ユダヤ人というのが居るそうな。
しかしなあ、わが郷の左近の思うに、それはユダヤ教徒のことじゃろう。
イスラエルという国はあるが、これを認めていない国も多い。
国際社会とか名乗る湯田屋の小間使いが宣伝するに、それらは米欧とそれに付き従う、日韓などの穀潰し傀儡政府・財界ぐらいのものじゃ。アフリカとかアジアの大部分は、関係ない。中南米も関係ない。プーチンのロシアは、巧いことカザール・ユダヤをコントロールしようとしている。話しが逸れたのでもとにもどす。
日本の場合は民族の宗教と国家とが一体化している。
なにをその様なと訝ってはいけない。
神道の総本家はもちろん皇統であるし、仏教も長い年月を経て日本的な宗教へと、かわってきている。ところがキリスト教というのが、明治の世から入ってきて、これがかなり厄介な問題をわが日本にもたらしている。そもそもこの様なことを謂えば、「 宗教の自由に違反する 」 とかお叱りを受けてしまいそう。しかしなあ、そもそもが宗教とは排他的な思想を裡に潜ませている。日本の場合は、外国との交流が島国故、きわめて希薄だった。それで 「 わが同胞を、いかなる手段を用いても守り抜く 」 このような教えはいつの間にか、揮発して消えてしまった。そこにつけ込んできたのが、江戸時代までは邪教とされた基督教である。これが戦後ともなれば、憲法にその存在理由を明言させ、いつの間にか床の間に鎮座するようになった。
「 天皇の地位は国民の総意による 」 なんてぇのが、その侮国の最たるもので、ケツの青い赤子が、その家長たる最長老に意見する。なんてぇ莫迦を、憲法に書かされている。今の日本の政治家、国会議員の宗教を調べてみればよい。国民一般では、耶蘇教の割合は、1%にも満たぬほど。それが国会議員ともなると、あれもこれも耶蘇教の場合が多いのだ。
さてそこで、本日の政治的な課題は、ナマポである。
片山さつき議員は、「日本を愛するマグマ 」 などと控えめに表現している。これは憲法にある、第20条 に配慮しているからこうなった。
左近尉は単なる個人の嗜好でブログを書いている。なので誰に遠慮することではない。もちろん戦後憲法なんぞは、糞喰らえ。国際法の建て前から云っても違法なもので、儂は是に縛られてもいない。なのではっきり言ってしまえば、基督教なんテェものは、偽りの教えで、支配階級が弱者でお人好しを縛り付けるための道具である。支配体制がわの者にとっては、便利な道具なのだ。
だから、これから先は左近尉の推論である。
ナマポのインチキをやっている者は、邪教徒の耶蘇であろう。それとも、日本古来といおうか、鎌倉あたりのの仏教に言寄せた、仏教を隠れ蓑にしたオカルトの教えに染まった者なのだと思う。
目指せ「日本版ティーパーティー」! 【J-cast】
片山さつき議員、「愛国」応援デモに熱弁
2012/7/ 1 17:49
吉本興業所属タレントの親族の生活保護受給問題をめぐり、問題追及に力を入れる自民党・片山さつき参議院議員を応援するデモが2012年7月1日、東京・新宿駅前であった。集合場所には片山議員本人も訪れ、「日本版ティーパーティー運動が始まった。皆さんは本当に素晴らしい愛国者」などと参加者を激励、およそ30分にわたり対話した。
「私は参院でじっくり憲法改正やる」
デモ参加者と対話する片山さつき議員。集合場所の新宿・柏木公園で 片山議員は参加者に囲まれながら、
「民主党政権になってから、生活保護の不公平が見逃すことができないところに来ている。外国人の不正受給に関しても、まずは日本人の、真面目に義務を果たしている人が優先。今は特に、韓国なんてすごく豊かなんですから」
と持論を展開し、
「私に対してもいろいろ嫌がらせがあったが、どこから来ているかはわかるんですよね。私たちの日本を愛するマグマの方が強いことを教えよう。日本が正直者が報われる、本当に強い国にもう1度なれるように、私たちががんばりましょう」
と呼びかけると、参加者からは大きな拍手が起こった。一部からある「売名」との批判に対しては、
「私の行動を『売名』と言うバカな人もいるが、今売名して(次の改選がある)4年後に覚えている人はいないでしょ。衆議院選に出るならともかく、私は参議院でじっくり憲法改正をやるんですから」
と強い口調で否定。デモ隊に対しては差別的な発言をしないよう繰り返し注意しつつ、出発する隊列を笑顔で見送った。
http://www.j-cast.com/2012/07/01137691.html?p=2
『 差別的な発言 』 とかは、儂からすればナンのことやらとか、思ってしまうのだが。
とにかく、日本人のマグマがどのようなものか、知らしむべし。
さて今日は耶蘇教のお勉強じゃ。
学校で教える、キリスト教とは全然ちがう。
ちがってはいるが、こちらこそ本物のキリスト教の解題なのだ。なので面倒な問題が多い。故に異論がある場合もあるとは思う。今までコメント欄は自由に開放してあった。本日も同じである。滅多なことでは削除はしない。
小室直樹著の、『 天皇の原理 』 が今日のテキスト。
第4章 救われるものと救われざるもの
P131 から少しばかり、抜粋する。
内村鑑三は、パウロの言葉を換言していう。
神がある人を貴(たっと)き器 (救済する人-筆者) として造り他の人を卑しき器 (救済しない人-筆者) として造りたればとて、吾人あわれむべき人間はこれに対して何とも言うことはできません。吾人は「神はかくなしたまえり。その他を知らず」と言うのみであります。 (『キリスト教問答』 187、188頁)
内村鑑三は、予定(説)をここまで理解しているのだから、これを結論として、ここで止めておけばよかったのである。
予定(説)の趣旨は、これで伝わっている。
それなのに何故か。
これほどまでに好き勝手に、「救済される人」 と 「救済されざる人」 とを予定するなんて「神は不公平である」との日本人の気持ちに答えようとした。
この努力は蛇足。蛇足というよりも、実は、ベラボーな涜神。
と言うことの意味が、内村鑑三ほどの人物でも、本当には分かってはいなかったらしい。
こんなことでは、予定(説)の本質的理解にはほど遠い。
左近尉が先にも書いたこと、「わが同胞を、いかなる手段を用いても守り抜く」の意味が解らなければ、宗教の勉強など益がないばかりか、有害この上ない。
わが郷の前からの読者諸氏ならば、『ヨシュア記』 におけるエリコの大虐殺をご存じだ。
イスラエルの民は攻めるがわで、エリコの住人は 「神により虐殺されることを運命づけ」 られた人々なのだ。このように旧約聖書には書かれている。キリスト教は世界宗教などと、トンマを信ずれば、ここで日本人のお人好しは途方に暮れてしまう。ユダヤの特異性というのがあって、彼ら彼女らは兵役に就くのを避けたがる。つまり国家の秩序ある軍隊に属することはない。ならばこそ、聖書の殺戮劇の空元気 (カラゲンキ) は、絵空事で、彼らこそが国を追われて放浪の民となった。聖書に書かれていることが、現実に起きた歴史的な事実ではない。そのように左近尉は想定している。ヨシュアの虐殺、皆殺しは 「願望が絵空空間に投射されてできた、幻想」 なのだろう。
ところが是、原子爆弾の発明によって、彼らはその神の雷(いかずち)を手にしてしまった。
しかし彼らは自分らの国家をもたない。 (それで米国の権力を弄んだ)
いわば、エリコの城壁に儲けられた、その娼館の住人ラハブこそが、かれらの本性なのだろう。
神は自分の部族のみに恩寵を賜る。
この勝手な思い込みを、聖典学の幻術を用いて言えば、「絶対による、予定調和」なのであろう。
まあぶっちゃけて言えば、日本国を陰から支配している、わが郷で言うところの「朝鮮キムチ族」はそのような耶蘇の教義とか、似非仏教のカルトを信じているのだろう。それで手前勝手な理屈は、おのれ等の間では確認しあっているのだ。そのヤツバラが、もらう側ばかりではなく、支給する役所の公務員、それを取り締まるべき警察、そしてそれを正しく評価して判断すべきマスコミ、これらすべてが、城壁の中に巣くった、ラハブの末たちなのだ。押しつけ憲法20条の、耶蘇教徒の勝手を絶対とするならば、「差別は良くない」とかいう、トンチンカンな解答が導かれてしまう。そもそも日本人を差別して、抑圧しているのはコイツラなのだ。
いまこそ日本人は、おのれの歴史的な存在位置を知るべきなのだ。
石原東京都知事の言う如く、三国人は胡乱なヤツラなのだ。
かれらがこの手前勝手な、「予定調和」を信ずるならば、これらは日本人の敵なのだ。
神の恩寵、予定調和を信ずる教徒達には、国家など存在しない。あるのは教徒達の紐帯と、ゼニを印刷出来る、現代拝金教の総本山。FRBとECB(欧州中央銀行)のカルト教団があるばかり。なので、支那で日本のゼニ金を使った博打経済、それの差し障りになる、尖閣諸島の領土保全確立の運動は邪魔でしょうがない。家族には雨露を凌ぐ、家が必要なのだ。人々には外敵の攻撃から備える国家が欠くべからざる存在なのだ。男女の絆は家庭を守る責任感。このリーガルな常識社会に敵対するのが、放埒と背信の教徒達。エリコの城壁に住まいする、娼館の住人は不貞こそが、放埒こそが、背徳の徒のよすがなのだ。
片山さつき議員の、『 私に対してもいろいろ嫌がらせがあったが、どこから来ているかはわかるんですよね 』 という言葉を、左近尉なりに斟酌して、みたならばこうなる。
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