CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

忘れてもいいんだ・・・と。

2018-03-12 11:34:00 | 被災地のこと(記録と記憶)
『あまのじゃく』なのかもしれない。
「忘れてはいけない、あの日」と言われると
忘れてもいいんだ・・・と思ってしまう。

私は昨日、ふと思った。
なぜ、忘れてはいけないの。
忘れさせてあげたい・・・と。

人間の能力でとても大切なもの。
それは、忘れることができること。
もちろん、忘れているつもりでも
何処かに封印されているだけで、
ある瞬間にそのことがフィードバックされ、
とてつもない恐怖に襲われたりする。

でも、忘れることで、その恐怖から、
呪縛から解き放されて呼吸ができることを私は知っている。

だから、忘れることができる、
どこかに自分を守るために記憶を封印する能力があることは、
人間にとってとても大切な能力だと思っている。

もちろん・・・
これから先、起こるかもしれない何かに備えるために
経験というのは役に立つ・・・が、
それは、哀しみや苦しみではなく、生きるためのものであってほしい。

非被災者は、3.11.を記憶にとどめ、想いを寄せる、それでいい。
けれど・・・被災者の人たちには、忘れてほしい・・・と、そう思った。
忘れたくても忘れられない、苦しみと悲しみと怒りと自責・・・
それを、すっと抱えたままでいるなんて、つらすぎる。。。

3月11日になるたびに流される『あの日』の映像は、
公共の電波で流す必要があるのだろうか。。。
あの恐怖をあの苦しみを・・・なぜ、毎年、流し続けるのだ。

例えば、関東大震災の映像は、私は直視できる。
例えば、第二次世界大戦の映像を、直視することもできる。

けれど、3.11.だけは、それができない。
身体が震えだし固くなり、哀しみと苦しみが押し寄せてくる。

私は、非被災者だから、
しっかり記憶しなければならない立場で、忘れてはいけない立場だ。

けれど、昨日、思った。
被災された方たちが、忘れられるようになってほしい。
あの時のまま時間がとまっている・・・そんな言葉を聞くと
『忘れてはならない』なんて、とても言えない。
忘れたくても忘れられないし、
暮らしの瞬間瞬間に、押し寄せてくるある感情と共にいるんだと思うと、
忘れてもいいんだ・・・と、
どうしたら、時間を進めることができるのかと・・・
忘れるにはどうしたらいいのか・・・と、そのことを思った。

忘れてはいけないのは、非被災者。
被災された方々が、あの日の事・・・
忘れられたら、どんなに楽になるか・・・

人間に備わった能力を
自分が生きるために苦しい事は記憶に封印するという能力を
はるかに超えたあの日の出来事。

3.11.特集は観ることができない私が、
それでも少しだけ目にしたテレビの画面を観て
忘れてもいいんだ・・・と、昨日は、なんとなく、そう思った。

私は、避難所を訪ね歌った。
亘理町の方が非難されているところで歌ったとき、お世話してくださった方に言われた。
「あなたが来てくれて、歌を聴いている時間、忘れることができるんです。
あなたが、帰って、それぞれの部屋に戻ると、また苦しむんです・・・
よく来てくれました・・・ありがとう・・・」と。

さぁてと、石巻で出逢った人たちへの贈り物・・・まだ、創れていないな・・・
そろそろ、しっかり、こちらの計画もスタートしなくっちゃ。。。と思った私。
あの日あの時のことを考えなくてもいい時間を少しでも増やしてもらいたい・・・
そのために、約束の品、創らなくっちゃなぁ・・・(^.^)

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