虹の架け橋

2004年の44歳から綴ってきたブログ。塾長として、男として、父親として、そして爺として、感じたことを記した記録。

松下幸之助「道をひらく」

2018-09-23 | 男日記
先頭を走っていると明るい光の見える時もあれば、
真っ暗闇に遭遇する時がある。
そんな時は、苦しい。
本当に苦しい。

この道で良いのか、道を誤っていないのかと、
自分の足跡を振り返る。
自分の後ろには仲間たちの姿や家族の顔が見える。
私を信じてこの人に付いて行こうと。

回り道をする時もある。
分岐点を見誤る時もある。
それに気づけば良いが、
気づかない時は、自分だけの過ちでは済まされない。

壁に遭遇した時は、自分の行動を振り返る。
そして色々考える。
考えても突破口がみえない時は、
先人、書物に縋る。
今日はそんな日だった。

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失敗か成功か

百の事を行って、一つだけが成ったとしたら、
これは果たして失敗か成功か。
多くの場合、事の成らない九十九に力を落とし、
すべてを失敗なりとして、悲観し意欲を失い、
再びその事を試みなくなる。
こうなれば、まさに失敗である。

しかしよく考えれば、百が百とも失敗したのではない。
たとえ一つであっても、事が成り立っているのである。
つまり成功しているのである。
一つでも成功したかぎりは、
他の九十九にも成功の可能性あるということではないか。
そう考えれば勇気が湧く。
希望が生まれる。
そして、事の成った一つをなおざりにしないで、
それを貴重な足がかりとして、
自信を持って再び九十九に挑むことができる。

こうなればもはや成功したも同然。
必ずやその思いは達成されるであろう。

どちらに目を向けるか。
一つに希望を持つか、
九十九に失望するか。
失敗か成功かのわかれめはこんなところにもある。
繁栄への一つの道しるべでもあろう。

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諦めない。
もう一踏ん張りするか。





 
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感じのいい人

2018-09-21 | 男日記

これを一つずつ自分に取り入れられたら、
私も変わると思う。


(1)
物を手渡すとき、
承諾の一言を添えて差し出す人が、愛される。

 (2)
寝起きが悪くても、
八つ当たりしない。

 (3)
自分の話が終われば
「あなたはどう?」と聞き返すのが、
コミュニケーション。

 (4)
ぴったり準備をするのがアマチュア。
十分な準備をするのがプロ。

 (5)
「自己投資」という
人生最高のギャンブルを楽しむ。

 (6)
「無理を言ってごめんなさい」と言えば、
無理なお願いを聞いてもらいやすくなる。

 (7)
自分が謝るべきときに、
感謝の言葉でごまかさない。

 (8)
電車内で空き缶が転がっていたら、
手元で拾って、隅に立てておく。
余裕があれば、
駅員に渡すか、ごみ箱に捨てる。

 (9)
「何の話をしていたんだっけ?」と言えるのは、
素晴らしいこと。

 (10)
素直に他人を褒めると、
自分の長所や才能を発見できる。

 (11)
感謝や謝罪は、
すぐしないと意味がない。

 (12)
「お撮りしましょうか」と
声をかけるあなたは、優しい人。

 (13)
言いかけてやめることほど、
感じの悪い話し方はない。

 (14)
電話機の近くに花を置いて、
落ち着いて穏やかに話せる準備をしておく。

 (15)
相手の価値観が、
自分の価値観に反していても、
否定せず、認める。

 (16)
相手の荷物になるプレゼントは、
もはやダンベルと同じ。
プレゼントが上手な人は、
相手の荷物にならないか考える。

 (17)
「そうなると思っていた」は、
後出しじゃんけんと同じ。
感じの悪いルール違反。

 (18)
アドバイスを求めておきながら
反論するのは、マナー違反。

 (19)
肯定・理解・同意の言葉は、
二度繰り返すと、失礼になる。

 (20)
人の本性が現れるのは、
勝ったときではなく、負けたとき。

 (21)
ポケットは「物入れ」のために作られた場所。
意味もなくポケットに手を入れない。

 (22)
相手を変えようとしない。
自分が変わればいい。

 (23)
よりよい人間関係には、
意思表示が必要。
相手の顔色をうかがって
本音をごまかしていると、
薄っぺらい人間関係になる。

 (24)
感じのいい人は、言い訳をしない。
素直に謝るから、感じがよくなる。

 (25)
感じのいい店員さんを求める前に、
感じのいいお客さんになっているか。

 (26)
「10割のいい人」を目指すから苦しくなる。
「7割のいい人」を目指せば、楽になる。

 (27)
普段から明るい言葉に触れていないと、
だんだんネガティブになっていく。

 (28)
健康運の悪い人は
「満腹を100パーセント」と考える。
健康運のいい人は
「腹八分目を100パーセント」と考える。

 (29)
利害のない人と接するときの態度が、
あなたの本性。

 (30)
下品な人は、大きな足音で歩く。
上品な人は、静かな足音で歩く。



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自分の足で歩くこと

2018-09-19 | 塾長日記
親御さんがわが子に塾に通わせる目的は……、
成績の向上が第一義である。
付加価値を望まれる親御さんもいらっしゃるが
それも第一義がクリアされて成り立つことである。
成績をど返しして、
人間力の向上を第一義にされる親御さんはいないと考えるべきだ。
成績を上げるには実力テストの得点、
期末試験の得点、内申点の評定が一番わかりやすいが、
それにすぐ到達できる子どもは半数、
いやその半分かもしれない。
誰しも小さな階段を上ってやっと辿り着くもの。
人に抱きかかえられて辿り着いても、
次の階段は自身の力では上りきれない。
自分が歩んだことが血となり肉となって、
自身の掴み取った財産となって行く。
「小さな積み重ねの大切さ」
私の好きなイチローさんも色々な場面で語ってみえる。
子どもだろうが大人だろうが、
これは誰にでも当てはまること。
そしてそれはいくつになっても続くということ。
それを感じなくなったら、衰退が始まる。
塾でも色々な場面で
この小さな積み重ねの大切さを発信する。
その流れを自身の心で感じ、
自分で咀嚼し、自身の成長スタイルを見出すこと。
これが鍵になる。
人から言われてもそれは単なる請け負い。
自分がどうしたら目的地に辿り着けるか、
自分の歩幅はどの程度かを客観的に計れるようになれば
次のステージに立つ切符を手にできる。
こんなことを感じた今日の教室現場だった。
子どもたちよ!
塾長も進化し続けるよ。





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十日まつり、やっとできました。

2018-09-17 | 男日記
地元のまつりである「十日まつり」
今年は10月8日の予定だったが、
生憎の雨。
予備日も雨。
順延した15日も雨。
最後の頼みの綱の本日……。
晴れてくれました。

私の句です。
親父が言った言葉です。

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夢を描くこと

2018-09-12 | 男日記
2020年春に上野塾本部校を開校したい。
その夢の第一歩として図面を描く。
場所も何も決まっていないが、
これを持って2019年は動こうと思っている。
夢実現に向けて……。



あっ、トイレがない…………。

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15年目に突入

2018-09-01 | 男日記
今日は9月1日。
私が前勤めていた会社を辞めて、独立した日。
独立日は2004年の9月1日。
あれから丸14年が経過し、今日から15年目に突入。

最初の1年は真っ暗闇の中を突っ走っていた。
やってもやっても結果が伴わない日々が続いた。
生きていくために前職から引き継いだ芥見校に加え、
2005年春、自宅に本校を開校した。
お袋や家内の協力、我が子たちの応援もあって、
2年目、3年目と亀の歩みではあったが、
止まることなく、塾を続けてこれた。

2013年春、平野社長からご縁をいただき、西郷校を開校した。
顧問税理士の永井先生との出会いもあって、
2014年1月に個人事業主から株式会社上野塾の法人名を持つ会社組織へと
私自身のギアチェンジをした。

2015年春、仲間教師である亀山の紹介で関校を開校した。
これに家内が行っているピアノ教室も法人の傘下に加え、
400名に手が届く所まで歩んできた。

私には一緒に上野塾神輿を担いでくれる仲間教師がいる。
西国原、黒田、亀山、北島、加藤、渡辺、そして多数の非常勤講師。



この仲間達が居てくれたから今日がある。
感謝している。
本当にありがとう。

15年の節目として、自分に褒美を与えると同時に
仲間教師たちにも喜んでもらいたい気持ちから、
法人社用車を用意した。
皆に乗ってもらいたい。
こんなことができるステージまで来た。
14年前の私は20万の中古軽トラだった。



上野塾は2020年にもう一つ上のステージを目指す。
仲間たちが「やってみたいことを描ける塾」を創り上げる。
それが私の使命だと思っている。

親父が天に逝く時に、当時高校生であった私に言った言葉、
「もう一旗上げてくれ」を心に刻んで、次の準備に入る。

塾をこよなく愛する塾男が、
岐阜の地で生涯現役を貫くことがあってもいいと思っている。

そうすることが今までお世話になった地域の皆さんへの
恩返しに繋がると信じる。

また、走り始める。
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