自己縮小の実践は世界に通用する真理ですが、国家が弱体化して侵略されたり植民地化される恐れからして実践するはずもありません。
しかも人それぞれですから・地域社会やご近状や家族単位でも無理があります。
だから自己縮小の実践は孤独の自由でもって実践するしかないのです。
然るに孤独だから自由にもなれるし・人様と係ることが少ないことからして比較競争や差別意識も出てきませんし、あれこれと気にもなりませんから…誰もが味わったことのない「自由平等調和の世界」が事実にして味わえるのです。
然るに…孤独ながらも…その自由平等調和の生き様を長く味わうほどに…その価値真価にも目覚めますから…然るに二度と自己拡大には戻りません。
然るに暇で退屈しながらも心穏やかに暮らせるのです。
だから寝床の中で見る「夢」も自己拡大当時と現在とでは大きく違ってきました。
ちなみに若いころの夢は色あせた白黒に近い夢でしたが過疎地で暮らすようになってからは記憶に残るのが多くなり・次第に色付きだし・最近では自然色よりも色鮮やかな美的な映像になっているときもあります。
そして宇宙の流れ・時代の流れが変わる前兆を表すような宇宙的な摩訶不思議な模様や動画が空に浮かんだりする夢も続いています。
そして夢の内容が正夢が如くの現実的なことが多くなり、またその夢の中の記憶が多く残っているから、目覚めても、しばらくは夢の中で居るような夢心地の時間が続きます。
そして何よりも思うがままにならない苛立ち歯がゆさ無念さや不満不安恐れ怒り憤りや憎しみが出てこない穏やかさでもって・夢の中で自らが物語を創作進行しているような感じも多くなりました。
然るに嫌な思いの夢・後味の悪い夢が減っているのです。
しかも最近になって気付いたのが…美味しいイメージではなくして事実にしてその美味しさが味わえていたり、心ひかれる女性に接したときのぬくもりまでが実感となって味わえているのです。
然るに夢の世界で正夢を見ている感じです。
然るにこの分だと毎度書いている…宇宙船から全裸の美女が降り立ち微笑んでくれる夢を見ることができるかもしれません。
またそれに近いような夢を見ることもあります。
然るに寝ているときに見る夢も己の意識が原因になっているようです。
だから人間を終えてあの世の次元に行けば、姿形はないけれども・姿形があるような・正夢が如くの世界が待っているように思えます。
だから…あの世で過ごす・昼も夜も衣食住も趣味嗜好娯楽もない・しかも人間地球時間よりも計り知れないほどはるかに長い・宇宙時間を穏やかに過ごすには、過去を省みての諸々を清算するしかなく…当然ながら自己縮小の実践が何よりも大切だと確信するまでになりました。
然るに成り行きながらも60歳にして自己縮小の実践ができたことで…先行き予測不可能なこの世でも・あの世でも・何やら心強くなったのは事実です。
しかも人それぞれですから・地域社会やご近状や家族単位でも無理があります。
だから自己縮小の実践は孤独の自由でもって実践するしかないのです。
然るに孤独だから自由にもなれるし・人様と係ることが少ないことからして比較競争や差別意識も出てきませんし、あれこれと気にもなりませんから…誰もが味わったことのない「自由平等調和の世界」が事実にして味わえるのです。
然るに…孤独ながらも…その自由平等調和の生き様を長く味わうほどに…その価値真価にも目覚めますから…然るに二度と自己拡大には戻りません。
然るに暇で退屈しながらも心穏やかに暮らせるのです。
だから寝床の中で見る「夢」も自己拡大当時と現在とでは大きく違ってきました。
ちなみに若いころの夢は色あせた白黒に近い夢でしたが過疎地で暮らすようになってからは記憶に残るのが多くなり・次第に色付きだし・最近では自然色よりも色鮮やかな美的な映像になっているときもあります。
そして宇宙の流れ・時代の流れが変わる前兆を表すような宇宙的な摩訶不思議な模様や動画が空に浮かんだりする夢も続いています。
そして夢の内容が正夢が如くの現実的なことが多くなり、またその夢の中の記憶が多く残っているから、目覚めても、しばらくは夢の中で居るような夢心地の時間が続きます。
そして何よりも思うがままにならない苛立ち歯がゆさ無念さや不満不安恐れ怒り憤りや憎しみが出てこない穏やかさでもって・夢の中で自らが物語を創作進行しているような感じも多くなりました。
然るに嫌な思いの夢・後味の悪い夢が減っているのです。
しかも最近になって気付いたのが…美味しいイメージではなくして事実にしてその美味しさが味わえていたり、心ひかれる女性に接したときのぬくもりまでが実感となって味わえているのです。
然るに夢の世界で正夢を見ている感じです。
然るにこの分だと毎度書いている…宇宙船から全裸の美女が降り立ち微笑んでくれる夢を見ることができるかもしれません。
またそれに近いような夢を見ることもあります。
然るに寝ているときに見る夢も己の意識が原因になっているようです。
だから人間を終えてあの世の次元に行けば、姿形はないけれども・姿形があるような・正夢が如くの世界が待っているように思えます。
だから…あの世で過ごす・昼も夜も衣食住も趣味嗜好娯楽もない・しかも人間地球時間よりも計り知れないほどはるかに長い・宇宙時間を穏やかに過ごすには、過去を省みての諸々を清算するしかなく…当然ながら自己縮小の実践が何よりも大切だと確信するまでになりました。
然るに成り行きながらも60歳にして自己縮小の実践ができたことで…先行き予測不可能なこの世でも・あの世でも・何やら心強くなったのは事実です。