急に、寒くなったせいか、風邪をひいたか、食べ過ぎか、なんか身体中、ヘルペスの菌が暴れている。10日以上、治るまでかかる。
父の亡くなる前の入院中も、この病気を発症した。関東にやって来て、ひどいこの口唇ヘルペスにかかって、病院へ行って、薬をもらって飲んだのに、全く効かなかった。顔はゆがんだまま、こんなに効かない薬なんて、どうして、こんなにヘナチョコなのに、都会の人は病院へ行ったら、病院へ行ったらと言うのだろう。七不思議だった。
別に、熱が出ているわけではないので、いつも通り、勉強・練習したが、
危険が迫っている、或いは、他人の業を受けている時、こうなる。
シカゴ留学前の学校案内ツアーの時も、ひどい口唇ヘルペスになって、身体は、だるいは、わけがわからないわ、人には嫌われるわ、まさか、この時点では、留学するなんて皆無だった。私は低く見られまくって、絶対、無理と烙印を自分に押して、帰って来たはずだった。
口唇の病気を手で隠している。
ちょうど、23年前である。
{私は3月31日に動画を撮っても良いと考えていた。ちょっと、練習不足でも、それはいつもの事だし、4月5月は私にとっては、占いで天中殺だから、それもあった。でも、病気発症で未定になった。}
留学の話に戻ります。でも、急に、コース変更になったのである。生徒の発表会のエレクトーンレジスト(音色)を考え中に、台所に降りて来た父の側に座ると、父は華僑の息子達が留学したとか、よく耳にしていた!わしもお前を留学させてやりたい!と言うような話をした。私は心が決まったのである。生徒の発表会も終えられて、ちょうどタイミングも良い。父も高齢で、これを逃したら、もうない、グイッと角度が変わったのである。
アメリカは私にとっては、業を浴びせられる国である。入学してからも、何度も口唇の病気になった。恐ろしい業を受けている。でも、物の道理が分かって、やっているというより、始めから、はめるつもりだったのである。獲物がやって来てくれたのだろう。そんな事、子供の頃から、伊達に生贄をやっていないのでわかる。
世の中の仕組み、それがどうした?そんなものに、従える人は、美味しい立ち位置を得られる人だけである。或いは、従うしかないからだろう。或いは、能力が高い。でも、真の才能ではない?(失礼!)本当に才能があったら、案外、我慢しないのでは・・
こっちは破滅・死である。誰でも、いずれ死ぬが、自分の天命を果たせないまま死ぬわけにはいかない。だから、足をばたつかせて、こちらも、指令通り、必死だった。
考えてみたら、私はいつも指令通り、危ない目に合っているのを、必死でかわしたり、助けが入ったりしていた。
ずっと、大変だったのである。
何も間違った事はしていないし、決して、遅くもないのである。
説明を聞けば、きっと、理解していただけると思う。
要は、ピアノ演奏の両手脱力は、私にとっては、今まで述べた肘の角度、高さ、指先、曲によって変わる他、たった一つの最重要ポイントの見逃しの為に、超大変だったのである。たった一つの最重要ポイントは、いずれ説明するつもりである。
みなさまは右手の脱力は出来ても、日本地図と腕の関連は見つけられなかった。
私は右手の脱力は出来なかったが、日本地図と腕の関連は見つけられた。