黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

顔の無い画

2005年06月21日 21時10分04秒 | Weblog
6月21日分の日記という事で。

 さてはて、まだ今日が今週始まって二日目の火曜日だと言うことが、微妙にシンジラレナイ輩です。何故かもう既に週末近いんじゃあるまいかと思うくらいに、どっぷり疲れてます。体力的にはまだ余裕がある筈なのですが、どうにもメドイメドイという気分がずっと抜けないままで、もはや週末明日から休みにしてぐったりしたい気分です。でも、まだ三日間あるんだよなぁ、水木金と。しかも腹の立つことに、金曜日は業務終了後に労組の講習会とやらがあるらしく、オフに参加しようと思ったらそれに邪魔をされる形となりました。くそめが~、労組なんぞにはまるっきり興味がないというのに。そんなものに妨害されるというのは、正直言って気に食わない所。参加不参加の自由くらい認めて欲しいものですが、強制参加の様子。ああ、腹が立つ、きっと当日は不機嫌きわまりない顔をしているでしょう。
 しかもなめくさったことに、講習会終了後に懇親会とやらをやるんだそうです。ぶっちゃけ、講習会だけ出て帰って良いですか? 私は酒は飲めませんし、あまり宴会的な雰囲気は好みません。オフはオフで宴会とは別ですが、そのまんま宴会というのは大嫌いで。特に懇親会やらコンパやらというのはとかく嫌いな部類に入るのですよ……。うちの会社は、労組は管理職以外強制加入のユニオンショップという形態をとっています。つまり、こちらには入るか入らないかの選択の自由が、最初から無いという事。せめて、講習会だけは出るから、その後の懇親会は参加を任意にしてもらえませんかね、まったく。まるっきり気が進みません。オフのことが無かったとしても、懇親会は参加したくないと思っていましたし。経理部の歓迎会で、もう宴会やら懇親会は充分です、もうヤメテ。
 とまあ、ひとしきり文句を言った所で、と。経理課での仕事は例によって例のごとしで、まあ何やら地味に仕事をもらってやっております。今日は何故かハンコ押しで、社印を書類にぽんぽんと押し続けること一時間ほどという、まあ何枚あるんだかという作業をしてみたりとか。多少力を入れて押さないとちゃんと印が出なかったので、延々と力を入れっぱなし。お陰で帰ってきてみたら、右腕がどうにもちゃんと動きません。さっきから、たま~に右手から力がすっぽ抜けます。おかしいな、文庫本専用本棚を、つい最近に無理矢理持って帰ってきた時でさえ、こんなに腕が笑ったりはしなかったというのに。ハンコ押す方が本棚運ぶより力がいるというのは、どうなんだろう?
 で、今受け持っている仕事はもう一つあって、こちらは明日一杯かければ終わりそうです。その仕事を回してくれた方は木曜日にならないと戻ってこないので、つまりは明日の内に終わらせることができればちょうど良いタイミングになる、と。本当は今日に飛ばしてやれば終わっていた計算なのですが、まああんまり急いでもな~とちと手抜きして減速しておりました。数値入力作業でしたが、数が多くて確認もしなければなりませんし、そういう意味ではどのみち明日に自己チェックを入れないとイカンかった訳ではありますが。地味な仕事をしてるもんだな~と日々思いながら、まあこういう積み重ねが結局は一番必要な事柄なのだろうということで。本当に明日一杯で終わるんだろうな、この仕事……。

 特に意味のない事柄を、今日は思考テーマに選んでみます。顔の無い画というのは何かと言えば、今現在に私が、自宅のノートPCの壁紙にしている画だったりして。多分、何かしらのゲームかアニメかコミックスか、要はそういった方向性の人物の画ではあるのですが。本当に元ネタがある画なのかどうかも分からず、詳細知らず問わずで気に入ったからそのまま壁紙にしてあるのですが、この画、顔がありません。顔の部分が無いと言っても、首チョンぱーになってるとか、首から上が描かれていないとか、そういうことではなく。単に、顔が見えないような構図で描かれているのです。ある意味で、顔が見えないからこそ気に入って、壁紙にしているような所もあるのですが。
 画の全体像としては、雲と空をバックにして、女性の姿を斜め後ろから見ているような構図になります。こちらから見えるのは、その人の後ろ姿と、長く風にそよいでいる髪だけ。顔は、横顔だけは見えますが、表情や目や口元などは一切分からないような構図。顔が全く分からないので、髪が長くて金色であるという以外、後は服装とか背景くらいしか元ネタを探る材料がありません。思うに恐らくは、元ネタの無いオリジナルの画ではないかな、と思っています。まあ、元ネタがあろうがあるまいが、気に入った画はおかまいなしにPCのフォルダに突っ込んでありますけれど。今壁紙にしているその画にしても、そうしてフォルダに突っ込まれていた一枚、というだけ。
 この画を眺めていると、幾通りもの解釈ができます。雲と青空を背景にして、女性は裾を風に流しながら、軽く両手を広げています。その表情は一切窺えないため、その人が笑っているのか、泣いているのか、怒っているのか、嘆いているのか、喜んでいるのか、後悔しているのか、まるっきり分かりません。一見すれば春から初夏の頃に、風を浴びている少女、というような構図ではあるのですが。これから雲がどんどんと広がって嵐が来るのかも知れませんし、その人の足元はほとんど描かれていないので、数歩先へ行けば実は断崖絶壁があるのかも知れません。両手を少し広げているのは、そこへ身を躍らせるためなのかも知れませんし。顔が無い、ただそれだけで、これだけ妄想が広がっていくものなのですね……。
 これと似たような話として、ミロのヴィーナス像の話があります。あのミロのヴィーナスは、両の腕がありません。そのために、彼女が一体どのような構図で作られていたのか、それは分からないままになっています。自分の身体を抱きしめていたのかも知れませんし、ダンスに誘うように差し出されていたのかも知れませんし、林檎を持っていたのかも知れませんし、実はコマネチを……って、さすがにそれはないか。両の腕の不在を、完成していないものと見なすのか、敢えて両の腕は最初から存在させられてはいなかったという考え方すらできます。完成か未完成かはともかく、欠損していること、そこだけが空白であること、「完全ではない」ことの、魅力。それはきっと、見る者の解釈を受け入れるだけの余剰部分、ということなのでしょう。
 全て一切合切を懇切丁寧に、想像の余地もなく、微塵も隙のない代物を見せられたとしたら、きっとそれはそれで感動的なものであるかも知れません。が、それは無味乾燥な風情があるか、でなければあまりに完成されすぎていて呆気ないものであるようにも思えます。そもそも人間が作るものにおいて、そんな完璧なる完全があるとも思えません。ならばいっそ、敢えて不完全を前に出して、見る者に委ねるという考え方もある。まあ基本的に、芸術なんてものは、見る者によってまるっきり解釈も受け止められ方も、感想も違うものです。万人に通用するものを作ろうとすれば、それは個性を失うことになる。個性があるということは、それを多少なりとも理解するなり共感するなりできる人を限定するということ。どこで妥協するのか、妥協しないのか、そこもまた、面白い所であり難しい所であるのかも知れません。

 意外と久々に、最後は本の話。昨日からは、ようやっと森博嗣の『四季』を読み潰しにかかっています。思いの外にペースが上がりやすく、昨日一日で『四季・春』を読破、今日一日でそれに続く『四季・夏』を読み切りました。明日には『四季・秋』を読み始める予定ですが、と言うかそれは既に確定事項ではありますが、恐らくは明日の内にこの『秋』も読み切ることでしょう。そして明後日に『四季・冬』を読み切ることができれば、一週間の内にあっという間に『四季』が一巡することになります。この調子でいけば金曜日は『四季』から抜けてしまうことになりますが、読む本は既に目星も付いています。もう一冊だけ、四季に関わらない森博嗣作品が残っていますし、ハヤカワで買った薄目の一冊もあります。ああ、読むものには困らない……幸福だ……。
 とは言っても、今現在の手持ちだと、恐らく今週は充分に足りますが、来週一杯をしのげるかどうかがちょっと微妙な感じです。大説家こと清涼院流水の一冊と、それから『冷たい校舎の時は止まる』の三冊で、合計四冊ありますから、まあ多分ギリギリで来週も保つとは思うのですが。さてはて、その後に何を読んだものかと考え始めていたり。ぼちぼち一旦は講談社ノベルスやらミステリからは離れるとして、しばらくはハヤカワを漁ってみるのも良いかな~と思っていたり。もしくは新潮から何かを探してみるか。そんなにミステリやら講談社ノベルスから離れることを意識しなくとも、まあ気になったものを買って読めば、それで良いのですけれど。実際に今買ってみようかどうしようかと思っているものは、またしても講談社ノベルスですし。あらあらまあまあ。
 もしくは、ちょっと方向性を変えて、幻冬舎文庫を見てみるのも良いかな~とも思ったり。最後に一冊だけまだ残っている森博嗣作品は、実は幻冬舎文庫のものです。そこからの縁もありますし、ちょっとばかし幻冬舎文庫を探してみるのも良いのではないかな、とか。でなければ、また宮沢賢治に戻ってみるとか、柳田圀男にまた更に回帰してみるとか、選択肢はたくさんあります。どうせ私が生きている内に全ての書物を読むことなど不可能ですから、興味があるもの、目に付いたものから優先的に読んでいくしかない訳で。少なくともまだまだ私にとっては、読み足りないという感覚が無くなりません。もっと、もっと、と内側からの大合唱が続いています。
 幸いなことに、勤務先の最寄り駅周辺には、それなりに大きな書店が入っています。お陰で本を探すに不自由はありませんし、そこならば何か特定の目的を定めずに行っても、財布の制約を課さない限りに置いて、三冊四冊五冊くらいは買ってしまうでしょう。今はそれでも良いだろう、と思っています。本以外のものにお金を使うつもりは一切ありませんし、強いて言うならダブルサスのMTBがちょっと欲しいかな~でもどうしようかな~というくらいのもの。つまり、本に関しては、迷ったら買うというくらいの感覚でいても全く問題がないということ。実際、毎月に本に使っている金額を見ると、普通に二万円以上使ってます。食費が毎月三万円を多少超えるくらいですから、どれだけ本に使ってるんだか、という話。まあ、食費にしても、お昼のお弁当は給料からの天引きなので、計算外なのですが。
 本に使うなら私としては本望、どうせ他に使い道も無いわい、とね♪

〈今日も独り言〉
はい、いつも通りの長さの日記でした♪
……やっぱ、長いね(笑)

それでは。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
奇遇 (春宮真君)
2005-06-21 22:29:56
社会人はお付き合いが大変なようで。



さて、その顔のない絵とやら。私も持ってるかもしれません(笑

なんせ友人が送りつけてくる画像の中にまぎれていて、気に入ったから何の画像かと聞いてはみても向こうも知らないようでした。

私もかなり好きな一枚ではあるのですけど。

とりあえずURLのところに画像載せときますので、見てみてください。



ちなみに。私は世界の終わりのような美しさというのを思い浮かべたり。
顔のない絵~か…… (米倉千夜)
2005-06-22 15:18:07
これを見てさりげなく思い出したのはAirの観鈴だったり……(汗。



ミロのヴィーナスがコマネチをしていたらポーズの時点で価値が……

いや、逆に上がるのか……

私は水瓶を持っているとかなんとか聞いたことがありますね~。

ヴィーナスが出てきた畑もう一回掘り起こしてみれば出てくるかもしれませんね~
おや(笑) (黎明)
2005-06-22 21:44:33
社会人の面倒くささを感じつつ、黎明です。



>春宮真君様

あらまあ、奇遇なことに、まさにこれです(笑)

同じ画像持ってる人、結構いるようですねぇ。

それなりに有名な画像なのかしらん。

ちなみに、詳細知らずの画は、他にも結構手持ちが……っと。



>千夜様

と言う訳で、正解が出てしまいました(笑)

んが、恐らく千夜様が想像された、観鈴ちんのも持ってます。

結構バリエーションがあるので、その内の何枚かだけ。

ヴィーナスが「しぇー」とかしてたら、笑えるのに♪





それでは~。

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