Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

延徳田んぼへ

2016-10-31 23:08:29 | つぶやき

 

 延徳田んぼをまた訪れた。前回訪れた10月9日には、盛んに稲刈りをしていたこの一帯であるが、当時はまだ稲刈りの終わっていない田んぼがたくさんあったのに、さすがに今訪れると稲の光景は消えている。ほんの僅かではあるが、まだハザが残っていたが、ほぼ稲作の時期を終えたと言える。そんななか、盛んに藁を焼く光景が見え、いくつかの煙があがっていた。このあたりでは稲刈り後の藁束を写真のように三角錐形(円錐とも四角錐とも見える)に立てて置く農家が多い。少ないものだと6束ほどを、多いところでは20束近いものを使ってひとつの三角錐を作る。コンバインで刈ったあとの田んぼでもこんな感じに三角錐を作る農家が多いが、すでに藁が刻んで入れられているので、これをさらに裁断して田んぼにすき込むことはないだろうが、こうして乾かしておいて家へ運ぶのかどうか。我が家では脱穀をするとすぐに束を20個くらいずつユイソで結んで納屋へ運ぶ。そうした藁は裁断して利用することもあるし、畑作に利用することも多い。田んぼにそのままにしておくと濡れてしまうので、すぐに取り入れるというのが鉄則である。

 かつて生家では脱穀後に田んぼに藁をしばらくは積んでおいた。束を単純に横にして積んで、天端は屋根のように斜にして家の形にしていたものだ。当時は牛を飼っていたので、牛小屋に敷藁として使う量が最も多かったかもしれない。もちろん今では複合的な農業を営んでいない農家が多いので、かつてほど藁を使うこともなく、ほとんどをコンバインで稲を刈る際にすきこんでしまう農家も多い。あとは藁を必要とする人に譲るというのが一般的だろうか。

 左手の奥に見えるのは中野市大熊である。真ん中やや左よりに山から尾根が下りてきているが、これが中野市と小布施町の境になる。そこから右手に連なる峯の麓が小布施町ということになる。雁田山の向こう側は高山村である。


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