CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

九日目十日目の結び前の一番に物申す!

2018-05-23 08:24:18 | お相撲(スポーツ)のこと
一昨日の夜かなり、夜更かしし・・・
3時間しか寝ていなかったから・・・
書ききれなかったブログ(^^ゞ
あらためて書き直そうと思ったが、
これは、これで、そのまま・・・ってことで。
まずは、九日目の相撲のこと・・・
もちろん、白鵬の立合いのこと・・・書きかけだがそのまま。。。

22日書いたもの・・・

書かずばなるまい。
昨日の結び前の一番。
あの立合いについて・・・
以前から、私はこのブログで、横綱白鵬の立合の
張り差しとカチ上げ(エルボー)について批判をしてきた。
横審からの異例の指摘を受ける中、
立合いでの張り差しは、ほとんどなくなり、
カチ上げ風エルボーもなくなった。。。
となると、真っ向勝負だ。

横綱という地位は、勝たなければならない地位である。

立合いの圧力、前に出る力が負けたら、相撲は負ける。

琴奨菊は、今場所、いい相撲が多い。
琴奨菊と横綱稀勢の里は、ずっと切磋琢磨してきた。
稀勢の里が先に大関になるかと思いきや、琴奨菊の方が、先に昇進した。
稀勢の里は、さぞ悔しかったろう。
げんざい、ご存知のように、稀勢の里は横綱の地位で、7場所目の休場となった。
琴奨菊は、大関から陥落し、前頭五枚目で相撲を取っている。
力士人生、どちらが幸せなんだろうと、たまに、ふと考えてしまう。

話を戻そう。

現在、琴奨菊は、平幕である。
今年に入ってからは、ずっと平幕にいる。

今場所、充実しているように見える琴奨菊の昨日の仕切りは、素晴らしかった。

昨日は・・・ここまで書いて、あきらめた。
なにしろ、いろいろ片付けなければならないことがある(^^ゞ
それに睡眠不足で眠かった(^^ゞ

ところが続きどころではなくなった。

なんじゃ、あの立合いは!!!!!

お邦、怒っております!
とにかく、腹が立っております!
いかんでしょ、ありゃ・・・
もちろん、十日目の結び前、鶴竜の立合いである。

以前、大相撲の場所で・・・
あ、お相撲をご存じない方、『場所』とは『本場所』ということで、
所在地のことではありません・・・
その、場所で観客が、『モンゴルへ帰れ!』と叫んで、批判を浴びた。
外国から日本に来て、大相撲の世界で、その独特の世界で、修行を積む。
これは、並大抵のことではない。
モンゴルだから、グリジア(今はジョージアというが、私はあえてグルジア)だから、
そういうことではない。
誰が、栃ノ心に『グルジアへ帰れ!』というだろうか・・・だれも言うまい。

最近読んだ本の中に、どこぞのJazzfestivalで、
観客があるミュージシャンの演奏に不満で・・・
会場中のそのミュージシャンのポスターが、その日のうちに観客の手ではがされ
翌日は跡形もなかった・・・というような記述があった。

そういことです。
それに尽きるのです。

朝早くから、国技館では相撲が始まる。
みんな真剣に、相撲を取っている、それぞれに・・・
客も少ない。
まばらなお客様の前で、少しでも強くなろうと頑張って相撲を取っている。
そういった取り組みが一番一番積み重なって、幕下上位の取組になり、
十両土俵入りとなる。

私は昨年の名古屋場所、初めて朝9時から18時まで、溜まり席で観る機会を得た。
(Tさぁ~ん、その節は、ありがとうございました。)
本当に、一番一番の積み重ねを感じながら・・・
まっずぐ前に出る力士たちを見つめ続けた。

だからである、幕の内の相撲というのは、幕の内の相撲でなければならないんだ。
上手く言えないが・・・そういうことなんだ。
だから、平幕が横綱に真っ向勝負をしていくんだ。
『少しでも土俵に長くいられれば・・・』
『横綱を少しでも慌てさせることができれば』
そう思いながら、とにかく、向かっていく。
それが、幕内最後の、結びの一番であり、横綱が横綱たるゆえんである。
だから、『受けて立て』と言われるのだ。
『後の先』の美学がある。

九日目の白鵬の立合い。
集中した琴奨菊の気をそぐためにまず、きらった。
横綱が平幕相手に立合いをきらった。
この時点で私はまずイラッとする。
気合をそがれた琴奨菊は、短い仕切りの中で集中をしなおす。
集中しきる前に、フライングと言ってもいいタイミングで白鵬が出る。
止めろ!と思ったが、立合い成立・・・なんということだ!!!
これが、横綱の相撲か!卑怯じゃないか!

大関から陥落し、平幕に落ちてなお、相撲に精進する琴奨菊をみな知っている。
その琴奨菊に対して、何をしてつかわさる!!
ひどいじゃないか!
朝早くから、同じ土俵の上で、みな真剣に取ってきた。
その土俵を、横綱が汚すのか!!!!!

横綱とは、なんぞや?

私は、また今場所も、いやな思いをすることになる。
昔の大相撲で、こんな嫌な思い・・・そうそうなかった。
最近は、頻度が増えた・・・残念でならない。

と思っていたら、十日目、鶴竜が・・・
あまりにひどい。
ひどすぎる。

私は天を仰いだ。
「稀勢の里よ、なぜけがをした・・・」

横綱稀勢の里の誕生で、『大相撲』を取り戻せる気がした。

私は、琴奨菊が、不憫でならない。
あんな立合いを、二日続けて二人の『横綱』がする。
負けたことも悔しいだろうが、自分が大関になり、横綱となっていれば・・・

こんな相撲を幕の内の最後にみせはしない・・・そう思うはずだ。

立合いで変わることは、反則ではない。
反則ではなくても、やらない・・・というのは、どういうことなのか。
それが、精神性なのだと思う。

両横綱には、心技体・・・もう一度考え直してほしい。

『横綱とは』そのことを語れるのは貴乃花親方だと、私は思う。
貴乃花親方は不器用だ。
そりゃそうだ、子どもの頃から、大相撲の世界しか知らない。
あの大関貴ノ花の子どもとして見られてきた。
言葉も足りないかもしれない。
しかし、『相撲道』に対するその態度は、他の人があれこれ言えるものではない。
追随をゆるさないほどの、信念がある・・・と私は思っている。

長くなってしまったが、栃ノ心が強い相撲で国技館を沸かせている。

そんな中、TVで『阿武松審判部長』とアナウンスされるたびに、
身体が緊張してしまう自分に、あきれ返りながら・・・
物言いがついた時、説明を阿武松親方がするためにマイクを握ると、
自分が歌うときより、数倍緊張してしまう自分に呆れているお邦なのでした。

さぁ夏場所もあと五日。
終盤戦の土俵に注目である。

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