CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

誰かが誰かを

2019-05-29 18:43:16 | 心のささやき
誰かが誰かを、愛してる。
誰かが誰かを、求めてる。
誰かが誰かを、傷つける。

正義という大儀が闊歩する。

誰かが誰かを、裁いてる。
誰かが誰かを、憂いてる。
誰かが誰かを、虐めてる。

あぁ、人間とは、なんと愚かな動物だろう。
自分が善であることを補完しながら、存在したがる。
一斉に攻撃し始める。
尻馬に乗る。

イメージするんだ。
いのちは等しくあることを。
イメージするんだ。
いついかなる時もあらゆる可能性を。
イメージするんだ。
被害者にも加害者にもなりうる自分を。
善ではない自分を意識するんだ。

ただ存在のみを愛おしむんだ。

そうしなければ、踊り出す。
正義という大儀を振りかざし、踊り出す。

攻撃は、攻撃を生む。

優しさから出たはずの言葉が
凶器となりうることを、覚えておくといい。

そうだ、そうだと同調するな。

その前にイメージするんだ。
ひとつひとつの苦しみ哀しみ、そして喜びを。

誰かが誰かを、愛してる。
私はあなたを、愛してる。


夏場所のこと、大相撲のこと。

2019-05-27 18:04:36 | お相撲(スポーツ)のこと
インターネットを介して、
このブログもFacebookもTwitterも使って、
持論を展開しているので言えた義理ではないが、
個人の『批判』が、こともなく集団化して、暴力と化すことがあると感じている。

私自身、よく知りもしないで、人から伝え聞いた、
しかもネット上で知り得たことで判断し、批判をし、のちに猛省したことがある。

さて、なんの話がしたいかというと、
栃ノ心が「勝ったと思ってしまった」と言ったと伝えられている
十三日目の取り組みの判定のことだ。

そう、勝敗は、行司に軍配をもらっても、物言いがついたら、審判の判断を待つ。
行司も、栃ノ心も「人生かけてる」から、それくらいのこと充分に分かっている。
だから、審議をした上で、行司軍配差し違えと言われたら、『差し違え』なのだ。

だから「勝ったと思ってしまった。」という言葉で、栃ノ心は、自分を鎮めている。
もう決したこと、なのだ。

ところが、いろいろなところで、物議を醸している。
それに乗っかって、インターネット上では、批判のるつぼ。
それは、集団暴力と思えるほどだ。

行司も栃ノ心も「人生かけてる」ように
審判部の親方衆も、当たり前のことだが、大相撲に人生かけてる。

「目の前の」勝負審判の目を重視した。
それが、正しいと私は、言いたい。

大相撲は、誰かにヨーイドンと言われて始めるわけでは、ない。
仕切りながら、気を合わせて立つのである。
自分たちが「あった!」と思っても、手つき不十分で行司が止めることもある。
「いや!今、ついた!なぜ止めた!」とはならない。
相手が合わせないからいけないんだ!などと言わず、しっかり合わせるようにする。
審判の合図で取り組みが始まるアマチュア相撲との大きな違いだ。

そして、実はビデオを勝敗の判断の一助にすることを始めたのも、
他のスポーツに比べて、早いことを申し添えておく。
確か、1970年代には、ビデオ判定を物言いがついた場合の参考にしている。
あくまで参考だ。
それが、大相撲だ。

ただ、物言いが付かなければ、行司軍配が勝敗を決する。

おいおい、違うんじゃないの、物言いつけておくれよ。。。
と言いたくなることも、もちろんある。が、先日書いたように、
物言いがつくような相撲とってちゃダメだろと思い直すわけです。

ビデオ室の判断を参考にしたが、最終的には、一番近くの勝負審判の目を重視した。

そして、勝負は決したのです。
それが大相撲です。

そういった大相撲の醍醐味を知って欲しいし、楽しんで欲しい。
『大相撲が駄目になる』とまでおっしゃている方がいるようだが、それは違う。

大相撲という歴史と文化を大切にする。
守ることは守り、変革すべきことは、する。
今、真摯に取り組んでいるその姿を見ながら、
私は、どうしても書かずにはいられなかった。

三役経験のない平幕の朝乃山が初優勝をしたのです。
そして、栃ノ心が、10勝をあげ、大関に返り咲くのです。
貴景勝は膝を痛め休場、来場所は角番。
遅い出世の竜電が、しっかりした相撲を取っていた。
技能賞を取っている。
それが、この夏場所です。
十二番の優勝を平幕に許したということを、
役力士は、しっかり考えなければいけない。

昨日の千秋楽打上げパーティには参加できなかったが、
阿武松親方、おかみさん、阿武咲、武政、若山、みんなみんな、応援してるよ。
蘇、お疲れ様でした。
怪我に苦しみながらも頑張ってきたね。
頑張ってきたことすべてが、蘇の身体に染み付いている。
新しい人生をしっかり一歩ずつ歩むんだよ。
慶天海、苦しいね、頑張れ!
気持ちを切らさず、怪我に気をつけて、頑張れ!

というわけで、中泊の竹内さんからいただいたおかきを食べながら。。。
つらつら気の向くままに、書いてみたお邦なのでした。

それぞれのプライドをかけて頑張りぬくこと。。。

2019-05-25 15:00:30 | お相撲(スポーツ)のこと
2014年9月・・・
このブログで、同体でしょ、取り直しでしょ、どう見たってと騒いでいた私。

そう、相撲の判定は、『人の目』を、土俵下の『審判の目』を大切にする。
いまや、多くのスポーツでビデオ判定が行われている中、
土俵下の『審判の目』、5人の土俵下の審判の協議で決する。

昨日の栃ノ心と朝乃山の一番。

栃ノ心にとって現時点で忘れられない一番であることに間違いはない。
しかし、今日、明日、あと二日、会心の相撲で十勝、いや十一勝もできるではないか。
大関返り咲きを決める会心の相撲を取ればいい。
そうすれば、昨日の相撲ではなく、
昨日の相撲を乗り越えた一番が忘れられない相撲になるはずだ。

同僚の豪栄道ファンが、私に言う。
「阿武咲、取り直しにしてあげてもよかったのに」
「物言いなんでつけないんだろう、きわどかったよ」と。
私はその度にこう答える。
物言いの付くような相撲を取ってちゃいけないんだ。
しっかり勝たないといけない。
もちろん、土俵際、あきらめずにとることも大事だけれど、
しっかり、強い、前に出る相撲を取る、それに尽きると。

平幕に三連敗。
今場所、強い栃ノ心が帰ってきていた。
が、この三連敗は、強さが影をひそめてしまった。
相手をつぶすような乱暴な相撲は嫌いだけれど、
その強さでしっかり寄り切る姿は、ため息が出るほど強い。
腕力も半端ない。
そんな栃ノ心が平幕に三連敗。
『大関復帰』それが栃ノ心を固くしていることは明らかだ。
昨日も押し込まれていた。
引いて呼び込むというより、押し込まれていた。
相撲は明らかに朝乃山の相撲だった。
土俵際で掬い投げにいった。
しかし、かかとが・・・土俵の外にあった。
朝乃山に押し込まれていた証拠だ。
回り込みながら朝乃山の押す力によって、
栃ノ心の土踏まずが俵にかかった。
その足に体重がのった。
一瞬のことだ。
ビデオでは、かかとが砂をはいたようには見えない。
しかし、一番そばで観ている審判の手が上がった。

『勝負審判の目』それが見届けていた。
その感覚を信じ決した。

そう、大相撲は、『人の目』を感覚を大切にする真っ向勝負なのだ。
親方衆は、稽古の時にも真剣勝負。
力士たちのギリギリの一歩先までの稽古を見届けている。
その稽古がなければ、無差別級の相撲は、成立しない。
並大抵の稽古ではない。
そこと向き合っている親方衆の、審判の判断だ。

栃ノ心が今日、明日、しっかりと勝ち切ってくれることを祈りながら、
だからこそ、大相撲だと思う私ではある。

攻め込んでた方を取る・・・ビデオなどない時代は、当たり前のことだった。
スローで観たりすることもない。
俵の外にセンサーでも付けますか?いやいや違うでしょ、それは間違っている。

大相撲の過酷さであり、大相撲の面白さでもある。

さぁ、あと二日。

心技体・・・肝心なのは『心』である。
朝乃山が平常心で取り切ったとしても、相手は上位で分が悪い。
自分の相撲をあと二日間取り切る、それだけに集中して頑張ってほしい。
こうしたことで『心』が鍛えられていく。

私も・・・自分のすべきことしっかりやり切らなくては、
勝ち越した若山に笑われる。

それぞれが、それぞれに、プライドをかけて。。。
あと二日・・・
私は6月9日の渋谷ラトリエまで、頑張りぬかなくっちゃ。
まっすぐ頑張りぬくことを教えてくれる大相撲が私は大好きだ(^.^)

阿武松親方にエールを送ります!!

2019-05-23 09:00:00 | お相撲(スポーツ)のこと
昨日、ブログにマイクを使えないということについて書いた。
本当にマイクは魔物で・・・
昨日の大相撲で我らが親方、審判部長である阿武松親方の物言いの説明が話題をさらった。
これまでも、さらっと書いてきているが、
阿武松親方の実直さは誰もが知るところであるが、
マイクを持つととても緊張される。
千秋楽打ち上げパーティーの挨拶もいつもまっすぐで、とても真剣に挨拶される。
それは、応援してくれる後援会の人たちへの熱い感謝の思いからそうなるわけで、
その緊張ぶりは、手に取るようにわかる。
本当に、まっすぐな人なんだなぁ・・・と思う私なのです。

相撲道にまっすぐな親方の場所に対する思いも
取組の一番一番に対する思いも
そして、審判部長という重責に対する責任感も
さらに、マイクがもたらす緊張感も
あらゆることが重なって、いま、話題をさらってしまっている。

それは、阿武松親方の実直さの表れだと思っている。

私は阿武松親方のその実直さが大好きだ。
そんな実直な人だから、
不知火親方もしっかり育っている。
音羽山親方も、立派になった。
部屋の力士たちも感謝を忘れない。
花道を入ってきて土俵に礼をするその姿。
花道を下がるときにも勝っても負けても
その礼をする姿に心がこもっていることがよくわかる。
所作にすべてが現れている。

だから、私は、土俵に集中します。
言葉の間違えや混乱は、たいした問題じゃない。
あの取り組みで、土俵際で、優勝争いにかかわる終盤戦の最初の取組で
朝乃山が足の指を持ち上げて勇み足をこらえて、前に出る相撲で勝利した。
そのことの方が重要で、
もちろんそこにかかわる物言いの説明で混乱を招いたかもしれないが、
それは、土俵に対する思いの強さからくるものであると私は理解している。

大好きな阿武松親方にエールを送る!

さぁ、土俵に集中しよう!
終盤戦、幕の内最高優勝をめぐる戦いが面白くなってきた。
最後の一番まで、自分の相撲を取り切って、
大きなけがなく、場所を務め切ってほしいと願うばかりです。

『マイクを使える』ようになれない私。

2019-05-22 09:22:19 | 表現にからむ様々なこと
昨日の嵐が去ったあとのGigに駆けつけてくださったみなさん、
本当にありがとうございました。
自分の思い込みで突っ走り、無理なお願いばかりする私に
真摯に向き合ってくださる大由鬼山さんに心から感謝。
そして、『場』を提供してくださり、
支えてくださる杉田誠一さん足を向けて眠れません。
昨日の写真あっぷあっぷ(^^)








歌うことを始めて9年。
いろんなことがあったけれど、
大由鬼山さんとの出会いは、かなり重要な出来事だ。

どちらかというと、自分で転んでみないと納得できないタイプで、
その私にまっすぐ向き合い、真摯に取り組んでくださる。
音楽に関して、ほとんどわからない私に、
なに素人が言ってるんだ、付き合ってられるかなどと言わず、
付き合ってくださり、さらに言えば、真摯に向き合ってくださる。
そして、こんなことできるんじゃないか、と提案してくださる。

昨日は、歌い始めた頃から、どうも気になっていた『マイク』が、
再び気になり始めた。

あぁ、てっちゃんが、いない。
PAであり、数々のレコーディングもしてきたてっちゃんは、
何度か「マイクなしでいけば?」と私に言った。
いま、そばにいてくれたら、いろいろ相談できるのになぁ。

そして、照明のYさんも、邦子はマイクなしで歌うべきだと。

この二人は、関わった時期は違うけれど、浅川マキさんと仕事している。

シャンソン歌手であり、訳詞に関しても見守ってくださったHさんは、
『マイクを使える』ようになって欲しいと言っていた。

そう、9年経っても『マイクを使える』ようになっていない。

不器用すぎるな、私。

大由さんの尺八と初めて対峙した時、
その音に『マイク』は合わないと感じた。

それは私が『マイクを使えない』ことにも起因する。

きっと使える人は、難無く歌うのだろう。

ここに来て、振り出しに戻った。

これ、悪いことじゃないはずだ。

l’atelier は会場も広く響きがありグランドピアノも一緒だ。
マイクを使うことになる。

あぁ、300の小屋で普通に芝居してたあの頃。
市民会館の大ホールで台詞を言えたあの頃。
私の身体はどうなっていたのだろう。
モノローグを呟いてさえいた。

この身体ではダメなんだ。

歌うための身体、語るための身体、そして、『マイクを使える』技術。
そうそれは、単純なことでなく、
ただ単に、上手に使えるようになるということではなく、
『私』が使う、ということなんだ。
なかなか手強い。
道具を使うって、難しい。

どれひとつ満足のいくものは、ない。

それでも、今持てるものを使い切って立つしかない。

私が私として立つだけなんだ。

楽しんでいただける最強の布陣です。

2019/6/9(日) 12:30open/13:00start
3,000円(drink別)
l’ate by apc (渋谷並木橋)
CuniCo(歌、語り)
ケミー西丘(ピアノ)
大由鬼山(尺八)
杉田誠一(協力/写真)

参加申込受付中!