著者 多田 富雄 (著)
自己とは、生命とは、生命活動としての文化とは? 新しい生命観を求めて、免疫、自己、老化、脳死と臓器移植、ウイルス、エイズなど、生命科学と文化の接点を縦横に語り合った対談集...
対談者=立花隆・養老孟司・岡田節人・加賀乙彦・木崎さと子・河合隼雄。
スーパーシステムとしての生命。
新らしい生命観を求めて、免疫、自己、老化、脳死と臓器移植、ウイルス、エイズなど、生命科学と文化の接点を縦横に語り合った、待望の対談集。
多田 私は脳死移植に絶対反対というわけじゃありませんけれども、脳死はそう簡単に受け入れられないと思いますね。
私は唯脳論じゃありませんから、心臓が止まれば、すべて終わりですが、心臓が動いていれば、免疫系などは「自己」と「非自己」の区別ができるんです。
最近では、実験的にウズラの脳をもつニワトリをつくることができます。
そうしますと、ちゃんと脳は働いているんですけれども、ニワトリはウズラの脳を拒絶するわけです。
免疫系は脳が自分と違うと拒絶するわけです。
脳は免疫系を拒絶できませんね。
ですから、身体の主体性から考えてどちらがどちらといえば、ぼくは、脳が主体じゃないと思います。
身体的な生命を考えれば。
養老 私も、唯脳論といったのは、むしろ現代をある意味で風刺していったんです。
あまりにも唯脳的になっちゃってる、と。
身体に還元するということは、まったくおっしゃる通りだと思いますね。
河合隼雄さんとの対談(1994年)では、多田富雄さんのおそるべき名言がとびだします。
河合隼雄さんの名著『とりかへばや、男と女』を生物学の観点から読むと非常に面白いと多田さんが指摘しながら話題が展開する部分です。
多田 どうして自分は男なのかと考え始めますと生物学的には非常にわかりにくいことなんです。(中略)遺伝的に男と女が決まっているといいますけど、そんなことはないんです。それじゃあどうして決まるかといいますと、どうも、もともと人間は女であって、なんとかして男という役割分担を作るという目的だけでY染色体というのが働くんです。
(中略)私は女性というのは存在だと思いますけども、どうも男というのは現象にすぎないんじゃないかとこのごろ思い始めてきたんです。
自己とは、生命とは、生命活動としての文化とは? 新しい生命観を求めて、免疫、自己、老化、脳死と臓器移植、ウイルス、エイズなど、生命科学と文化の接点を縦横に語り合った対談集...
対談者=立花隆・養老孟司・岡田節人・加賀乙彦・木崎さと子・河合隼雄。
スーパーシステムとしての生命。
新らしい生命観を求めて、免疫、自己、老化、脳死と臓器移植、ウイルス、エイズなど、生命科学と文化の接点を縦横に語り合った、待望の対談集。
多田 私は脳死移植に絶対反対というわけじゃありませんけれども、脳死はそう簡単に受け入れられないと思いますね。
私は唯脳論じゃありませんから、心臓が止まれば、すべて終わりですが、心臓が動いていれば、免疫系などは「自己」と「非自己」の区別ができるんです。
最近では、実験的にウズラの脳をもつニワトリをつくることができます。
そうしますと、ちゃんと脳は働いているんですけれども、ニワトリはウズラの脳を拒絶するわけです。
免疫系は脳が自分と違うと拒絶するわけです。
脳は免疫系を拒絶できませんね。
ですから、身体の主体性から考えてどちらがどちらといえば、ぼくは、脳が主体じゃないと思います。
身体的な生命を考えれば。
養老 私も、唯脳論といったのは、むしろ現代をある意味で風刺していったんです。
あまりにも唯脳的になっちゃってる、と。
身体に還元するということは、まったくおっしゃる通りだと思いますね。
河合隼雄さんとの対談(1994年)では、多田富雄さんのおそるべき名言がとびだします。
河合隼雄さんの名著『とりかへばや、男と女』を生物学の観点から読むと非常に面白いと多田さんが指摘しながら話題が展開する部分です。
多田 どうして自分は男なのかと考え始めますと生物学的には非常にわかりにくいことなんです。(中略)遺伝的に男と女が決まっているといいますけど、そんなことはないんです。それじゃあどうして決まるかといいますと、どうも、もともと人間は女であって、なんとかして男という役割分担を作るという目的だけでY染色体というのが働くんです。
(中略)私は女性というのは存在だと思いますけども、どうも男というのは現象にすぎないんじゃないかとこのごろ思い始めてきたんです。