黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

無縁は今後も増えるでしょうね(自分含む

2018年10月28日 23時39分22秒 | Weblog

10月28日分。

 毎度。金曜夜の内に若干無理をかけて単発動画を作成、土曜日は次の発想と素材探し……と虚脱状態に襲われてサボリ気味でしたが、今日は活動中。幽霊です。結果的に、土日ともほぼお外に出ていません。ハロウィン? 知らんがな。

 久々に動画の頭に結構手間の掛かる要素を突っ込んでおり、土日を潰してやっと1分半が出来てきたというくらいです。かつ、まだ後で再調整必須なので、一通り大体出来てからまた仕上げに戻ってくるはめになりますが……。それでも、編集作業していて楽しい(けど疲れる)と感じるのは嬉しいですね。

 

 さておきまして。タイトルの件は、「アングル:高齢化の日本で「無縁遺骨」増加、失われる家族の絆 」といった話から。これに関しては、実際今後もまだまだ増え続けていくんだろうなぁという気はしています。ぶっちゃけ、私自身も無縁遺骨という顛末になろうなぁと自分の終わりを予想しているくらいですけれども。

 個人的にはですが、この先「田舎暮らし」というのは一種の贅沢品になると思っており、高齢者ほど都会に「集めておく」方が良いとも思っています。過疎化している地域は「切り捨て」(インフラ維持費用をカット)し、お金がある人は田舎に住みたいならその分自前で支払ってね、という方向にする。日本ももう余裕のある国じゃありません。

 この方向に行く場合……でなくとも、「高齢者の一人世帯」は増え続けることになるんじゃないかなと。平均寿命は延びていますが、一方で未婚率も上昇傾向が続いている。その原因についての議論はありましょうが、今の数字だと特に男性の方の単身高齢者世帯が増えていくのではないかな、と。


 日本の今イメージされる「家のお墓」という制度自体は、そんなに歴史があるものではありません。ベースは江戸時代の檀家制度が前段として存在した上で、明治以降に家制度前提のお墓に関する制度が出来てきた感じ。今現在イメージされるお墓というのは、実質的に100年も歴史が無いわけです。

 お墓もまあ贅沢品の分類になっていく(既になっている?)だろうなぁとは感じつつ、世知辛い話ですがまともにお墓を新設しようとすると100万~300万だとか。そんな額は出せないわな……。今ある家のお墓に入れば良いじゃないと思いきや、こっちはこっちでお墓の管理トラブルの話だったり、継ぐ人がいなかったりという話もある。

 家族の単位から「核家族」へ人数規模が減って、更に今はもう「個人」が重視されるご時世です。まあ「消費」の単位は細分化した方が数も売れるので、そういう方向に進んでいったんだろうなとは思います……車とかスマホとか。その辺の流れに従えば、お墓だけ「家」の単位が維持されると思う方が変ではありますか。 


 我が家はどーすんでしょうかね、お墓。実家の方からはどうにもしちメンドクサイ話が漏れ聞こえてきており、その後を最終的に継ぐことになるのは社会不適合者の私です。そして私の後を継ぐ子は出来ませんので、つまり私のところで絶えることになる。そのこと自体については、割と前々からそうなるだろうと思っていたので恐怖感もありません。

 割とそういう状況の「家」って、うちだけじゃないのではなかろーかなーとか。この先もっと増えていくでしょう。まだ地方ではそこまで「悪化」はしないでしょうが、都会に分類される場所ではより希薄化が進むでしょうし、墓参りのために遠い「菩提寺」まで行くという習慣も無くなっていくんじゃないかな、と。

 私個人は、それでも別にいいんじゃないの、くらいの感覚です。自分の死後に自分の墓に参って欲しいとは思わないし、私の後に残る人はいませんからね。


 ではでは、今回の更新はこのくらいにて。



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