昨夜は歌集「荻窪メリーゴーランド」を読みました。
35年くらい前になるでしょうか、俵万智が「サラダ記念日」という口語の歌集を出して論争が巻き起こりました。
新しい短歌だ、とか、なぜ自由詩で書かず、三十一文字に載せるのか、だとか。
当時大学生で国文学を学んでいたのですが、高名な歌人でもある岡野弘彦先生という方から源氏物語を勉強していました。
岡野先生、古い歌人の代表として俵万智と比較されて激怒していました。
懐かしい思い出です。
そんな論争が嘘のように、今では口語短歌なんて当たり前の物になっているようです。
「荻窪メリーゴーランド」は男女の歌人が歌を詠みあう相聞歌のような体裁を取っています。
男の歌人が木下龍也という人で女は鈴木春香という人。
初めて目にする名前です。
相聞歌によって、一組の男女の恋の始まりから悲劇的な終わりまでを描いて、まるで短編小説のような趣を醸し出しています。
もちろん短歌ですから、細部は分かりませんが。
財布を無くした女が交番を訪れたのと同じタイミングで、財布を拾った男が交番に届けにきて出会うのが最初。
もしここで出会えなければもう一度わたしは財布を無くしただろう
「恋人はいますか?」なんて言えなくて代わりに聞いた「また会えますか?」
といった短歌。
そして二人の仲は深まり、
手袋を外してから手を繋いでも皮膚の分だけ遠いと思う
ねぇスーモ、毛づくろいしてあげるから同棲にいい部屋を教えて
に至ります。
しかし何があったかは分かりませんが、
刃をわたるひかりが君と君を結び刺すことは刺されることだった
脇腹が鋭利に熱いままの夜そうか退場するのはぼくか
という悲惨な結末を迎えます。
なかなかに面白い趣向の歌集だとは思いましたが、どうしても口語短歌には違和感を感じます。
私の言語感覚が古いのでしょうか。
この歌集、様々な意見があると思いますが、多分二人の歌人、どちらももう読まないと思います。