CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

相撲は立合い、それに尽きる・・・

2019-09-20 09:27:29 | お相撲(スポーツ)のこと
W杯がいよいよ始まる。
もちろん、ラグビーである。
私は、真っ向勝負が大好きだ。
そして、思いっきりぶつかっていきながら、
つまり、マックスな興奮状態にありながら、
冷静さをどこかに持ち続け対峙するその姿が素晴らしい。
強ければ強いほど自分をコントロールする強い力が必要になる。
精神力・・・である。

W杯が始まるという興奮の中、最近の相撲は、つまらない。
まったくもって、面白くない。
もちろん、ラグビーも相撲も勝負の世界、勝ってナンボかもしれないが、
そうじゃないんだと、私は言いたい。

ラグビーだって、遥か昔から応援している私にとって、
日本は滅茶苦茶、弱い国だった。
それでも応援したし、応援したいと思った。
勝ち負けじゃない。
向かっていくその精神を尊いと思っていた。
負けても負けても勝つための努力を惜しまない選手たちを素敵だと思った。
4年前の奇跡と言われた勝利、それももう過去のこと。
今は、今・・・前を向いて。
4年前とは、日本も変わったし他の国のチームだって進化している。
W杯、今日、開幕だ。

そんな興奮の中、なんなんだ、大相撲!

本場所で、まったく話にならん立合いを見せ続けられる身にもなってほしい。
集中していない証拠だ。
集中しない力士たちは怪我も多くなる。
そう、まさしく身体を張っての真っ向勝負なのだから、集中しなければ始まらない。

しかも、土俵上で不服そうなその態度は、いただけない。
行司が止めなければならないような立合いをなぜするんだ!
止めらるような立合いをした自分をなぜ戒めない。

気持ちは、わからんでもないが、コントロールしなければならんでしょ。
しかも、幕内、しかも三役格の相撲である。
三役格に足る相撲とは、何ぞや。

何日目だったか、立合い(呼吸)が合っていない相撲を行司が止めなかった。
力士は自分で相撲をいったんやめたが、行司の声は、相撲の継続を意味するものだった。
そして、それに気づき、押し込んだ側の一方的勝利。
負けた方はかわいそうだが、致し方ない。
先日も、立合いの呼吸が全く合わず立ち遅れ、負けた力士がいた。
あぁ、行司よ、なんで止めないんだ・・・と、思った。

今場所はすべての録画を観ていないから何とも言えないが、
私が観たなかでも二番そういった立合いがあった。
止めない行司が悪いのではなく(止めてほしいが)、
呼吸を合わせることができない力士が悪い。
幕内の関取である。
立合いを合わせられずになんとする。

そして、もっと初歩的な『手付き』の問題。
これは、ずっと話題になるが、むかしの相撲は手などついていなかった立合いが確かに多い。
しかし、今は、今の基準がある。
あれで、ついていないといわれたらどうすりゃいいんだ・・・と思ったらしいが、
行司の判断である。
手付きを注意され、両の拳を仕切り線にしっかりついて待つ関取もいる。
これでどうだ!と言わんばかりに。
潔し・・・とみていて、あっぱれと思う。
しかし、不十分を指摘され、土俵上で不服そうな態度、はよくないと思う。
ネットでは誇張して表現されているが、ギリギリかな・・・とも思うが、
やはり、行司の指摘に対して、土俵上で不服そうな態度は、いただけない。

と、私は思う。

つまり、立合いだ、立合いに尽きる。

相撲をどう楽しむかは、人それぞれだが、私は今場所、いや数場所前から、
大相撲になんとなく緩みというか、ぐずぐずな空気を感じてしまう。
なぜだろう・・・その理由はよくわからない。

とにかく、そんな中でしっかりと集中して自分の相撲と向き合っているのは、貴景勝だ。

貴景勝の精神力は、素晴らしいと思う。
闘争心、それをコントロールする精神力、鍛え上げた身体。
心技体の『心』いま、貴景勝が、一番だと思う。

人のせいにしない。
自分ですべてを背負っていく。
そして、感謝する。

立合いにすべてが現れる。
相撲は立合い、それに尽きる・・・と、私は思う。