」講座で、
葬儀の仕方について聞いてきた!

具体的には、2時限構成で
1時限目は葬式のこころについて
2時限目は、真宗の葬式のしかたについて
 具体的には、葬式は 死んだあと
   枕勤め
   通夜
   葬儀
   還骨
 とすすみ、
   初七日(と還骨を一緒にお勤め=お坊さんを呼ぶのは1回にするケースもあるけど)
   49日
   納骨式                     ↑ここまでが仏事
----------------------------------------------
   100か日法要  ↓ここから法事
     :

のそれぞれについて、どのようなお勤めをするか(何を唱えるか)についてのお話を聴いてきました。
今回は、質問も一緒にメモって来ました!
では、以下詳細です





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お仏壇(浄土真宗だとお内仏)の話を聴いてきた!!

2023-12-03 01:52:15 | 仏教・神道・その他宗教
先週(11月26日)真宗会館の「大人の寺子屋」でお仏壇(浄土真宗ではお内仏というらしい)の話と、ご本尊についての話を聴いてきた。

ので、そのメモを↓に載せたあとで、そこで出た質問を書いてみたいと思います(質問部分はメモ取りそびれたので、ここに書く)

【Q&A】

■質問1
先祖代々からの大きな仏壇を受け継いだが、
今住んでいるところは団地なので、仏壇を置けない
そこで廃棄しようと思う。
仏壇は江戸時代のもので、どこで買ったかわからない。
なので、売ってくれたところに引き取ってもらうこともできない
魂ぬき(っていうのかな、捨てていいようにするお祓いみたいなやつ
専門用語で言ってたので、記憶できなかったけど、意味的には魂ぬき
のことだと思う。以下「魂ぬき」っていう言葉が出てくるところは
こんなかんじ)は、した。
粗大ごみとして出してよいか

(講師の先生の)回答:
理論上は魂ぬきをしたら、ものなので、粗大ごみとしてすてていいことになるが、社会的に、近所の人もその仏壇が捨てられているところを見るわけだし、
そうしたときに、見た人はどう思うだろうか。
町で話題になってしまったりしません?
ってことで、困るので、実は売ったところではなくても、お仏壇はお金を払えば、引き取ってくれる。
なので、まずは、近所でお仏壇を扱っているところに相談に行くとよい。
で、相談すると、受け取ってくれないものがある。
法名軸・過去帳とか。
そういうものは、お寺さんに相談する。そうすると引き取ってもらえる。


■質問2(質問1の続き):
 金香炉をもらった。大きなお仏壇にしない場合、どこに置けばいい?

回答:
 まず、大きなお内仏(お仏壇)の場合、どういう構成になっているか確認すると、

一番手前:お線香をあげるために必要なもの
まんなか:お焼香を上げるために必要なもの
一番奥 :ご本尊

 都会の小さなお内仏の場合、真ん中の段を省略する。
 これは、お焼香は普段はしないためで、お坊さんが家に来ない場合、まず不便はない。お坊さんは、ないと困るんだけど・・・
 金香炉はこのお焼香をするところに置く。
 土香炉は、お線香をたくところに置く。
なので、都会の真ん中を省略するところの場合、金香炉は飾らなくてよい

■質問3:
 奥さんのほうの家系も過去帳に記載する?

■回答:
 過去帳に合わせて記載するという方法ももちろんあるが、
 過去帳を分けて、別々に保管するという方法もある。
 理由は、
  ・過去帳を合わせてしまうと、まったく知らない人が
   過去帳に現れ、知っている人がみんな死んだとき、
   この人は誰?となる

  ・過去帳を合わせた後で、何か問題が起きたら、どうします?
  (問題=離婚したらどうします?っていうように私は、とらえた)
   分けておけば、そういうときにも対処できる

■質問4(質問3に続けて):
 過去帳を合わせるとき、
 他宗教の戒名はどうするの?取り直す??

回答:
 取り直す人もいる。
 例として、奥さんだけが、新興宗教の一派を信仰していて、
 その宗派での葬式を行った。何周忌かして、ご主人の希望で
 奥さんを真宗のほうで、法事を行いたい。過去帳にも入れたい
 ということで戒名を取り直しました。


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