the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESが臭いのはずっと同じ。
それとは無関係に・・・。

電話でしかやりとりしない相手がいる。
これは、先方がかなり年上の場合が多く、
「いろいろな電子機器でのやり取り苦手だったら
申し訳ないし、こっちもそんなに器用でもないし」
という理由からで、いろいろ遠慮しているからである。

FAXでしかやり取りしない相手は皆無だ。
そもそもファックスはコミュニケーションの
ツールというよりも、強力な補助機能という立ち位置
あるいはそういうイメージが強いので、それだけで
完結というのはそもそもなかったのではないか。

最近ではSNSの利用が増え、みんなそれが
スタンダードになってしまった。

だから仕事上の関係者でもLINEでやり取り
するようだ。
自然な成り行きで
「あ、じゃあSGCさんLINEで送りますので」
と言われてしまうこともしばしばある。
「いや、メールでください。」
「え?LINEやってますよね?」
「ええ、一応。」
「じゃあ教えてください」
「いや教えないですよ。メールでくださいね」
こういうやり取りのあと、大抵相手は
びっくり呆れ半笑い顔になる。
そんなに意外なことなんだろうか。
こちらとしては、LINEであなたと繋がるのが
イヤという訳でもなく、LINEであなたとやり取り
する気が起こらないだけだ。
同じようなものだが少し違う。
繋がるのが嫌ならば
「LINEやってません」で済む話だ。
メールでいいのだ。Eメールで。

で、さっきふと思ったのだが
「メールでのみやり取りをするというのは
なんだかもう古風な感じがする」という事実である。
個人的にはもうすでに、メールのみでのやり取りという
のは古風に感じてしまうのだ。
メールなんて最近始まったことなのに。

はがきや手紙だけでつながるという形に
少々憧れるところがある。
だから、不急の用件の場合に知人には
手紙を送ることにしている。
近い将来、Eメールでのやり取りが
平安時代っぽく感じてしまう世の中に
なるかもしれない。









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GITANESは読書のお供なのに。
それとは無関係に・・・。

「親愛なる向田邦子さま」河出書房新社
を読んだ。エッセイアンソロジー。
向田邦子の周囲の人が、どのように彼女を
捉えていたのかがよくわかる本。
友人や仕事仲間26人が書いたもので、
その悉くが面白くて寂しい。
向田邦子ファンの人も多いだろう。書いた
ものすべてを読破して、その手による
テレビドラマなども見尽くしているという
ようなフリークもいるだろうし、逆に
私のようにエッセイを数冊読んだだけ
という人もいる。

もちろん、名前だけ知っているという人
もいるし名前すら初耳だという人もいる。
そのような人は、この本を先に読んで
向田邦子の輪郭を朧気ながら掴んでから、
その著作を読むという楽しみ方が残されている。
こればかりは従来のファンにはできない
ことであり、遅れて来た人の特権でもある。

山本夏彦が彼女を

「突然現れ、ほとんど名人。」

と評したという。
他人、それも随筆家・編集者にそう言わしめる
というところにもう凄さが滲む。
新著がもう出ないのは残念だが、ゆっくり
追いかけて読む機会を与えられたと思うべき
なのかも知れない。



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GITANESのパッケージとにおいが強烈な
アピール。
それとは無関係に・・・。

ほぼ週6でエアロバイクに乗り、30~60分
踏み続ける。
寒くなると億劫になるが、身体が温まるので
都合がいい。
戸外、特に昔のように夜間自転車で走りに出るのは
リスクが高い。
水温が下がった水路に落ちたら死ぬかも知れないし
ケガもする。交通事故の可能性もある。
田舎のことだからイノシシも疾走しているかも
知れない。
家の中でエアロバイクというのはいろいろ合理的だ。

動画を鑑賞しながら乗ることが多い。
いろんな動画を観るのだが、やはりスポーツに関する
動画を観ながらの方が、ペダルを踏む脚にも力が入る。
気分も高揚するようだ。
ボクシングの試合の動画も観る。
しかし特定のシーンは早送りする。
そのシーンとは、KO決着後
勝者がコーナーのロープにのぼり
「ヨッシャーーーッ!!」と雄叫びを上げるところ。
あれを観るたびに「ヒエエエ・・・」と、背筋に
電気が走る。
わからんでもない。その気分は。
でも、強い人はあんまりやらんだろう。
苦笑いのタネである。


野球やサッカーに関する動画もみる。
あ、ヨッシャーーー!に匹敵するほどの
苦笑いのタネがあった。

サッカーで衝突などがあって、倒れ込んで
誰かがかまってくれるまで(相手にファウルのジャッジが
下るまで)
「イタイイタイ!イタイイタイ!」
と寝転ぶシーン。
わかったわかった。もうずっと寝てなさい
と思う。

それと、審判に詰め寄り抗議する場面で
両手を前方ななめ下に伸ばし、ひじの内側を真上に
向けて・・・というポーズがあるが
まあイタリア人がやればサマになるんだろうが、略。





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GITANESはもっと古いけど。
それとは無関係に・・・。

カレンダーを眺めていて、昭和3年にはどんな
著名人が生まれたんだろうかと気になった。

ハマコー
土井たか子
手塚治虫
渥美清
荒井注
ドクター中松
ジャンヌモロー
田辺聖子
澁澤龍彦

錚々たる顔ぶれである。
そしてこの人たちは、
ミッキーマウス
ミニーマウス
と同級生でもある。

昭和3年の今日はミッキーとミニーの
誕生日だったらしい。
94歳、現役のスターだ。

東京ディズニーランドには(2021年)
1200万人以上の人が訪れたとのこと。
すごいなあ、94歳。




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GITANESペイ。
それとは無関係に・・・。

客観的に、トータルで便利になったのかどうかは
わからないが、たまに行く書店にもついにセルフレジが
導入されていた。
セルフと言っても、使い方に戸惑っている客がいれば
嫌々店員さんがカウンターから出てきてダルそうに
セルフレジの使い方を教えてくれる。

私も一瞬戸惑った。ここもセルフになるのか と
感慨をもってのこと。
それを店員さんは「あ、また機械オンチがやってきた、
ヤレヤレ・・・」と出て来る。
面倒くさそうに
「お支払いは現金でしょうか?」と尋ねてくる。
機械を見ると、VISAのタッチ決済ができるらしい。
つい最近私のカードも「タッチ対応」になったので
珍しい間はそれを使う。カードを渡したりどこかに
差し込んだりする手間がなく便利だと感じる。
その店では毎回クレジットカードを利用していたので
ひと手間ラクになる訳だ。

いざ支払いの段になって、
「カードの場合はここに差し込んでください」と
ダルそうな店員さんに言われたが、
「あ、タッチでいいですよね?」と言いながら
それらしい場所にタッチさせるが、何とも反応がない。

店員「タッチ使えないですね」
私「え、さっき別の店でこのカード使えましたよ」
店員「でも使えないですね」
私「このレジ、タッチ使えるんですよね?マークもあるし。」
店員「でも使えませんね。」
私「どうして?」
店員「ピッって反応がないからです」
私「え?反応がないから使えない?」
店員「そうですよ」
私「いやそうじゃなくて、どうしてタッチのカード
がタッチ対応のレジで使えないのかなって・・・」
店員「反応がないからです」


私「色んな意味でなるほどね」
店員「ここへカードを差し込んだらいいです」
私「タッチの代わりにね」
店員「タッチ使えませんからね」
私「使えるレジですよね」
店員「そうですよ。」


こうして、セルフレジは人間レジより手間と
時間を浪費しながら、今日も増殖していくのである。



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GITANESとは最早何の関係もないブログに
なってきた。
それとは無関係に・・・。

会社の健康診断。
今回の採血を担当する女性(推定75歳)は
私からすると
「天才」
としか言いようがないほどの腕だった。
まず針を刺すところからだが、そもそも
触れたかどうかすら感じない。
視線を腕から逸らしているから、どんな状況か
がまったくわからない。
視界の端あたりの動きを推察すると
もう注射器を動かす段階が過ぎ、容器を装着
して血を採っている段階に移ったようだが
それもまったく感じない。
そして針を抜いたであろうが、それもまったく
感じない。
テープを貼って包帯を巻いたあたりはさすがに
感じるし、そもそもその段階ではもう自分の目で
確かめているが、針が遠ざかった段階でもう
私は無敵の気分になっており、もうどうでもいい。
「まったく感じない。天才ですね?」と申し上げると
「まぐれです」と仰った。

バリウムを飲んでグルグル回ったりひっくり返ったり
して健康診断は終わった。

後で聞いたところによると、同じく採血を受けた女性
スタッフの中には
「今までで一番痛かった」という人もいるようだ。
何が左右するのかは知らないが、人によりけり
なんだなあ。



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GITANESの日は5月4日。
それとは無関係に・・・。

11月1日はどこかの何かという組織が勝手に
決めた「本の日」であるようだ。
兄、姉のために買ったらしい「学研 少年少女世界文学全集」
というのがあったり、住まいと比べるたら(小さい借家だった)
今考えると分不相応の百科事典が備わっていたりした。
私のお気に入りはその全集の中では
「ロビンソンクルーソー」が気に入っていて、というよりも
それしか読まなかった。
そればかり読んでいたから「お前はまたそればっかり読んでる」
と兄や姉に揶揄されたものだ。
それしか読まなかったという記憶があるということは
全集の中からどういう理由かそれを選び、そしてそれに
ハマったからそればかり読んだのだろう。
他の本を手に取っていたら、それが対象になっていた可能性も
あるし、極端すぎるが、他の本を手に取っていたら人生が
変わっていた可能性もある。
少なくとも、他の本を手に取った結果「ああ、本なんて
面白くない」と思ってしまっていたら、
その後の道はきっと変わっていたはずだ。

全集ではないが、やはり「チョコレート戦争」が大好きで、
これは今でも年に1,2度は読んでいる。
今でも多少ドキドキするし、今でもエクレアを食べたくなる。

小学校に入学してからは、十五少年漂流記が好きだった。
以前にここでもそれについて書いたが、つい最近
また買い求めた。十五少年漂流記というタイトルではなく
「二年間の休暇」というタイトルになっていた。
多分原題なのだろう。
その後順当に、という風に星新一をよく読むようになり
文庫で買ってもらえるものは全て買ってもらったり
自分でも買ったりした記憶がある。
不思議に、星新一をもう一度読みたいという欲は
まだそれほど湧かない。
その後はすぐに、父や兄が読む本を読めるようになり
私が買ったものを父が読んだり、兄が買った本を
私が読んだりしていた。こうして、家にはいつも
誰かが買った新しい本があったように思う。


11月1日はそれと知らずに本屋に行った。
でも、どういう訳か珍しく
まったく買いたいと思う本が1冊もなく
なにも買わずに書店を出た。
その日だけ本を買わずに店を出る
というのは何の因果なのだろうと考えるが、
多分
「書斎が汚すぎる。片付けなさい。
読んでない本も多すぎる」
という、どこかからの忠告だったのだろう。

まあ、掃除は来週でいいや。




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