守田です。(20110620 22:00)
悲しいニュースが入ってきました。福島の酪農家の男性が自死されました。
次のような書きおきがあったそうです。
「姉ちゃんには大変おせわになりました。原発さえなければと思ます。残った
酪農家は原発にまけないで願張て下さい。仕事をする気力をなくしました。
(妻と子ども2人の名前)ごめんなさい。なにもできない父親でした。仏様の
両親にもうしわけございません。」
悲しいと同時に、悔しい気がします。悲しみを怒りに変えて、共に歩みたかった。
そう思うのです。
私たちの国に住まう方々には、とても優しい方も多い。
しかし先日、和知にお話に行ったときに、参加していたカナダから移住された
女性が「日本人はもっと怒らなくてはダメ。・・・国民性で仕方がないのかなあ」
と話されていました。
その話を思い出し、もっと僕自身が怒りをうたう必要があった、その声を
亡くなってしまったその方にも届けたかったと思いました。
ご冥福をお祈りするばかりです。合掌。
さて、この悲報にまるで並ぶような形で、政府が、今回の事故で避難された方の
精神的苦痛の賠償を、月額10万円と算定したことが報道されました。
自動車の損害賠償保険を参考にしたのだそうです。要するに政府は人々の
苦しみを、自動車事故によるけがの入院と同等にしか見ていない。
・・・何をか言わんやです。
私たちの政府は、国民・住民の苦しみに本当に冷たい政府です。
責任感も本当に著しく欠如しています。
明日に向けて(163)でも書いたように、このような政府が次に行う事が
目に見えているのが、被曝の影響を大幅に低く見積もり、アメリカが積み
あげてきた「医学的見解」を楯に、被曝を被曝として認めず、苦しむ人々を
放り出すことです。
広島・長崎原爆の後でも、水俣病の発生後も、常にこうしたことが
行われてきました。被害者の方たちは、被害者という認定を受ける、ただ
そのことだけでも膨大な時間とエネルギーを費やしてきた。それでも今なお、
たくさんの方たちが、被害者にすら認定されていないのです。
確実に同じことが起こり始めます。いや起こり始めるので、それを許して
はならないと思うのです。広島・長崎原爆ヒバクシャの方たちが苦しんだ道、
水俣病患者さんたちが苦しんみながら通った道をよく学び、それを知恵に
転化し、これから起こることへの、私たち市民の側の構えを作っていく
必要があります。
そのことが私たちの幸福を育みます。
誰かが不当に踏みつけられ、苦しんでいる世界の中では、私たちは
幸せを満喫できないと僕は思うからです。
同時に、この先、踏みつけられるのが誰になるのか全く分からない。私たちの
誰もがすでに被曝をしている可能性があります。だから今から、内部被曝への
補償体制を問題にしていくことは、私たち1人1人への直接の救いの手に
なる可能性があるのです。
一緒にさらに学びながら、声をあげて行きましょう!
****************************
新築の壁に残した無念 福島・酪農家の男性自殺
朝日新聞 2011年6月20日4時5分
福島県相馬市の酪農家の男性(54)が今月、自ら命を絶った。「残った酪農家
は原発に負けないで頑張ってください」。メッセージは、新築したばかりの堆肥
(たいひ)舎の壁に残されていた。
男性は、東京電力福島第一原発から約60キロ離れた相馬市の山あいの小さ
な集落で、約40頭の乳牛を飼っていた。なだらかな斜面の奥に母屋があり、
手前に牛舎と堆肥舎が並ぶ。
真面目で仕事熱心――。酪農家仲間や知人の一致した印象だ。午前3時から
牧草を刈り、牛の世話をした。世話を終えた後に、畑仕事に出ることもあった。
昨年末には、堆肥をつくって売るために堆肥舎を新築し、農機具も少しずつ増や
しながら、父親から継いだ牧場を大きくしようと懸命に働いていたという。
原発事故で3月21日に原乳が出荷停止となり、搾った原乳を捨てる日々が
約1カ月続いた。「牛乳が出せないからお金も入らない」と仲間たちにこぼした。
男性が所属するJAそうま酪農部会の酪農家28戸のうち、営業を再開できた
のは16戸だけだった。
知人らによると、男性はフィリピン人の妻(32)と長男(6)、次男(5)
の4人暮らしだった。そろいのヤッケを着た妻が、牛舎で牛の世話を手伝った。
男性は長男の入学式を楽しみにしていた。「郡山市まで行って、高いランドセル
を買ってやったんだ」。20年来の友人の酪農家(52)は、男性がそう言って
笑っていた姿を思い出す。
妻子は4月中旬、原発事故を心配したフィリピン政府に促されて帰国した。長男
の入学式の直前だった。
男性は同月下旬、妻子を追って出国した。「おらだめだ。べこ(牛)やめて、
出て行く」「子どもらがいなくて寂しい」と周囲に漏らしていた。
フィリピンに行った男性は、連絡をしてきた知人に「牛は処分してけろ」と頼ん
だ。近所の農家や仲間が手分けして世話することを決め、引き取った。5月初旬、
男性は1人で帰国した。「戻る気はなかったけど、言葉も通じなくて」。牛舎
から牛は1頭もいなくなっていた。「迷惑をかけてすまなかった」と酪農仲間に
わびたという。
今月11日午前、広報誌を配りに訪れたJA職員が、亡くなっている男性を堆肥
舎で見つけた。ベニヤの壁には、白いチョークでメッセージが残されていた。
姉ちゃんには大変おせわになりました。原発さえなければと思ます。残った
酪農家は原発にまけないで願張て下さい。仕事をする気力をなくしました。
(妻と子ども2人の名前)ごめんなさい。なにもできない父親でした。仏様の両親に
もうしわけございません。(一部省略、原文ママ)
隣の牛舎には、黒板に「原発で手足ちぎられ酪農家」「やる気力なくした」と
いった言葉がつづられていた。
14日、相馬市で葬儀が営まれた。家族や酪農家ら200人が男性の死を悼んだ
。フィリピンから駆けつけた妻子3人は寄り添い、泣きじゃくっていたという。
男性が残した書き置きには2人の知人の名が記されていた。1人は新しい
堆肥舎を建てた大工の男性。その代金を完済しておらず、「保険で全て
支払って下さい。ごめんなさい」とあった。
もう一人、隣の酪農家(64)には「言葉で言えないくらいにお世話になりま
した」と書き残した。この酪農家は「体は大きいけど気は小さくて、仕事一筋の
真面目な人だった。もう、ああいう人を出してはいけない」と話した。
(矢吹孝文、丹治翔)
■「先見えない被害 長期ケアを」専門家
警察庁のまとめによると、東日本大震災で大きな被害が出た岩手、宮城、福島
3県の5月の自殺者は計151人。福島県は最多の68人で、昨年5月と比べ
唯一の増加(19人)となった。
1995年の阪神大震災では、家族や職場を失ったショックなどによる自殺も
「震災関連死」と認定され、災害弔慰金が支給された。心に深い傷を負ったことに
よる心的外傷後ストレス障害(PTSD)が原因とする医師の診断書がある場合
などが
該当する。
阪神大震災の経験から被災者の電話相談を行っているNPO法人「多重債務
による自死をなくす会コアセンター・コスモス」(神戸市)の弘中照美理事長は
「阪神では仮設住宅に入った頃から急激に自殺者が増えた。家や仕事を失った
喪失感は時間がたってから襲ってくる場合があり、今後のケアが重要だ」と指摘。
阪神大震災で精神科医として被災者のケアにあたった中井久夫さんは「福島県
の場合、地震と津波に加え、原発事故という先が見えない被害を受けている。
被災者の心の状態を長期的に見続ける必要がある」と話す。
福島県内では、社会福祉法人「福島いのちの電話」が不安や悩みに関する
電話相談を受け付けている。相談時間は午前10時~午後10時で年中無休。
電話番号は024・536・4343。(波戸健一)
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201106190452.html
*****
原発事故の避難者、精神的苦痛の賠償は月額10万円
朝日新聞 2011年6月20日18時51分
政府の原子力損害賠償紛争審査会は20日、東京電力の原発事故に伴って
避難した住民が被った精神的苦痛に対する賠償について、1人あたり月額
10万円を基準とすることを決めた。体育館や公民館などの避難所に避難した
人は、プライバシー確保が難しいなど、苦痛の度合いが大きいとみて、2万円
を加算する。
基準額の算定にあたっては、自動車損害賠償責任(自賠責)保険を参考にした。
交通事故でけがをして入院した場合、自賠責で定める慰謝料は1人あたり1日
4200円。月額換算で12万円程度となる。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201106200371.html
悲しいニュースが入ってきました。福島の酪農家の男性が自死されました。
次のような書きおきがあったそうです。
「姉ちゃんには大変おせわになりました。原発さえなければと思ます。残った
酪農家は原発にまけないで願張て下さい。仕事をする気力をなくしました。
(妻と子ども2人の名前)ごめんなさい。なにもできない父親でした。仏様の
両親にもうしわけございません。」
悲しいと同時に、悔しい気がします。悲しみを怒りに変えて、共に歩みたかった。
そう思うのです。
私たちの国に住まう方々には、とても優しい方も多い。
しかし先日、和知にお話に行ったときに、参加していたカナダから移住された
女性が「日本人はもっと怒らなくてはダメ。・・・国民性で仕方がないのかなあ」
と話されていました。
その話を思い出し、もっと僕自身が怒りをうたう必要があった、その声を
亡くなってしまったその方にも届けたかったと思いました。
ご冥福をお祈りするばかりです。合掌。
さて、この悲報にまるで並ぶような形で、政府が、今回の事故で避難された方の
精神的苦痛の賠償を、月額10万円と算定したことが報道されました。
自動車の損害賠償保険を参考にしたのだそうです。要するに政府は人々の
苦しみを、自動車事故によるけがの入院と同等にしか見ていない。
・・・何をか言わんやです。
私たちの政府は、国民・住民の苦しみに本当に冷たい政府です。
責任感も本当に著しく欠如しています。
明日に向けて(163)でも書いたように、このような政府が次に行う事が
目に見えているのが、被曝の影響を大幅に低く見積もり、アメリカが積み
あげてきた「医学的見解」を楯に、被曝を被曝として認めず、苦しむ人々を
放り出すことです。
広島・長崎原爆の後でも、水俣病の発生後も、常にこうしたことが
行われてきました。被害者の方たちは、被害者という認定を受ける、ただ
そのことだけでも膨大な時間とエネルギーを費やしてきた。それでも今なお、
たくさんの方たちが、被害者にすら認定されていないのです。
確実に同じことが起こり始めます。いや起こり始めるので、それを許して
はならないと思うのです。広島・長崎原爆ヒバクシャの方たちが苦しんだ道、
水俣病患者さんたちが苦しんみながら通った道をよく学び、それを知恵に
転化し、これから起こることへの、私たち市民の側の構えを作っていく
必要があります。
そのことが私たちの幸福を育みます。
誰かが不当に踏みつけられ、苦しんでいる世界の中では、私たちは
幸せを満喫できないと僕は思うからです。
同時に、この先、踏みつけられるのが誰になるのか全く分からない。私たちの
誰もがすでに被曝をしている可能性があります。だから今から、内部被曝への
補償体制を問題にしていくことは、私たち1人1人への直接の救いの手に
なる可能性があるのです。
一緒にさらに学びながら、声をあげて行きましょう!
****************************
新築の壁に残した無念 福島・酪農家の男性自殺
朝日新聞 2011年6月20日4時5分
福島県相馬市の酪農家の男性(54)が今月、自ら命を絶った。「残った酪農家
は原発に負けないで頑張ってください」。メッセージは、新築したばかりの堆肥
(たいひ)舎の壁に残されていた。
男性は、東京電力福島第一原発から約60キロ離れた相馬市の山あいの小さ
な集落で、約40頭の乳牛を飼っていた。なだらかな斜面の奥に母屋があり、
手前に牛舎と堆肥舎が並ぶ。
真面目で仕事熱心――。酪農家仲間や知人の一致した印象だ。午前3時から
牧草を刈り、牛の世話をした。世話を終えた後に、畑仕事に出ることもあった。
昨年末には、堆肥をつくって売るために堆肥舎を新築し、農機具も少しずつ増や
しながら、父親から継いだ牧場を大きくしようと懸命に働いていたという。
原発事故で3月21日に原乳が出荷停止となり、搾った原乳を捨てる日々が
約1カ月続いた。「牛乳が出せないからお金も入らない」と仲間たちにこぼした。
男性が所属するJAそうま酪農部会の酪農家28戸のうち、営業を再開できた
のは16戸だけだった。
知人らによると、男性はフィリピン人の妻(32)と長男(6)、次男(5)
の4人暮らしだった。そろいのヤッケを着た妻が、牛舎で牛の世話を手伝った。
男性は長男の入学式を楽しみにしていた。「郡山市まで行って、高いランドセル
を買ってやったんだ」。20年来の友人の酪農家(52)は、男性がそう言って
笑っていた姿を思い出す。
妻子は4月中旬、原発事故を心配したフィリピン政府に促されて帰国した。長男
の入学式の直前だった。
男性は同月下旬、妻子を追って出国した。「おらだめだ。べこ(牛)やめて、
出て行く」「子どもらがいなくて寂しい」と周囲に漏らしていた。
フィリピンに行った男性は、連絡をしてきた知人に「牛は処分してけろ」と頼ん
だ。近所の農家や仲間が手分けして世話することを決め、引き取った。5月初旬、
男性は1人で帰国した。「戻る気はなかったけど、言葉も通じなくて」。牛舎
から牛は1頭もいなくなっていた。「迷惑をかけてすまなかった」と酪農仲間に
わびたという。
今月11日午前、広報誌を配りに訪れたJA職員が、亡くなっている男性を堆肥
舎で見つけた。ベニヤの壁には、白いチョークでメッセージが残されていた。
姉ちゃんには大変おせわになりました。原発さえなければと思ます。残った
酪農家は原発にまけないで願張て下さい。仕事をする気力をなくしました。
(妻と子ども2人の名前)ごめんなさい。なにもできない父親でした。仏様の両親に
もうしわけございません。(一部省略、原文ママ)
隣の牛舎には、黒板に「原発で手足ちぎられ酪農家」「やる気力なくした」と
いった言葉がつづられていた。
14日、相馬市で葬儀が営まれた。家族や酪農家ら200人が男性の死を悼んだ
。フィリピンから駆けつけた妻子3人は寄り添い、泣きじゃくっていたという。
男性が残した書き置きには2人の知人の名が記されていた。1人は新しい
堆肥舎を建てた大工の男性。その代金を完済しておらず、「保険で全て
支払って下さい。ごめんなさい」とあった。
もう一人、隣の酪農家(64)には「言葉で言えないくらいにお世話になりま
した」と書き残した。この酪農家は「体は大きいけど気は小さくて、仕事一筋の
真面目な人だった。もう、ああいう人を出してはいけない」と話した。
(矢吹孝文、丹治翔)
■「先見えない被害 長期ケアを」専門家
警察庁のまとめによると、東日本大震災で大きな被害が出た岩手、宮城、福島
3県の5月の自殺者は計151人。福島県は最多の68人で、昨年5月と比べ
唯一の増加(19人)となった。
1995年の阪神大震災では、家族や職場を失ったショックなどによる自殺も
「震災関連死」と認定され、災害弔慰金が支給された。心に深い傷を負ったことに
よる心的外傷後ストレス障害(PTSD)が原因とする医師の診断書がある場合
などが
該当する。
阪神大震災の経験から被災者の電話相談を行っているNPO法人「多重債務
による自死をなくす会コアセンター・コスモス」(神戸市)の弘中照美理事長は
「阪神では仮設住宅に入った頃から急激に自殺者が増えた。家や仕事を失った
喪失感は時間がたってから襲ってくる場合があり、今後のケアが重要だ」と指摘。
阪神大震災で精神科医として被災者のケアにあたった中井久夫さんは「福島県
の場合、地震と津波に加え、原発事故という先が見えない被害を受けている。
被災者の心の状態を長期的に見続ける必要がある」と話す。
福島県内では、社会福祉法人「福島いのちの電話」が不安や悩みに関する
電話相談を受け付けている。相談時間は午前10時~午後10時で年中無休。
電話番号は024・536・4343。(波戸健一)
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201106190452.html
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原発事故の避難者、精神的苦痛の賠償は月額10万円
朝日新聞 2011年6月20日18時51分
政府の原子力損害賠償紛争審査会は20日、東京電力の原発事故に伴って
避難した住民が被った精神的苦痛に対する賠償について、1人あたり月額
10万円を基準とすることを決めた。体育館や公民館などの避難所に避難した
人は、プライバシー確保が難しいなど、苦痛の度合いが大きいとみて、2万円
を加算する。
基準額の算定にあたっては、自動車損害賠償責任(自賠責)保険を参考にした。
交通事故でけがをして入院した場合、自賠責で定める慰謝料は1人あたり1日
4200円。月額換算で12万円程度となる。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201106200371.html