CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

SOSって大事だと思う今日この頃。

2019-02-28 18:28:34 | 日記
『暴力』が報道される時、
『暴力』と報道されない『暴力』が最近巷に溢れているなぁ、と思う私がいる。
そのことは、今日はとりあえず触れずにおこう。

『子どもへの虐待』がニュースになるとき、私はふと気になるのだ。
自分も子どもを『虐待』しているのではないかと、
自分自身の子育てに悩むお母さんも少ながらずいるのではないかと。
私自身が、思い悩んだことがあったから。
そんな時、私は必ず、保育園への連絡帳にそのことを記した。
『子どもにこんなことしてしまった。
子どもが不安定になるかもしれない。
よろしくお願いします。』と。

子育てというのは、並大抵のことではない。
そして、色々な悩みを抱え込んでしまう場合が多い。

自分も子どもだったくせに、それはすっかり忘れている大人たちの目線。
『昔はこうだった』と、現代の子育て事情や社会状況を理解せずに、
「躾がなっていない!」という冷たい目線。

ひと昔前は、社会がもう少し成熟していて、
社会が子どもを育ててくれる部分もあった。
核家族化が進み、競争社会の激化、情報の氾濫で、
誰かに助けを求めるということができづらい環境にある。
そんな中で、つい子どもにキツく当たったりしてしまうこともあろうかと思うわけで、
そんな自分を責めているお母さんも多いのではないかと心配になるのだ。

私は、ある時子どもを叱っている自分が、子どものためではなく、
社会の目、評価を気にして必要以上に怒っていると気づいた瞬間があった。
自分のために子どもを叱っていたのだ。
自分が情けなかった。。。

誰かにSOSを出すことができること、これは、とても大事。
そして、恥ずかしいことじゃない。

『良い母親できなくってもいい』と開き直ることって大切だ。

それと、SOSはリアルにってことも大事な気がする。
仮想空間やインターネットの方が相談しやすい・・・
そんな状況も、ちょっと、つらい気がする。

リアルに繋がれる人はいい、と言われるかもしれないが、
涙や呼吸、体温、そんなことが、とっても大事な気がするんだな、私。

SOSに応えられる人間でありたい。
それくらいの心の余裕を持って自分の命を生きたい。
私が、多くの人に助けられてきた自分を知っているから。

子育てだけではない、ハンデのある人、お年寄り、みんな同じ。
SOSを発信できる、SOSを受け止める、そんな社会であるべきだと思う。
SOSって大事だと思うこの頃なのであります。

ただただ私である・・・ということ。

2019-02-23 17:50:00 | 日記
多分、ナニものにも属さず孤高であることは、私には、至難の技。
あらゆるものの影響下にあり、
知らず識らずのうちに『あらゆるものたち』は私を侵食する。
そのことを忘れずに自分を見つめることくらいしかできない思う。
私は、万物に影響されながら、感じながら、その中で、自分を生きたい。
拒否ではなく、受け止めて、感じたい。
なぜ、その人がそうあるのかを考えたい。
ことさら、『自分が他の人とは違う』と思わなくても同じ人なんてどこにもいない。
つまり自分を100%理解してくれる存在などあり得ないのだから、
自分の頭で考え、自分で判断することになる。
それは、間違えていることもある。
だから、周りを見渡したり、感じたりすることは、大事だ。

ただ、どうも、私の能力には、限界がある。
本を読むこと苦手だし、数字もよく分からない。

だから、いろんなことたくさん知っている人と出会うとズゴイなぁ、と思うし、
ひとつのことを追求している人ってすごいなぁ、と思う。
わたしには真似できないかっこいい人、いっぱいいる。

『他の誰か』にはなれないから、自分が自分でいることが大事。
が、これが結構難しい。
誰かと比べてしまったり、自分ではない誰かになりたがったり。
それに、自分でも自分のことよく分からなかったり、よく見せたかったりf^_^;

ありのままでいることが一番難しい。
無欲になるのは本当に難しい。

凡人たれ。
そう思う。
日常を生き、空を見上げて、
悲しい時に泣き、楽しい時には笑う。
激怒するような事態もたまにはよかろう。
風に吹かれて、雨音に耳を傾けよう。
そして、感謝しながら、生きていく。
『孤高』であったとしても、それは他者があればこそ。
人間、一人ではない。
地球に生きている以上、多くの命に支えられて存在している。
凡人たれ。
凡人とは、迎合することではない。
凡人とは、考えないということではない。
凡人でありながら、自分を見つめることを忘れないこと。
『特別な人』ではなく『ただただ私である』ということ。
そんな自分で在りたいと、そう思った私なのでした。

混沌とした中から立ち上がるもの。。。

2019-02-22 22:42:13 | 表現にからむ様々なこと
昨日のCuniCo’s Gig with 大由鬼山(尺八) の事、
書き留めておこうと思ったが、どうもまとまらない。
混沌とした感じが自分の中にある。
昨日のこと、というより、すでに次を意識しているのかもしれない。
Gigの翌日にこんなに混沌としているのは、初めてだ。
自分の表現について、もう次に転がり始めているので、
私の視点ではないことを書いておこう。

実は、家人は、私が歌い始めて9年間、
『良かった』と言ったことはこれまでなかった。
その家人が
『庖丁お定のモリタート』は良かった。
何度も聞いているが、尺八が一番あっている。
今まで聞いた中で、一番良かった。
と言った。
あれま、ありがと(^^)

さて、私はというと、帰宅後、開演前の緊張で食べ残したお弁当を食べ、
自室に戻ると、パジャマに着替えることを50%だけ達成し、
上半身は、着替えることかなわず、泥のように眠ってしまった。

さもありなん。

興奮状態と集中が長く続いたのだろう、爆睡をした。
見た夢は・・・とりあえず、内緒にしておきましょう(^^)

昨日のGigに立ち会ってくださった方、
白楽まで行けないけど応援してるよと心を寄せてくださった方、
どうなったかなぁと気にかけてくださっていた師匠、
私のお願いを快く引き受けてくださった大由鬼山さん、
大由さんと出会わせてくださった杉田誠一さん、
そして大切な『場』Bitches Brewに感謝であります。

3月21日(祝)CuniCo’s Gig with ケミー西丘(pf)
4月21日(日)CuniCo’s Gig with 大由鬼山(尺八)
共に14:00start 3,000円(1drink in.)
@Bitches Brew
もちろん、立会人募集中!であります。

混沌の中した中から、さぁてさてさて、どこに向かうんでしょうねぇ。
自分でも楽しみになってきた(^^)

『いだてん』のこと

2019-02-17 20:34:41 | 表現にからむ様々なこと


昨年、リューダス・モツクナース4days、最終日、
我がBitches Brew でリューダスと対峙したのは、
梅津和時さんと、大友良英さん。

NHK朝ドラ『あまちゃん』のメンバーが今年の大河ドラマに関わっている。
というわけで、音楽は大友良英さん。
超多忙の時期だったと思うが、Bitchesにいらしてくださった。

先日、大友さんがFBでアップされていた新聞記事が、今朝の東京新聞に掲載された。

そんなわけで、今日は、
視聴率低迷でインターネットの話題をさらっている『いだてん』について書いておこう。

まず、初回の分かりにくさといったらなかった(笑)
まるで、視聴者に挑戦するかのごとく分かりにくい(笑)
時間軸と水平軸(東京、九州)を行ったり来たり。
そして、当時の写真や記録が乱舞する、
さすがNHKなんでも持ってるわいってくらい乱舞する。
まったくもって、自分がなにを拠り所にしたらいいのか、
もう無理!とあきらめたひと、多いだろうなぁ。。。

かくいう私も最初、必死に考えた。
なにがどこにつながって、誰が誰なんだ!と必死だったが、途中で諦めた。
まぁ、だらだらと観ることにした。
まぁ、とりあえず観ておこうみたいな状況。
まぁ、大友さんの音楽を楽しむかみたいな感じで。

そういえば、私、自分の表現だって、分かりにくいことこの上ないことやってきている。
終わっても、拍手が起きずに、シーンとしている客席、なんてこともあったじゃないか。
舞台表現ではいくらでも、縦軸横軸が、
斜めになったりくるくる回ったり、それを楽しんだりしてきたじゃないか。

『大河』というだけで、あるスタイルを想起し、
テレビという枠の中で、観てしまう、そんな自分に気づき失笑した。

で、初回、なにがなんだかわからないまま、2回目を観た。
それほど、わかったわけではないが、
どうやら、初回よりは、縦軸横軸が落ち着いていた。
が、初回のことが気にかかるのと、進行役が、
まだ自分の中ですっきり落ちないこともあって、
獅童さん、いいなぁ・・・などと思いながら観ている程度だった。

コレが3回目から、まっこと面白くなって、1回目、2回目で記憶の片隅に
おぼろげに蓄積されたあれやこれやが、繋がっていく。
走馬灯のように、自分の思い出のように、繋がっていく。
登場人物が確立されていく。。。たまらん、この快感(^^)
声に出して笑いながら観た『大河』は初めてだ。

今までと違う何かには、悪評も付いて回ることがある。

てやんでえべらぼうめ!
こちとら真剣勝負じゃい!
と、突き進めばいいじゃないか。
面白がってる視聴者が一人でもいれば、いいじゃないか。
視聴率なんて気にせず、媚びることなく突き進めぇ!と思う私なのでした。
そんな事、私が言わなくても突き進んでくれるのだろうけれど(笑)

そうそう、新聞の大友さんの写真、若すぎる(笑)
というわけで、昨年Bitchesでの大友さん。。。の写真もアップ。

顔、わからないな(笑)

スリーショット写真もアップしておきましょう。

この日の感動は、すでに記してあるので、
今日は『いだてん』って事で・・・

21日(木)19時startです!

2019-02-15 08:13:30 | 表現にからむ様々なこと
いつも思うことだが、『表現』という行為は、とても具体的な行為だ。
抽象画だって、絵描きは筆を持ち、その筆を動かし、線を引く。
そういった具体的な動作から生まれる。
そしてそこには『意図』『意味』がある。
『フリー』と言われる音楽も実はとても『具体的な行為』であり、
その瞬間に紡がれる音どもは『旋律』を生み、『リズム』が生まれる。
そこには演奏する人固有の感情や、それまで生きてきた時間が反映する。

具体的行為で創られた『モノ』は、それだけでは『表現』として成立しない。
受け止めてくださる方がいて初めて成立する。
『表現者』と『客』という存在の『間』に立ち上がってくるものなのだ。

あぁ、なんということだ。
昨年4月、Bitches と出会い、
その後杉田誠一という人のそばで見聞きするあれこれ、
表現者たちが紡ぐ音と時間、
そして、私と具体的に関わってくださった方々、
関わり続けてくださる方々、あまりにも刺激的で素敵な時間。

私はもっともっと向き合わなければいけない。
自分自身の『表現』と。
もっともっと具体的に向き合わなければいけない。
一つ一つの扉を開くためには、『具体的な行為』が必要だと改めて思った。

21日へ向けて、昨日大由さんと合わせていただいた。
頭が興奮していて、夢の中でも歌い続けていた。
疲れは残っていないが、寝た気がしない(笑)

これから一週間、全てが21日に向かって行く。
どうぞ『表現』の仕上げに立ち会ってください。
野生尺八 大由鬼山と同じ板に立つことができるのか、
自分にはまだそこに立つことはできないのか。
どんな状況であれ、たつからには、立たなければならない。

21日(木)19時start 3,000円(1drink in.)
@Bitches Brew for hipsters only

応援よろしくお願い申し上げます。
21日19時白楽でお待ちしております。