上野塾が生まれたのは、2005年4月。今年の4月で丸16年。卒業生も891名を数える塾に成長させていただきました。私の塾屋人生、この16年間は喜怒哀楽満載の深い愛情と、厚い情熱で綴られた年月(としつき)でした。自分自身の塾屋人生が終わった訳ではありませんが、現段階で「わが塾屋人生に悔いなし」と言い切れます。
そんな思いを今持たせていただけるのは、今日ここに集ってくれている上野塾仲間がいてくれたからです。私ひとりで今日(こんにち)の上野塾を創ることはできませんでした。16年の歴史の中で、皆が上野塾の御輿を担いでくれたから今日があるのです。
振り返ってみると・・・
◆2005年4月、上野塾は60名でスタート。永田さんが週2日大治から応援に来てくれました。永田さんも四畳半スクールが軌道に乗って、1年で上野塾を去ることになりました。さぁ・・・困りました。
◆2006年4月、西国原さんが加わってくれました。西さんが加わってくれた4月に上野塾は100名になりました。ひとつの節目でした。100名の塾を創るのに1年半を要しました。このころやっとコピー機のリース契約をできるようになりました。それまではA4専用の複合機を購入するのがやっとでした。
◆2008年4月、黒田さんが加わってくれました。この年に上野塾は150名をカウントして印刷機のリース契約ができるようになりました。地域こども支援もこの年に始めました。月謝1,000円の地域支援は小学生本科生への大きな核になりました。
◆2012年8月、第1回極合宿開催。熊谷さんとのコラボが始まりました。同年10月、本校前で◯◯◇◇君が交通事故に遭いました。「もう伊自良で上野塾が出来ないかもしれない」と頭を過ぎりました。この事故は幸いにも大事には至らず、ほっと胸を撫で下ろしたことを今でも覚えています。これを契機に本校前の県道に出迎えスタッフを配置するように義務付けました。同年11月、渡辺ちひろさんが加わりました。前職の長良校での私と黒田さんの教え子です。塾教師として一歩一歩階段を上がっていきました。
◆2013年2月、急遽上野塾西郷校の出店を決めました。特別塾生制度を地域に発信しました。一気に西郷校は100名教場に名乗りを上げました。同時に塾生数300名が確定し、平野佳奈子さんが加わりました。そして2014年1月6日に株式会社上野塾が生まれました。
◆2014年4月、亀山英典さんが前職を退職し、法人格を取得した上野塾に入社してくれました。正社員の平均年齢が一気に若くなりました。
◆2015年3月、北島さんが入社。マイクロバス運行に必要な中型限定解除の免許を入社前に取得してくれました。本校から芥見校、西郷校から芥見校の送迎が可能になりました。
◆2015年4月、上野塾関校を開校。学区によって英語の教科書がクラウンとホライズンと異なるなるため、美濃学区にどうしても教場が必要でした。この関校がこのあと上野塾を支えてくれることになりました。教室長は亀山さん。開校以来順調に右肩上がりの成果を出してくれました。
◆2017年3月、加藤さんが入社。本校の教室長候補としてスタートしました。同時に渡辺ちひろさんが退職しました。
◆2017年7月、上野塾在籍塾生最高値「394名」。決算賞与も出せる塾に成長させていただきました。
◆2019年2月。どんなことでも順風満帆ばかりではありません。上りもあれば下りもあります。晴れの日もあれば雨の日もあります。芥見校と西郷校が40名台まで在籍が落ちてきました。大手塾の芥見進出、西郷進出。正に上野塾がターゲットでした。芥見校は15年の幕を下ろすことにしました。西郷校は上野義塾として再生することにしました。と同時に、西国原さんを独立させる舵を切りました。それが2019年2月15日。私のブログにも「記念日」として記しています。激動のど真ん中の上野塾に教え子の嶋津陸が入社してくれたのは、その年の4月でした。
◆2019年は2020年を準備する1年でした。芥見校の閉鎖。西郷校の義塾創設。事業部制の導入。2020年3月末に上野塾本校を休校し、上野塾高富校へ本校生を移籍。コロナ禍の中、3月・4月・5月は毎月時間割が変わる不安定な時期もありました。休業要請もかかり塾を休校にしました。授業料の返金も行ないました。初めてのZOOMを使ったオンライン授業も行いました。本当に激動の2020年でした。売上が落ちた補填として、持続化給付金・雇用調整助成金・家賃補助給付金等、様々な給付金や助成金申請を行いました。そんな大変な中、念願の自宅の古民家再生は2016年に令翠学で私と家内を見てもらった際に一番良い時期として2020年と言われたのを信じて、予定通り古民家再生工事を実行に移しました。
◆そして本日3月22日。西国原さん、亀山さん、北島さん、加藤さんを送り出す日になりました。これからは西国原さんが舵を握り、3人が西国原さんを支える組織体をつくり、物心共に豊かな人生を勝ち取ってください。それぞれが夢を持ち、その夢実現の為に歩み続けてください。遠くからずっと見ています。
◆西国原さん、今日まで私に付いてきてくれてありがとうございました。あなたの新卒時代からの付き合いでした。名古屋の南光時代は本当に濃厚な時間でした。上野塾になっても私を支えてくれて最高の番頭役でした。これからは岐関塾の社長として、そして塾長として、自信を持って堂々と歩んでください。今日まで本当にありがとうございました。感謝しています。
◆亀山さん、あなたの魅力は人を笑顔にできることです。子どもを見る目にも優しさと厳しさがあります。そして学ぶ姿勢に謙虚さと素直さを持ち備えています。もっともっと伸びて行きます。岐関塾を成長させてください。目標を△△さんに定め、関校を250名まで成長させてください。そして美濃学区№1にしてください。
◆北島さん、あなたの斬新な人事、時間割作成、計画的業務進行など、あなたの得意な分野で西国原さんを支えてください。塾長補佐としてあなたの役割は大きくなります。
◆加藤さん、立派な高富校の教室長に成長しましたね。高富校の新年度説明会で親御さんとお子さんの気持ちをきちんと掴んでいました。お母さんたちがあなたを見る眼差しに信頼感が溢れていました。山県市で№1の学習塾に成長させてください。
最後に、私からの送る言葉。
「過去が今を創り、今が未来を創る。」
未来のために、今を本気で生きてください。
上野塾 塾長 上野義行