黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

自己紹介の仕方

2007年04月25日 20時44分16秒 | 就活雑感
4月25日分。

 通勤の行き帰りに、リクルートスーツ姿をよく見かけるようになったなーと思っていたら、そうかもう四月でありましたな。早いところではGWあけにも内々定を出してくるような企業もあるようで、ついでに言えば今年は求人倍率二倍であるとかどーとか。就職氷河期と言われたタイミングもありましたけれどもねぇ。私らのときだと、氷河期ってほどではないけれど、脱しきってはいないという感じだったか。よくまあ、今の会社に潜り込んだな、私。
 さて、久々にカテゴリ就活雑感。自己紹介の話。面接なんかで自己紹介してください、なんてのはよく言われるパターンで。今日は今日で、新しい部長と、うちの部の各自が個々に面談なんぞしたわけで、そのときに自己紹介なんぞするハメに。前もって聞いてはいたけれど、なーんも考えてませんでしたとも。はっはっは。
 んでまあ。就活での面接というのは、一人頭の時間が非常に短い。企業によってはものすごいやり方で数を捌くところもあって、一度本当にあったのが、一部屋に六人くらい学生を突っ込んで、全体で面接時間は何と十分程度。面接官が喋る分もあるから、実に一人頭一分弱というきびしーというか落とす気満々な面接がありました。もちろん落ちましたとも。それが一次面接だってんだからねぇ。
 そういう面接がある中でも、やっぱり自己紹介だけはほぼ必ずあるもので。手持ち時間が少ない中では、自己紹介というのも立派なPRポイントになってくる。と言うより、これはほぼ最初に来る質問だから、ここで勢いに乗れると結構ノリでいけたりするものだ。そんなときに、じゃあ名前と出身地をと言われて、「○○××、東京都葛飾区出身です。宜しくお願いします」とやってしまうと、面白みがない。まあ雰囲気にもよるんだけれども、他との差はまるっきり付かないことになる。
 そこでちょっとボケてみよう。「ぅわたくし、生まれも、育ちも、葛飾……ときておいて何ですが、残念ながら柴又では御座いません。性は○○、名は××。本日はなにとぞヨロシクお願いいたします」とか。まあこういうのは多分滑るかなーとは思うんだけれども。ひとまず、少しくらいは相手の記憶には残るだろう。出身地や名前に、何かしら手短なエピソードを持ってきてみたり、有名な何かに繋げてみたりすると、ただ出身地と名前を棒読みするよりは好印象になりやすい。ちょっと面接官から笑いを取れると、こっちも結構気分が楽になるものだし。そういう心理的な効果もある。ついでに、他の学生にプレッシャーをかけるというちょっとした戦術的な効果も。滑ると逆効果だけどね……。
 話の上手い人というのは、ちょっとした単語から話を引っ張ったり繋げたりするのが上手い。言うべき内容はきっちり揃えて、そして一つ笑いを添える。就活が始まってすぐにこれをやれというのは難しいけれど、慣れるまでは他の人がどんな話し方をしているのかを盗み聞きするのが宜しい。ああそういう手があるのね、というのも参考になるし。これやると転けるのねーというのも分かる。ぶっちゃけ、他人の志望動機だったりネタだったりが面白いなと思ったら、パクってしまう手もある。どうせ、そこで顔を合わせた競争相手とは、他の会社の面接じゃ顔を合わせることなんてまず無いんだから。
 自己紹介というのは、マジメにやってもフマジメにやっても、最終的に伝わるものは自分の名前と出身地と趣味くらいのもの。周りがみんなマジメにやっていて、どうも面接官が退屈そうな顔をしているなと思ったら、一発かましてみるのも面白いかも知れない。ちなみに。マジメにやるにせよ、フマジメにやるにせよ、だらだら話していてもしょうがない。あんまり長々喋ると自爆ミスが増えてくるので、まあ手短にひとしきり口上をあげたらお終いにして良いだろう。どーせ向こうも、メモ取ってるようなフリして、たいしたこと書いてないんだから。

読み:文庫『初等ヤクザの犯罪学教室』、コミックス『シンシアザミッション』三巻
買い:文庫『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』、コミックス『シンシアザミッション』三巻
途中:なし
月次読破:21冊(文庫11冊、コミックス10冊)
月次購入:20冊(文庫10冊、コミックス10冊)
通年度購入:20冊(文庫10冊、コミックス10冊)
通年度読破:21冊(文庫11冊、コミックス10冊)

それでは。

就活事情はどないかなぁ

2007年02月10日 20時21分09秒 | 就活雑感
2月10日分。

 たまたまニュースを眺めていて、今年の就活は「超売り手市場」というようなことをやっていたので、ちょいちょいと就活のことでも考えてみる。今年もそろそろそんな時期になってきているし……と。
 大まかに状況を見てみれば、とにもかくにもまずは2007年問題を控えて、企業の内部に人出が足りなくなりつつあるのは確かだと思う。私の勤めている会社は典型的な2007年問題に直面している例で、今年から数年の間にごそっと上の方の社員が抜けていくことになる。かつ、不況の時期に採用活動を手控えていたので、中堅世代が抜け落ちているような状況でもあって、上が抜けるといきなり平均年齢が十歳くらいは下がるんじゃないかと思われるくらい。当然、技能や知識の伝承なんてのも問題として出てきている。
 で、技能と知識を誰に継承させるのかといえば、若い世代に伝えていくことになる。すぐ下の世代に伝えては、その人たちもすぐに抜けてしまうわけだし。若い世代に伝えていくにしても、まずはその若いのを採用しないと話にならない。上の方がごそっと抜けていくことで、企業の支出に占める人件費の割合は若干下がってくるから、そこで生じた余裕で新入社員を採用できる余力が出てくる筈。まあ、これはある程度の規模のある企業に限られるが、就活で回るような企業であれば、ある程度の規模のところが多いから、この状況は平均値として言える……と思う。
 ただ、ここのところは中途採用での補強という選択肢も企業側にはある。即戦力という言葉がもてはやされた時期があったけれども、これは一応は中途採用の方が該当しやすい。まあもっとも、中途採用者の定着率が低い企業というのはあるし、中途採用であっても実質的には第二新卒と呼ばれるような状況の人達もいる。前の企業での技能が他の会社でも使えるとは限らない、ということもある。それよりもまあ、即戦力として持ってくるなら、むしろ今なら派遣を活用するところの方が多いかも知れない。色々議論は出てきているけれども、まだ派遣は安い、調整がきくという感覚はあまり変わっていないだろうし。
 その辺を考えると、企業としては即戦力になる新入社員を採れるに越したことはないけれども、一から新人を採る動機は、これから先を担ってくれる社員を一から育てていこうというものになる。上の方がごそっといなくなる分、次の世代を補充していかないと、企業の中にいる人間の絶対数が減ってしまうだけに、今後何年かは採用が拡大する傾向は続くだろう。まあ、その後にまた一段落ってことで採用が手控えになるかもしれないが。
 少なくとも、今年に就活をする人には有利な条件が多いと言って良いとは思う。

 ただ、良いとばかり言っていられない状況もある。まず、全般に人件費コストは圧迫されたままになっているところが多いから、初任給がどうしても低くなる可能性があるということ。働けさえすりゃ良いってもんでもないのだし、働くからにはある程度お金を貰わないとこっちが生活できない。2007年問題に追加して、今度は定年延長の問題もあって、この活路として各企業は再雇用制度を導入するところが増えてきている。となると、上の方が抜けてコストは下がるけれど、再雇用で給料は下げつつそのまま年長者を意地するということもできる。使える人だけ。となると、仕事上の競争相手にこれら再雇用者が入ってくることになる。
 再雇用なり、定年延長になった場合、上の方が抜けることで浮く筈のコストは、半分くらいはまた再雇用者もしくは定年延長者に戻ってしまうことになる。これはまあ、年金の支給年齢が引き上げになるために、つまり定年まで来ている世代のための制度であるからやむを得ないのだけれども、その分、席の空きは遅くなるということになる。この制度のメリットは充分に認めるし、年金が出てこない以上、やむを得ないところもある。ただ、その分若い世代に割がくるのは否めない。
 新入社員を教育していくには、これがまた結構なコストになる。ぶっちゃけ、十年くらいは、払った給料に見合った働きはしていないという言い方をするくらいのものだったりもする。日本の給与制度の場合、前提として長期間この会社で働いて貰って、先に投資してあげるから後でその分返してね、というイメージになる。この最初の投資に金がかかるわけで、これを再雇用なり定年延長で熟練者を維持することによって代替できないか、と企業は考える。データとして、NHKで今ちょうどそんな特集をしているのだけれども、雇用延長を活用した方がかなり得になるというデータになるようだ。新入社員というのは、何年かは役に立たないものなのであるのですよ……私自身も含めて。競争相手としての意味合い、席の取り合い、それから職場の雰囲気がどうなるか……というのはまだ試験的な段階にあるのが現状で。その辺を考えておく必要はあるだろうな、と。
 次。年金の話。一応、政府側の発表では、経済状況が良い状態で推移し、かつ出生率が上昇してくれば、現役時の五割を超える水準での支給は維持できる……ということを言ってはいる。ただ、正直言ってこの見解は相当に希望的観測に頼ってやしませんかと聞きたくなるわけで、実際には最悪のシナリオの方を見てみると、四十パーセント台に落ちることになる。となるとまあ、やっぱり自前で何かしら年金をフォローする必要性は出てくるわけで。先々のために蓄えておくべき金額が増えてくるとなると、若い内に使える金額は減ることになる。働いても収めた分はあんまり戻ってこない、んではそりゃまあ働く気も失せてくるわねぇ。
 もう一つ。まだここいらは何とも言えないけれども、先々にあり得るかなーということで。ホワイトカラーエグゼンプションという言葉は多分、聞いたことがあると思う。意味は……まあ、検索して調べてみる方が確実です。でまあ、こいつの適用範囲が、下に下に引き下げられてくるという危惧が指摘されている。つまりもう残業代はらわねーよ的な状況になりはしませんか、ということを指摘している人もいるということ。ここまで極端に行くかは分からないけれども……。それと、外国人労働者の受け入れ幅を拡大せよという主張が経団連から何度も出ていて、企業は更に人件費コストを圧縮しようとしている。これから先、この辺の事柄で状況が変わりうるということは、一応認識しておく方が良いのかも知れない。

 まあ、色々ごちゃごちゃとりとめのないことを書いてみたけれども。毎年、良い条件も一応はあるものだし、あんまり宜しくない感じの条件も出てくるもの。その中でやるしかないのだし、やるからにはもう、笑顔笑顔笑顔と、それから「宜しくお願いします!」のでっかい声で行くのが望ましい。というか、ぶっちゃけこの二つがあれば結構通ってしまうものでもある。似合わないリクルートスーツを着て、着慣れないワイシャツにネクタイ締めて、さあ、行ってらっしゃい……。
 ここでまあ、働いたら負けだと思う、という至高の名言はやっぱり置いておくべきよね。

読み:コミックス『エクセルサーガ』十七巻
買い:文庫『三国志』一巻、『栗原忠道』、『快楽主義の哲学』、コミックス『エクセルサーガ』十七巻、『よつばと』六巻
途中:文庫『ハイブリッド・チャイルド』
月次読破:文庫2冊、コミックス1冊
月次購入:9冊
通年度購入:212冊(文庫112冊、コミックス100冊)
通年度読破:205冊(文庫104冊、コミックス101冊)

それでは。

たまには就活雑感

2006年03月03日 21時36分37秒 | 就活雑感
3月3日分。

 灯りをつけましょ爆弾に、お花をあげましょ菊の花……というしょうもない替え歌を未だに記憶している私。でも、今この替え歌を迂闊な所でやると、自爆テロとか出てきそうなので止めておくとして。ちゅどーん。ちなみに、小便小僧は爆弾の導火線の火を消そうとしておしっこしてるそうだが、そんなことするまえに逃げた方が良かったんじゃないかと思ったりする。どこのトリビアの話だ。ちなみに、蜂の毒におしっこのアンモニアは効きません、悪しからず。
 取り敢えず、ひなまつりらしい。職場への行き道に、おにぎりやらお団子やら売っている小さな店があるのだが、その前でお兄ちゃんが立ってひなあられだの何だのを声を上げて売っていた。その頭に、節分の時の鬼面よろしく、お内裏様のお面が……。何というか、節分の鬼面、クリスマスのサンタクロースだのトナカイだのの扮装というならそんなに何かしら笑ったりもしないのだが、もの凄く今日のあれは違和感があったのは何故だろう。ついでに、ひなまつりって三色だんごなんか売る日だったかしらん。串にささってだんご、だんご。忘れ去られて古い、古い。
 ともあれ、明日は午後一から秋葉原へ移動、その後で今度は品川へ移動で、日曜日は朝から恵比寿へ移動。忙しい忙しい、というか先週の土日も休んでないんだけど、そろそろ倒れて良いですかという割に仕事から帰ってきて最近やたらと眠かったのはそのせいか。まあこの分だと来週も同じように死んでそうな気もするけれどもキニスルナ。多分ブログも手抜きになる日が多い気がするけどキニスルナ。ケンチャナヨ、カムサハムニダ。

 時事。「楽天グループのみんなの就職が運営する就職情報サイト「みんなの就職活動日記」(みん就)は、2007年度卒業予定の学生のデータを元に「2007年度 新卒学生人気企業ランキング」を発表した」ということで、詳細は記事本体を読んでくださいと手抜きしてみる。参照先で追加してあるのは、一月の現金給与額の若干の上昇という話と、トヨタのベアの話、後はフリーター減少という話。どれも、これから就活を迎える人には良さげな話題を拾ってみた。どちらも詳細な説明は、面倒なので割愛する。
 一応までに用語の解説を一つだけしておけば、ベアというのは給料のベースアップの略。ベア千円ということは、給料の最低値が千円上がるということ。給料に千円分下駄はかせるということだが、仮に従業員千人の会社でこれをやると、千円×千人で百万円が毎月に支出として増加、年間で見ると十二倍だから一千二百万円の支出増となる。ついでに、ボーナスも大抵はこの毎月の給料額を評価の基準として一定使用しているものだから、千円のベアということは賞与額も増えるだろう。一千二百万より更に増えるわけだ。まあ、これはかなり単純な計算だから、実際にこの通り増えるとは限らないが。
 さておき、ランキングとして並んでいるのは、見事なまでの有名どころばかりである。まあ、ブックマーク登録人数だから、実際にこれらの会社の入社試験を受けたかどうかは別問題だが。私自身が受けた大手の有名企業と言ったら、某ハリネズミさんの大型アミューズメントパーク施設会社くらいだろうか。あの時は筆記で解答欄を丸ごと一列間違えたのに終了五分前に気が付いて、大慌てで半分くらいまで書き写したような記憶もあるが、それで一次面接には進めたのだからまあ何ともはやだ。ただ、実際には面接からが本番だし、面接まで行って連発で叩き落されるというのが大学生の就活の大体だ。専門学校だったりすると、また別なようだが。
 就活の説明会なんぞでよく聞くのが、「就職」と「就社」の違いという話。私自身を例に出すなら、経理という職に付くのが目的なのか、それとも○×株式会社に入るのが目的なのか、ということ。つまりは、やりたい職業に就くのか、入りたい会社に入るのか、という違い。みん就のランキングからもってきて、全日空に入ったは良いけれども事務職に回されてしまって、本当はフライトアテンダントになりたかったのに……というような話か。今はすっちーさんと呼んではイカンのよね、と。行きたい会社に入るのか、やりたい職業に就くのか、似ているようで、案外違うのがこの就職と就社というやつである。
 とは言え、実際にはやりたくない仕事であるのを差し引いてまでその会社に入れるかどうかは、難しいような気もする。自身の例では、営業なんぞも含めて手当たり次第に回っていた時期は全敗、経理に絞って回り始めたら、一つはブラックだったが経理幹部方面での採用内定と、ふつーの経理社員採用内定との二つを貰った。ふつーの経理社員内定を貰った会社に行って、ほぼ一年が過ぎて今に至る。そーかー、もう一年になるのか、早いもんだなぁ。というのはさておいて、企業側もその人の向き不向きを見る。会社の雰囲気に合うか、今回の募集職種に適性は合っているか、当然見ている。かなり時間が短い分、第一印象だけで決め付けもかなりあるから、余計に「就社」の意識でやっているとはねられやすかったりする。
 有名企業に入れればそりゃぁ体面的には素晴らしいが、本人が実際にそれで幸せかどうかは、分からんものである。結局のところは、その会社が自分に合うのかどうか、やりたい仕事があるのかどうかで決めるしかない。合わない会社で働くのは苦痛でしかないし、同じ働くなら自分のやりやすいような会社にしておく方が、マシというか楽が出来る。楽ができて余力が生じる分を、遊ぶなり自己研鑽なりに使ってやれば良い。会社に使われるよりはまあ、こっちが会社を使ってやるというまでの気概はさすがに湧いてこないにせよ、ちっとくらいだまくらかしてやろうというくらいは宜しいように思う。やりやすいところを選べば良い、それだけのことである。まあ、そいつがなかなか上手くいかないんだがね~、と。
(ネタ元:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060303-00000006-rbb-sci)
(参照先:http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20060303AT3S0300303032006.html)
(参照先:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060303-00000015-san-bus_all)
(参照先:http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20060303AT3S0300Y03032006.html)

読み:文庫『日本人はなぜ狐を信仰するのか』
買い:なし
途中:なし
文庫累積読破:文庫1冊
累積購入:無し

それでは。

仕事のエゴ

2006年01月06日 21時41分08秒 | 就活雑感
1月6日分。

 タイトルに仕事のエゴと書いてみたが、要は会社で働いているのも人間であって、それぞれに各人の思考やら我の衝突があちらこちらで生じてくるということだ。まあ、それはそれで仕方がない。機械ではないのだし、機械で代替できない所を人間がやっているのだからという一応の建前がある。実際には機械で代替できない作業などあまり無いような気もするし、今後ももっと機械で代替できる分野は拡大していくのだろうから、人間は不要になるのかも知れない。ま、そういう話は書き物のネタにでもとっておくにして、だ。
 久々に今日のブログのカテゴリは就活雑感としている。本当に久々。で、今回は就職するための話ではなくて、就職した後のことを書いてみようという訳。私が、就職するまで、そしてつい最近まで抱いていた仕事をする人間のイメージとは、非常に機械的なものだった。コンピュータを操作するための機械、とでも言ったら分かりやすいか。私見を挟まず私情を入れないというイメージでもっていたのだが、実際に会社の中に入って働いてみれば、そんなこともない。言い方は悪いが、働いているのは所詮は人間でしかなく、よってそこには人間の生臭さがどうしても生じてくる訳である。それを良い悪いと言う気は無いが。

 たまたま今日の仕事での話なのだが、償却資産の申告に関して、何カ所かの役所に問い合わせの電話を入れた。申告の〆切が今月末であるのに、まだ申告書の届いていない役所があったためだ。で、申告書がまだ来てないんにゃけどもと電話で聞いてみて、それぞれに対応してくれた人の印象が随分違っていた。いちいちめんどくせ~んだよという雰囲気の声もあれば、ご丁寧にご連絡頂きましてありがとう御座いますという返答もあった。当然、後者の言われ方の方が、こちらも有り難い。やりやすいと思う。エゴとかいうのとは少し違うにせよ、仕事の効率にはこういった気分の類も割と影響するものだ。
 もう一つ、こちらはエゴの類なのだが。これまた今日にあったことで、次の四月から体制の変化が予定されていて、そのための根回しといった類があった。別に私が直接関わる訳ではなく、単に聞いていただけなのだが、それでもあちこちでごねたり拗ねたり文句言ったりという状況があってすったもんだしているのは見て取れる。お陰で、半日ほど課長のご機嫌が微妙に悪かった。こんなもんである、仕事というのは。機嫌の悪い上司には声を掛けにくいし、従ってそういう状況の上司にこれお願いしますと、承認やらを頼むのはちと気が引ける。で、それを後回しにする。結果、遅れる。まあ、小さな作業だったので、承認をもらったらさっさと処理して終了としたが。

 純粋な仕事の技術やら知識やらというのも当然影響があるが、むしろそれ以上に、職場というのは人柄だの性格だのというものの及ぼす影響の方が遙かに大きい。正味、有能な冷血漢よりも、無能な穏和が好まれるような職場もあるだろう。これは端的すぎる言い方ではあるにせよ、それだけ人柄というやつに対する評価はある。私なんぞは、会社ではひたすら大人しく愛想笑いを浮かべて気弱そうにやっているのが、一番だと思ってそうやっている。まあ、仕事がまだまともに出来る訳でも無し、実際に自信が無いのだからしょ~も無い所も大部分ではある。
 職場の人間との飲みにケーションを勧めるつもりはない。好きなら行けばよい。ただ、職場で多少の愛想笑いくらいは必要になるだろう。大丈夫、そんなものはその内に勝手に覚えるものだ。それでも、人間に対する好き嫌いというものはどうしても出てくるから、それに自分が巻き込まれないようにしておきたい所ではある。正味、私の職場は十人くらいだが、その規模でも派閥めいたものは、ある。学閥もあるし、部門や課の所属もあるし、男女もある。同期というやつもある。派閥的な塊の無い職場の方が珍しいだろう。言ってしまえば、馬鹿馬鹿しいのだ。仕事に高尚なイメージを持っているなら、多少下方修正した方が良いだろうと勧めておく。
 どんな仕事をしたいのか、どうやって仕事に取り組むのか、というのはそれぞれの考えがあるだろう。資格取得を目指してどんどんと上位のものへ挑戦する人もいるし、私のように日々生活が出来ればそれで良いというくらいの報酬で仕事は地味にというのもいる。評価されたい、出世したいという人間には成果主義は良い制度だろう。逆に、私のような人間には、成果主義は目障りになる。結局の所、万人に最適な職場は、無い。だからこそ、就活で必至扱いて三十だの四十だの回るのである。ここはどうも合わないなぁと就活中に思ったなら、合わないのだ。そこいら辺の直感は、信用して良い。
 誰もが一部上場会社に入れる訳ではない。むしろ、そんな所へ行ける連中というのは本当にほんの一握りであって、私ら凡俗は地味にどっかの小さな会社に落ち着いていくのが筋というものだ。私なんぞは、棚ぼた的に秋採用で滑り込みやがったくらいだ。そんなものだ、就活というのは。終わってみれば、何だかなぁ、だ。そして、仕事もそう。やってみれば、何だかなぁ、だ。そもそも、就活なんてものは面接担当者の第一印象で決まってしまうのだから、それこそ何だかなぁだ。始まりからこんなもん、中身もこんなもん。大上段に構えるだけ、就活は損というやつである。ああ、何か仕事否定してるな私。

読み:文庫『少女コレクション序説』、コミックス『足洗邸の住人たち。』三~五巻
買い:文庫『笑うな』『俗物図鑑』、コミックス『足洗邸の住人たち。』四巻・五巻
途中:なし
累積読破:文庫2冊、コミックス12冊
累積購入:9冊

それでは。

ストックオプション

2005年11月05日 18時34分15秒 | 就活雑感
11月5日分の日記という事で。

 さて、休みです。一昨日休みで昨日が仕事で、今日明日休み……訳分かりません。ごちゃごちゃ混じってるよな~とか思いつつ、まあ休みは休みとして有り難く休むことにしました。ぐったりと。ただ、一昨日にぼつっと休みが入ったせいか、身体が勝手に今日は平日だと思いこんだらしく、朝八時くらいに目が覚めました。そのまま二度寝を決め込もうかと思ったら、それすら出来ないとは……休みにしては珍しすぎます。明らかに、身体が休日だと思っていなかったようです。こういうこともあるもんだ……。
 で、早めに起きてしまったので、休日としてはまた珍しくラノベを一冊読み潰してみました。休みの日は文庫はお休みするのが常なのですが、まあ無駄に時間も余ってしまったので、これくらいしかやることもないし良かろうと。と言う訳で、今日はいつもなら末尾にある本の話は割愛します。ここで代用するから。昨日に買った『ぎゃーこつせんせい』の最終巻をさっさと読み潰した訳ですが、うん、富士ミスとしては充分に綺麗に終わったのではないかと思います。書籍紹介補完所にて、『平井骸惚此中ニ有リ』のレビューを更新してあります。
 ついでに、それでも時間が余ったのでコミックスを数冊読み潰してみました。これで昨日買った内で、まだ手を付けていないのは早くも残り一冊に。なお、読んだ内でまだレビューをしていなかった新規開拓のもの、『トニーたけざきのガンダム漫画』と、それから昨日までで読み切った『地球の長い午後』のレビューもサイト本体にアップが既に終了していますので、そちらもご参照あれ。

 今日は土曜日、休みの日なので普段ならニュースネタはあまりやらんのですが、まあ気が向いたので。まあ、ニュースネタ自体は大したことないのですが、私の周囲にこれから先に就活を控えているとか、将来的に就活をするかもしれない人達がいるという事もあって、取り敢えず載っけておいても良かろうと。で、前置きが無駄に長いですが、本日のネタはストックオプション制度ということで。ニュースの中身自体は、このストックオプション制度を企業が導入する際、色々費用計算がご面倒でしょうからこっちで引き受けますよ的なアウトソーシングの代物なのでしょう。以上、ニュースの話は終わり。以降はず~っと、ストックオプションの話に終始します。
 さてはて、今年に就活をした人、始めたかな~という人ならば、ぼちぼち「ストックオプション制度」という言葉を一回二回は聞いているのではないかと思います。さてこのストックオプション制度というやつ、就活中に聞くとすれば、主に退職金関係の場面で出てくるのではないかな~と。最近はちょっと企業の業績も将来を保証できる状態とはちょっと言えませんし、将来的な負担を減らすという意味合いもあって、退職金支給の変わりに、もしくは賞与などの変わりにストックオプションを導入しているという企業もぼちぼち出てきているようで。今日のネタとしたニュースも、そういった状況を反映してのことでしょう。
 ……んでは、このストックオプション制度というのは、そも何であるか。日本語に直すと「株式購入権」、株式を購入する権利、そのまんまやん。もうちょっとまともに解説すると、株式を定められた金額で株式を買えるようになる権利です。この定められた金額は上下しないので、もし買った時の金額よりも株価が上昇していれば、売った差額で利益を得ることが出来ます。逆にまあ、買った時よりも金額が下がってしまった場合には、利益が出ないのですけれど。ただ、退職金代わりにストックオプション制度をやる場合、極端に言えば一円で渡して、損は出ないようにするのですが。この場合、損はしないにせよ、しかし退職時の株価によって貰える額が大幅に変動するということになる訳で。
 また、このストックオプションによる自社株を従業員に与えることで、士気高揚を謀るという手法が徐々に広がってきています。これまた退職金の時とまあ同じで、会社の業績が上がれば株価も上がり、貰える利益も増えるという手順になります。要は、この株価上昇のためには従業員一人一人の頑張りが大事なんですよ♪ という訳なのですが。まあ一種餌で釣るようなやり方ではありますが、そろそろ日本企業にしても、飲み二ケーション(業後に赤提灯とか)だけでは職場が回らないということです。あまり飲みが好きではないという、私のような社員も増えているのでしょう。となると、確かに金が手っ取り早い、と。
 企業側にしてみれば、業績状況にかかわらず退職金を定まった額、現金で持って行かれるよりは、業績状況が如実に反映されてくる株式によって支払う形の方が都合が良い訳です。株式であれば、企業側は最初に定めてあった権利金額を支払うだけで良く、如何に業績が好調になっていたとしても、企業自身の負担は一切変わりません。この辺を考えれば、退職金を支払うよりは報酬のコストを大幅に下げることが出来るという訳。企業側が、自分の不利になるようなことはしません。が、まあ、その中でも一応は払ってくれる姿勢があるだけまともというもの。儲かってさえいれば、会社が払ってくれる以上の物を受け取れる仕組みなのですから。
 但し、株価が下がっていると、むしろ士気低下を招くのが難点と言えば難点なのですが。そうそう何でも上手く行く制度なんて物は、無い訳ですね。
(ネタ元:http://www.nikkei.co.jp/news/main/20051105AT2E0401T05112005.html)

〈今日も本を数えてみよう〉
読み:文庫『平井骸惚此中ニ有リ』五巻、『せんせいのお時間』六巻、『トニーたけざきのガンダム漫画』
買い:なし
途中:なし
累積読破:文庫3冊、コミックス5冊
累積購入:5冊

それでは。

ドンキ採用差別

2005年10月27日 22時30分15秒 | 就活雑感
10月27日分の日記という事で。

 どういう訳か、今日は朝から帰りまでずっと小さな電車のトラブルに見舞われっぱなしだったようです。まあ、トラブルと言っても電車が三分くらい遅れるという程度の些細な物でしたが、三回もトラブル食らったらこりゃ~どうしたもんかとも思います。朝一番はどうも駅のホームが混んでいるな~と思ったら三鷹辺りで電車内で急病の方が出たらしく三分ほどの遅れ。ちょっとした遅れでも、中央線は簡単にホームが溢れてしまうのが難点です……。しかも朝のラッシュがいつもよりも酷くなった罠。押し付けるな潰すな痛いと言っておろうにというか肋骨折れる~。
 で、昼過ぎにまた今週も法人税講座と言うことで池袋へ行ったのですが、行きは何事もなかったのですが帰りにトラブル。あれは何だったか忘れてしまいましたが、今度は二分ほど目白駅で足止め。まあ大したロスではないのですが、朝に引き続いてこれかよ~と思ったもの。で、業後の帰りにも結局はもう一回三鷹だかどこだかで時間調整のため停車。何か呪われてませんか、今日。逆に言えば、この程度で済んでいるのだから運が良いのか?
 ともあれ、もう一つ無駄話。今朝方にNHKニュースを眺めていたところ、女性アナウンサーの名前が○○美鈴というお名前で……朝っぱらから「ほん・みりん?」とか、「諦めました」とか、「違うでしょちが~うでしょ~?」とか思い出して吹いたのは秘密。まさかこんな所でくれないみすずと鉢合わせるとは。朝っぱらから東方とはもう、色んな意味で毒されすぎていて我ながら終わったな……と思ったのでした。

 本日のネタ、ドン・キホーテの採用における、学歴による「差別」の話。記事の詳細は例によって下の「ネタ元」にアドレスをそのまま貼り付けてあるので、自力跳躍をお願い致します。
 さて。ドンキが学歴で採用差別ということで、『フライデー』がすっぱ抜いてドンキが文句付けて裁判沙汰~、そしてその判決として「差別があった」という認定が出されたというのが今回のネタですが、さてはて。一般的な世間様の反応としては「未だに古臭い学歴信仰にとらわれている企業があるだなんてけしからん」という所でしょうか。まあ、私自身も感情的にはこれに近いところもあるのですが、ネットでちまちま見解を漁ってみると、他の見方をしている人もいます。その辺りの話もあわせて眺めてみるに、割と納得。
 そちらの見方としては、「学歴による差別」を諸手を挙げて肯定するという訳ではないにせよ、それもやむを得ない所があるのではないかという感じ。実の所、私もこちらの見解に近いものもあります。正味な話、今でも学歴というのは一定の尺度としては一応の有効性があります。一昔前の「学歴信仰・偏差値信仰」的なところまではいきませんし、ああいったものが叩かれたからこそドンキの話も煙たがられたのだろうとは思うのですが。それでも、学歴・偏差値を最大の判断基準とするのではなくて、まあある程度の「参考」として見るのであれば、未だもって学歴・偏差値というものは有効な指標です。と言うよりは、他にろくすっぽそういった判断基準に出来そうな指標が無い、というのが問題なのかも知れませんが。
 ちょっとした話。もし仮に、自分が何かしらの店でアルバイトをするとしましょう。ちょいとばかり「差別的」用語を使うことをお許しいただきたいのですが、バイト仲間に「低学歴」の人の多いバイト先と、「高学歴」の人の多いバイト先と、どちらの方が良いでしょうか。「○学歴」という所を「○偏差値」と書き換えても良し。バイト先を選ぶ要素はたくさんあります。時給は幾らか、仕事は楽か、勤務時間はどうか、休みやらの融通は利くのか、バイト先のブランド価値はどうか。最後のやつは、要は有名チェーンとかそういう所の方が分が良さそうとか、フォローがしっかりしてそうとかまあそういった意味合いですね。その中で勿論、バイトの同僚や上司の人柄というのも入ってくるでしょう。私なら、取り敢えずは高低どっちかを選べと言われれば、ひとまずは高を選ぶでしょう。
 ついでに言えば、バイト先をブランド価値やらネームバリューで選ぶのも、学歴や偏差値で一定の判断を下すことと何ら変わりはありません。働く側はいい所で働きたい、雇う側はいい人を雇いたい、これ当然の心理です。もう一度また「差別的」用語になりますが、わざわざ「痛い」人を雇いたいと思う会社は無いでしょう。同様に、「痛い」人がバイトの同僚として居て欲しいと、貴方は思うでしょうか。要はまあ、ドンキの話もそういった所なのではないか、と。あまり良い感じの話ではないですが、実際こんなもんです。大卒の就活なんてものも、実質これと何ら変わるところはありません。大学のネームバリューというものは、企業側からはどうしても一定色眼鏡がかかって見えます。それはまた、企業を選ぶ学生側からも、その企業に対する先行イメージがどうしても存在するように。
 就活に絡めて述べるのであれば、企業側にはまた別の事情があります。大手企業、有名企業になればエントリー数は膨大なものになります。そのエントリーシートのいちいちに目を通すよりは、人事担当者はきっと「偏差値の高い大学」から優先して目を通したくなる、とは思いませんか。実際にこの通りではないでしょうが、そういう傾向があってもおかしくないのではないのか。実際問題、面接まで漕ぎ着けたにせよ、一回の面接時間はたかだか十分十五分、長くても三十分です。その中で、学歴やら偏差値と言うお手軽にしてこれまで一定の「実績」を挙げてきた指標のイメージを破れるかどうか。結局はそれを破りきれないからこそ、学歴やら偏差値と言うものが未だに生き残っているという現状もあるような気がします。
 世の中、全てが学歴やら偏差値ばかりで動いているわけでもありませんが、そういったものがまだ必要なところもまた多いのも事実。学歴や偏差値と言うものも、それが必要とされるところでは高い方が良いでしょうし、必要ないところであれば無用の長物になります。学歴・偏差値での差別が嫌ならば、それらが影響を与えないような方面へ行ってくれ、と言うしかありません。ただ少なくとも、そういった方面では、学歴や偏差値を上げるのではない代わりに、何かしら他の努力なり苦労を強いられるでしょう。学歴や偏差値を上げるにも、やはり努力と苦労があります。結局は、どこで苦労するかというだけの差であって、全体として、総量としての苦労は恐らくどこでも変わらないでしょう。自分が努力しやすい方向で苦労する方が、「まだマシ」というだけの話なのです。
(ネタ元:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051026-00000182-jij-soci)

おまけ。ニュース記事を漁っていたら、たまたま見かけたので貼っておきます。
(参考先:http://www.nikkei.co.jp/news/main/20051027AT1D2600H26102005.html)

 本の話。思ったよりもペースが上がったものか、お昼くらいまでで『夏への扉』を読み切ってしまいました。昨日の時点で半分を超えるくらいまで進んでいましたから、もしかするとそうなるかもな~とは思ったのですが、まあ良し。感想その他はサイト本体のレビューに叩き込むので割愛しまして、でもこれなら読書慣れしていない人にも割と気軽にお勧めして良さそうな感じではあります。文句無く良好、個人的殿堂入りさせても良いでしょう。他のに比べると、いささか浮くけれども。
 帰りが暇になりそうだったので、池袋での法人税講座からの戻り途中に寄り道してとらのあなへ。たまたま店頭で『ピルグリム・イェーガー』の五巻目を見かけたので購入し、ついでに『平井骸惚』の四巻目も追加。こうして地味~にまた本が増えていくわけですが、取り合えず法人税講座のための参考書と、自前の『夏への扉』と、買い足した二冊とを鞄に突っ込むと重たくてかないません。凶器になりますわよ、というか鈍器か。撲殺するよ~、ぴぴるぴるだよ~。何か違う。
 さて、これで明日からはぎゃーこつ先生にするか、『夏への扉』と同じくハイライン作の『宇宙の戦士』へ回るか。ただ、今の勢いを逃してしまうとまたしばらく『宇宙の戦士』は積んでしまいそうな悪寒がするので、優先順位としては『宇宙の戦士』に傾けざるを得ないかも。今月は積み本崩しの意味合いもあって、どうも購入冊数よりも既読冊数の方が先行しがちです。まあ、また月末にひっくり返されそうな気は、しないでもないのですけれど。

〈今日も本を数えてみよう〉
読み:文庫『夏への扉』、コミックス『ピルグリム・イェーガー』五巻
買い:文庫『平井骸惚』四巻、コミックス『ピルグリム・イェーガー』五巻
途中:なし
累積読破:文庫9冊、コミックス20冊
累積購入:23冊

それでは。

秋雨と台風と自己分析

2005年10月17日 21時00分42秒 | 就活雑感
10月17日分の日記ということで。

 十月も半ばとなってきましたが、しとしと秋雨が続いていてちっとばかし寒いと感じる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。昨日に見かけたカタツムリは、まだ相も変わらずブロック塀をかじっているのであろ~かとか無駄なことを考えつつ。取り合えずこの秋雨はまだ何日か続くそうで、ついでに南のほうで台風がまた迷走しているのだそうな。週末にまた外へ出る用事があるのだけれど……この台風、嫌な影響出ないで欲しいなぁ。
 職場でもどうにも寒くてくしゃみを連発するので、こりゃ~かなわんと上着を羽織っているのですが、そんなことしてるのは私一人な罠。女性社員の方が一人だけ肩掛けを羽織ってはいるのですが、もしかしなくとも私ゃ他よりかなりの寒がりなのか? まあ大方、標準よりも大幅に体重が足りない分脂肪も足りないから、体温を維持するのにやたらと手間がかかっているというようなことなんだろうとは思うのですが。まだ後何年かはこの調子で体重一キロの増減に気を配ってないといかんのだろうな~と思いつつ、もちっとまともに食生活規則正しくしろよ自分。平日はまあまともに食べるのですが、休みになると途端に崩れるのはどうにかせんと。
 今朝方に天気予報を見た段階では、南方の台風がものの見事にあっちへフラフラこっちへフラフラしている移動図が見えて、軽く吹きました。何をそんなに迷っているのやら~とぼんやり思いつつ、気が付いてみたら時間が軽くおしてるじゃないかと一瞬ひやっとしたのは秘密。まあ、普段から相当に余裕を持っての出勤ですから、今日のように五分程度遅れた所で問題は無いのですけれど。ちなみに、最大幅で二十五分は大丈夫♪ そんだけ余った時間は何してるのかと言えば、会社で本読んでる訳ですけれど。

 たまには、ちまっとくらい有意義っぽく見えそうな話でも書いておこうじゃないかと言うことで、久しぶりに就職活動がらみの話でもしてみます。まあ、単純に下にアドレスを張ったやつを見かけて、自分もこれでえ~らく苦労したもんだな~というのを思い出したからなのですが。それ以上の深い意味合いは、あんまり無いです。どうせならもう、ブログのカテゴリに「就活」ってのでも付けてやろうかどうしようか。そんな訳で、本日のお題は「自己分析」というやつです。
 企業に対して「御社へ就職したいのでごぜえますだよお代官様」という、こちら側からの意思表示として、まず出すことになるのがエントリーシートというやつです。履歴書という言い方でも可というか、そっちの方が分かりやすい。何でもカタカナにすりゃ良いってものでもなかろうに~とか無駄な突っ込みいれつつ、実際にはそのエントリーシートというやつも、あまり中身は履歴書と変わりません。たま~に、企業独自の設問がいくつか混じってくるだけで、基本的には「住所名前生年月日」やら「学歴」やら、それから「自己PR」と「志望動機」を書く欄があるという構成になります。バイトの時に出すのと同じようなもんですね、と言うか違いがあるのか? ただ単に、緊張感が違うだけか。なお、企業独自の設問としては、私が実際に当たった例だと「健康食品に関して貴方の体験に基づく作文を書け(今後の事業展開として健康食品に手を広げる計画だったようです)」というのがあったかと記憶しています。
 企業によっては膨大な数のエントリーを受け付けることになるので、最初の書類審査と、それから筆記試験の状況で一気に絞り込むなんて例は結構あります。ついでに、面接においての質問は、提出したエントリーシートに沿って問われることになるので、やっぱり大事な所ではあるわけで。ただ、エントリーシートの見栄えを良くしようとして嘘っこを書くと、そこに関する質問が来たときに自滅を食らうので止めておきましょう。「答えられないね、はいちゃんと自己分析出来てませんね~」でぶった切られかねません。とは言え、ほいじゃあ一体何を書けば良いんだってのが問題として持ち上がってきます。就活セミナーで読んだエントリーシート中には、大学在学中四年間をボランティア活動に捧げました、海外旅行へ行って異文化に感動しました、なんてのを題材に自己分析してた例もありましたが、んな大仰なもん何も手持がねぇよというのが大半だと思います。人間、そんな立派になれるのは数少ないのですよ。
 じゃあ私のような卑俗の凡人はどうしたかと言えば、自己分析のやり方とかエントリシートの書き方のセミナーへ参加してみたりしました。ただ、あれはマスコミ志望の人向けの、履歴書やら作文やらの対策を重点にやる類のものだったので、若干世間様一般のセミナーからはズレるものでしたが。結局はあまり、そのセミナーは役に立たなかったかもしれません。度胸やらコツやらは確かにそこで多少養った感はありますが、最終的には、自己分析なんてのは地味に身近なところからやっていくのが宜しい、しかも自分に高望みしないのが最も宜しいという結論に至りました。エントリーシートに最終的に並んだ自己分析なんてものは、本読み、軽く物書き、後はその辺りに付随した付き合いその他というだけのこと。ぶっちゃけ、中身そのものなら私よりよほどまともでスバラシイものを書いていた人なぞ、たくさんいたことでしょう。地味で良いんです、地味で。
 いっそもう、最初の何回かの面接は自己分析のやり直しのための踏み台だ、とでも思うくらいで良いでしょう。人事担当者は適度に突っ込みいれてくれますから、ああここがまだ足りなかったかちきしょ~め、とまあそういう具合で何度も補正を入れていくことが出来ます。いかに自己分析の手法をこらそうと、どうせ素人のやることですから、おのずと限界があります。基礎的なやり方は、そこらの就活本の通りで良いでしょう。むしろ必要なのは、自己分析の内容の高尚さや表現の細部ではなくて、それを題材にした面接において堂々と、にっこりとやれるかどうか。「諸君、私は本が好きだ。諸君、私は本が好きだ。諸君、私は本が大好きだ!」というようなのが、実質的な私の自己分析の中身ですし。私ゃ本がこの上なく好きだ、その何が悪い。とまあ、そういう感じの一種の開き直りで面接に臨み、今に至ると。いやぁ、良い話だ……どこが?
 過ぎたるは及ばざるが如しという言葉がありますが、まさしく自己分析はこの手合い。過剰包装はうざったいだけですし、見破られますし、何より自滅の原因筆頭です。無駄にぶりっ子しとらんと、素で良いんです、素で。素で行って、それが受け入れられなかったのであれば、その会社は貴方には合っていないのだと思って良いでしょう。私のような廃人、引き篭もり、情緒不安定その他諸々の要素を抱えた輩がかなり素に近い感覚で行っても、受け入れてくれる会社があったくらいです。案外なんとかなるもんさ~ということで、まあ緊張するなってのは無理があると思いますが、緩い気分で挑むくらいで宜しかろうと思います。……んが、緩みすぎて、誤字脱字とか、もしくは面接に遅刻とか提出忘れとか、そーゆーのは即落っことされますからご注意を~♪ しかし、話長いな私。簡潔にまとめておくというのも必要事項なので、覚えておきましょう♪
(引用元 http://job.yomiuri.co.jp/hunt/naitei/hu_na_05083001.cfm)

 時事がらみで、ちょいと気になる社説が出ていたので、下記にアドレスを掲載。例によってコピペで自力跳びをお願いします。読売の社説です。
 この鳥取県が制定した条例、一見すると「人権を守るためでしょ? 何が悪いの?」という代物なのですが。よくよく考えてみると、その「人権を守るため」の判断を下している「人権侵害救済推進委員会」というところに、極端に権力が集中しすぎています。これは、もしその「人権侵害救済推進委員会」という人たちが判断を誤った場合、一体誰がそれを補正するのか? 誰が彼らを止められるのか? 一種の独裁状態に見えないことも無いのですが、さてはて果たしてどうなのか。この辺りの話は下記のアドレス先の社説でも既に述べられていることなので、長ったらしくならないうちに以下省略としまして。
 良いのかなぁ、これは。実質的に委員会が条例を背景に強制力を得ている形ですし、知事の指名で委員が選ばれるということは、極端なことを言えば、知事が恣意的に政敵を排除できるということになりはしないか。もしくは、人権を侵害されたという事実なしに、意図的に相手を陥れるために人権を侵害されたという事実をでっち上げる、なんて類が出てくるのではあるまいか。あれですね、痴漢の冤罪と似たような風情を感じなくも無いのですが、こっちの方がより事態は深刻そうです。まともに機能すれば良いけれど、さてどう転がるやら。ぶっちゃけこれ、逆らったら個人情報公開の上で権力者側から袋叩きにされる、な条例とも取れますしねぇ。いやはや、恐ろしや恐ろしや。これが賛成多数で通っちゃうってのも、どうなんだか。
 日記が長くなりそうなので、ここまででこのネタはお終い。
(引用元 http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20051013ig90.htm)

 上で真面目っぽく就職活動やら鳥取の条例の話を持ってきておきつつ、最後は結局例によって本の話。『ライトジーンの遺跡』をぼんやりと読み進めていますが、ちょいとペースがじっくりゆっくりめのようなので、まだ後二日くらいはかかりそうな具合です。ちょいと最近はレビューの追加速度が遅くなってきたな~とか思ったりするのですが、コミックスが一旦読み堅めに入ったことと、やはり一気に手を広げていた一時期が一種の異常状態だったということか。今でも潰しているペース自体は、昔よりも随分とまあ早いのですが。
 気が付いてみたら文庫の積みがまた八冊程度、コミックスの積みが六冊前後という具合になっていて、ま~た二桁かよと。で、更に今日に『ツバサ』と『ホリック』の新刊が発売だと言うから買いに行こうかと思ったのですが、ちょうど帰りがけにどしゃどしゃと雨が降ってきたので断念。晴れてる夜に買いに行きたいものです、本が湿気るし。さて、上がやたら長くなっているので、本の話は短めに~。

〈今日も本を数えてみよう〉
読み:なし
買い:なし
途中:文庫『ライトジーンの遺跡』
累積読破:文庫4冊、コミックス9冊
累積購入:17冊

それでは。

また更新が~

2005年09月22日 11時43分03秒 | 就活雑感
9月22日分の日記という事で。

 更新が遅れているのはまあ、あまり気にしないで下さいませ。昨日は単純に、朝からセミナーへ出て、終わった後に帰れるかと思ったらそうもいかずにウチの会社と親会社の経理部門合同の飲み会とやらに巻き込まれたもので……。早々にどこかしらのタイミングで撤退できれば良かったのですが、そうそうねぇ……さすがにねぇ。そんな訳で、気が付いたら九時を回って一次解散は十時くらい。他の方々は何人かで二次会に突入する様子でしたが、ちと私はそこまで乗る気にはなれないので、そこで退却。しかしまあ、酒を飲めないというのは割とデメリットですな。それでも飲む気にはなれませんが、幾ら何でも翌日まで身体の不調を抱えてまで飲みたくない。
 さておき、セミナーはみずほ銀行主催の経理関係のセミナーです。八月くらいにも一度、同じくみずほ主催の、内容は異なるセミナーへ参加していましたけれど。前回は経理業務全般に関する基礎知識をおさらいするようなもので、今回は固定資産管理に関する初歩知識の講義でした。一応、十月からは今度は法人税関係のセミナーへ予約を取った……筈なのですが、どうも折り返しの連絡が入ってこないのがねぇ。まあ、税務署主催のやつだから、みずほ主催のもののように即座にレスポンスが返ってくるとは思いませんけれど。セミナーの内容としては、やってること自体は大分基礎的なことであるのでしょうが、ちゃんと聞いてみて初めて理解した事柄も多かったりで、有益ではありました。んが、参加費用が六万とか持って行かれるのはどうにかならないものか。会社に出して貰ってなかったら、行けませんわよ?
 金と言えば、今月分のお給料が既に口座に振り込まれておりました。給与明細を眺めているに、そう言えば一応は月給二十万なんだよな~と改めて思い出してみたり。まあ、二十万と言っても手取りじゃないのですが。まずそこから健康保険料やら構成保険料、雇用保険料に所得税が合わせて三万円ほどのマイナス。これ、来年からは地方税もかかってきますから更にマイナスがかかります……うげ。それから寮費を一万ちょい引かれて、昼の弁当代やら組合費やらを引かれて更に減額。ついでに、会社の制度で毎月の給料から天引きされて貯蓄されていく「財形」という制度があって、これまた一万円ほど毎月持って行かれます。ちなみにこれ、ボーナス時は四倍の四万円を持っていく、と。コイツに関しては自己年金みたいなものなので、一時的にはマイナスですが、将来にはちゃんと帰ってくる……筈。何だかんだで、支給額から手取額になる間に、六万七万が減っていく計算です。
 会社入って給料貰うようになると、出費の自己管理をそれなりにしっかりやっておかないと、マイナスは出ないまでも使い切ってしまう場合が多いようで。私の場合は大学時代に月八万円の範囲内でというルールを設定してやっていたので、今でもほぼその習慣が残っています。だもんで、毎月の把握している出費額は八万円からちょっと出るくらいで収まっていたり。染みついた貧乏性というやつか……。ちなみに、この八万に寮費とかは入ってませんが、定期代は入っていたりして。毎月に大体五万から六万くらいはストックに回っている筈ですから、これまで四月から九月までで五万×六ヶ月とすれば三十万か。寸志が十二くらい出て、本棚一個買うだけで後はみんなまた口座に残してしまいましたから、それで四十二。今月分が口座に入って五十六。後は計算誤差がごちゃごちゃあるせいで、結果六十八……あら? ああ、最初の四月分の生活費は別口座のストックを食いつぶしたからか。つか、一年で百万以上ストックする気ですか自分。

 大学の話。今日(まあ実際に更新してるのは翌日ですけれど)のセミナーやら、それから毎日の会社業務をしていると、大学時代やら簿記の勉強をしていた頃やらにはまるっきりやったことのない内容にしょっちゅう行き当たります。飲み会の間に上司とも雑談的に話していたことなのですが、ぶっちゃけ会社入ってやってみないと分かりませんし、むしろ「失敗してみて」初めて分かるようなことが非常に多い。固定資産管理の話なんて、簿記の勉強じゃまるっきりやらないし、大学でもんなもんはやらないだろうなぁ……。経営学部を出ましたが、固定資産管理絡みの講座なんか無かったような気がするなぁ。更にぶっちゃけてしまえば、経理部に配属されて何ヶ月か経ちましたが、一回も仕訳なんぞしてませんよ? 伝票も切ってないですよ? まあ、私の担当範囲が原価計算分野と固定資産管理だからかも知れませんが。どっちもまだ初歩の初歩ですけどね……。
 要するに、大学でやることというのは、ほとんどにおいて実務とはな~んも関係がないと言うことです。薬学やら医学、それから法学、その他美大へ行って美術関係のプロになるというのであればまた話は別ですが、それらにしたって実務に就けば学問的なこと以上に新しく別のことを覚えていく必要に迫られるでしょう。言ってしまえばもう、大学でやることなんて、実務じゃ何の役にも立たないくらいです。大学でやったことだけでやっていけるようなものというのは、ほとんど無いんじゃあるまいか……。その範囲内で収まってしまうようであれば、むしろもの凄く狭いのではないか、とも思います。今にして思えば、大学という場所は、人にもよるのですが、割と緩い揺りかごみたいな所でしたから。
 私が大学で受講した講義の数は、さて幾つだったかちょっと覚えていませんが。卒業までの必須単位数が140で、一講義辺り4単位、たまに例外的に2単位ってのもありましたが、その辺りを考えると4×30で120と、それから2×10で20とすると都合良く140になりますから、大体平均したら40講義くらいとなるような。私自身の場合は必須単位数を大幅にオーバーして卒業しましたから、もう10講義くらい上乗せになりますけれど。それだけの講義を受けておいて、まともに内容を覚えている講義は、実際にはほとんどありません。やった中身の一部を覚えていたり、もしくはわざわざ改めて講義で説明されるまでもなく分かっていたこと知っていたことだったり、そういうのはそれなりにあるのかも知れませんが。となると、ますます大学でやったことってのは、何の役に立つんだろうと首を傾げたくなります。
 話は逸れますが、私が受けた五十(くらい)の講義の内で、教授の話を聞いていて面白かった人と、こりゃツマランという人とはかなりハッキリ分かれていました。その中で割と明確に分かれていた傾向が、教授の年齢に関わらず、大学の外部へ出たことのあった人かどうか、ということが一つ。特に私は経営学部でしたから、外部から講師を招いての講義というものもちまちまとあったもので。会社に入って実務を経験してから、特別講師的な扱いで講義を持っていた人もいましたが、そういう人の講義の方が面白かったな~と思います。それは当時も、今何とか思い出してみても、その感想は変わりません。教授によっては毎年の授業の内容が全部テンプレートになっていて、まるっきり変わっていないという人もいたようです。そういう講義は、受けていればこちらも分かります。大体において、つまらないから。
 大学の講義というのは、あまり面白いものではありません。少なくとも、自分から進んで学ぶという意欲が無い限りにおいては、ただ聞いているだけの九十分になります。それよりもむしろ、有り余る時間をどう活かしていくか、の方こそが必要事項であり重要事項と言っても良いくらい。自分自身を振り返って思うのは、確かに大学での成績は八割「優」をとるくらい優秀だったけれど、じゃあ他に何があったのか? 何もないなぁ……と。成績にしたところで、二流三流私大の成績じゃ何の足しにもなりゃしません。まあ、そのお陰で奨学金を六十万貰いはしましたが。ただ、人間的に残るものがあったかと訊かれると、言葉に詰まります。
 さあ、ここまでの話を聞いても、アナタは大学へ行きたいと思いますか? 自分は一体、大学へ行って何をしたいのだろう、ということを考え直してみる方が良いかも知れません。みんなが行くから、という理由だけで行くのは、個人的には止めた方が良いように思うのです。何故なら私自身がそうであったし、そのお陰で成績だけは良かったけれど他に何も残らないという四年間を送ってしまったのですから。

 本の話。何かえらく久々に本の話ですが。ここの所、立て続けて学術関係の文庫本を重点的に読み始めています。『百鬼夜行の見える都市』で久々に学術づいたらしく、連続してちくま文庫ちくま文庫ちくま文庫という感じになっていたり。積みっぱなしにして残ったままの学術絡みが、よ~く探したらまだまだ転がっていたのですよ……ヤレヤレ。恐らく買ったのは大学在学中であるのは確かですが、在学中のいつ買ったんだかがまるっきり分からないものが多数。多分、今月の残りは全部そういった学術範囲の叩き潰しに費やすことになりそうです。お陰でずっと残っていた本だけを潰していましたから、本の購入数が激減どころかほぼ停滞中。学術は一冊読むにも時間を要するので、ますます買わない罠。金額的には、購入内訳に画集が入っているのであんまり下がらないのですけれど。
 学術にしても立て続けて、宮沢賢治やら民俗学やらでしたが、昨日からちょっと趣向を変えて『戦争における「人殺し」の心理学』というやつを読んでいます。どういう経緯か人を業後に呼び出しくさりおった樽様が、何となくという感じでこっちにほい、と渡してきたのを、そのまま興味に引かれて買ったもの。ちなみに、またしてもちくま学術です……これ。高いよ、一冊千五百円高いよ……。お兄さんみたいな貧乏性の人には、千円以上は大金だよ。と言うか五百円を超えると大体躊躇うのはどうにかしたいよ。さておき、この本、如何にして人は人を殺すのかという無いようなのかと思っていたら、むしろ逆の内容だった辺りがまた面白い。読み切るのに時間がかなりかかりそうですから、レビューに上がってくるのは随分先のことになりそうではありますけれど。
 で、レビューで思い出しましたが、何かレビューの更新まで停滞してるじゃないかお兄さん。何だかんだで三つくらい累積しているような気がするので、明日からの連休で一気に潰していかないとイカンなぁ。新規レビューの中身が、多分半数以上学術のような気もしますが、まあ気にしない気にしない。

〈今日も本を数えてみよう〉
読み:なし
買い:なし
途中:文庫『戦争における「人殺し」の心理学』
累積読破:文庫10冊、コミックス22冊
累積購入:27冊

それでは。

親愛なる誰か様達か、それとも自分へ

2005年09月14日 22時04分21秒 | 就活雑感
9月14日分の日記という事で。

 特に意味は無いけれど、親愛なる、多分親愛なる誰か様達へでも、何となく書き残しのようなものをしてみようかなと思ってみたりみなかったり。まあ、ここのブログは容量の都合なのかどういう訳か一定以上の投稿数を超えてしまうと表示されなくなりやがるので、書き残しと言っても二ヶ月三ヶ月くらい置いてあるだけだし、どうせ毎日のように馬鹿みたいな分量のテキストに埋もれていくだろうから、今日と明日とくらいまでしか書き残しの意味は無いような気もするけれど。ついでに言ってしまえば、実は特に誰と誰とに宛てたものと言う訳でもないけれど。まあ、こういう気まぐれはいつものことだから、別に良いよね。もしかしたら、誰かではなくて、自分に向けたものかも知れないなとも思うけれど、それでも別に良いよね。ここに書いてる事なんて、ほぼ毎度毎度、その時々の気分で打っているのだから。

 月日が経つのは、年を食うと本当に早く感じるもので。私が入試前夜に胃痛を起こしてベッドでのたうち回っていた高校受験の頃というのは、既に遙か彼方昔へ飛び去ってしまったような感覚がある。毎週毎週メドイと思いながら、ついでにぶんぶん振り回される感覚が嫌いなんだよと毎回少し酔いながら千葉都市モノレールに乗って、千葉駅の予備校へ通っていた頃のことは、もうほとんど覚えていない。ちょっとだけ記憶に残っているのは、千葉そごうの本屋に毎度行っていたことと、それから中学の頃に見知っていた名前をたまたま予備校の座席表で見かけたことくらい。後はもう、ぽいっとどこかへ投げ捨てたか落としてきたかしたらしい。
 それ以外の高校時代の記憶は、やっぱり残っていない。もっと遡ったら、幼稚園のことなどはもう三つ四つくらいの光景を思い出せるくらいなだけで、幼稚園の時の先生やらシスターやら(幼稚園には二つ行っており、先に行った方はシスターがいたことだけ覚えている)の顔はもう、川向こう。小学校も二つ行っているが、やっぱり先生の顔は全部忘れてしまっている。中学もこれまた二つ行ったけれど、後の方の中学になって、ようやっと何人かの教師とクラスメイトの顔を思い出せるくらいになる。先に行った方の中学なんて、学校名すら忘れてしまった。教師の名前も、クラスメイトの名前も、誰一人覚えていない。昔から、そういう所はすぐに忘れてしまうか、そもそも覚えるつもりがなかったような気もするし、今になってそれを後悔するようなこともない。そうねぇ、忘れちゃったねぇ、とそれでお終い。
 高校の間のこともあまり覚えていなくて、学園祭に何かやったような気がするな、というくらいのことを覚えているのと、当時に勧められて今でもたまには読む電撃文庫と出会ったのがこの時期だったのは記憶している。後は、二年の頃に知り合って、その電撃文庫を薦めてくれたクラスメイトと、他それなりに親しかった三人四人やら、クラスの中で特徴的だった何人かと、教師を何人か。記憶として残っているのは、高校時代でもまあそんなもの。ついでに、それなりに緊張するなり苦労するなりした筈の大学受験のことは、いまいち記憶に残っていない。センター試験を真面目にやる気がなかったということ、そのセンター試験の辺りでやっぱり恒例のように関東だというのに雪に降られたこと、覚えているのはそのくらい。この辺りだと、まだ五年ほど前でしかないのだけれどなぁ。
 大学生活に至っては、もう九割方を忘れ去っている。……と言うよりは、大学生活の内の三年半は、私にとっては時間がほぼまるっきり止まっていた時期であって、変化も記憶するに値する事柄も、何も無かったから、そもそも覚えていようがないという表現の方が正しい。残る半年は就活で動き始めた時期であって、ようやっとその辺りから自分の内側の時間が遅まきながらに再開されたような感覚だった。一度動き始めると、何故かそれまでの帳尻を合わせるようにごちゃごちゃと色々なことが起こって、祖父が死んだり、就活中にブラック会社を踏んづけたり、もしくはネット上のごたごたに巻き込まれたりしたものだ。一片に面倒と厄介が押し寄せてくるのは勘弁してくれ、とつくづくあの時期には思ったが……。
 今の私にとって、まともに記憶として詳細に辿ることが出来るのは、実は就活を始めた辺りまでで、その就活の頃も序盤の方となると記憶が確実とは言えない。下手をすると、昨日のことすらまともに覚えていないこともある。昨日? 何かあったっけ。ああ、会社に行ったなぁ、昼の弁当は何だったっけ。晩飯はどうしたんだったかな。昨日はどの本を読んでいたんだっけ。何か仕事でヘマはしたっけか。本は何かしら買ったかしら。思い出そうとしても、大体この辺のことをぽつぽつ思い出すくらいのもので、しかもこの辺りの事柄すらいまいち覚えていないことも往々にしてあり得るのだから、我ながら記憶力に不自由な人になっているんじゃあるまいかと苦笑いしたくもなる。だからどうだということもなく、それなりに毎日やっているけれど。

 嫌なことというのは割とたくさんあるもので、それは他人から見たらなんだそんなことか、というような小さなもの、些細なものである場合も多い。今日になってみたら何故昨日あんなに嫌だと思ったんだろう、というような程度のものだってたくさんある。中には生涯記憶に残り続けるくらいに苦痛を伴うもの、酷い失望やら悲しい思いやらをさせられるものもある。もちろん、他人が見て大きい小さいと思うということは、自分から見てどう思うかということとは関係が無い。人それぞれ、それはその人自身のことであって、他人がとやかく言うものではない。抱えてしまうのも自分の問題であるし、放り捨てるのも自分の勝手だ。
 自己の主観的に大きなものなり、記憶に疵痕として残ってしまうようなものはまあやむを得ないとしても、小さなもの、些細なものまで全て記憶していたら、それこそ人間、脳みそがパンクしてしまう。そういうのを防ぐために、人間は忘れていくもので。忘れることが出来なかったら、それはとてもシンドイことだろうと思う。そう考えてふと思い返してみると、自分自身も昔は、妙に細かいことまで覚えていたような時期があったような気がする。あまり外の世界のことは覚えていないのに、何か自分が嫌だと思ったことを、それこそそこだけ事細かに覚えてしまっていた時期があったような気がする。しかも、つい最近まで。その時期はずっと辛い、シンドイ、死にたいと思っていた時期とほぼちょうど重なってくる訳だが。
 今の私も、相変わらずメドイだのシンドイだの、たまに死にたいだのと思うことには変わりが無い。ただ、前の二つはともかくとして、三つ目の死にたいという感覚は、昔とは、と言うよりつい半年前、つい数ヶ月前までとは随分ニュアンスが変わってきている。以前までに私が「死にたい」と呟いたなら、それは今の辛い状況を全て無理矢理にでも終了させたい、逃避したいという意味合いが強いものだった。今の私がぼそっと「死にたい」とぼやいたなら、それは多少意味が変わって、メドイメドイメドイさっさと寝たいというかもう起きてこなくて良いよ自分、というくらいのものになる。まあ、どっちも近い意味合いではあるけれど、随分まあ前向きに変動してきたものだと我ながら思うくらい。今なら、ジョークだと流しても問題無い程度までになってきている。昔も表面的にはジョークにしていたものの、内面としてはある意味で本気に近かったような気がする。
 死にたい、の意味合いが自分の中で随分変わってきたのと頃合いを同じくして、私はよく忘れるようになった。どういう訳か、更にそれと時を同じくして、以前よりも更に本を読む量が増え始めたような。会社に入ってからは余計に本を読む量が増えて、余計に忘れる度合いが強くなった。もうどんどんと、次から次へと忘れる忘れる飛び去っていく。むしろ、何も残ってない、残していないんじゃないかと思うくらいに、どんどんと忘れていく。何を忘れていっているのか自分でもまるっきり分からないくらいに、どんどん、どんどん忘れていく。代わりに、毎日のように本を読み潰して、何かしらが入ってきている。入った分出て行っているのか、入った分以上に出て行っているのか、もうどっちでもイイやというくらい。
 そうやって出入りがこれまでになく異様に加速されていく中で、いつの間にか、死にたい、という感覚までもが忘れ去られていたようで。その代わりに、新しく入ってきたものの内のどれかなのか、それとも元々自前で持っていたけれど他のものがあまりに邪魔になって妨害されていたものなのか、とにかく別のものに中身がすり替わっていたらしい。そんなことなど本人はまるっきり気が付かないままに、就職して入社して何ヶ月か経ってみたら、いつの間にか随分変わってしまっていた。まあ、個人的にはそれが良いっぽい方向へ作用したようだから、別にこれでいいっちゃ良いやという構えでいるけれど。人間、何ヶ月かで勝手に変わるものらしい……。

 昔は、自分で自分が大嫌いだった。殺したい相手の筆頭を挙げるなら、まず真っ先に自分と答えるくらいに嫌いだった。自分の顔を見るのも凄く嫌で仕方が無くて、鏡があるところが嫌いだった。寝癖を直さねばならんような時も、なるべく自分の顔は見ないようにして、髪の毛だけ注視しているようなことをしていた。身長に比してあまりに軽すぎる自分の身体が大嫌いで、あまりに細くて白い身体も大嫌いで、それを隠したくて真夏でも我慢して長袖ばかり着ていた。取り敢えず事あるごとに某かで自分が嫌いで、そういう自分にナルってるような自分がますます嫌味っぽくて嫌いで、というまあ一種の無限ループにどっぷりと首まで浸かっていた、と。
 今でも自分のことは嫌いなままで、鏡を見たくないというのも相変わらずで、真夏でも長袖を持ち歩いているのも変わっていない。ただ、長袖を持って歩く意味合いは割と切実で、身体が細いのも相変わらずだからつまりは冷房が寒くてキッツイというものだったりする。それと、後は何となく持ち歩くのが癖になってしまっているのも、あるかも知れない。いずれにせよ、身体の線を隠す意味合いは、ほとんど無くなってしまった。これも忘れ去られたのか、いい加減馬鹿らしくなったのか、他のものにどっと押し流されたのか。鏡にしても、前のような極端な嫌悪感までは出てこなくなったので、取り敢えず髭剃りの時くらいはまともに鏡を見るようになった。
 変化が出始めたのが、就活やら何やらであまりに色々重なりすぎて、メンタル起因でぶっ倒れるかと思った時期。その辺りから誰かの巧妙なんだか仕組まれたんだかな誘導もあって、徐々に方向性が切り替わって、唐突に百八十度を通り越して三回転半捻り入りなトリプルアクセルみたいな感覚。自分でも、自分から随分とひっくり返したものだと思う。そしてそこから更に、就職して入社して環境が大幅に変わったせいなのか、今までずっと内にしかいなかったものが急に外へ出たせいなのか、もう一度大きく変わってきている。しかもこちらは自覚のないうちに変動していて、自分で回転したのではなく、自分の立っていた舞台が、自分でも気が付かないうちにぐるっと回転していたような具合。変化が二回、しかも短期間の内に起こっているとは……。大学の三年半で停滞し続けていたものが、これまた今になってグルグルと勢いを付けて回り始めているような気がしたりしなかったり。
 人間、変わらなければ、とわざわざ思っているような時には、大概変わらないような気がする。と言うよりは、変われない、と言う方が近いかも知れない。変わらなければ、変わりたい、そう思っている時期ほど焦って変われない。そういうタイミングよりも、何かしらに追われてぐったり疲れていたり、もういいやと諦めたり、そういった頃合いにこそ、ひっそりと変化が始まっていたりするもの。そういう意味合いでは、時間の経過は必要事項の一つではある。ただ、時間の経過と言っても、それは漫然と時間だけが過ぎるような場合には、あまり効果をなさないどころか逆効果になるような場合もある。私の大学三年半がまさに逆効果になった典型で、その逆に、入社してからの半年くらいが効果をなしたこれまた典型。
 人間、変わる時には、勝手に変わる。しかも本人が気が付かない内に変わる。だから、あまり焦る必要は無いのだと思う。焦れば焦るほどに辛い思いをする。自滅のループは、そのループの存在を意識した時に最も加速されるものであって、それを無理矢理に切り替えようとすると、逆効果になることだって往々にしてある。努力を要する場合もあるけれど、その努力の仕方というのは、大概において本人が思っている努力の方向性とは違ってしまっている。まずは、気楽になる、気楽に出来る努力をするのが、一番必要なのかも知れない。少なくとも、私の周囲にいる親愛なる誰か様達には、そういう努力の方向性が一番必要なんじゃないか、と思うのだけれど、はてさてどうなのだろう。

 それにしても、長いよ、自分。

〈今日も本を数えてみよう〉
読み:文庫『ウィザーズ・ブレイン』五巻上、コミックス『ワイルダネス』四巻
買い:コミックス『ワイルダネス』四巻、『ガンスミスキャッツバースト』一巻、画集『安倍吉俊lain画集』
途中:なし
累積読破:文庫8冊、コミックス19冊
累積購入:26冊

それでは。

全入学時代

2005年09月06日 21時35分36秒 | 就活雑感
9月6日分の日記という事で。

 さてはて、昨日はやったらと体調悪いな~とウンザリしながら一日をどうにかこうにか切り抜けた訳ですが、今日は昨夜にいつもより多めに睡眠時間を確保させたこともあって、割かし体調に関しては問題なく済みました。とは言え会社から帰ってくる頃にはとことんに腹が減ってしまって、歩くのもメドイというくらいの状況になってしまっていますから、実は大して変わらんのじゃあるまいかと、ちらっと思ったりはします。とは言えまあ、無駄に疲労感が増したりするよりは、まだマシなのですけれど。ただ、私自身のベストの睡眠時間というのは経験則的に八時間前後と分かっていますから、それを確保しようとすると午後十時半には寝ないとイカンという罠……。
 大体会社から帰ってくるのが、早くても七時、平均して七時半、遅いと八時とか付き合いがあったりすると十時十一時も無いとは言えません。平均的な帰宅時間である午後七時半で想定しても、十時半に寝ようと思ったら三時間しかない。風呂やら飯やらしていれば普通に一時間以上は潰れますから、自由な時間が二時間を切るということになります。さすがに冗談じゃない、というのが本音であって、となるとまあ、やっぱり多少の疲労は覚悟の上で、睡眠時間の方を削ることも多々あるという訳です。とは言え連打で睡眠時間を削りすぎてしまうと、また昨日のようなそれなりにキツイ体調不良を引き起こすので、三日に一度くらいは睡眠時間を確保する日を設けた方が良さそうな気はしていたり。週の真ん中、水曜が良いのかも知れません。
 ただ、これでも私のような事務職の下っ端はまだ良い方で、ウチの会社はそうそう定時ジャストで帰ってこられる人はあまりいません。ほとんどの人は二時間くらいの残業は当たり前という感覚ですし、そもそも客先へ出てのサービス業務ですから、現場部門の人は定時の五時半を過ぎてからようやっと会社に戻ってくるというくらい。それからまた事務仕事を片付けたり、明日の仕事の用意をしたり、もしくはすぐにまた至急で呼び出されることも。基本的に365日の24時間でサービスを請け負っていますから、そういうことも充分にあり得る訳で。まあ、そうやって長時間引き回された分、残業代はきっちり全て支払われてはいます。ちゃんと支払われてはいるのですが、現場部門の方の曰く、使ってる暇が無いとのこと。そりゃ~そうだ……。
 結局の所、給料は高いけど使う暇が無いというくらい働くか、時間は多少出来るけど給料がちっと安いか、そのどちらかということになります。私自身は明らかに自分の体力に不安があったので、就労時間が短い+肉体的労働が少なくて済む仕事を選ぶしかなかった、と。寮住まいのお陰もあって住居費にかかる金額が端的に少なくて済んでいますから、今の安い月給でも余裕が生じているくらいの暮らしぶりです。つーてももちろん、本以外に関してはほとんど贅沢を抑え込むくらいはしていますし、なるべくコストを減らすようにもしています。ただ、それでも普通にアパートとか借りたら、今より本に使う費用は抑えないとイカンのですけれどね~。ヤレヤレ。

 今日の考察ネタ、何となく全入学時代のことなんぞを。全入学時代というやつは、あれです、大学側の募集人数が、大学入学を志望する側の人数を上回る状況のことです。つまりは、大学を選びさえしなければ、誰もがどこかしらの大学には入れるようになるということですね。ちょっと見付けた資料が古かったので現状を正確に表しているとは言えませんが、99年時点では四年制大学が約600、短大が約500程度あり、四年制大学の方でも三割もが定員割れになっていたのだとか。さてはて、その資料からは既に六年が経っている訳ですが、今の状況はそれよりも悪化しているのかどうなのか。いずれにせよ、あまり好転しているとは思えませんけれど。
 日本で年々少子化が進んでいるのは今更に言うまでもないことで、このために子供一人にかける養育費は上昇傾向にあります。小さい頃からバレエやピアノやバイオリン、塾などなど学校以外の教育を受けているという子も多いでしょう。まあ、これが当たり前であると言うつもりはありませんし、それが本当に良いことなのかどうかは正直疑問を抱く面もありますが……。さておき、私立の四年制大学へ行った場合、文系学科であっても大体年間に百万程度の学費を持って行かれます。私自身が二流三流私立大学の経営学部生でしたが、やはり年に百万ちょい持って行かれました。まあ、それを払ってくれたのは両親でしたけれど……。奨学金を取ることが出来ればまだ多少マシになりますが、これで私立の理系学科へ行ってしまうと、ますます学費は上がります。支払う側の経済的な負荷は、決して少なくない訳で。
 現状、就職において、大学卒であるということはまるっきり価値がありません。大学に行って卒業したというのはほぼ当たり前であり、企業側もそれを当然のこととして判断してきます。ただ大学行ってました、卒業しました、では何にもならないということ。そもそも就職のためだけに大卒という「資格」を取るだけ、と言う程度であるならば、大学なんぞ行かない方がマシとすら思います。就職を本当に意識するならば、むしろ専門学校へ行った方が今では良いのではないか、と思うくらい。企業側は即戦力を求めますし、専門学校では徹底的に技術を叩き込みますし、更に就職対策もしっかりやってくれる所も最近は増えているとか。その辺りの事柄は、きっちりと下調べをしていけば探していくことが出来るでしょう。
 この先、と言うよりも既に2007年からはもう全入学時代になる、と予測されています。つまりは単なる大学卒というだけでは、それこそもう全くの無価値であると言っても良い状態。今の、私が就活をしていた去年の時点でも、既にそうでした。これから問われるのは、「んじゃ、アンタ大学で一体何してきたのさ?」ということ。実際問題、大学四年間出てきたからといって、会社に入って特に何が出来る訳でもありません。ぶっちゃけ、新入社員なんて足手まといです。私自身、職場で足引っ張ってるよな~、自分役立たずだよな~といつも思うくらい。これでも一応、大学では奨学金を貸与じゃなくて給付で貰っていた程度の成績は納めていましたが、そんなもん、まるっきり役に立ちません。問われているのは、必要とされているのはそういうことではないという、何よりの証左になります。
 法律を学んだり、医学を学んだり、そういった実務資格に直結する方向性を選ぶのも良いでしょう。もしくは、ひたすら四年間、自分の追求したい方向性を学び続けるというのでも良いでしょう。実務資格を取るには相当な努力が必要になりますし、四年間ひたすらに興味対象を追い続けた経験というのは何ものにも代え難いでしょう。但し、四年間をひたすらにバイトばかりとか、四年間遊んでばかりというのでは、「んじゃ何のために大学へ行ったのさ?」という質問に答えられなくなります。この先、と言うよりも既に今現在において問われている所は、そういう所なのです。……あら、四年間四年間と無意識に言ってますが、この辺は四年制大学へ行く場合のことを考えていると思って下さい。そのまま短大に置き換えても、要点は一緒です。
 ただ、一応までにおまけとして言っておくならば、例え大学四年間を無駄にぐだぐだと過ごしたとしても、それが完全なる無駄になることはありません。何故ならば、それこそ「無駄に過ごすとはどういうことか」という、「無駄の意味」を本質的に、体感として理解することが出来るから。但し、その理解が生じてくるのは就職するなり何なりで時間が無くなってからのことであり、私自身もそういった後から理解がついてくるパターンに見事にはまっておりました。少年老い易く学成り難し、なんて言うと非常に大げさかも知れませんが。割と大学の四年間というのは、あっという間に過ぎてしまいます。それが例え、毎日に退屈するような無駄な過ごし方をしていたとしても、毎日を忘れ去るくらいに忙殺されるような過ごし方をしていたとしても。

 本の話。昨日から読み始めていた『ヘリオット先生』の下巻ですが、思いの外早めに読み終わってしまって、今日の昼休みには読み切ってしまいました。んが、もしかすると読み切るかな~と思って鞄の中に『カミヤドリ』の四巻目を放り込んできていた私は、用心深いのか単に気まぐれなのか。まあしかしこれで『ヘリオット先生』の上下巻を読み切りましたし、ついでに『カミヤドリ』も既刊の四冊を全て読み切って刊行に追いついたことになります。我ながら無駄に頑張るな~とか思ったりしますが、まあ読んでいる分には楽しいのだからそれで良し。
 さてはて今月もまた本が増えそうだな~と思いつつ、ふと今月分の日記を見返してみたら、妙に購入冊数が増えすぎているな~と再確認してみました。そうすると、やっぱり数がずれておりましたので、慌てて修正しました。と言う訳で、昨日までの分は既に全て数字を直してあります。いやはや、いやはや。明日からはまた何を読んだものかな~と思いつつ、やはり昨日に考えた通りに『平井骸惚』へ行くか、それとも筒井康隆へ行くかとちょっと考え中。神林長平でも良いのですが、どれにした所でどうせ順番が入れ替わるだけであって、結局は全部読むのでしょうけれどね。
 今月のこの後の購入予定ですが、ひとまず『カミヤドリ』は全部追いついたので置くとして、『神戸在住』の七巻目が既に出ているようなので、六巻目を読み切り次第追加購入をすることでしょう。このほか適当に中古を漁りつつ『エレメンタルジェレイド』の赤、それと『空想科学エジソン』の三巻目、『ワイルダネス』の三巻目以降といった辺りがまず確実に買うであろうコミックスの購入予定。あ、『ARIA』も今月だったような気がするなぁ。文庫の方となるとちと予測が難しくなりますが、恐らくは『平井骸惚』の三巻目以降、『ゴシック』の四巻目がまず確定。後はもう、その時その時に気が向いたものを探すことになるのでしょう。

〈今日も本を数えてみよう〉
読み:文庫『ヘリオット先生奮戦記』下巻、コミックス『カミヤドリ』四巻
買い:なし
途中:なし
累積読破:文庫3冊、コミックス13冊
累積購入:18冊

それでは。