人にもよるとおもうけど・・。
憂生の知人は
時にむごたらしい死体の写真を見に行くといっていた。
その目をそむけたくなるような
ひどいときには吐き気までおきてくる写真をみて
こうなっちゃいけない。
死というのは、本来、残酷なものなのだ。
と、頭にきざみつけさせていた。
それは、裏をかえせば、
たとえばきれいそうに見える自殺などなら
手をのばしたくなる知人がいたか
死にたがる?思いががあったからかもしれない。
そして、写真をみて、
「死の残酷さ」を疑似体験することで、
死のうとしちゃいけない。と
生きようとする自分に立ち返っていたのだろう。
ちょうど、彼女もそうだったのかもしれない。
死んでみようと疑似体験することで
生きようという根源の思いをつかみとろうとしたのではないのだろうか?
時に、人はそんなふうにして
頭にのぼりつめた死への憧れを
ふりはらうこともある。
いずれにせよ。
生きてりゃこそ。
生きていなきゃ、
生きていて良かったとおもえる時はめぐってこない。
死んだ人間が死んでよかったと思うかどうかはしらない。
だけど、
生きてりゃこそ
生きてりゃこそ
いつか、抜ける日が来る。