CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

軽い腱板断裂かなぁと思いながら過ごす日々

2019-04-30 08:37:14 | 華麗なる加齢 あるいは 身体
歳を重ねるとアチコチ痛くなる。
とは、思っていたし、実感を伴い確信になりつつあった。

正座で長く過ごすと膝が固まるとか、
なんでもないところで躓くとか、
よくナニカにぶつかるとか、
忘れん坊なの私と笑えていたのに
最近は、認知症の序章ではないかと思ったり。

まぁ、そんな中、
すでに五十肩を通り越した私が、
最近、腕と肩の異常が気にかかる。
上腕二頭筋のスジを痛めたか?
いやいや、肩の前が痛い・・・こりゃなんだ?
と思ううちに、ひねると痛いことに気づき、
少し後ろの物を取ることもきつい、
肩の可動域に関しては、上下は問題ないが、
横後方が一番痛みを生じやすいかもしれない。

朝よりも1日の終わりの方が辛さは、増す。

まぁ整形的所見だと思うし、
日本の医療費と我がお財布を考えると、受診するほどではない。

こんな状態の時、
ストレッチすべきか、安静にすべきかだけでも知りたいなぁ。

ずっと身体を整えてくれていたてっちゃんが遠くへ旅に出てしまって
8ヶ月以上の時間が過ぎて、アチコチチェックできないまま。。。
アドバイスしてくれる人がいない。

そして、医者が嫌う自己診断を繰り返す(笑)
腱板断裂の初期だなこりゃと勝手に診断を下す・・・
背中の痒い時には、『孫の手』あるし、などと思う。

華麗なる加齢目指しながら、
受け入れるものいけ入れて、
抗うことには抗って、現実をしっかと受け止める。

いろいろあっても
欲張らず、頑張らず、あきらめず。

そんなこの頃の私です。


ing・・・で在り続けるということ

2019-04-24 11:03:09 | 表現にからむ様々なこと


あるものが、そこに、完成をみたとする。
その瞬間から、朽ち始める・・・
崩壊という『ing』が生まれる。
つまり、存在するためには、『ing』で在ることが求められる。
崩壊という『ing』でももちろん、いい。
とにかくとどまらないことだ。

そこには、隙間があり、可能性がある。

AIとか今のコンピューター社会だか情報社会だかなんだかは、
たぶん隙間がないんだろうなぁ・・・

私には、あまり馴染まない。

不安定であったり、瓦解してしまったり、そんな中から生まれるもの。
あるんだと思う。
(あ、師匠、音を迷うのはダメ・・・委細了解、はい、頑張ります!)

どんな世界にも究極はあるのだろう。
技術も感性もあらゆるものが、そこにはあって、それを楽しむ人々もいる。
そして、それらは、お金をも動かしたりする、あらゆる意味で。

大由鬼山の尺八は、その究極をも超えて、さらに先へと触手を伸ばしている。

音楽に、歌に、さらに言えば表現に『ジャンル』などないと思う私。
『尺八』の可能性を拡げ続ける大由鬼山という凄い人と出会うことができた。

Bitches Brewと出会い、
さまざまな表現に触れる機会を得て、
私は『ing』が大事なんだと確信している。

だから・・・
完成されたものではなくて、
模索し、躊躇し、悩み、葛藤したものの『今』をお届けしている。

そういう意味では、フリーなんだ。
フリーじゃないけれど、フリーなんだ。
フェイクとかあれやこれや、じゃなくって、存在がフリーなんだ。
解放されていたいんだ、創り込まれた中での解放、私は私で在り続ける。

『ing』は何かが生まれる時間。

それを面白がれる人、この指とまれ(^.^)

5月も大由鬼山さんとご一緒できる。
ワクワクしながら、苦しみながら、それでも、ずっと『ing』な瞬間に
どうぞ、お立合いくださいませ(^.^)

5月21日(火)19:00start
Bitches Brew for hipstars only
3,000円(1drink in.)
CuniCo(歌と語り)
大由鬼山(尺八)


そして、このあと、

6月9日はラトリエでの年に2回のLIVE。

ケミー西丘さんのピアノに大由鬼山さんの尺八も加わって、
ものすごく、面白い世界になること請け合いです!

どうぞ、よろしくお願いいたします。

最近ブログさぼっておりますが、FBでたくさん呟いておりますので
そちらも、覗いてやってくださいませ。

昨日のGigのあとつらつら考えていること・・・

2019-04-18 12:03:24 | 表現にからむ様々なこと
これは多分、ここ数年、自分が求めていることなのだと思うが、
昨日のGIgのあと、そのことをずっと思考している。

まず、15日、蜂谷真紀(voice・vocal・pf・その他)さんと
バリ舞踏の小泉ちづこさんのGigで、『庖丁お定のモリタート』を歌った。
これが、強烈面白かった。
まったく、新しい『お定』がそこにいた。
この歌を私は『生きて』いるわけだが、普段は出さない本心というか、
内面をちょっと、さらけ出すことになった日だった。
内面を見せるような空気を蜂谷さんがつくって、それを感じた私は、
感じたままに、ある瞬間、内面をさらけ出した。
実に面白かった。
私がどう転ぼうと、それを受け止めてくれる蜂谷さんがいてくれた。
そこに小泉ちづこさんが舞い空間に流れをもたらした。
楽しい時間だった。
お二人に感謝(^.^)









そして、昨日のGig。
まず、山口コーイチさんのピアノにやられた。
やられてばっかりの私だが(笑)、この一年間で
素晴らしいミュージシャンと出会えている。
ご挨拶で終わった方もあるけれど、ご挨拶できただけでも私には財産で、
そういった出会いを与えてくださる杉田さんに感謝である。
(なんども言っているけれど、なんど言っても足りないくらいだ)
この間、ふと、ペットボトルも買うことを控える経済の中で、それで大丈夫なの?
と聞かれたけれど、私は、ペットボトルより、
表現すること表現の場にいることの方が重要なわけで、
なにも買えなくても、表現できる身体と精神を維持できればそれでいいと思っている。
まぁ、そんな私を拾ってくれた杉田さんに本当に感謝なわけです。

で、本題。
昨日のGig。
小林里枝さんのサックスは、本当に語り掛けるように空気を支配する。
強さ、叫び、咆哮することもサックスの醍醐味だが、
語り掛けることで、観客との距離感、ピアノとの呼吸、
そういった妙をしっかりと刻んでくれるサックスだと思った。
感受性の強さを秘めた里枝さんのサックスは、これからも、
彼女自身の彩を放ちながら昇華していくことだろう。
すっごく、楽しみ(^.^)
そして、山口コーイチさんのピアノ。
やられたねぇ・・・
かれは、策略家であり、悪戯っ子であり、大人であった。
そういったたくさんの面白がり方を備えている素敵な音どもは、
コロコロと転がりながら、飛び跳ねながら、
穏やかな流れさえもともなって、空間を自由自在に遊ぶ。
そして、山口さんのピアノが里枝さんのサックスと会話し、互いに変化していく。
その世界は、本当に楽しめた。














サックスは歌い語る。
ピアノも歌い語る。
『コトバ』を持たない楽器たちは演奏者によって歌い語り始める。
さて、そこでvocalである。
歌唄いたちは、言葉に胡坐をかいてはいまいか?
歌唄いたちは、伴奏してもらっていい気になってはいないか?
そこなんだ、私がずっと考えているのは、そこなんだ。

昨年急逝した私の大切なパートナーだったPAはいつも言っていた。
『カラオケ文化が、vocalの概念を変えてしまった。』
つまり、彼は、vocalが楽器の音の中に半分くらい沈んた感じでの音作りをしたかった。
ところが、カラオケというのはvocalが気持ちよければいい文化なわけで、
vocalを前に前に出して、沈めることをしない。
つまり、フロントもフロント、どフロントにつねにvocalは在るもの。
そういった『歌』を聴き慣れた耳は、そういったvocalが素晴らしいと理解する。
そうではないんだ、楽器の音と混ざり合ってその中で生まれる『歌』が本来の歌だと。

『コトバ』という魔物を扱うvocalは、どうあるべきなのか・・・
『コトバ』が聞こえないと、
『なんていったんだろう?』と観客はそちらに意識を持っていかれる。
だから、言葉が明瞭に聞こえることは基本の基になる。
つまり、『音』に観客は意味を求めず、感じるわけで、
『コトバ』を感じてほしいがやはりそこには『意味』伴う。

そういったこともあるのだろう、
『伴奏』という概念も生まれるわけで『歌伴』ということが成立する。

が、しかし、私は、対等でありたいと思うのだ。
楽器と楽器が音を出し合い感じあうように・・・感じあいたい。
『コトバ』という魔物を手にしながら、抱え込みながら、
『意味』を明瞭に伝えつつそれを超える感情を感じてほしいわけだ。
どうしたら、それができるのだろう・・・いつも私はそのことを考えている。
魔物と向き合いながら、考えている。
メロディーやテンポに支配されることなく、
『コトバ』に縛られることなく自分を解放する。
そして、楽器が紡ぐ音と交わり昇華する・・・
そのために歌唄いは何をするべきなのか・・・考えている。

昨日、里枝さんの歌うサックスと
山口さんのピアノに魅了されながら考えた。
私には、なにができるのだろう・・・と。

そして、お二人の世界に乱入し、
『庖丁お定のモリタート』を歌う機会を得て、とても楽しかった(^.^)
なんとも、素敵な時間をいただいた、お二人に感謝。

というわけで、やっぱり私は、
これからも迷走しながら瞑想し、
リアルに具現化しては、闇に潜行し、
閃光を放てる瞬間を求めるのだろうなぁ。。。
とコトバ遊びをしながらつらつら考えている。

ずっと、ずっと・・・考えている。
『コトバ』を抱え込み、『コトバ』に縛られながら
『コトバ』からの解放を・・・
それは、楽器の奏者たちも超えてきた『なにか』なのかもしれない。

4月21日(日)BitchesでGig

2019-04-17 10:00:34 | 表現にからむ様々なこと
毎月のことだから、自分にとっては、予定通りの予定。
毎日がそこに向かって動いているから、忘れることはない。
けど、じゃ、『ひとさま』の予定をしっかり把握しているかというと、
そんなことはないわけで、私以外の人からすると、私は『ひとさま』な訳で、
つまり、告知は何度でもすべきな訳で、少々の雑感と『告知』です。

芝居で『二日落ち』という言葉がある。
だから、ひねた私なんぞは『二日目』が面白かったりする。
芝居は、同じ作品を何日間か打つ場合が多いわけで、
『二日落ち』ということがあるわけだ。
このことが、私の潜在意識に刷り込まれているから、
21日(日)は尺八の大由鬼山さんとの2回目のGigとあって、ちょっと意識している。

そんな中で『稽古』した。
2月よりも尺八の『音』を聴くことができた。
尺八に合う曲・・・ある、確かにある。
とういうことは、合わない曲があるってこと。
その合わない曲、をどう寄り添わせるか。。。
今は、そのことばかり考えている。

知らないから、無謀。
無謀ってことに、真摯に向き合う。

そんな自分で在りたい。

4月21日(日)14:00start 3,000円(1drink in.)
@Bitches Brew for hipsters only

歌・語り:岩下邦子



尺八 :大由鬼山


応援よろしくお願い申し上げます!

BintangAsia の『風神ハヌマン』を観た(^^)

2019-04-12 15:30:27 | 表現にからむ様々なこと
BintangAsiaの『風神ハヌマン』全編通して初めて観た。
前回は、ダイジェスト版よりももっと短めで、
予告編みたいな感じだったのだが、これも魅力的だった。
昨夜は、全編通して観る機会を得た。

それぞれジャズプレーヤーとして活躍されているメンバーが、
バリ舞踏を極め、独自世界をもしっかりと内包する小泉ちづこと出会った。

そして誕生した『風神ハヌマン』は音楽劇に分類されるのだろうか。
しかし、そのお芝居は、進化し、創造され、壊され、再構築される。
つまり、分類する必要などなく、BintangAsiaの芝居と言える。

それぞれの個性が生きている。

風神ヴァーユ、インドラなどを演じる人。
ハヌマンは、二人が演じるわけだが、
それも観ている人に違和感なく表現されている。
語り部たちもよい。
それぞれの個性が大切にされ、
際立った演技をすることなく、
しっかりと、物語を進めてくれる。
そんな彼らは、時としてコロスとしての役割も担う。

よく書き込まれている本だ。

これは、小泉ちづこ自身が演劇の世界に身を置いていたこともあろうかと思うが、
彼女自身の才能によるところと言えるだろう、本当によく書き込まれている。

そして、おそらくそれを面白がる表現者が集まっていることも、功を奏している。
音楽のプロたちが、積極的に意見交換し、そこに彩りを添える。
舞踏家としてのバランス感覚が、ミザンスも見事にまとめあげ、
まとめられたことに安住しない人たちが、創造し、壊し、再構築する。

不完全な歯車がギクシャク言いながら回るもまた良し。
その隙間から、見えてくるものが、沢山ある。
きっちり歯車がはまり転がり始める瞬間が、また美しい。
そして、何より、演じているみんなが、楽しんでいる。

その笑顔が印象に残った。

書き、芯になり、踊り、演じる、小泉ちづこに乾杯!

といったところだろうか。

そして、演じ、奏で、歌い、語るミュージシャンたちには、拍手を。

これからも進化を続ける『風神ハヌマン』がとても楽しみだ。























そうそう、この芝居にとって、Bitchesはどうやら、ふるさとのようだ。
創り始めた時から、杉田誠一氏に見守られた作品のようだ。

昨日はオープニングを御大がつとめた。
その存在感も、また、素晴らしかったので、最後にふれておく。
杉田誠一氏の生きてきた時間が、そこに在り、ある異空間に導く。
お芝居の幕開けにふさわしい存在だった。







5月からのバリツアーもあり、次の出演は8月になるようだ。

最後に、松浦賢二さんの秘蔵写真公開しちゃいます。
松浦賢二さんのハヌマン、ほんと、瞬時にに少年(猿)になって現れる。