TULIP DIARY

届くといいな やさしい風に乗って

阪堺電車177号の追憶

2018年10月31日 | 読書日記
阪堺電車177号の追憶 山本巧次 著 早川文庫
第6回大阪ほんまもん大賞受賞作。図書館で借りて電車の中で読み終えた本でした。大阪で唯一残っている路面電車、阪堺電車の中でも現役最古のモ161形177号がモデルの連作小説集。モ161形177号は昭和8年から現在までまだ現役で走り続けている路面電車ですが、この小説の中では、最後に引退することになります。177号自らが一人称の大阪弁丸出しのしゃべり口調でどんな時もこの路線を走り続けてきて、その目で見たり感じてきたことを交えながら沿線住民のそれぞれの時代を生きてきた人々の悲喜交々の人生やちょっとした事件を描いた小説でした。それぞれの章は独立した話になっていました。登場している人々がそれぞれの章で年を重ねながら世代をまたいで繋がっていました。その人々の繋がりをも177号はずっと見守りながら長年走り続けてきたのでした。最後のエピローグの章で全部廃車にならずに済んだ177号が自ら本根を語っている箇所がありました。それを読むと大阪ならではの表現だったので笑ってしまいました。エピローグの最後の文章、177号自身が笑っているように小さな子供に見えていたことや177号を通じて繋がっていた人々が時を超えてどこかで繋がり続けてきて、皆が177号とともににっこり笑っているというシーンを想像する文章が一番印象に残りました。177号を通じて全く知らない同志だった人々があることがきっかけで心を通じ合わせて行ったという経緯をこの最後の章で思い出し、ほのぼのとした温かさという余韻を感じさせる終わり方でした。177号の人生を人の人生に準えると人の一生も多くの人々が最後にはにっこりと笑ってしめくくれるような穏やかな終わり方になるといいのになあと思いました。この世に存在する人間以外のすべてのものが一人称で人間とは違った目線で語ってみたら人間だけが一番なのではなくて、絶えず人間が作りだしてきたものも人間と同じように大切なものの一員であるという真実に今よりもっと多くの人々が気づくようになるのかもしれないなあと思いながら読んだ本になりました。路面電車のある風景を眺めていると人々の心にも潤いや心の穏やかさをもたらされるようになるのではとも思った本でした。今までに路面電車がまだ通っている日本の街や世界の街を何箇所か訪れてみたことがありました。路面電車が人々の生活の一端に溶け込んでいる街の情景を思い出すと活気がある街が多かったように思いました。阪堺電車はいつまでも残っていて欲しい路面電車です。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドラマの中で出てきた場所を探してみる

2018年10月30日 | ひとりごと
10月27日、放送された、大阪環状線 Part4 ひと駅ごとのスマイル 森ノ宮駅「別れをなびかせて歩く」をネットの見逃し配信で見てみました。自宅のテレビで予約録画しておいたつもりが録画されていなかったからです。ドラマのストーリーは、中学時代に同じ吹奏楽部に所属していた渚(谷村美月)と楓(水上京香)は、ある日、森ノ宮駅前の交差点で偶然再会する。青いドレス姿の渚と、喪服姿の楓…お互いが同じ“式”に参加するものだと思っていたため、それぞれの服装に戸惑う。気まずい雰囲気のなか久々に会話するうちに、それぞれが参加する“式”が、お互いにとって特別なものだということが分かるといったストーリーです。(番組のHPより転載)歴史の散歩道や京橋方向に行く道の途中の森ノ宮公団の前に掛かっている歩道橋、大阪城公園、西ノ丸庭園、水上バス乗り場付近などが映っていました。西ノ丸庭園でシロツメグサがたくさん咲いていたのでだいぶん前に撮影されていたみたいでした。このドラマのタイトルで出てくる中之島の中央公会堂付近から環状線が空に飛んでいくオープニングの映像が銀河鉄道みたいでいいなあと思いました。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

観察会に行ってきました

2018年10月29日 | ひとりごと
昨日、大阪城公園での野鳥観察会に参加してきました。昨年参加して以来、久しぶりの参加でした。この日は、終日晴天で、暑くもなく寒くもなく快適な気温の中、大阪城公園内を散策しながら野鳥を観察しました。参加者は全部で65人だったそうで、33種の野鳥を観察できたということでした。大阪城公園内ではあまり見ることができないオナガガモやアメリカヒドリが観察されたそうです。なんとか撮影できたものだけ今回掲載しました。

天守閣の広場に久しぶりに来ました。

天守閣広場から梅林を撮影



カワセミを大阪城公園の堀で見かけたのは3回目でした。撮影できたのは今回が初めてでした。

エナガ(ちょっとぴんぼけ)

コゲラ

シジュウカラ


モズのメスだそうです。


オオタカ(最初、梅林の急坂のところから天守閣の広場の木の上にオオタカが止まっていて、撮影しようとしたらカラスに追われて飛んで行ってしまったので撮影できませんでした。上の写真は公園内を散策していたときにたまたま通った別の場所で撮影されていたのを後ろから撮影しました。)


ノゴマのメスだそうです。
メジロ、アトリ、ジョウビタキ、カワラヒラなどが公園内にいて、撮影できた方々もおられたようですが私は撮影できませんでした。約16000歩歩き、疲れましたが、自分だけでは見つけることができないたくさんの野鳥を見ることができて楽しい1日を過ごせました。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土曜日

2018年10月28日 | ひとりごと
昨日の大阪市内は、朝まで少し雨が降っていたものの日中は晴れてきて洗濯日和になりました。いつもなら10月初めころにしていた夏服と秋服の入れ替えを昨日やっとし終えました。昨日は少し涼しくて夏服をしまってもいいかなと思うような気温になってきたからです。休日はいつも出かけていたこともあって、自分が加入している保険会社の担当の方が先週は日曜日に来られて昨日は違う保険会社の方が来られてと、休日の保険外交員の方々が毎週自宅に来られたことになりました。昨日の午前中に来られた方は、昔から顔なじみの方なので、保険の話よりは近況報告のような世間話で時間が過ぎて行きました。新規に更新しなかったのにお菓子とハンカチをいただきました、花柄の日傘を玄関に置いていたので、この日傘も20年ほど前にいただいたのをずっと利用させていただいていますというお話しもしました。昨年骨折されたので、仕事をお辞めになられるとかというお話でしたから、最後にお土産を持ってきてくださったようです。「何年お勤めになられたのですか。」とお伺いしたら、「40年です。」とのことでした。70代後半にお見受けするその方は、お家の家計を支えるために長い間頑張って来られた方でした。骨折されて入院しないといけないということで、仕事を辞めざるを得ないというお話でした。この方は、私を下の名前で呼ぶ少ない方のおひとりでした。「〇〇さんの仕事だったら再任用を希望したら65歳まで仕事できるから続けるのでしょう。」と言われてましたが、「定年延長にならなかったら、後2年で退職するつもりです。」とお答えすると、「そうなの。もったいないねえ。」とおっしゃっていました。70代まで仕事をされて来られた方に取ったらなぜそんなに早く退職するのと疑問を持たれていたようです。午後からは食材の買い出しをしに近所のスーパーに出向き、晩はプロ野球の日本シリースを見ながら用事を済ませ、1日があっという間に過ぎ去っていきました。残してしまっていた家事や用事がこの日結構捗りました。今日は1日晴天らしいです。休日の晴天は嬉しいです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花になる

2018年10月28日 | ひとりごと
最近、NHKでよく放送されている、みんなの歌『花になる』という歌の歌詞がなんとなくいいなあと思いました。夏川りみさんが歌っておられるこの歌の歌詞の中で、最初の歌詞、「強い風にふるえても 冷たい雨に打たれても 空を見上げている花になりたい」という歌詞がよかったです。「がんばれ」 「がんばれ」という歌詞が何回か出てきますが、この歌の中での「がんばれ」は、応援しているよとかいつも見守っているよという温かい言葉の意味に聞こえる「がんばれ」でした。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

余力度チェック

2018年10月27日 | ひとりごと
今日の早朝に再放送されていた『きょうの健康 命を守る!ストレス徹底対策』ではストレスが取り上げられていて、ストレスと心身の影響や病気との関係、日ごろの行動や思考パターンによって、ストレスにタフな人や弱い人が出きてくること、ストレスホルモンなどについて、わかりやすく説明されていました。その中で興味があったのは、どれぐらいストレスが溜まっているかは、自分で感じ取ることができるので、毎日、カレンダーや手帳に余力度を記録しておくのがいいということでした。あまり深く考えないで直感でチェックしたらいいとのこと。それを毎日記録しておくと、もう少し頑張ったほうがいいとか、休んだほうがいいとか、どれだけストレスが溜まっているかが正確にわかるということでした。昨日帰宅したら昨日の仕事内容があまりにもしんど過ぎたようで、何もする気にならず、すぐに寝入ってしまいました。余力度0パーセントの状態だったのでしょう。番組内で録画したドラマを見る余裕があったら余力度60パーセントと言われていて、最近録画しているドラマを見ようとしても途中で寝入ってしまいますし、電車の中で本を読み切ろうと思って読んでいても途中で寝入ってしまうので、ここ数日で、余力度が減ってきてしまっていたことに気が付きました。時々、どこかに行こうと思って実行しているときは余力度が高まっていたのでストレスをため込まないように自分の中では調整できていたのかもしれないなあとこの番組を見ていて思いました。この余力度を毎日つけてみるとこの日はもう休んだほうがいいとか、この日はサボっていたからもう少し、頑張っておこうとかという目安になって、ストレスとうまく付き合うことができるのかもしれないですね。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は柿の日

2018年10月26日 | ひとりごと
今日はの日だそうです。柿は母の大好物なので、いつも毎日のように最近はいただいています。家の母は、硬い柿が好きなのですが、父の一番下の弟にあたる叔父はぐちゃぐちゃになったようなドロドロになった柿が大好物だそうです。柿はヨーロッパではかきと呼ばれているそうで、イタリアではどろどろの柿が好まれているという記事に驚いています。イタリアに住んでいたらどろどろした柿がたくさんいただけるので好きな方はイタリア向きですね。テレビで外国から来られた観光のお客さんたちが柿をいただくのが初めてとおっしゃっていたのにも驚きました。柿を食べたことがない方も世界中にはたくさんおられるようです。柿は風邪予防にもいいらしいです。柿の日が10月26日になった理由がこの有名な「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の句を正岡子規が書いたのが10月26日だったからだそうです。我が家では、この句は柿をいただく度に誰かがいつもこの句を詠んでいます。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

侮れない日

2018年10月26日 | ひとりごと
昨日は、慌ただしい日でした。お昼休憩もままならずあちこち動き回って違う種類の仕事を並行して行う必要があって疲れ果てた1日でした。今日も急な仕事が入り、午後から買い物に出かけることになり、昨日ほどではないですが侮れない日になりそうです。買い物は少し遠くまで自転車で出向くので、今日の天気予報では晴れなので、よかったです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カーブミラー

2018年10月25日 | ひとりごと
いつも通る道でカーブミラーが変な方向を向いたままで、カーブミラーの機能を果たしていません。先日の台風で向きが変な方向に向いたままで今も直されていないからです。台風で変わってしまっていた、信号機の向きはだいぶん前に直されていましたが、街角のカーブミラーは直されていない場所も多いのかもしれません。どなたかが言及されない限り、このカーブミラーは変な方向を向いたまま状態なのでしょう。どこにお願いしたら直してもらえるかというとそのカーブミラーにのところに貼ってあるらしいです。昨日、その付近の道から普段はあまり通っているのをあまり見かけない車が走ってきていて、少しびっくりしました。カーブミラーがないと分かり辛かったというのがよくわかりました。最近、四つ角でも止まらずそのまま直進していく車を多く見かけるようになりました。曲がり角などのカーブミラーはやはりないと危険ですね。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

叔父のこと

2018年10月25日 | ひとりごと
23日の日は、父の弟にあたる叔父の命日でした。叔父は今から12年前に亡くなりました。人懐っこい人柄で小柄の叔父はどこか愛嬌があって、奥さんも子供もいなかったのですが、叔父の友達はたくさんいて、そのたくさんの友達の中でも人気者だったそうです。叔父が20代のころから姪に当たる私からおっちゃんと常に呼ばれていても少しも怒りもせず、写真を撮るとなぜかドアップで撮影してくれたり、中学生のときにはセイコーの腕時計をくれたりといろいろかわいがってくれましたし、たくさんいる叔父の中では一番お世話になった叔父でした。亡くなったあくる日に夢の中で叔父は私の夢の中に出てきて、私の名前を読んで、「ありがとな。」と言って握手をしてくれました。亡くなってしまった後だったのに、なぜかその手が暖かかったのです。話をしようと思ったら目が覚めてしまった記憶が一度だけあります。それから二度と私の夢の中に出てきてくれません。「ありがとうな。」と叔父に言われたのに、「ありがとう。」と叔父に生きている間に言えなかったのを今も後悔しています。今、生きている間に、言える人には言っておくのがいいといつも思いますが、面と向かって言うのは言いにくいこともあってまだ言えていないのですが、言ってしまったら本当に会えなくなるといやだなあという気持ちも少しあります。本当にたいせつな人にはありがとうの言葉は形にしていなくてもその言葉以上にありがとうの気持ちが常にあるのは事実です。それが、いつも伝わるような行動を常日頃から示しておくことが言葉より大切なことなのかもしれないです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする