バッハの話の前に無駄話を一つ、それは夢にヤマハの特約店H楽器の社員や講師が一杯出て来て、その場所は鎌倉で必死で私は隠れて逃げまどうが行く先々でかち合ってしまう夢でした。これは夢占いでは悩みをまだ、引きずるそうです。
H楽器の講師の皆さんは横浜店から移籍をした講師が力強く、みな仕事熱心で幸せそうに仕事をしていました。私一人が違っていた感じがする。そう言えば母が父も兄も私も水虫になるのに母さんだけならない。「私だけ他人」と言っていた感じと似ている。
昔の電気店だったH楽器の講師のすばらしさを横浜店から移ってきた講師は実は知らない。私がおとなしいのでそれで合併が上手くいったのである。私は取り得無しの講師だったので自画自賛しておく。キリッ!!!
他の講師は生徒も可愛がり、熱心に指導をして、恋愛もして、私と言えば金儲けだけで妙な筋を通す事だけは一人前、人間の性根は変わりません。実は現在も全く同じで能力もそれほど変わっていません。本当です。
私は調子もんでバカ殿なんとかのような振る舞いをしてみる事があるのです。それはなんか、ふとやらされるのだ。言わされるのだ。
例えばバッハの説明で以前にうっかりクラビコードと話の中に入れてしまったが実はクラビコードは全く知らない。電気ピアノをクラビノーバと言ったり、バッハのインベンションやシンフォニアもクラビアかクラビコードとか言っていたような気がするだけである。
バッハの補足を致します。私は何が言いたかったのか!
その前に又、又、気分悪い話に戻りますが水道局のあとだしじゃんけん、めちゃくちゃ論理を聞かされた後に、真面目、正しい、敬虔、努力家のバッハの崇高な高い音楽を聞きたくなるのである。ちょうどへとへとになるコンサートの前後に「椰子の実」名も知ら~ぬ、流れ寄る椰子の実なんとかと聞きたくなる感じになるのである。こんなむちゃくちゃな世の中にはバッハを弾いたり聞いたりした方が良いと思う。それでこそ、まともな道に修正される感じがするのある。
私はバッハのイタリア協奏曲はチェンバロ(ハープシコード)ではないと思う。決してパイプオルガンでもないと思う。何かもっと違う’ある愛の詩’という超有名な映画の中でジェニーが弾いていたオルガンのような感じがすると言いたかったのである。それで、なんか聞きかじりで適当に説明不足のようにしゃべってしまったわけである。チェンバロはこういったオルガン音楽より、少し奥行きが加わると思う。ヘンデルはバッハより奥行きがあると言いたかったのである。だからチェンバロがピアノの原型だと言えると私は思う。
今日はベートーヴェンのピアノコンチェルトのカデンツアとやらを注文支払いに行った。どの楽譜を買った方が良いのかさえ、カデンツアは自分で作るのだろうか?否かさえ良くわからない私が本当にベートーヴェンピアノコンチェルトを弾く時が来るのか、怪しい雲行きになってくる。
どうせ暇だし、死ぬまではのんびり生きようと思うが、年金をへずられたせいで金はなくなってゆくと思う。
私は食べる量は人より少ないので、こんなお菓子類を食べる時は食事はしません。
牛乳寒天でございます。寒天を水につけてふやかして買い物に行く。帰宅後ちぎって500cc或いは1リットルの水の中に
ちぎって入れて煮溶かす。砂糖も加える。時間はややかかる。
容器に冷ました煮溶かした寒天を入れる。砂糖を少し加えた牛乳を上から流し入れて冷蔵庫で冷やすだけで良いのである。昨日、何もやる気が湧かなくて、そうだ!牛乳寒天の作り方を頭で考える事にしたのである。