孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

大きな満足も小さな満足も同じだと見極めなければ自分が困ったことになります。

2018年02月15日 | Weblog
大きな満足も小さな満足も同じ満足に変わりはありません。

ただ大きく苦労した甲斐あって満足したことからしてその価値観に違いがあるだけです。

しかしその価値観の前にそれだけの苦労をしたことを忘れて、その結果だけを高く評価したがるのです。

然るに…結果を出す前に大きく苦労したマイナス面を抜きにして得手勝手な自己満足をして・やり甲斐があったとしているのです。

ちなみに…高温サウナで精一杯我慢をしたあとでほてった体を冷ますことからしてその解放感を味わっているのと同類のようなものです。
またそれを清涼感と評価するも・それ以前に大きなストレスを受けていたことを忘れているのです。

ちなみに同じ満足ならば…私が暇つぶしに雑多をして満足しているほうがストレスが少ないのです。
となれば…大きな満足よりも小さな満足のほうが健康面では問題がありません。

ちなみに私が子供の頃の遊びと言えばビー玉・メンコ・コマ回しなどで十分満足していました。
然るに満足して遊んでいたのです。

ところが現在は電子ゲームとなり、それも初期の頃は単純な潜水艦攻撃ゲームでしたが、それがインベーダーゲームとなり、今やバトルゲームと進化してきました。

然るに変化刺激が大きいがそのストレスも大きいのです。

だから健康面から言えば昔の遊びのほうが素朴だけに安心です。

また変化刺激を求めているとそれがキリもなく続き・しかもどんどん進化しますが同時にストレスも進化します。

そしてストレスは徐々に心身をむしばんでいきますから・気付かないままに深刻な状態になって気付くも時遅しとなります。


また変化刺激に馴染み続けていると単調な事柄に見向きもしなくなりますが、それが仕事選びや仲間の集まりや趣味嗜好娯楽にも大きく影響しています。

然るに単純なものに喰いつきもしなくなりますから選択基準が狭まってそれだけ不自由します。

だから面白くないとか・何もすることがなくて・閉じこもることにもなるのです。

何はともあれ…大きな満足も小さな満足も同じなのです。
その見極めがなければ価値観からして大きなことを選びたがり苦労したがることにもなり、それが大きな不満にもなって自分が困ったことにもなるのです。

だから思い込みのない冷静な精神にして素直真面目に自問自答すれば理解できるはずです。

然るに自己拡大で生きるも自己縮小で生きるも同じなのですが、大きな不満と満足で生きるのと、小さな不満と満足で生きることの違いがあるだけです。

そして心穏やかな精神安定でもって生きていくならば自己縮小しか他に道はないのです。