東北の震災は、まだ終わっていない。
福島は東北の中でも抱えている問題がさらに複雑だ。
私は2011年4から、9月まで勤務の合間をぬって避難所を訪問した。
あの時は、『避難所』に避難されている方が多く、
避難所に直接お電話して、受け入れて頂けるところを探し、向かうという・・・
とるものもとりあえず・・・状態で、駆けつけるという感じだった。
日々の暮らしがギリギリで回っている中、自分には『表現』をお届けするしかないと。。。
それで、とにかく走り始めた。
ボランティアの受け入れは、ボランティアセンターを通して・・・というルールも無視して。。。
マスコミであまり話題にならない避難所を探して、とにかくそこに行こうと思った。
いらしてください。。。と返事をいただけたところに、とにかく向かった。
あの時は、取るものもとりあえず走ることができたが、避難所から仮設へ、仮説から復興住宅へ
または、他県へとそれぞれの暮らしの時間がそれぞれに流れ始める中、
私には2011年の9月を最後に、被災地を訪れる機会を持てなくなっていた。
もちろん、2011年の被災地訪問で、お金を使い果たし、あっちからこっちから督促され(^^ゞ
その後、我が会計の立て直しも余儀なくされていた事もある・・・
そうまでして、なぜボランティアをって思われるかもしれないけれど、だって・・・
つらい人がいたら、寄りそう・・・それが、私の生き方だから・・・それだけ。
そんな中、音響のてっちゃんが、よさこいソーランのチームの代表で、
石巻のチームとのつながりもあり、継続的に石巻への支援を続けていた。
「仮設住宅のクリスマス会を手伝うけど、BABA参加できない?」
なんで、BABAと呼ぶのだろう!!てっちゃんだけだよ、私をBABAと呼ぶのは(`´)
まぁそれはともかくとして・・・
声をかけていただき昨年初参加。
去年は、石巻に遅番終了後、夜行バスで向かった。
クリスマス会終了後はお寺に泊まり、翌日、大川小学校へ。。。
継続的に石巻や東北を支援している埼玉のボランティアグループが中心になっている。
石巻は、ある意味マスコミも注目をして、その様子は報道される機会も多い地域だ。
石巻以外にも、もっと話題にもならない所で、ふるえている人もたくさんいるのだろうな。。。
と思ったりもする・・・けれど、石巻だって、話題にもならないところに悲しみや苦しみが・・・
あの時のまま、残っているのだ・・・と、今回痛切に感じた。
「もう自分の足で立つべきだ」と言う声も聞こえてくる。
立ってますとも、みんな自分の足で立ってます。
非被災者だって自分の足で立っているつもりでいても誰かに支えてもらっています。
未曾有の災害に直面した人々の心には、未曾有の苦しみや痛み悲しみが深く刻まれ、
自分の力で立ちながらも、その震えは止まらないのです。
だから・・・その苦しみや痛みや悲しみを受けずに済んだ人たちが
「もう自分の足で立つべきだ」なんて言えないんです。
もう一度言うけど、
非被災者だって自分の足で立っているつもりでいても誰かに支えられているのだから。
立とうともせずに、寄りかるだけではいけない・・・それは、言わずもがなです。
ただ・・・未曽有の災害は、未曾有の苦しみや痛み悲しみを深く心に刻んだということを
忘れてはならないと私は思うのです。
「今年は、もう来てくれないと思った・・・来てくれたのね、ありがとう」
被災地の人たちは、「もう忘れられてしまった・・・」と。。。
置いてけぼりになっているような、そんな感覚がどこかである。。。
復興途上にあるのに・・・もう、世の中の話題は他の事ばかり・・・
不安は、そのまま、ここに在るのに・・・
福島は、なおのことです・・・なんら解決していないのに原発の再稼働・・・
なぜ?自分たちに制御しきれない事をするのでしょう。
私には理解できない。
経済優先の思考が私にはまったく受け入れられない。
さて、開成団地のクリスマス会は、今年も多くのボランティアの人たち、
そして、そこに参加できなくてもたくさんの物資を提供してくださった人たちに支えられて
楽しい時間を過ごすことができました・・・参加した人みんなのおかげで(^_^)v
子どもたちとお年寄り、みんなでながーい、ながぁーい手巻き寿司を作ったり、
子どもたちが思い思いにデコレーションしたケーキがたくさんできあがったり、
寒くて風が強い中だったけど、輪投げもして楽しんで、歌や踊りで盛り上がり・・・
本当に素敵な時間となりました。
「私たちの事忘れないで・・・」忘れませんとも、決して忘れない。
被災地に多くのボランティアが入って活動した・・・
その人たちは、今、被災地に行けなくても、みんな想いを寄せている。
被災地に行けなかった人たちも、忘れてなんかいないよ。
そばに寄りそえる機会をいただいて私は、石巻に今年も行けた。
本当に幸せなことだと思っている。
これから、寒い冬がやってくる・・・みなさん、風邪などひかないで!
私は、4年前、避難所を回りながら、「5年後また来ます!」と約束をした。
その約束をどうやって果たせばいいのか、その術がわからない。
でも・・・石巻で「今年は、もう来てくれないと思った・・・」と言われた時、
なんとか、約束を果たせないだろうか・・・という気持ちが強くなってきた。
世の中、物価は上がるし、実質賃金手取りは目減りしている。
人が人を思いやる余裕さえも取り上げて、
自分の事ばかり考えざるを得ない状況を作っている世の中に負けてなるものか・・・と思う。
なんとか・・・『5年目の約束』を果たせないだろうか・・・
そんな気持ちが石巻へ行って、強く芽生えている。
一年ぶりの石巻は、私にいろんなことを考えるきっかけを与えてくれました。
さぁ・・・浪江の人たちのところへ、山元・亘理の人たちの元へ・・・
石にしがみつきながら、精進している私の『歌』をお届けできないかしら・・・
今、頭の中では、そのことばかり考えている。
福島は東北の中でも抱えている問題がさらに複雑だ。
私は2011年4から、9月まで勤務の合間をぬって避難所を訪問した。
あの時は、『避難所』に避難されている方が多く、
避難所に直接お電話して、受け入れて頂けるところを探し、向かうという・・・
とるものもとりあえず・・・状態で、駆けつけるという感じだった。
日々の暮らしがギリギリで回っている中、自分には『表現』をお届けするしかないと。。。
それで、とにかく走り始めた。
ボランティアの受け入れは、ボランティアセンターを通して・・・というルールも無視して。。。
マスコミであまり話題にならない避難所を探して、とにかくそこに行こうと思った。
いらしてください。。。と返事をいただけたところに、とにかく向かった。
あの時は、取るものもとりあえず走ることができたが、避難所から仮設へ、仮説から復興住宅へ
または、他県へとそれぞれの暮らしの時間がそれぞれに流れ始める中、
私には2011年の9月を最後に、被災地を訪れる機会を持てなくなっていた。
もちろん、2011年の被災地訪問で、お金を使い果たし、あっちからこっちから督促され(^^ゞ
その後、我が会計の立て直しも余儀なくされていた事もある・・・
そうまでして、なぜボランティアをって思われるかもしれないけれど、だって・・・
つらい人がいたら、寄りそう・・・それが、私の生き方だから・・・それだけ。
そんな中、音響のてっちゃんが、よさこいソーランのチームの代表で、
石巻のチームとのつながりもあり、継続的に石巻への支援を続けていた。
「仮設住宅のクリスマス会を手伝うけど、BABA参加できない?」
なんで、BABAと呼ぶのだろう!!てっちゃんだけだよ、私をBABAと呼ぶのは(`´)
まぁそれはともかくとして・・・
声をかけていただき昨年初参加。
去年は、石巻に遅番終了後、夜行バスで向かった。
クリスマス会終了後はお寺に泊まり、翌日、大川小学校へ。。。
継続的に石巻や東北を支援している埼玉のボランティアグループが中心になっている。
石巻は、ある意味マスコミも注目をして、その様子は報道される機会も多い地域だ。
石巻以外にも、もっと話題にもならない所で、ふるえている人もたくさんいるのだろうな。。。
と思ったりもする・・・けれど、石巻だって、話題にもならないところに悲しみや苦しみが・・・
あの時のまま、残っているのだ・・・と、今回痛切に感じた。
「もう自分の足で立つべきだ」と言う声も聞こえてくる。
立ってますとも、みんな自分の足で立ってます。
非被災者だって自分の足で立っているつもりでいても誰かに支えてもらっています。
未曾有の災害に直面した人々の心には、未曾有の苦しみや痛み悲しみが深く刻まれ、
自分の力で立ちながらも、その震えは止まらないのです。
だから・・・その苦しみや痛みや悲しみを受けずに済んだ人たちが
「もう自分の足で立つべきだ」なんて言えないんです。
もう一度言うけど、
非被災者だって自分の足で立っているつもりでいても誰かに支えられているのだから。
立とうともせずに、寄りかるだけではいけない・・・それは、言わずもがなです。
ただ・・・未曽有の災害は、未曾有の苦しみや痛み悲しみを深く心に刻んだということを
忘れてはならないと私は思うのです。
「今年は、もう来てくれないと思った・・・来てくれたのね、ありがとう」
被災地の人たちは、「もう忘れられてしまった・・・」と。。。
置いてけぼりになっているような、そんな感覚がどこかである。。。
復興途上にあるのに・・・もう、世の中の話題は他の事ばかり・・・
不安は、そのまま、ここに在るのに・・・
福島は、なおのことです・・・なんら解決していないのに原発の再稼働・・・
なぜ?自分たちに制御しきれない事をするのでしょう。
私には理解できない。
経済優先の思考が私にはまったく受け入れられない。
さて、開成団地のクリスマス会は、今年も多くのボランティアの人たち、
そして、そこに参加できなくてもたくさんの物資を提供してくださった人たちに支えられて
楽しい時間を過ごすことができました・・・参加した人みんなのおかげで(^_^)v
子どもたちとお年寄り、みんなでながーい、ながぁーい手巻き寿司を作ったり、
子どもたちが思い思いにデコレーションしたケーキがたくさんできあがったり、
寒くて風が強い中だったけど、輪投げもして楽しんで、歌や踊りで盛り上がり・・・
本当に素敵な時間となりました。
「私たちの事忘れないで・・・」忘れませんとも、決して忘れない。
被災地に多くのボランティアが入って活動した・・・
その人たちは、今、被災地に行けなくても、みんな想いを寄せている。
被災地に行けなかった人たちも、忘れてなんかいないよ。
そばに寄りそえる機会をいただいて私は、石巻に今年も行けた。
本当に幸せなことだと思っている。
これから、寒い冬がやってくる・・・みなさん、風邪などひかないで!
私は、4年前、避難所を回りながら、「5年後また来ます!」と約束をした。
その約束をどうやって果たせばいいのか、その術がわからない。
でも・・・石巻で「今年は、もう来てくれないと思った・・・」と言われた時、
なんとか、約束を果たせないだろうか・・・という気持ちが強くなってきた。
世の中、物価は上がるし、実質賃金手取りは目減りしている。
人が人を思いやる余裕さえも取り上げて、
自分の事ばかり考えざるを得ない状況を作っている世の中に負けてなるものか・・・と思う。
なんとか・・・『5年目の約束』を果たせないだろうか・・・
そんな気持ちが石巻へ行って、強く芽生えている。
一年ぶりの石巻は、私にいろんなことを考えるきっかけを与えてくれました。
さぁ・・・浪江の人たちのところへ、山元・亘理の人たちの元へ・・・
石にしがみつきながら、精進している私の『歌』をお届けできないかしら・・・
今、頭の中では、そのことばかり考えている。
おはようございます。
5年前の約束を果たされたことは素晴らしいことです。復興が中々進まないことに被災者の方も疲弊されていることでしょう。CuniCoさんの歌は、被災者の方の気持ちを癒し、明日への希望や元気づけになったことでしょう。お疲れ様でした。
そんな中、遠くへ出かけて歌うことは大変なことだと思います。
CuniCoさんの実行力に、乾杯!
時間が経つと、東北だけでなく、
様々な被災地はメディアから消えて行きます。
見えなくなると、直接接していない私たちは
ともすると意識の中から消えてしまったりする。
今でも日々の生活に苦労している方々は多くおられて、
何も解決していないのに。
福島の原発はそこに「在る」のに、
なぜ海外に原発を売ることができるのかわかりません。
自分の国でどうにもできていないものを
よその国へ売ることができるのは信じられない。
CuniCoさんの5年の約束がかないますように。
どんな方法があるのかわからないけれど。
風邪は大丈夫ですか?
年末にかけてお忙しかったでしょね。
無事にお過ごしください。
お名前のなかったコメントは削除しておきました。
実は、5年目の約束は、これから・・・です。
石巻の方々と一年ぶりの再会で、
諦めかけていた約束を俄然果たしたくなったのです。
おんごろさんのコメントで、
さらになんとかするぞぉって思いました(^_^)v
被災地で歌うと『音楽の力』を強く実感します。
『心が寄り添う』ことの大切さを感じます。
石巻のみなさんの笑顔、そして涙を忘れずに日々精進します!
演奏会直後、そして体調の思わしくない中、
コメントありがとうございました(^^)
子どもは、冒険します。
できるかどうかわからなくて、
それでも挑戦して、失敗します。
できなかったこと、失敗したことが
できるようになったりします。
その喜びは大変なものです。
そして、失敗を繰り返しながら、
人としてどうあるべきかを学びます。
してはいけない事を理解できるようになります。
『フクシマ』が私たちに人としてどうするんだ?
と、問いかけています。
立ち止まって、考えなければならない。
人として、どうあるべきかを。。。
そう思います。
制御のきかないものを、動かすことの愚かさは、子どもでもわかる。
いろんな事・・・あれも、これも、それも、
立ち止まってもう一度考えないと、大変な事になる・・・
経済優先の論理を転換する時が、今なのだと、私は感じています。
と言いつつ、宝くじはしっかり買った私です(^^)
5月のライブが終わったら・・・関西方面、行けたらと思います。
シフト調整できる事・・・今からイメージしておこうっと*\(^o^)/*
コメントありがとうございました。