昨日は5日間も冷蔵庫のチルドにおいたままだった牛肉を、少し量が多いけれど食べちゃえと思って食べて、その上、デザートに抹茶タルトも食べました。少々食べ過ぎたと思いました。すると、吐きそうになって、吐こうとしても吐けません。病気の人は大変苦しい思いをして、かわいそうだと思いました。病気は絶望します。治ると絶望は消え去ります。そこで、めずらしく12時前に寝る事にしました。
電話も絶対出ない毎日を過ごしています。夜9時30分頃に電話が鳴りました。出ないが、誰なんだろうとは思いました。
すると、多くの人達が演劇をしている夢を見ました。そこに私のコンサートの受付をしてくれた事がある人がいました。
まるで現実と夢がつながっているようで、つながっていないような夢でした。
私のコンサートは第一回シリーズは「オーロラチェンバーコンサート」でした。このコンサートシリーズの前にプレコンサ―トや田中智子音楽教室のコンサートや311大震災も途中経験しました。そして、父が骨折、入院、死で中断、このシリーズはこのように数え方が複雑ですが、13,14回ぐらい続きました。客は次第に少なくなっていきました。
第二回シリーズは「月とオーロラコンサート」父の3回忌から始まりました。これも数え方がむつかしく(自宅会場をカウントするかどうか)
昨年のクリスマスコンサ―トで7回やったと思います。次回は再来月になりますが、諸事情でもう、やめようと思います。自分で会場をとったり、チラシやその他作成や集客がしんどくなって、調律やその他も今一信用できない中、強行するのは、自分がかわいそうになってしまったのです。
でも、違う形で7月にどこかで演奏していると思います。どこかでお会いできるかもしれません。弾きこもっているかもしれないが・・・・
このように変遷してゆく。過去など書き換え、どうにでも塗り替えて、未来に目を向けて生きてゆくのがトレンドらしいが、私は逆に過去を振り返って、正しく記載をしていったのでした。私の性格だと思います。そして、過去の体験の中から2%の可能性を見つけ出して、
この2パーセントの道をやり遂げなければ、自分があまりにも惨めで哀れのまま人生を終わってしまう、実は誤解されているかもしれないが
一番、幸せでない人間で終わってしまう所だったのです。そこで、私より先に母が気付いた。そして、父も亡くなる事で、ようやく、やれたという所でした。このように私だけ、生き方が違うのです。マリーアントワネットの息子も100人以上、自分がルイ17世だと名乗りを上げたそうです。イエスキリストも生きていたとか、そういう間違った説の中で未来永劫生きるのは私の性ではないのです。私が間違っているのでしょうか?過去を振り返らないで未来だけを見つめて、力強く幸せを勝ち取って生きてゆく方が楽といえば楽だと思います。失礼かもしれません。それも決して甘くない。でも、少なくとも2%よりはパーセンテージは上がると思います。きっと私より皆様の方が、気付いていないかもしれないが運命が良いのではないでしょうか?
私は2%の可能性を生きる事でしか自分の可能性はなかったのでした。という事は裏を返せば、これからも2%が続く道を選択したという事です。それでも、少なくとも哀れで惨めな自分よりはましだった。
これからの子供達はどうなるのだろう?買い物に行っても計算の勉強も出来ない社会情勢である。昔は買い物をする事で計算の勉強になった。看板を見る事で文字も勉強した。嘘だらけの看板文字です。だから、陰のやり方、情報を握っているものが勝ち組になってゆく。もしくは私のように2パーセントの可能性を追求するしかないのである。育てる両親の苦悩を思いやる。