ルバング島で30年も潜伏していた元大日本帝國陸軍の情報将校、小野田寛郎氏が逝去されました。
20歳そこそこから51歳まで。
小野田少尉はラジオを持っており、大日本帝國が敗れたことを知っていたそうですが、日本には米国の傀儡政権が誕生しただけで、満州に亡命政権があり、必ずや米国に反転攻勢を仕掛けるから、60歳までルバング島のジャングルに潜伏しつつフィリピン軍人や米国軍人を遊撃によって殺害し、ルバング島奪還作戦が始まったら道案内と情報提供を行うという任務を遂行しようと孤軍奮闘したのでした。
現に30人もの軍人や警察官を殺害しているそうです。
そして60歳になってなおルバング島奪還作戦が行われなかったならば、独り、米軍基地に切り込んで果てる覚悟だったそうです。
小野田寛郎―わがルバン島の30年戦争 (人間の記録 (109)) | |
小野田 寛郎 | |
日本図書センター |
しかし、昭和49年、元上官の説得に応じて投降。
軍人の魂とも言うべき古びた軍刀をフィリピン大統領に差出し、処刑されることを覚悟したそうですが、大統領は軍刀を返し、恩赦を与えて、彼は新生日本に帰ってきました。
その険しい表情、ぴんと伸びた背筋は、侍そのもの。
大日本帝國軍人とはこういう人々だったのですね。
しかし帰国した彼の目には、日本は魂を失った抜け殻のように見えたようです。
多くの人からもらった義援金をすべて靖国神社に寄付したところ、軍国主義を支持するのか、と非難の嵐にあい、死んだ戦友を思って激しい憤りを感じたようです。
過去の遺物とも骨董品とも揶揄されながら、おのれの信じる生き方を貫いた、誠に強い人であったと思います。
たった一人の30年戦争 | |
小野田 寛郎 | |
東京新聞出版局 |
また、平和主義の大合唱に、一時的に戦争を避けることができても、未来永劫戦争が起こらない保障などないのに、それが可能だと信じる反核平和教徒に苛立って、兄がいるブラジルに渡って農場経営に携わり、晩年は小野田自然塾を開いて子どもたちにサバイバル生活を教えることで、日本人が失った倫理規範を教えようとしました。
晩年の小野田氏は険しい中にも優しさを感じさせる表情に変わっていました。
今、世界は小野田元少尉の死を悼み、任務に忠実だった軍人として称賛しています。
しかし私は、表面的にはともかく、本質的には大日本帝國を生きた日本人と、現代の日本人とで、全く変わっていないと思っています。
国に危機が訪れれば、わが国民は一夜にして平和よりも自由よりも戦うことを選ぶでしょう。
国民性なるもの、一度大きな戦に敗れたからと言って、簡単に変わるものではありません。
実際、銃を捨て軍服を脱いだ日本人は、スーツを着込み、経済的な戦いで連戦連勝を続けたではありませんか。
そしてまた、秩序や規律を重んじ、清潔感を大切にする国民性が健在であることを、東日本大震災の被災者の方々は身をもって示したではありませんか。
日本人は美しい国民であり、小野田元少尉殿はとりわけ美しい人であったと感服します。
小野田元少尉殿、日本人は何も変わってはいませんから、安らかにお眠りください。
合掌。