12月31日分。
毎度。こっそり大晦日の当日夜はさっさと寝こけていたので、更新してるのは新年明けてからだったりしなくもないのですが、気にしたらいけません。幽霊です。もう先に、冒頭で言ってしまいましょう。来年もまた、よろしくお願い申し上げます。ということで、全然年が改まる感じもしないというのが本音ですが、形だけでもとりあえずは2009年最後でありますな。やったら風の寒い夜で、外出に引きずり出されてもー凍えるかと。関東は雪雨降らないだけマシ、でしょうか。
実家にもテレビが無いので、紅白も見なければ格闘技も見ないし、カウントダウンも何もありません。せめても「行く年来る年」くらいは見たい気もしますが、まあそのためだけにテレビ置くってのもどーかと思いますしねぇ。ああ、紅白と言ったら、今年は水樹奈々が出ていたんでしたっけ? また妙なところから出てきたものだなーと思ったものですが、そこの部分だけ切り抜いた動画とかは、そのうちにどっかにアップされてくるでしょうね。それを探せば、興味は大体満たされるし、無ければないで別に良いか。
よくよく考えてみると、過去に自分が「新年」というものと実感していた一番の基準というのは、結局はテレビだったんだなーと分かります。新年が近くなれば、年末なんちゃらという類の番組が一気に増えるし、大晦日になれば紅白があって、さっきも挙げましたが「行く年来る年」がある。年が明ければ、番組の開口一番はみんなそろって「明けましておめでとう御座います」で、新春特番と銘打った撮り溜めの番組が流れる。その辺りで、ああそういや年が明けてるんだけっか、と思っていたようで。そんなもんでしょうね、大概。
で、そのテレビを放り出した生活をもう二年以上続けている計算になるので、時節柄にはかなり疎くなりました。世間様のことからも、ですが。まあ、職場の話題になりやすいスポーツの有名選手がどうとか、ドラマの展開がああだとか、俳優やら芸能人誰それが結婚だ浮気だその他諸々、という方面は、昔っから興味が無かったので、テレビがあろうが無かろうが、変わりはありませんね。んー、年末でも考えることは、いつも通りろくでもないな。
振り返ってみることも特に無いような、平凡というのか波のない一年。大荒れするとそれはそれで疲れてしまうし、波風のない平らな日々というのは、結局は、そうなるように自分が選んできた道筋の結果でもあります。そういう意味では、割と選んだとおりになっている、と言って良いのでしょうね。ただ、若干、退屈かなーという感覚もあるのは、人間ワガママだってーことですな。いやはや。
年が改まるという意識は、自然にわいてくるものではなくて、こうやって自発的に、意図的にやるべきことなのかもしれません。そういう機会でもないと、さてどーだったっけ? と自分で振り返ることも、なかなか無いですからね。一定期間を総括し、期間分まとめて振り返る、というには、一年というのは悪くないスパンであるのかも。日の単位ではいくらなんでも短かすぎるし、週でも細切れに過ぎる、月だとまとめて見返すには足りないし、月が変わると諸々の分量が変わってしまうこともある。となると、一年でルーチンになるよう社会ができあがっていることも含めて、年という単位は良いのでしょう。
さて、何か良いことらしき言葉を吐いたようなので、この辺で切り上げましょう。長々続けるとほら、ぼろが目立ちますので。
ではでは皆様、よいお年をお迎えください。……ってのは、もう少し早いタイミングで言うべきですな。
ひゅう、どろん。
毎度。こっそり大晦日の当日夜はさっさと寝こけていたので、更新してるのは新年明けてからだったりしなくもないのですが、気にしたらいけません。幽霊です。もう先に、冒頭で言ってしまいましょう。来年もまた、よろしくお願い申し上げます。ということで、全然年が改まる感じもしないというのが本音ですが、形だけでもとりあえずは2009年最後でありますな。やったら風の寒い夜で、外出に引きずり出されてもー凍えるかと。関東は雪雨降らないだけマシ、でしょうか。
実家にもテレビが無いので、紅白も見なければ格闘技も見ないし、カウントダウンも何もありません。せめても「行く年来る年」くらいは見たい気もしますが、まあそのためだけにテレビ置くってのもどーかと思いますしねぇ。ああ、紅白と言ったら、今年は水樹奈々が出ていたんでしたっけ? また妙なところから出てきたものだなーと思ったものですが、そこの部分だけ切り抜いた動画とかは、そのうちにどっかにアップされてくるでしょうね。それを探せば、興味は大体満たされるし、無ければないで別に良いか。
よくよく考えてみると、過去に自分が「新年」というものと実感していた一番の基準というのは、結局はテレビだったんだなーと分かります。新年が近くなれば、年末なんちゃらという類の番組が一気に増えるし、大晦日になれば紅白があって、さっきも挙げましたが「行く年来る年」がある。年が明ければ、番組の開口一番はみんなそろって「明けましておめでとう御座います」で、新春特番と銘打った撮り溜めの番組が流れる。その辺りで、ああそういや年が明けてるんだけっか、と思っていたようで。そんなもんでしょうね、大概。
で、そのテレビを放り出した生活をもう二年以上続けている計算になるので、時節柄にはかなり疎くなりました。世間様のことからも、ですが。まあ、職場の話題になりやすいスポーツの有名選手がどうとか、ドラマの展開がああだとか、俳優やら芸能人誰それが結婚だ浮気だその他諸々、という方面は、昔っから興味が無かったので、テレビがあろうが無かろうが、変わりはありませんね。んー、年末でも考えることは、いつも通りろくでもないな。
振り返ってみることも特に無いような、平凡というのか波のない一年。大荒れするとそれはそれで疲れてしまうし、波風のない平らな日々というのは、結局は、そうなるように自分が選んできた道筋の結果でもあります。そういう意味では、割と選んだとおりになっている、と言って良いのでしょうね。ただ、若干、退屈かなーという感覚もあるのは、人間ワガママだってーことですな。いやはや。
年が改まるという意識は、自然にわいてくるものではなくて、こうやって自発的に、意図的にやるべきことなのかもしれません。そういう機会でもないと、さてどーだったっけ? と自分で振り返ることも、なかなか無いですからね。一定期間を総括し、期間分まとめて振り返る、というには、一年というのは悪くないスパンであるのかも。日の単位ではいくらなんでも短かすぎるし、週でも細切れに過ぎる、月だとまとめて見返すには足りないし、月が変わると諸々の分量が変わってしまうこともある。となると、一年でルーチンになるよう社会ができあがっていることも含めて、年という単位は良いのでしょう。
さて、何か良いことらしき言葉を吐いたようなので、この辺で切り上げましょう。長々続けるとほら、ぼろが目立ちますので。
ではでは皆様、よいお年をお迎えください。……ってのは、もう少し早いタイミングで言うべきですな。
ひゅう、どろん。