人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

酒井順子著「徒然草REMIX」を読む~清少納言「枕草子」との比較でみる吉田兼好の考え

2014年11月14日 07時00分55秒 | 日記

14日(金)。わが家に来てから48日目を迎えたモコタロです 

 

          

           たのむから うさぎサンドにして食べないでくれ!

 

  閑話休題  

 

昨日、会社帰りに飯田橋のギンレイホールに寄って、年間会員継続の手続きをしてきました 会員はカード・システムになっていて、1人用のシングル・カードは1年間有効で10,800円(消費税込)です 映画は2本立てで2週間おきに上映作品が変わるので、1年間に52本観られる計算です つまり、1本当たり208円になる訳で、これを『超お得』と言わずして何というか、という問題です 最近はコンサートで忙しく、ギンレイホールに行くこともまれになってしまいましたが、絶対観たい映画もあるので継続しない手はないと思います 取りあえず21日まで上映中の「グランド・ブタペスト・ホテル」を観たいのですが、今日からの1週間は超過密ダイヤなので観れないかも知れません

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

酒井順子著「徒然草REMIX」(新潮文庫)を読み終わりました 酒井順子は1966年東京生まれ。立教大学社会学部観光学科卒。エッセイスト。一番有名な著作は「負け犬の遠吠え」でしょう

 

          

 

皆さん、「徒然草」はご存知ですね。言わずと知れた吉田兼好が書いた随筆集です。出だしはこうです

つれづれなるままに 日くらし 硯にむかひて 心にうつりゆくよしなし事を そこはかとなく書きつくれば あやしうこそものぐるほしけれ

「退屈な毎日を暮している時に、心に浮かんでくるどうでもいいようなことを何となく書きつけてみれば、変に気違いじみているよなあ」とでも訳すのでしょうか

吉田兼好は13世紀末、鎌倉時代後半に京都で生まれました。10代後半から20代にかけて、後二条天皇に六位蔵人として仕えたといいます。六位というのは帝の身の周りの世話をする、昇殿を許された花形の職です しかし、なぜか兼好は30歳前後で出家します。そのため兼好法師と呼ばれ、かなり長生きをしたようです

この本は、「あらまほし」「女」「愚か」「友達」というように、言葉とテーマを交互に取り上げて徒然草を論評しています さらに、平安時代の随筆家・清少納言を登場させ、架空の対談をさせることによって、男と女、天皇の中宮に仕える侍女と若くして出家した法師、また平安時代に生きた人と鎌倉時代に生きた人の考え方の違いを浮き彫りにしているところにこの本の特徴があります 徒然草”REMIX”たる所以でしょう

取り上げている言葉は「あらまほし」「愚か」「わびし」「あはれ」「くちをし」「心にくし」「あいなし」「はかなし」「をかし」「つれづれ」です 一方テーマとして「女」「友達」「老い」「いにしえ」「子供」「物」「自慢」「身の程」「仏教」が取り上げられています

例えば、「あらまほし」を扱った章では

「徒然草を読んでいて、思うこと。それは、『この作者の心の中には、常に”〇”の札と”×”の札が用意されているなぁ』ということです。『まぁ、どうでもいいわな』とか、『そういう人もいるでしょう』などといった曖昧な感想は抱かず、必ず自分の中で白黒をつけているのです

と指摘しています。ただ、「枕草紙」においても、〇と×との区別はくっきりとついている、として次のように書いています

「『心ときめきするもの』『めでたきもの』『あはれなるもの』といった言葉の後に綴られるのは、清少納言が『〇』と思った事物の数々。対して、『すさまじきもの』『にくきもの』『見苦しきもの』といった言葉の後には、『×』な事物が続く。読者は、端的な〇の事例、×の事例の数々を読んで、『そうそう、そうなのよね~』と、スッキリした気分になるのです

一方、兼好の方はどうかというと

「『徒然草』における〇と×の処理方法は、枕草子とは違います。兼好は、〇や×の事例をただ羅列するという手法はとらず、『これは〇だが、こちらは×だ』などと〇と×を並べてみせたり、兼好が〇とか×と感じた理由を丁寧に説明してみせ、『だからやっぱり人間、こうあるべきなんですよ』といった意見を提示するのです

と分析しています。なかなか鋭い分析です

この本を読んでいると、今は死語になっている言葉に出会います。その一つに荒夷(あらえびす)という言葉があります。これは、京都の都会人に対して田舎の吾妻人、荒夷、よからぬ人を意味します 私が何故、この言葉に注意を引かれたかというと、「野村あらえびす」を思い出したからです。小説家としては野村胡堂、つまり「銭形平次捕物控」の筆者のことです。「野村あらえびす」は音楽評論家としてのペンネームで、私はかつて彼の著作「名曲決定盤」(1949年・初版)を熱心に読んだものです これはSPレコードの演奏を批評した本ですが、家のどこかにあるはずです

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