昨夜は中村文則の「土の中の子供」という小説を読みました。
土の中の子供 (新潮文庫) | |
中村 文則 | |
新潮社 |
芥川賞受賞作で、その後は大活躍している作家ですが、読むのは初めてです。
主人公である「私」と暴力をめぐる物語ですが、近代以降の、わが国の、いわゆる「純文学」の悪い伝統を引きずっているように感じました。
「私」が、延々と暗くて絶望的な物語を語る、と言う。
「私」は子供の頃親に捨てられ、遠戚の夫婦に引き取られますが、激しい虐待にあい、そのことが「私」の精神をゆがませています。
山中に埋められる、という生きるか死ぬかの経験まで積んでいます。
その後施設に引き取られ、遠戚の夫婦は逮捕されてしまいます。
陰鬱で悲惨な一人語りが続きます。
正直、共感できません。
しかし、読み進むうち、これは再生と希望を描こうとしているのではないか、と気づかされます。
20代の「私」はタクシードライバーとして生計を立てていますが、暴走族を挑発してボコボコにされるなど、やたらと恐怖体験を求めます。
不思議なことに、そこに、一種の希望が見えてきます。
私が望んでいたのは、克服だったのではないだろうか。自分に根付いていた恐怖を克服するために、他人が見れば眉をひそめるような方法ではあったが、恐怖をつくり出してそれを乗り越えようとした、私なりの抵抗だったのではないだろうか。
という文章は印象的で、「私」が再生を試みていることを示唆しています。
ラストに至って、実父が会いたいと言ってきたのを断るのですが、そこに、おのれ一人で立つ、という覚悟が感じられます。
全体の印象としては、私の好むタイプの小説ではありません。
私は不幸自慢や貧乏自慢のような小説が大嫌いですから。
しかし、なんとなく、この作者は多くの引き出しをもっているのではないかと感じました。
それはその後の活躍を知っているから、ということもありますが、どこかカフカ的な、不条理を感じたせいかもしれません。
ミステリー仕立ての小説も書いているようですから、もう少し、食わず嫌いをしないで読んでみようかと思っています。
この手の作品でデビューして、後に豊かな物語作家になった小説家もいますから。