CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

道路は私の遊び場だった・・・んだけどなぁ・・・

2020-05-26 11:00:02 | 日記
時代は変わる。
交通量だって、子どもの数だって、親の状況も、近所づきあいも
私の子どもの頃と、比べてはいけないことはわかっている。

でもね、なんで、近所で遊ぶ子どもの声をうるさいと言ったり、
赤ん坊の泣き声に、しかめっ面で通り過ぎる大人がいたり、するんだろう。

そして、それらを『嫌なこと』『迷惑なこと』と感じる人たちは、
SNSや、通報などして、自分の安らかな暮らしが奪われてると訴える。
仕事もできないと迷惑がる。
リモートで会議しているときの近所で遊んでいる子どもの声が迷惑だという・・・

あえて言いたい。

だったら、まったく遮音されたマンションにでもなんでも移ってくれ!
自分の都合のいい環境を作ってくれ!
申し訳ないけど、子どもは泣くし、大声でしゃべるし、喧嘩もするし、歌も唄うんだ!

さて、道路でキャッチボールする親子を非難する人たちがいる・・・
びっくりだ。
ご存知だろうか。
多くの広場は、『キャッチボール禁止』と書かれていたりする事実を。
もちろん、キックボードやスケボーで猛スピードで遊んでいたら、危ない。
直接声をかければいい・・・心配なら。
自分も危険にさらされると思ったら、「御免ね、ちょっと怖いよ、そのスピード」といえばいい。
他人が道を通っているとき、気を使いながら遊ぶことを子どもに教えればいいではないか。
ましてや、親子でキャッチボール、ほほえましい限り。
コントロールの効かない子どもとキャッチボールしていれば親がきちんと気を遣うでしょ。
私なんぞ、エラーしたボールを追っかけて子どもに渡すぞ・・・いつも。

車が通るから危険・・・だから、気を付けてやってるのさ、子どもたちなりに。
「危ないから気を付けて」と何度も言われて育った私・・・
そうやって、覚えるものだ、気を付けるようになるもんだ。

それを最近は、SNSに書き立てたり、役所や警察に電話したりする。
なんのこっちゃだ。
そして、静かに暮らしているのにとノタマウ。

もし、体調が悪い家族がいれば、そのことを子どもに話せばいい。
「昼間も病気でおばあちゃんが寝ているから、少し静かにしてね・・・」と話せばいい。
「夜勤の仕事しているから、午前中は勘弁してくれ・・・」と話せばいい。
子どもは、子どもなりに考えて場所を変えて遊ぶさ・・・

怒鳴るオヤジがいたっていい・・・
あそこの頑固おやじがうるさいから、ココはやめておこうってなるもんだ。

もちろん、危険なことは注意すべきだ。

私なんぞ隣の工場の塀のうえを歩くのが好きでいつも怒られた。
金の卵で上京した工場のお兄ちゃんたちに
「邦子、パンツ丸見えだぞ」と冷やかされた。
そして、危ないから降りろと言われ、いつも抱っこしておろしてもらった。
そうしてほしくて、また塀のうえを歩いたりしたもんだ。

最初に言ったように、私の子どもの頃とは環境が違う。
危険度も違うかもしれない。
でも我が家の前の道など、ほとんど車は通らない。
大いに遊んでもらって結構だと思っている。
気をつけながら・・・遊ぶこと・・・とても大事です。

何もかも保護され守られている環境、
怪我をしたらその施設に損害賠償を求めるような時代・・・
それじゃいかん。

いつでも、危険性を察知しながら遊ぶこと・・・これって大切な気がする。

それを見守る大人がいる・・・これが重要なんだ。

社会ってそういうもんじゃないのかなぁ・・・と思う私なのです。

そう、私の遊び場は、道路でした。

ファミコン、ゲーム、インターネットの仮想空間の虜になって家にずっといるより、
外に出て、大いに遊んでほしいと私は思っている。

だから、3月、学校がお休みになって、半月くらいして、
子どもたちが外で遊び始めたのを見て、いいぞ、いいぞと思っていた。

能登の知り合いの言葉が思い出される。

子どもの声が聞こえなくなったら、町は死んだも同然です。
子どもの声が聞こえるからこそ、大人も元気に頑張れるんです。

何を目指しているんでしょう・・・都会の人たち・・・

新型コロナウィルスのおかげで、人間がどこまで変質してしまったかを、感じる今日この頃。

価値観の転換・・・が、新しい時代に必要な最初の一歩のような気がしてならない。

大人が見守るだけの余裕を持たず、
子どもを規制するばかりの大人になっては、
これ、すなわち・・・『死んだ町』といえる気がする。
危険なことは、危険といいながら、子どもたちは言われながら、育っていくものです。

ウィルスとの共生どころか、
人間同士でさえ、共生はままならない時代になってしまったのでしょうかねぇ。。。

綱引きではなく、玉入れが好きだな・・・生き方として(^.^)

2020-05-16 10:10:00 | 日記
つまりさ・・・こういうことさ。
もし自分と違う意見の人がいたときに、
相手を力づくで何とかするのではなく、
自分の玉を網に投げ込みながら・・・
その玉は網に入らないこともあるけれど、
投げ込みながら、自分は、こう思うよって言う、発信する。
そういう生き方が好きってことなんだ。
それに・・・
自分はいろんな色の玉をもっている、気がする。

『バランス』

これは、以前から何度か書いているキーワード。

綱引きだと、バランスが崩れて勝敗が決する。
負けた方は、力尽きてしまうんだな、精魂尽きる・・・これ、よくない。

『権力』って、手にすると、
集中しすぎると・・・綱引きの勝敗が一気についてしまう。
だから、わたし・・・権力の集中は嫌いだ。

右だろうが左だろうがね・・・嫌いだ。

いま、一番大事なのは、新型コロナウィルスと対峙すること。
でも、日常はそこに在るから、医療現場以外にも、
テレワークにしろ、出社するにしろ、仕事している人はいる。
政治も、やらなければいけないこと・・・ある。
が、優先順位をうまく決められないらしい。
だから、どさくさ紛れに・・・とか言われるわけだ。

権力には利害がつきまとう・・・
権力をさほど持っていなくても、
金勘定して生きなければならない。

あぁ・・・
『お金』って便利だけど、
『お金』っていろんな意味で
力を持ち過ぎたよね・・・きっと。

私は玉入れに参加している。

自分の頭で考える・・・
だから、右往左往している・・・
間違えることもよくある・・・
右往左往するから、
自分の頭で考える機会をもてる。

やっぱり綱引きは、苦手なんだよな・・・

『マイナンバーカード』
なんが数字で管理されるの嫌いだ、生理的に。
『○○番!』なんて嫌なんだな・・・

個性ってやつをもっていたい。
それは、
数字みたいにつるんとしていない。
数字みたいにわかりやすくない。

ざらざらした、わかりにくいもの・・・
そんな自分でいたいと思うから・・・
誰かに自分を決められたくないから・・・
だから、マイナンバーって好きじゃない。

子どもが生まれたときに、姑に言われた。
「親が子どもに対して、唯一勝手にできること。
それは、名前を付けることくらいだ。
他は子どもは、自分で決める・・・と思った方がいい。
だから、お前たちで考えると言いよ、子どもの名前は。」

なるほど、ホントにそうだと思う。

科学の進歩発展を否定するモノデハナイ。
ただ、やっぱり、バランスだよなぁ・・・

玉入れだって、網に入っている玉・・・
どっちが多いのかなぁ・・・って思っているときが楽しいし、
明らかに網の中の玉の数が違っていても、
カウントするまでわからないじゃん!
なんて思っているときが、楽しいもんだ。

なにを言いたいのかなぁ・・・わたし。

綱引きではなく、玉入れが好きなんだな・・・生き方として(^.^)
今日の話は、そんな話・・・みたいだ。

洋服の断捨離・・・しなくっちゃ(^.^)

2020-05-15 08:37:15 | 華麗なる加齢 あるいは 身体
カテゴリーを『華麗なる加齢・・・あるいは、身体』を選んだ。
ついつい、このカテゴリーは、身体的ことになってしまっているが、
『あるいは』身体・・・なわけで、
そうか・・・断捨離は私にとって『華麗なる加齢だ・・・』と気が付いた。

もともと、片付けは苦手である。
だから、子どもたちも苦手である。
自分ができないことを強要はできないので、我が家は片付かない(^^ゞ
が、そろそろ・・・なのである。
もう何年も前から、言っているが、そろそろなのである。
先を行くものとして、その姿を示すときは今しかない・・・
と、思っている。
歳を重ねるほどに、『自分はまだできる』と思いたくなる。
つまり、できなくなったという事実を受け入れたくなくなる。
それで、つい過去の話、思い出を語ることになる。
未来より過去を思うようになる・・・
これは、歳を重ねたものの宿命であり、するべきことだ。
過去を後世に伝えることは年かさのいったものの使命でもあるから。

などと、理屈をこねることは好きなんだな・・・
言葉をちらかすことも結構好きなわけで・・・
理路整然ってタイプじゃない。

が、本題に入ろう。

『衣替え』とかいう季節になりつつある。
最近の気候変動により、春や秋といった穏やかな時間が少なくなり、
ヒートテックをなんとなく着続け、ふと気づくと、ダイレクトに半そでに移行する。
そんな感じの昨今ではある。

私はいつも思うのだ・・・
暑くなり始めて、冬物を片付ける・・・暑苦しい・・・
つい、全部いらないような気がしてしまう。
寒くなって、薄手の洋服を見るとなんとも頼りなく
こんな服もう着ないかも・・・などと感じてしまう。
あぁ・・・洋服ってなんて、難しいんだ・・・
単細胞の私にはついていけない。
以前は、なんとなく、春や秋が間に挟まるから、
緩やかに考えられたのだが、今は、一挙に来る・・・
だから、春や秋に好んで着ていた服の活躍の場が、
ほとんどなくなっている気がしないでもない。
ってことは、いらないのか?この服???ってなるわけで、
もっとややこしくなる。

そしてさらに言えば、しまったことを忘れてしまう・・・(^^ゞ
とくに片付けが苦手な私は、片付ける場所が一定しない。
だから、思いもよらぬ場所から、懐かしい服が出てきたりする。
何年も着ていないし、もういらないな・・・なんて思うわけで、
けど、いつか着るかも・・・とまた別の場所にしまい込む。

あぁ・・・この繰り返しなんだ、本当に(^^ゞ

だから、数を減らすべきなのである、きっと。
お気に入りのいくつかを着まわせばいい・・・そんなクローゼットにするべきだ。
よく、スーパーのレジ前にそんな本が並んでいるじゃないか・・・
おしゃれなフランス人は厳選した何着かを着まわしているみたいな・・・
そうだ、あれでいけばいいんだ・・・
なんて思ったって、浮気性の私には、
とんでもなくイメージの違う服を着て気分転換が必要だ。

あぁ、どうしたもんじゃろのぅ・・・

いかん、いかん・・・気力のあるうちにしか断捨離はできないんだから、今しかない。

しまった場所もわからなくなるんだからこの服たちはコントロールできない。

いろいろ思考することが好きなので、
こんな風に考えているうちにいつも日が暮れる。
そして、いつも片付けは後回しになる・・・

とりあえず、体重増加が確認できる胴回りが合わなくなってしまった服だけでも断捨離かな・・・
いつか着られる体型に戻るんだ・・・なんて、夢は捨てて・・・
ん?待てよ、それはいけない、努力目標は捨てちゃいかん!

あぁ・・・これじゃいつまでたっても堂々巡りでどうにもならん・・・

洋服の断捨離・・・しなくっちゃ(^.^)

と思いながら、まずは洗濯物干して、湯船に浸かって来るとしましょうか(^^ゞ
ミニ断捨離はしているつもりだが、本格的な断捨離は、
すっきりしたシンプルライフはいつになることやら・・・(^^ゞ

新型コロナウィルス素人のつぶやき・・・その7

2020-05-14 09:42:02 | 新型コロナウィルス・・・素人のつぶやき
油断大敵という言葉がある・・・

いま、感染者数の減少を捉えて、緩んでいる・・・
というる気がするのは私だけだろうか?

現在数字に表れているのは、
2週間くらい前に感染したと思われる人たちの陽性確認できた人数。
つまり、ゴールデンウィーク真っただ中の感染したと思われる人たち・・・
そりゃ少ないでしょ・・・当然です。

つまり、この数字は、何を示しているかといえば、
外出自粛により抑え込むことは可能だということを示しているわけです。

当初から、私はこのウィルスは、共存していくことになると思っていたので、
『自粛』をどこまでどんな形ですることが良いのかを探る必要はあるし、
杓子定規に考えることはできず、
その時の状況での判断が必要なのだろうな・・・と思っていた。
なにしろ、何もわからないところからのスタートだったから。

警戒宣言が解除される地域があることには、
賛成というか、そうだろうな・・・と思うのだが、それを横目で見ながら
特定指定地域の人たちの動きが、緩んでいる感じが気になるわけだ。

警戒宣言が出るか出ないか・・・と、あちこちで噂になり始めたころと
各地で感染者数の減少が数字としてあらわれ、
出口なんちゃらが話題になり始めている今との精神状況・・・
本当は、今の方が緊張感を持たなければならない気がするのだが、
人間、どうも『大丈夫だ、きっと』という心理が好きみたいで、
その方が、精神が楽なので、そちらに流れ・・・ストレス回避をする。

わからないではない・・・

そして、それが、電車の込み具合に顕著に表れている気がする。

まだ・・・警戒宣言中でありますが、4月中旬より、確実に人が多くなっている。
人の動きが抑制されたGWを越えているから、余計に感じるのかもしれないが・・・

何度も言うが、今出ている数字は、
GW中に人の動きが最大限抑制されたときに感染したと思われる人の数である。

まぁ・・・専門家の人も対策を考えている人もわかっていることなので、
私が声を大にして言わなくても、みんなわかっていることなのだろうと思うが・・・

それにしては、人の数が増えている。

GW開けに・・・いろいろな地域で、PCR検査の数が増えていると思われる。
今月末・・・どんな数字になっているか・・・そこが肝要であるし、
警戒宣言が解除になるときの解放感が、今から怖い・・・
と思うのは、私の取り越し苦労なのだろうか・・・
取り越し苦労であってほしいと思うが、
『油断大敵』
その言葉を肝に銘じておくべきだと思うのである。

今、経済的に追い込まれている人たちの救済も一刻を争う課題であると思う。
そのことこそが出口対策・・・なのだと感じるのである。
一人一人が、笑顔で元気でいられるように・・・と願うのである。

屋根裏から出てきた言の葉たち・・・

2020-05-12 11:31:46 | 表現にからむ様々なこと
邪気をもつ、子らの笑顔。
無邪気を願う、おとなの幻想。

かくれんぼして、柘植の陰で迎える日暮れ。
・・・きっと、みんな帰ったんだ。
・・・きっと、私のこと忘れたんだ。
・・・きっと、誰もいないんだ。
でも・・・動けない。

疑いをもつことを知り、
真実を求めることを恐れ、動けなくなる。
聞こえてくるのは、私の鼓動。
ひざを抱え、独り、動かない。


A4の用紙に書かれた言の葉たち・・・
保存してないんだよなぁ・・・きちんと。
そんなものが、無造作に置かれたままになっていて
もちろん雲散霧消した言の葉たちもたくさんあるわけだが、
大切なメールのやり取りも、プリントアウトされていて、
あぁ・・・ここに原点あるなぁって思ったりして、
心地よい時間だったなぁ・・・と思ったりする。

どやら、20年前くらいに書きとめた言の葉たちの様だ。

屋根裏をネズミが駆け回り・・・大変な事態の中。
諸事情から、業者が屋根裏に入るかもしれず、
やむを得ず片付けが始まった・・・切羽詰まらないと私は動かない。

切羽詰まったおかげで、少しだけ、言の葉たちを拾い集めた。

ファイルしなおそうかなぁ・・・

やっぱり、私に一番影響を与えた人物は・・・そうか、『この人』だと確信する。
「なんで邦子は○○なんだ・・・」と言われたとき、気付いていなかった。
でも、自分の表現は、『あそこ』に置いてきたままだ・・・
というか、翼はすでにもがれてしまった・・・

高くは飛べなくていい・・・
孤独の中で、探し始めてみよう・・・と、そんなことを考えた。