2011/05/10 16:14:34
地震直後、インタビューアが、被災直後の中学生の女の子に尋ねていた。
今になっては、何をたずねたか、はっきり、おぼえていないが、
憤りを感じたことだけは、はっきり、おぼえている。
どこかに、この鬱憤を書いた覚えがある。
地震直後、気が動転していることは、当然のことで、
この後、女の子が動転から静まった時にくるだろう物事を考えていた。
心因性外傷、いわゆる、PSTDである。
このことを考慮した時、
インタビューアが、かける言葉は
「助かってよかった。貴方がいきていてくれてよかった」
の、一言しかない。
と、怒りまくった覚えがある。
ある程度平常な状態になった時に、PSTDが発症してくる。
この傷に耐えられる言葉があるとしたら、
「貴方がいきていてくれてよかった」
と、いう自分の命を喜んでくれる人の存在である。と、思う。
だからこそ、地震がどうだったか?などというぼけた質問をなげかけるような、インタビューアの、その場限りの報道精神に、
いい大人がそんな配慮のない言葉しかなげかけられないことに、
ただただ、情けなさを感じた。
早いうちから、PSTDへの対処もさけばれ、それなりの措置も行われたと思うが、
いのいちばんにかけつけた、インタビューアが、悪くとれば、
対岸の火事、物見遊山、スクープ根性でしか、対処できない。
報道陣は、もっと、深い、精神的な物事までの配慮をしなきゃいけないという当たり前の事ができなくなっていて、また、その事実にきがつかずに、TVをみている人もいる。
これは、水面下でエア被災をうける一因であると思う。
疑似体験的要素がかなり大きい映像をみながら、いいかえれば、自分もまた、インタビューされているというのも、同じ、疑似体験になる。
そのときに、自分もまた、
「貴方がいきていて良かった」と、いってもらえない自分であるところまで、疑似体験してしまう。
「自分より、物事が大事」という精神的外傷まで、一緒に疑似体験しているのだと思う。
このあたりのいわば、洗脳というか、暗示というか、そういう深層のなかに実は自分も傷をつくるのだということに、きがつかぬまま、映像やインタビューを聞き続けると、どこかで、
自分の精神がひずみだす。
と、いうことを、理解していないまま、TVを見続けた人だろう、プチ欝になっているらしい。
良識と慈愛と当たり前の感情、かけるべき言葉をもつ大人がいないのか?
と、なさけなく思っていた。
ところが、先日、皇后陛下がその言葉をかけていらした。
「よくぞ、助かってくださいましたね」
と、そういう言葉だったと思う。
おそらく、なにも喜べる状況でないだろう。
そのときに、赤の他人が自分の命を尊んでくれる。
生きていて良かった。
助かってよかった。
と、心底、思えるだろう。
天皇は国民の父母のようなものだという言葉を聴くが、
実際、わが子が同じ目にあっていたら、
親は、それしかないだろう。
「生きていてくれて、良かった」
「助かってくれてよかった」
こんな単純で真実な思いが、即座に、心底からでてくるという事を思う。
常日ごろから、親身になっているからに他ならない。
精神性というものを
氏素性という言葉に置き換えては、申し訳ないが、
インタビューアの氏素性を考えてみても、わかる。
氏・素性というのは、「その人の根本精神」だろう。
下賎の民という言い方は、おかしいかもしれないが、
精神・感情・考えに
悲しいことであるが
位の違いがある。
それが、いざとなったときに、でてくる。