いくつか、同時多発的におきた精神にかかわる「物事」をあげてきたが、
この内容をあまり詳しくはかきたくないとは、思っている。
と、いうのも、実在の人物であり、
本人はむろん、まわりで、関わった人も二次的なショックをうけるということがありえる。
実際のことであるが、たとえばとして、二次的ショックのひとつをあげてみる。
本人が抱えている状況を知らず、心無い嘲笑やいやがらせを行う。
と、いうことがあった。
その当時、憂生も憤りを感じ、記事をあげた。
その中の一言であるが
「憂生がどんな思いで、その人たちに接しているか、判ったら
けして、そんな心無い言葉をあびせかけることはできない。
自分の思いにまけて、愚劣で姑息な嫌がらせをするのもけっこうだが、
彼らの内面がわかったとき
自分のしでかした事をどうやって、謝れる?
彼らは当然、許してくれる。
だが、たとえば、彼らがぽっくり、死んでしまったらどうする?
自分の一言で、彼らに悲しい傷をあたえたまま
謝るすべもなくし、
あるいは、心因性外傷を助長させたのかもしれないと
その後悔を一生背負っていくいくくらいの気で物申しているか?」
その一言に、何人かの人間は憂生に懺悔・告白してくれた。
だが、それより、恐ろしいのは
この憂生の一言が本当になったことだ。
しばらくして、彼らとひとくくりにしてしまってもうしわけないんだけど
その中の一人の女性が本当に亡くなってしまった。
告白した、懺悔した人はそれでも、まだいいかもしれない。
それをせず、
自分のしでかした事に気がついたときには
もう謝るすべもない。
たとえば、そういう二次的ショックというものが
実情をかくことにより
新たに浮上してくる可能性もある。
そのあたりも、含め、憂生自身も相当な覚悟でかいていかねばならないと思っている。